叶うことの無い夢だとしても―――
君は柔道が楽しいか?
2021年1月10日、日曜の夕暮れ。
そこには、いまだ目を開くことのない最愛の
青桐はその傍らに立ち、いつもと変わらぬ調子で声をかけていった。
「よう。今日はちょっと電車が遅れてな。いつもより遅くなっちまったよ」
「……」
「いや~
「……」
「……今日も目ぇ覚まさないんだな」
青桐の声に、夏川は微動だにしない。
彼の言葉が届く日はやってくるのだろうか。
青桐はベッド脇の丸椅子にそっと腰を下ろし、深く頭を垂れる。
直視したくない
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2021年1月11日、月曜日の正午前。
教室では公民の授業が淡々と進んでいたが、青桐の意識はそこにはなかった。
「……」
(結局あの後、集めた
授業終了のチャイムが鳴り響く。
生徒達が一斉に教科書をしまい、昼休みへと駆け出していくなか、青桐だけは席に残り、開いたままの教科書をぼんやりと見つめていた。
周囲の喧騒から取り残されたように静止するその姿を案じて、
「青桐君、もう終わってるばい」
「あ? ……あぁ、悪い」
「なんか今日は……しろーっとしとるよ」
「……そんなに
「……」
「そんじゃ、売店行って来るわ」
「わ、
財布をズボンのポケットにしまい、売店へと歩いていく青桐。
その
通路には、青桐のバリューを買っていると思わしき生徒達が行き交い、次々と青桐に声をかけていく。
彼らに悪気はない。
しかし、その存在そのものが無意識の圧となり、青桐の心をじわりと追い詰めていた。
「……最近、あげんことが多か……目んクマも
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『……石山、ちょっと時間ある?』
『アレ? 夏川さん、どしたとね?』
『いや~その……この前は青桐の
『あぁー……よかよ、よかよ。もう気にしとらんけん』
『そ、そう……? えぇっとそれと……この流れで言いにくい相談なんだけどぉ……石山、アイツと一緒のクラスじゃない? アイツがなんか人間関係で
『ん? そげん
「が、
『任せときっ! 俺も柔道で胸ば借りとるけん、お互い様ばい』
『石山、
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入学して早々にクラスで問題を起こした青桐のことを、夏川は
後始末に追われ、周囲へ頭を下げて回った夏川の姿を、石山はふと思い返す。
そして石山自身も、彼女から青桐を気に掛けてほしいと頼まれて以来、4月からは教室後方の席で、さりげなく彼の様子を見守っていた。
一時期は
しかし、ここ最近の青桐から漂う
対応に困った石山は、青桐の背中を見送った後、助言を求めるため、研究室に籠もっている
柔道部と兼業で所属する柔道研究部の部室では、伊集院が
やがて、扉の開閉音に気づいたのだろう。
思考を断ち切るように
「ん? 石山か……珍しいな、どうした」
「えぇっと……そのぉー……」
「いや、9割9分9厘
「ん~……まぁ、そうたい。なんか、いつにも増して元気のなかし、声もかけづらか……どうすりゃよかか
「……なぁ、石山」
「なんね?」
「今から柔道をするぞ」
「……へ? なして!?」
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昼休憩の貴重な時間を使い、石山と伊集院は急遽、柔道の練習試合を行うことになった。
人気のない静かな道場で、2人は
ブザー音とともに、張り詰めた空気の中で試合は静かに始まったが、柔道に誘われた石山は、なおも困惑を拭いきれずにいた。
互いに
(なんで急に柔道することになったと?
「No.79……
「9割9分9厘、不発だな―――No.75
「うぅ!? ……うぅ? …………あ、あのぉ~伊集院君……」
「俺の技も不発だな。以上が俺達の現状だ」
「えぇ~っと……? どういうことばい?」
「人のことを心配出来るような立場ではないということだ」
両手を
それに倣うように石山もまた
石山が試みたのは、柔皇の山属性の技。
練度の不足ゆえに不発に終わった――その指摘の意味は、彼自身にも痛いほど
「……言ってることは、
「俺も不発した身だ。偉そうなことは言えんが……青桐を心配するより、鍛錬に時間を割いて強さを身につける方が、よほど合理的だと思うがな」
「……でもぉ」
「……余裕のない人間に何を言っても、大して響かん。俺の経験則だ」
「
「9割9分9厘、実体験だ。昔の俺は……かなり
「……」
「だからだ。変わらない他人を変えようとするより、まず自分を変えるべきだ。加えて言えば……このまま青桐が夏川の件を引きずるなら―――
「っ!?」
「
「……」
「俺達は来るべき時のために力を蓄える。それが巡り巡って、青桐の支えになる。ってことで話を〆ていいか?」
「うん……
「納得してくれてなりよりだよ。 …………」
「? 伊集院君、どしたと?」
「いやちょっとな。昔のことを思い出していたんだよ」
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『ねぇ~伊集院、聞いてよぉ~!! またアイツがっ!!』
『なんだ……青桐がなんかやったのか?』
『そうよ、あの
『9割9部9厘、不器用な奴だからな……アイツは』
『9割どころか10割よ!! おかげで保護者めいたことをしないといけないしさぁ~!? ……
『ふっ……もとから俺は、遠慮などする気は更々ないがな』
『ひゅ~頼りになるぅ~!! ……石山にも頼んでるけどさぁ……アイツの世話、伊集院にも頼んじゃっていい? 人は多い方がいいし』
『世話、か……まるで野良犬の扱いだな。まあ、検討はしておこう』
『
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「……夏川から、俺も頼まれていたからな」
石山と並び、道場を後にする伊集院。
常に冷静で淡々としている彼の背中が、この日ばかりは、石山の目にどこか違って映っていた。
澄み切ったガラスめいた氷の奥で、青く揺らめく炎。
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福岡の街に、夜の帳が静かに下りる。
人波を掻き分けるように歩く、1人の中年の男。
背後を気にする素振りを見せながら、誰かから
息が上がるほど全力で駆け抜けた末、ついにその足は止まり、追ってきたある人間に
「はっ……!! はっ……!! 何なんですかっ!? ジョンソンヘッドコーチ!?」
「……そろそろ鬼ごっこは満足したかな? 僕ね、そんなに暇じゃないんだよね」
物腰の柔らかさを感じさせる外人の男。
城南国際糸島アイランドスクール学院高等学校の外人コーチ、ジョンソン・ヘッドコーチである。
その眼差しは、獲物を狩る獣めいて鋭く、目前に立つ
追い詰められた財前の秘書とは対照的に、ジョンソンは余裕を崩さぬまま、淡々とした態度で言葉を投げかけていく。
「……まず確認しておきたいんだけどさ。君、財前に指示されて、いろいろ汚れ仕事をしてきたよね?」
「……っ!!」
「うん、図星だね。あー……そんなに
「て、提案……?」
「財前を裏切らないかい?」
「うっ!?」
「
「保証……? そんなこと、出来るわけが……!!」
「日本に来る前はね、公には言えない場所で働いていた―――ただのしがない
小説家になろう、カクヨム、NOVEL DAYS、アルファポリスでも投稿をしています。