イドラデウスVSカムヤライド   作:喜来ミント

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神逐人 / 逐い遣る者

 不思議な霧の中での出会い。イドラデウスという神の存在と、彼女が人々に施したこと。

 モンコが話を区切ると、オウスは汲み置きの水を取ってきて彼に渡した。

「ありがとうな。こんなに一度に何かを話したのは久しぶりだ」

「どういたしまして。聞けば聞くほど不思議ですね……。そのイドラデウスというのは、何が目的なんでしょうか」

「先に言ってしまえば、願われたから、だそうだ」

「……それだけですか」

「ああ。それだけだ」

 火のぱちぱちという音が静けさを打つ。モンコが水を飲むのを待ち、オウスは質問を重ねた。

「それで、罪人の脚に練りこんでいた粘土というのが……」

 そう。この話の発端はそれだ。

 イズモタケルと同じように、国津神(くにつかみ)の欠片が埋め込まれたもの。

「ああ。この後にも国津神は出てくる。けど、あんな国津神を見たのは後にも先にもこれっきりだ」

 

  *

 

 今日も霧が出ている。視界は悪く、狭いはずの集落の端から端まで見通すこともできない。

 だが、集落には陰鬱な雰囲気など欠片もなかった。朝から広場で大きな火が焚かれ、周囲には男たちが集まり、弓や槍の手入れをしていた。

「なんだこりゃ。お祭りか?」

「おう、あんたか」

 昨日、集落の入り口で出会った男が火の前にいた。

「見ての通りだよ。この後、森で狩りをして獣たちの肉を食う。そういう催しさ」

「それで狩りの準備をしてたのか」

 その時、大きな太鼓が打ち鳴らされた。

「今から出立だ。お前はそっちで見てな」

「分かったよ」

 モンコは火から少し離れた家の軒先に座り、火を囲む男達を見た。そのうちの一人、がっしりとした体つきの男が立ち上がり、一同を見渡す。

「明日の夜明け、とうとう本土への道が開く。今日はその前夜祭、そしてそのための狩りの日だ。――お前たち」

 男は声を張り上げる。

「俺たちは生まれ変わった!」

 周りの男たちが答える。

『おう!』

「イドラデウスが、俺たちに力を与えてくれた!」

『おう!』

「その力を試してみようじゃないか――。お前たち、杖を!」

『おう!』

 男たちが例外なく持っていた杖を振り上げる。

「生まれ変わった俺たちに――もはや杖は不要!」

『不要!』

 男たちが杖を火に投げ入れる。何本もの杖ががちゃがちゃとぶつかり合い、火の中で踊る。

「この足がある!」

『足がある!』

 男たちが言葉の拍子に合わせて足を踏み鳴らす。

「力がある!」

『力がある!』

「いざ、進め!」

『おう!』

 男たちが力強い足取りで森へと向かう。モンコはそれを呆然と見送った。

「やはり……そういうことなのか」

 足の筋を切られた罪人たちは、イドラデウスが練りこんだ粘土でその傷を治してしまったのだ。

 男たちを追ってもいいが、やることは普通の狩りだろう。だとすれば、自分が向かうのはそちらではない。

 屋敷に向かい、警備の少女に話を通してもらう。

「イドラデウスに会いたい」

「お前か……しばし待て」

 継ぎ目のない粘土の戸片(とびら)が開き、モンコは中で待つイドラデウスのもとへと向かった。

「やあ」

 イドラデウスはやはり、気さくな態度でモンコを迎えた。彼女はモンコに座るように促したが、モンコは立ったまま話を始めた。

「……集落の男たちに何をした?」

「それは良く知っているでしょう」

 イドラデウスがちらりと部屋の隅の棚を見る。モンコが昨日の夜に潜んでいたところだ。お見通しらしい。

「あいつらは……本土で罪を犯して、この島に流されてきたんだ。罰として足の筋を切られてる」

「知っているわ」

「なら、どうして」

「彼らが望んだから。それだけよ。私は彼らの望みによってこの場所に招かれた。だからその望みを叶えてあげたの」

「……あれは、脚に練りこんだ土は、一体何なんだ」

「土もまあまあ特別だけどね。それ以上に私の力が特別なの」

