柔の精神潰えたとしても―――
君は柔道が楽しいか?
2021年2月16日火曜日、夕方。
地下修練場での特訓を終えた
その日の帰路には、いつもの顔触れに加え、
博多駅前で知人が
「いや~悪いね、4人とも。僕の私情に付き合わせちゃって」
「いえいえ、とんでもないっす。いつもお世話になってますから」
「そう? それならいいけど……それと、今日の予定は大丈夫なの?
「ああ、それも問題ないですよ。乗り込むには、まだ時間がありますから」
飛鳥と話を交わしながら、青桐は視線をステージ上へと移す。
そこでは1人の中年が、左手にマイクを握り、
その背後には、柔道省の
駅前の広場には、平日とは思えぬほどの人だかりが出来ており、集まった
「それで飛鳥さん、あの人誰っすか?」
「ん? 僕の
「……ふ~ん……ん!? 西郷!? あの柔皇の孫の!?」
「そう。知ってる? 柔道タワーの運営資金とか、学校への補助金とか……ああいう金の流れは、ほとんど柔皇の資産で回ってるの。西郷君はその管理を任されてる1人でね。こうして表に立って、柔道の精神を広める役割も担っているんだ」
その飛鳥が、日本柔道の仕組みを築き上げた一族と深い縁を持つ人物だと知り、青桐達は言葉を失ったまま、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。
やがてこちらの視線に気付いた西郷は、飛鳥の姿を見つけると、口元にわずかな笑みを浮かべ、何事もなかったかのように
「今、日本柔道は危機に瀕しています。ですが
西郷の
その熱気に引きずられるように、飛鳥達も拍手を送る。
舞台上では、次の余興に向けた準備が静かに進められていた。
舞台裏では人員が慌ただしく動き、畳が次々と組まれていく。
どうやら、この後に親善試合が行われるらしい。
舞台袖では、西郷が
その姿を認めた飛鳥は、自然体のまま近づき、旧知の相手に接するような気安さで、西郷へと声を掛けていく。
「
「勘弁してくれ飛鳥……来るなら、ひと言くらい連絡してくれてもよかっただろ」
「えー? 僕と西郷君の今の立場じゃ、恐れ多くて連絡なんて出来ないよ~」
「いいって、そういうの……俺達、よく一緒に練習してただろ」
「ふっふっふ……じゃあ次からは
「親善試合みたいなものさ。
「え~……僕、最近運動不足で腰が痛くてさ。
「飛鳥の?」
「そう。この4人が所属している学校で、臨時コーチみたいなことをしてるんだ」
「
「ん~……青桐君だね」
「青桐……ああ、青龍の。
「
「…………ん? 俺っすか? いや、俺は……」
「あっ!! 青桐お兄ちゃんだ!!
「……あれは……
西郷は官僚の
その2人の口約束によって、青桐は急遽、親善試合へと引きずり出されることになる。
完全に油断していた彼は、事情を把握する間もなく
さらに、偶然観戦に訪れていた青桐のファン――青山少年の声援が重なり、逃げ道は完全に断たれる。
かくして青桐は、流れに身を委ねるまま、西郷と相対することとなった。
「君が青桐だね。俺は西郷だ。今日は互いに、良い柔道をしよう」
「……
(俺、こういう
「
「さあ、来なさい」
「ちっ……やるしかねぇか……!!」
高潔すぎる精神性に、青桐は微かな吐き気を覚えていた。
心の整理がつかないまま、半ば投げやりに試合へと踏み込む!!
西郷が
右手で相手の
腕が交差し、間合いは詰まるばかりで、狙った技を形に出来ない。
純粋な腕力や身体能力では青桐が勝っている。
だが、わずかな力で中袖を絞り、動きを封じていくその技術は、明らかに西郷が上回っていた!!
さらに西郷は、自ら踏み込もうとせず、青桐の出方を待つ構えを崩さない。
胸を貸しているとも取れるその余裕に、青桐の
「ぐぅ……!!」
「やれやれ……老けると体が鈍ってしょうがないよ……ん?」
交差する青桐の右腕と、西郷の左腕。
互いに
練習直後で身体は重い。
だが、相手が相手だ。
遠慮など捨て、持てる力のすべてを注ぎ込んでいく!!
――しかし、右足が西郷の足へ触れた、その瞬間。
視界の中心にいたはずの西郷の姿が、ふっと輪郭を失う。
握り締めていた
「あぁ!? ちっ……幻術か!!」
周囲の風景に溶け込んだ西郷を捉えるため、青桐はその場で腰を切り、激流を四方へと叩きつける!!
水流が不自然に弾かれた一点を見逃さず、青桐は最短距離でその場所目掛けて踏み込んでいく!!
虚空へと差し出された左手が、西郷の物と思わしき、しとやかな
逃がさぬとばかりにその左手を引きつけ、体を反時計回りに切り返す青桐。
背へと担ぎ上げる動作のまま、姿を眩ませ続ける西郷を捉え、青桐は一本背負いで、空間ごと叩き伏せにかかった!!
「やぁ"ぁ"ぁ"ぁ"……!!」
(あん? ……なんだ? 抵抗がない……?)
