個性、海神 ── 神の血を引く少女は雄英に立つ 作:一夏 茜
「……まだ起きてるよ、不審者。早く帰りなよ」
私は青いベッドの中うんざりしながら時計を見る。今は夜の1時半。
暗闇の中、こちらをただ見つめる彼の赤い羽が力なく床に垂れているのが見えた。いつもみたいにピンと張っていない、雨に濡れた鳥みたいな、そんな羽。
「つれないねえ……ねえ、ガラテアちゃん。慶悟くんって言ってみて」
おどけた口調なのに、それが いつもと違う「切実さ」を帯びていることに気づいた。気づいて、しまった。
あー、もう。ほっとけない。本当にこのナルシストは。
「ちょっとここまできて、慶悟くん」
彼は驚いたように目を細め、案外素直にベッドの脇にやってきた。
「屈んで」
私は手を伸ばして、彼の頭をわしゃわしゃと撫でる。少しだけ硬くて、でも温かい、一人の男の髪の感触。
「慶悟くんはがんばってる。十分がんばったよ」
私は頭を撫でながら微笑んだ。彼の肩が、びくりと跳ねた。
「だから、今日はもうねよ」
「……私は、慶悟くんが──正しい人だって知ってるから」
──
雄英学校生活は順調にスタートした。午前は数学、英語などの必修科目。英語は前世アメリカ人だったし喋るのは余裕だ。読めないし書けないけど。だが一番の問題は現代文。
読み上げ機能付きのタブレット端末と私は睨み合っていた。手元にあるのは特別プリント。障害や特性を持つ生徒が他の生徒と同じように学べるように工夫された教材のことだ。目に優しいはずの、薄いクリーム色のプリント。文字は大きく、行間はスカスカ。まるで子供向けの絵本。
どの先生も「ジャクソン、無理に読まなくていいからな」と優しく肩を叩いていく。もし、私が「先生、このプリントを今すぐ食べちゃってもいいですか?」って聞いても、優しく許可してくれるかもしれない。
「大丈夫だよ、ガラテア。あんたはバカじゃない、ただ脳の構造が三千年前の仕様なだけなの」と自分に言い聞かせても、 周りは教科書を開いて鉛筆でノートを取っている。私だけがひらがなだらけのプリントを広げ、機械を使って音で情報を処理していることに胃が捻りあげられてるみたいに痛くなる。
私が難読症だという情報は通達されているらしい。
「ジャクソン、お前はこっちのプリントを使え」
「音量は上げすぎるなよ」と、親切に扱われるのは助かるけど、自分が「普通」の輪から外れていることを毎時間突きつけられる。
教科書の文字が浮き上がって踊りだすのを必死で無視するのも苦痛だ。……いや、踊るなんて可愛いもんじゃない。あれは蟻の軍団だ。一箇所にじっとしてくれなくて、常にウゴウゴと動きながら列を乱してページの外へ逃げ出そうとする。
昼は大食堂。
「もう文字なんて見たくない……。脳みそがスクランブルエッグになりそう」
「あれだけ入試も個性把握テストもすごかったのに、筆記はダメなんだ。ちょっと安心かも」
隣で耳郎が笑う。
……そう。私はみんなにとって、「ちょっと安心できる、できない子」。 カレーを口に運んでも、喉の奥に「自分はここには相応しくないのかも」という苦い味が残った。
──
午後の授業はヒーロー基礎学。
「わーーたーーしーーがーー!!!」
「普通にドアから来た!!!!」
扉を開け、勢いよく入ってきたオールマイトは教壇に上がり、『BATTLE』のプレートを掲げる。彼は平和の象徴らしい。でも、その筋肉と笑顔の圧力は、ヘラクレスがプロテインを過剰摂取した姿にしか見えない。
「ヒーロー基礎学!ヒーローの素質をつくる為様々な訓練を行う課目だ!単位数も多いぞ!早速だが今日はコレ!!戦闘訓練!!」
壁が何やら変形し、コスチュームが出てくる。それは個性届けと要望に沿ったコスチュームだ。入学前に届出を出したやつだろう。ほぼホークスが考えたんだけど。
「着替えたら順次グラウンドβに集まるんだ!!」