 イドラデウスは立ち上がり、棚の一つから小さな埴輪を取り上げた。

「見てごらん」

 埴輪を机に置き、軽く頭をつつくと、埴輪は歩き出した。粘土で出来た体だというのに、手足は滑らかに曲がり、動く。

「警備のやつらも……」

「そう。私は粘土をこねて作ったものに命を吹き込むことができる。当然、すでにある命の一部を、粘土で補うことだってできるわ」

「どうなってるんだ。まさかあんた、国津神を作ったりしてないだろうな」

「国津神……?」

 イドラデウスは怪訝そうな顔をした。

「知らないのか? それとも……」

「もしかして、この島の土地に溶けていたもののことかしら」

「……そうだ。ヤマトに打ち倒されたカミが、土地の素材(しろしき)と混ざり合って生まれる怪獣(あやしくさ)だ。そいつはどうした?」

「そうねえ……それを知りたいのなら」

 イドラデウスは服に手を入れ、何かを取り出した。昨日、モンコが警備の少女のうち一人に渡した手製の埴輪だ。

「昨日、これを渡したのは誰だったか。貴方を島に案内したのは誰だったか。言い当てられたら教えてあげる」

「何だと?」

 あの、全く同じ顔の少女たちを見分けろというのか。モンコの動揺を見透かしてか、イドラデウスが悪戯っぽく笑う。

「貴方も芸術家(わざすべのひとり)なら、そのくらいの眼はあるはずでしょう。それとも自信がない?」

 そこまで言われたら引き下がれない。モンコは笑みを返した。

「……分かったよ。当てたら、国津神をどうしたか教えてくれ」

「約束するわ。あの子たちは全部で六体。みんな腕によりをかけて作ったからね。見分けられるかしら?」

「当り前だ」

 モンコは部屋を出ると、さっそく戸片の前に立っている少女に声をかけた。

「一応聞くが……お前は俺をこの島に連れてきたやつか?」

「違う」

 にべもない答えだ。おそらく、全員こう答えるだろう。ならばこちらは……。

「やるよ」

 小さな馬の埴輪を取り出し、少女に投げ渡す。少女は埴輪を受け取ると、手の中のそれをじっと見つめた。

「これを、私に?」

「ああ。答えてくれた礼だよ」

「……まあ、もらっておいてやるか」

 少女はそう言うと、腰に付けた物入れの中に埴輪をしまった。

「なるほどね」

「何か分かったのか」

「内緒だ。他の奴はどこにいる?」

「屋敷の前に一人いるのは知っているだろう。他は集落を見回っているのが二人、食糧庫に一人、集落の入り口が見える丘の上に一人だ」

「ありがとよ」

 早速、屋敷の前の少女にも質問をする。やはり、モンコのことを島に連れてきてはいないという。

「答えてくれた礼だ」

 小さな鳥の埴輪を放る。少女はそれを受け取ると、「鳥か」と呟き、物入れにしまった。

「さて、次だな」

 教えられた通り、まずは食糧庫に向かう。そこで一人。

 食糧庫から集落の中心に戻る途中、巡回中の一人。

 集落の入り口に向かう途中でもう一人。

 そして、霧で視界が悪く探すのに時間がかかったが、小高い丘の上で一人。

「やるよ」

 それぞれに小さな埴輪を一つずつ。少女たちはそれぞれ自分への贈り物を受け取り、物入れにしまいこんだ。

 モンコはそれを見て、自分の考えが正しいことを悟った。

 最後の一人が逆に質問をしてくる。

「もっと色々聞かないのか」

「これで十分さ」

「妙なやつめ」

「よく言われるよ」

 集落の中心に戻ると、食欲を誘う匂いが立ち込めていた。男たちが戻ってきていた。

 中央の火で、大きな猪が丸焼きにされている。男たちは大物が焼きあがるのを待たずに、兎や鳥を食べつつ酒を飲んでいた。

「おう、あんたか」

 男たちの一人がモンコに声をかける。昨日の夜、イドラデウスに脚を治されていた男だ。その時の悲痛な表情は今や欠片もなく、顔がほんのりと赤くなっていた。

「ずいぶん豪勢だな。そもそも、酒はどこから?」

「最初に流された連中が、たまたま木のくぼみで(かも)された果実を見つけたのさ。それを他の果実を潰したものに移してな。ちゃんとした酒には程遠いが、無いよりはいい。あんたもどうだ?」