透明なままの西郷を、青桐はそのまま畳へと叩きつけた!!
空中で鮮やかな放物線を描いた西郷は、受け身によって鈍く乾いた破裂音を響かせ、畳に吸い込まれる。
直後、審判の口から告げられた判定は一本。
野外は一拍の静寂を挟み、次の瞬間、大きなどよめきと歓声に包まれた。
透過していた西郷はゆっくりと実体を取り戻し、何事もなかったかのように畳から体を起こして青桐へ歩み寄る。
試合後の礼として差し出される右手。
青桐は不満を隠そうともせず、渋々その手を握り返した。
「流石、青龍と呼ばれるだけあるね」
「あの……最後わざと投げられませんでした?」
「はははっ!! 流石にバレるか~……親善試合だしねぇ……流石に
西郷は静かに一礼すると場外へと下がり、
その後ろ姿を横目に、青桐もまた軽く礼をし、試合会場を後にした。
場外では、
胸の奥に残る釈然としない感情を押し込め、気持ちを切り替えようとする青桐は、やや八つ当たり気味に幼馴染の草凪と会話を交わしていく。
「
「おい
「なに急に
「あ"ぁ"!? 理由になってねぇぞそれ!!」
「じゃあ皆、僕は西郷君と少し話してくるよ。……気を付けて行ってきてね、っと?」
「おい青桐っ!! 次は俺とも柔道してくれよっ!!」
青桐が仲間達と会話をしていると、
チンピラというには粗野さが足りず、かといって善良とも言い難い、
それでも男は引き下がらず、
「ちっ……最近は減ってきてたのに……あぁ~誰っすか、あなた」
「誰でもいいじゃねぇかよっ!! なぁ柔道してくれよっ!?」
「あぁ? こっちは忙しいいんだよ。
「んだよ!? こっちは
「……あぁ? 大儲け? どういう……」
『財前ネットワークからのお知らせですっ!! 長きに渡るテスト期間を経て、ついに本格稼働したバリューの取引っ!! みなさん、ガッポガッポ稼ぎましょう!!』
駅前の大型ビジョンから、場違いなほど陽気な宣伝が流れ続ける。
それを耳にした青桐達は、ようやく点と点が線になる感覚を覚えた。
この目の前で起きている異変――すべては
青桐のバリューを空売りしている者達は、彼が
しかもそれは一箇所に留まらず、街の至る所で柔道の試合が発生している。
バリューの対象者が爆発的に拡大した結果、街は
「……ちっ!! 随分と派手に
「先手打たれたなこりゃ……龍夜、どうっすっか?」
「しゃぁねぇ……前倒しになっけど、小戸公園に
「そうだねぇ。青桐君達は先に向かった方がいいね。流石にこの人数だ……どれどれ、僕が時間稼ぎをしてあげよう」
「飛鳥さん……柔道するんすか?」
「そうだね……このくらいの相手なら問題ないよ。ほらほら!!」
その背を守るかのように、飛鳥は進路を塞ぐ亡者達の前へと割って入った。
一攫千金に目を奪われ、
そして状況を意に介することもなく、その場で淡々と
「退けよ!! 邪魔だっつってんだろっ!! おい青桐!! お前、
「お~怖い怖い……嫌だねぇ~いい歳した大人が、そんな血相変えてさ」
「
「……? あれ、西郷君。君、ここに居ていいの? てっきりお先に
「仮にも西郷の名を継ぐ者が、ここから
「え? あぁ~……なんか気のせいだったみたいだね。はっはっは~」
「……ふっ、そうだったな。お前は昔からそういう男だ。まったく、変わらないな……ん? さっきの
「ああ、青桐君のファンだね。どうする? せっかくだし、ちょっと張り切ってみる?
「いいね……賛成だ……!!」
飛鳥に呼応するように、亡者の群れの前へと歩み出る西郷。
擦り減り、くたびれきった2人の中年は、かつて共に汗を流した学生時代の記憶を胸の奥に呼び起こしながら、次々と敵を宙へと躍らせていった。
その光景を目の当たりにした青山少年は、思わず頬を赤らめる。
彼の瞳には、その背中がきっとヒーローめいて映っていたのだろう―――
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「はっ!! はっ!! 予定通りにいかねぇな!!」
「……ん? 携帯……
「ここだよっ!! 隼人、
「違ぇよ!! んだよさっきから
『おう草凪っ!! そっちは無事かっ!? 今何処にいるっ!?』
「えぇっと……天神駅近くっすね!! ん?
『ああ、そうだな!! 予定より早めの……防衛戦だなぁ!! オラァ"ァ"ァ"!! それよりよく聞け!! 作戦の時間を前倒しするらしい!!
「
『聞こえるか?
「
「9割9分9厘、問題ない」
「俺も同じたい!!」
「問題ねぇよ!! 後はアイツに
『うるせぇよ、聞こえてるっつ~の!! んで何だ!? 俺、どこに向かえばいいんだ!?』
「小戸公園だ」
『
「ああ
「……なぁ龍夜、
「あぁ。手段を選んでる場合じゃねぇからよ。まっ……どうにかなんだろ」
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