「はーい!!」
女子更衣室に向かって着替える。渡されたコスチュームは潜水服を改良した、水抵抗ゼロの特殊繊維。限りなく黒に近いダークネイビー。肩にはギリシャの古代鎧を現代的にアレンジした、軽量の銀色の装甲。
腰から後ろに流れる、透き通ったエメラルドグリーンのマント。これが水に浸かると、魚の尾鰭のように広がり、水中での推進力を爆発させるようになっている。
かっこいいけど……これでニューヨークを歩いていたら、間違いなく変質者か、さもなければコスプレに失敗したアトランティス人だと思われて逮捕されるだろう。
最後に腰や足にいくつも下げた筒形の水筒を見下ろした。この中には水が入っている。全く水がないところに行った際の頼みの綱だ。本当はもっと水が欲しいんだけど、これが持ち歩ける限界だった。
あとは青銅の剣。剣術はそんな得意じゃないんだけどね。
「ねえねえ、ガラテアちゃんって呼んでもいい?」
ピンクの子と透明の子に声をかけられた。私は頬を掻きながら話す。
「『ちゃん』なんてつけなくていいよ、ガラテアで」
「私も私も!」
しかし私はなんと呼べばいいのだろう。困ったように固まると、ピンクの子が苦笑しながら教えてくれた。
「もしかして名前覚えてない?もう、しょうがないなー。私は芦戸三奈!!」
「私は葉隠透だよ!」
「ケロ、私は蛙吹梅雨よ、梅雨ちゃんって呼んでちょうだい」
「そっか、覚えた。三奈に透に梅雨ちゃん、よろしく」
着替え終わると、彼女らと一緒にグラウンドに向かった。
建物が建つ市街地を模したグラウンドにみんなが集まり、オールマイトが言葉を放つ。
「さあ!!始めようか有精卵共!!」
これから始まるのは屋内対人戦闘訓練。
熱を持ったゴムと排気ガスの匂いが鼻につく。ポセイドンの子を閉じ込めるには、この場所は乾きすぎている。
「君らにはこれからヴィラン組とヒーロー組に分かれて2対2の屋内戦を行ってもらう」
「基礎訓練なしに?」
と梅雨ちゃん。
オールマイトは最初だからこそなのだと告げた。個性把握のためのテストでもあるらしい。
内容はこうだ。二人組、もしくは3人組でヴィランとヒーローに分かれて屋内戦を行う。
ヴィラン側は制限時間内(15分)にハリボテの核兵器を守り抜く。またはヒーロー側を「捕縛テープ」で捕まえる。ヒーロー側は制限時間内に核兵器を回収する。またはヴィラン側を捕縛する。互いに相手を「捕縛テープ」で縛れば捕獲となるらしい。
「失礼いたします、オールマイト先生」
黒髪を高い位置で結んだ女がスッと手を上げた。露出の高い衣装を堂々と着こなしている。
「チーム分けについて一点、よろしいでしょうか。 本来この訓練は『2対2』という均等な条件下で行われるべきものですわ。ですが、1クラス21名の我々において3人チームが構成されるとなると、対戦相手との間に著しい戦力差……いわゆる『数的優位』が生じてしまいます。 これは公平な評価を妨げる要因にはなりませんでしょうか?」
おお、優等生ぽい。
「いい質問だ、八百万少女! だが考えてみてほしい! 現場のヴィランが、常に我々と同数で現れる保証があるかな!? 答えはノーだ! 数的劣勢を覆すのも、あるいは数の暴力をどう捌くかもヒーローの資質! 今回はあえてその『不均衡』を、君たちの可能性を広げるスパイスとして受け入れてもらいたい!」
カンペを見ながらオールマイトはそう言った。
そういうわけで、私たちは順番にチームを決めるために、くじを引く。
私は……Iチームだ。
同じチームの子は誰だろう。くじを握りしめていると宙に浮いた手袋、つまり透が話しかけてきた。
「おお! ガラテアちゃん一緒だ〜、私もIだよ!」
宙に浮いた手袋がぶんぶんと振られる。
「よろしくね! 一緒に頑張ろう!」
少し遅れて、隣にいた尻尾の生えた男子が一歩前に出た。黒い細目で優しげな顔立ち。コスチュームは道着風。