 祭りか、あるいは酒のせいか。男たちは随分と機嫌がいい。

「今は遠慮しとくよ。粘土をこねる時に指が鈍る」

「そうかい。だったら俺たちで飲んじまうぜ」

 モンコは、騒ぎを背にイドラデウスの屋敷へと向かった。警備の少女はモンコの顔を見て、さっさと戸片の向こうにモンコの存在を知らせた。

「悪いな」

「もう三度目だからな。さっさと入れ」

 モンコの背後で戸片が閉じる。祭りの喧騒が、すっと遠ざかった。

「やあ。答えは出たかしら?」

 イドラデウスが問うてくる。

「ああ。答えは――これだ」

 モンコはイドラデウスに、これまた埴輪を放り渡した。昨日と合わせ、これで八つ目。大盤振る舞いだ。

「へえ?」

 亀の形のそれを、イドラデウスは手の中で矯めつ眇めつ見た。細部までじっくりと観察する。

「それだよ」

 モンコはイドラデウスの眼を指さした。

芸術家(わざすべのひとり)の眼だ」

 昨日、最初に埴輪を渡した少女もそうやって埴輪をじっくりと見ていた。

「外にいた六人はどいつも、そんな見方をしなかった。つまり――俺をこの島に連れてきたのは、あんただ」

「見た目が違うじゃない」

「最初に会ったとき見せてくれた、土の顔。あれを被っていたんだろう。声だって、あんたなら自分の喉を練って調子を変えられるはずだ」

 イドラデウスはモンコの推理を聞くと、ぱちぱちと拍手をした。

「やれやれ……手がかりは見せていたとはいえ、あっさり言い当てられるとはね」

 イドラデウスはしゃがみ込むと、床に手を当てた。

「約束通り、見せてあげるわ」

 床がぐにゃりと歪み、その下の空間があらわになる。

「こいつは……!」

 まるで巨大な海月(くらげ)のような国津神だ。だが。

「動けないのか……?」

 時折びくびくと身じろぎをするくらいで、床の中から出てこない。見てみれば、床の下の地面に半分埋まった形だ。

「この島にやってきて、土地の中にこれが眠っているのに気づいたわ。試しに練り集めてみたんだけど、活きが良すぎて暴れようとするから。完全に練り上げず、このままにしてあるの。そして――」

 イドラデウスが手を伸ばし、国津神の触手を一本ちぎり取った。

「使えそうなところを使わせてもらったのよ」

「なに……?」

「活きがいいって言ったでしょう。だからね、これを男たちの傷を治すのに使ったの」

「なんだと……!?」

 イドラデウスの肩をがっしりと掴み、モンコは叫ぶ。

「そんなことをして大丈夫なのか!?」

「大丈夫よ。むしろ彼らはそれを望んでいた。他の土ではその望みを叶えられなかったでしょうね。感じるでしょう?」

 眼下の国津神が身じろぎをする。こんな状態になってもまだ活動をやめない。

「彼らは力を奪われて押し込められた。自分をそうした相手に復讐してやりたい。同じなのよ。この国津神も、男たちも。だからあそこまで馴染んだ。彼らの望む力になったの」

 イドラデウスの手が、自分の肩を掴むモンコの腕に触れる。彼女は一瞬驚いたような表情になり、そして慈しむように目を細めた。

「なるほどね。貴方が……お前がそこまで国津神を嫌うのは――」

「当たり前だろ! 神は、人の世を乱し壊す。一体何の権利があるか知らないが、そんなこと許せるわけがない!」

「そのために、自分も人ならざる力を使ったとしても?」

「ああ――そのためなら、俺は人の世にいなくてもいい。境界線に立ってやる」

「皮肉なものだね」

 イドラデウスが、モンコの腕に添えていた手に力を込めた。思わずぎょっとして飛びのく。その手が男の脚をこねていた記憶がそうさせた。

「お前をこねたりしないよ。むしろ――お前なら誰より美しくなれる。天から降って来たものよりも、地から生えてきたものよりも。その気になればね」

「そんなもの必要ない。俺は芸術(わざすべ)を作りたいだけさ。俺自身が美しくなってどうする」

「そうか。残念だ」

 モンコは改めて足元の国津神を見下ろした。

「こいつはどうするんだ」

「用は済んだからね。好きにしていいよ。それじゃあ、またね」

 イドラデウスはそう言うと、屋敷からさっさと出て行ってしまった。追おうとも思ったが、さすがに国津神を放ってはおけない。

「動けないやつを一方的に閉じるのは気が引けるが……」

 モンコはカムヤライドに変身すると、海月の国津神を封印した。変身を解き、屋敷から外に出る。

 そして気づいた。

「……なんだ?」

 静まり返っている。今思えば、イドラデウスが屋敷から出ようと戸片を開けた時点からこうだった。国津神に注意を引かれていたせいで気付くのが遅れたのだ。

 集落の中心にあった火は、薪をくべるのをやめてしまったのか、かなり小さくなっている。名残のように火がはぜる音が静寂の中でやけに大きく響く。

 料理も酒も、中途半端に残されたままだ。そして、火の回りには人間大の粘土の塊のようなものがいくつも立っていた。

「……まさか」

 恐る恐る、そのうちの一つを覗き込む。

「…………!」

 男だ。その粘土の塊には、見覚えのある男の表情が張り付いていた。男の全身を粘土が覆い、そのまま塗り固めてしまったようだ。

 どの粘土の塊も同じだ。男たちが全員、粘土に包まれて変貌している。

「なんだこりゃ……」

(まゆ)だ」

 背後からかけられた声に振り替える。警備の少女が一人だけ、そこに立っていた。

「繭、だと?」

「ああ。明朝……海に道ができるころ、こいつらは新たな姿と力を得るだろう。そのための繭だ」

「イドラデウスは、こうなるのを分かってやったのか」

「ああ。それがこいつらの望んだことだからな」

 少女が男たちの一人を指さす。

「こいつなんかは、自分を裁いた役人のことを殺してやると普段から言っていた」

 別の一人を指さす。

「こいつはヤマトで盗みを働いていたらしい。力を得たら、今度は正面から市場を襲ってやりたいと言っていた」

 また別の一人を指さす。

「こいつは――」

「もういい」

 モンコは言葉を遮り、輝旧土(カグツチ)を地面に突き立てた。

「イドラデウスはどこだ」

「今は、お前の知らない場所にいる。この男たちと、お前の選択を、イドラデウスは見たがっている」

「そんなの知るか。だったら、お前に無理やりにでも聞いて――」

「悪いが、私の役目は終わった」

「なに?」

 モンコが聞き返すが早いか、少女はその場に崩れ落ちた。その音は固く、軽い。

「おい!」

 思わず駆け寄ったが、すでに少女は力を無くしていた。地面にぶつかって顔面が割れている。中は空洞で、先ほどまで動いていたとはとても信じられない。

「俺は……」

 少女の腰の物入れから、馬の埴輪が零れ落ちていた。

「俺は、どうすればいい……?」

 

  *

 

 夜明けとともに羽化が始まった。

 火が消えた祭りの跡で、次々に男たちが繭を脱ぎ捨てていく。

 その肌は硬い。身に着けた鎧との境目はほとんどなく、さながら等身大の粘土人形のようだ。しかし粘土にはあり得ない柔らかさも伴い、よどみなく手足が動く。

 罪人(つみびと)たちが列をなし、浜へと降りていく。

 筋を切られたはずの足どりは軽く、杖の代わりに武器を持ち、粘土を焼き固めたような鎧ががちゃがちゃと鳴る。

 浜の先に道ができている。道は岩の門を貫いて、遠く遠く伸びている。向かうはその先――本土だ。

 自分たちをこんなところに押し込めた者たちが()()()()と暮らす場所だ。自分たちが帰ってくるとは夢にも思うまい。だがこれは夢ではない。イドラデウスの祝福を受けて得た力を振るい、念願を果たすのだ。

「行くぞ――」

『おおーー!』

 先頭を行く罪人の声に続き、(とき)の声が上がる。一同の息と鎧の音が一層激しさを増し――。

「よう」

 だが、門の前に立ちはだかるものがいた。がちゃり、と男たちの行進が止まる。

「お前は……モンコとか言う」

 先頭にいた男は、奇しくも集落の入り口でモンコと出会った男だった。

「ああ。揃いも揃って、どこへ行く?」

「決まっている。俺たちを閉じ込めた連中を見返してやるんだ」

「そんなことをして何になる」

「何になるかは問題じゃない。俺たちがそうしたいというだけだ」

「もう足は治ったんだろ。食い物もある。この島でのんびり暮らすのじゃ駄目なのか?」

 モンコはそう問いかけた。

「イドラデウスが恵みを与えてくれるんだろう。ならそれでいいじゃないか。今更戻ったところで――」

「分かるまい」

 別の男が言う。

「この島に閉じ込められて、足も不自由で、食い物に困って! いっそ殺せと思ったことも一度や二度じゃない! だが、新しい罪人を連れて来た連中が俺たちを見る目はどうだ!」