「あ、えっと葉隠さんと……ジャクソンさん、だよね。尾白猿夫です。よろしく」
「よろしく! Iチームは3人組なんだね〜」
「そうみたいだね」
案外会話の弾む二人を横目に私はぎゅっと拳を握った。初めてのヒーローっぽい授業。
……よし頑張ろ。
最初はAチーム対、Dチームだ。
Aチームは、緑谷と麗日。Dチームは爆豪と飯田。
案内されたモニタールームで彼らの戦う様子が全て観察できる。ということは、私の番でも動向は常にチェックされるということだ。下手な行動はできない。失敗したら笑われたりしないよね。
爆豪は緑谷に一直線に向かっていく。繰り広げられるのはまさに死闘だ。
爆豪は、手のひらから発せられる爆発を器用に使いこなし、遠心力としても利用している。戦闘センスも十分にあるようだ。
だが目を見張ったのは、緑谷。爆豪の動きは全て頭に入れているように避ける。見るからに爆豪はフラストレーションを溜め込んでいるようだった。
爆豪は、怒りに任せて暴れているように見えて、その実、一歩も引かない緑谷に心が一歩後ろに引いている気がした。……なんだか、見ちゃいけないものを見ている気分だ。誰かが必死で築き上げた城が、内側から爆発して崩れていくような。
その結果、爆豪と飯田チームの敗北となった。だが緑谷と麗日は満身創痍。MVPも飯田らしい。
第二戦はヒーローチームB対、ヴィランチームI。出番だ。
敵対するヒーローBは、氷を使う轟とかいう男と、障子とかいう腕のような触手が生えた男。
「ガラテアちゃん、尾白くん。私ちょっと本気出すわ。手袋もブーツも脱ぐわ!」
「ええ……」
「あ……うん」
尾白も引き気味だ。そして透は完全な透明人間となった。私は、体に取り付けた全ての水筒の蓋を開ける。これだけでは心許ない。だが──。
それは一瞬のことだった。一瞬で氷が覆い、ビルが氷漬けになる。反応できない速度だった。
私は水があれば、負けない。ポセイドンの娘としてそこだけは譲れない。
正確には──H₂Oという物質がすでにあるのなら、だ。
「いたたた、あ、足が」
「こ、この個性は……」
私は水筒の中にあった水を極限まで細く、超高圧で噴射した。ウォーターカッターの原理で、足を固定する氷を砕く。
「私ちょっくらヒーローぶちのめしてくるわ」
「ええ、一人で!? ちょっとま──」
静寂の中でカツ、カツと氷の上を歩く音を響かせる音が近づいていた。私は建物の廊下に隠れる。
正面衝突はできない。轟の氷は範囲、速度、そして硬度がえぐい。真正面から突っ込んだら、瞬間凍結されて封殺のリスク大だ。
だから申し訳ないけど、透と尾白は囮だ。ヒーローだったらやばいけど、私らヴィランだし問題ないよね?
そして──今。
私は轟の背後から斬りかかる。
轟は背後を振り返り反応した。
氷壁を音もなく切り裂く。豆腐のように核に衝撃を与えないように最小限の穴を開けて接近する。
だが氷が立ち上がる速度のほうが速い。当たり前だ、だって一瞬にしてビルを丸々氷漬けにすることができる能力だ。個性の速度に関してはこいつは間違いなく訓練を積み重ねている。
氷層が迫る。
普通の奴なら、ここで「あ、終わったな」と思って遺言を考え始めるだろう。 でも、私の父さんはポセイドンだ。凍りついているとはいえ、それは「私の領分」なの。パーシーならそういうはずだ。
その水流を剣に纏わせて水の一閃で氷壁を叩き斬る。
だが次々と氷の壁が迫ってくる。その中で、私はあえて目を閉じて、体の中の「引き潮」を感じた。 氷の中の分子が私に助けを求めて叫んでいるのが聞こえる。私はそれを……強制解凍する。
轟の目が見開かれる。彼が放ったはずの何トンもの氷が、一瞬にして意思を持った巨大な「水の腕」へと姿を変え、逆に彼を包囲するようにしてビルの中をのたうち回る。私の意思で一瞬にして巨大な濁流に変わる。
「な……っ、溶かしたのか!? この短時間で……!」
「溶かすだけじゃ芸がないでしょ」
轟は動揺していた。彼だって自分の氷が意思を持って襲ってくることは想定していなかっただろう。
私は、氷に熱を送り込み水に変える。代償として脳の奥が焼けるように熱い。三千年前のOSが過熱して煙を上げている気分だ。でも、気分は最高だった。
胃を痛めていた数学の授業より、よっぽど私らしい。
私は濁流の中に飛び込んだ。普通なら溺れるか、冷たさで心臓が止まる水温。だが今、水に触れた瞬間、脳にガソリンが注がれたような万能感が駆け巡る。
私は水の流れと一体化し、弾丸のような速度で彼の懐へ滑り込んだ。轟の瞳が驚愕に揺れる。彼は咄嗟に右手をかざし、至近距離から私を氷漬けにしようと「壁」を作った。
「ジャクソンさん、危ない!」
尾白が叫ぶ。頭上から迫る数トンの氷の塊。私はそれを、避けない。
私は両手を天に突き出した。脳が焼ける。つ、と鼻血が垂れる感覚と共に、鼻の奥から鉄の味がする。体温が奪われ、指先が白く震える。氷は──全て触れる指先から水になる。私の周りをぐるぐると漂ってハリケーンになる。
「馬鹿な……個性の許容上限を超えてるはずだぞ……!」
轟の顔に、初めて焦燥の色が浮かんだ。
モニタールームでは、クラス中が静まり返っているだろう。私は、ふと水を操るのをやめた。カメラを振り向いてどうにかブイの字を作る。ヴィクトリー(勝利)のVだ。
轟はハッとして足を上げる。
私は濁流の中、水の流れを操って轟の足首に捕縛テープを巻いていた。
オールマイトは「ヴィランチーム、WIN!!」と高らかに宣言する。
私はモニタールームに戻ると、ぜいぜいと息を切らしていた。限界だ。一歩も動けない。
固体の氷を無理やり溶かしたり、個性で生み出された氷の支配権を書き換えるのは、電子レンジの中に手を突っ込んでかき回すような疲労が溜まる。
八百万が感心したように言った。
「足元の水を使って捕縛テープを巻くことが目的だったのですわ。氷の壁を水に溶かしたのも、足元に濁流を作るため。そして気を逸らすために氷を溶かす攻防をし、やり遂げた。それも水流を完璧に操り核には全く触れずに。まあ、それでも本当の核だとすればそれも強引すぎますわ」
私はモニタールームの壁に背中を預け、ずるずると座り込んだ。視界がチカチカする。脳みそが沸騰して、逆に体は氷のように冷たい。
「ガラテア少女、大丈夫か!? 保健室へ……」
「……へーきです。ちょっと、海に帰りたくなっただけ」
思い詰めた顔で爆豪が私を睨んでいるところが見えた。彼は言葉を発さなかった。ただ、今まで見たこともないような険しい目。怒りとも、驚きともつかない、刺すような視線。
私は当然無視をした。今構ってられるほどの体力はない。
「すげえ、轟もすごかったけど、ジャクソンやべえな。なんて個性だよ」
「ほんとね、こんなに強かったのね、ガラテアちゃん」
普段の私ならその賞賛を快く受け取っていただろう。でも今の私はぜいぜいしながら「どうも」って言うだけ。
「ジャクソン少女……君の力、まさに『荒ぶる海』そのものだったぞ! だが、今回はあえて厳しく行こう。一つ難点をいうのなら君の力は……『周囲の環境』を破壊することに依存しすぎている。君もわかっているんだろう?」
今日は誰もいない演習場だからいい。だが崩落の危険がある建物内や、民間人がいる市街地で同じことをやれば私は災害と変わらない。
「……はい」
私は頷いた。
その後の演習、私は淡々と、みんなの活躍をモニタールームから見ていた。
「お疲れさん! 緑谷少年以外は大きな怪我もなし。しかし真剣に取り組んだ。初めての訓練にしちゃ、みんな上出来だったぜ!」
「それでは私は緑谷少年に講評を聞かせねば! 着替えて教室にお戻り〜!!!」
オールマイトはそのまま走って彼方に消えた。