 また別の男たちが言う。

「いい気味だとでも言いたげな、あの目を知らんお前には、分かるまい」

「分かるまい」

「分かるまい!」

 男たちが武器を構える。肌の半分ほどが粘土(はにつち)のように赤みがかった男たちが向かってこようとする。

 この先の、人が住まう場所へと。

「……すまない」

 モンコは悲しげな顔で呟いた。

「ここより人の世。神様立入禁止だ」

 

  *

 

 浜は静かになっていた。

 イドラデウスはぶらりと散歩でもするように浜へと降り、彼を見つけた。

 岩の門の前に座り込み、敷物を広げている。その上には粘土で形作られた人型がいくつも並べられている。まるで商いでもしているようだが――。

「やあ」

「……ああ、あんたか」

 (よど)んだ目でモンコがイドラデウスを見上げる。

 イドラデウスは自分から声をかけておきながら、モンコの言葉を待っていた。それを察してモンコは冷たく言い放った。

「閉じれたよ」

 モンコの前に並べられた人型たちは、どれもが憎悪に歪んだ顔をしていた。

「どいつもこいつも、閉じれた」

「そうか」

「こいつらは、もう」

 モンコが立ち上がる。敷物で人型たちを包み、脇に追いやる。

 これから起きることに巻き込まないように。

「どうしてだ、イドラデウス」

「どうしてって?」

「どうして、こいつらに力をやったんだ。俺が止めなければ、どれだけの人が傷ついたか分からない」

「そうだね」

「それでいいのか。人を愛しているとか言っておいて」

「愛しているよ。だから与えた。彼らの願うままに」

 イドラデウスはまるで抱擁するように両手を広げた。

「その結果、誰かが傷つくのは忍びないが仕方のないことだ。最初に私を望み、私の力を望んだのは彼らだ。だから私は次に傷ついた人々に問おう。望むものを与えよう」

 イドラデウスは言う。

「愛ゆえにね」

「そのせいで、人じゃなくなったとしてもか」

「それでも私は愛している。勿論――お前もね。さあ、お前は何を望む?」

 モンコは答えを返す代わりに、こう叫んだ。

ライド!!

 輝旧土が足元の土と混じり合い、うねるようにモンコの全身を包み込む。

「俺はモンコ。この姿の時の名は『神逐人(カムヤライド)』。人と神の境で門を閉じる者」

 モンコは――いや、カムヤライドは右足で岩の門をふさぐように線を引いた。

「俺の立つここが境界線――」

 境界線を指さし、イドラデウスを睨み付ける。

「ここより人の世。神様立入禁止だ」

「境界、境界ねえ」

 イドラデウスはからからと笑う。

「ではそれを決めるお前は何者だ? その境界線の上に立つお前は? 人か? 神か? それとも――」

「どうでもいい」

 カムヤライドは言い切った。

「俺が何者であろうと。たとえ神からも人からも疎まれようと。その境界を侵すものを()()るだけだ」

「いいだろう」

 イドラデウスは手を広げ、目を細めて言った。

「お前がどこまで出来るか見せてもらおう。もしも不出来なら――改めて、土と水で美しく造り直してやる!」

 そう言った瞬間、イドラデウスの周囲、見渡す限りの土が盛り上がった。

「んなっ……!」

 それぞれの土の山が剣士に、弓兵に、騎馬兵に形作られていく。

 そしてイドラデウスの背後から炎が立ちのぼり、竜のような姿を形作った。炎の竜が彼女の周囲を駆け巡ると同時に埴輪兵たちが焼成(やきなし)され――。

「嘘、だろ」

 その造形と物量ですら圧巻だったが、()()()の目を引いたのはその次の工程だった。

 イドラデウスが直々に手を振るう。埴輪兵たちがイドラデウスを追い越し、こちらに殺到する。その交差の一瞬で十分だった。形作られた埴輪兵たちの鎧や表情、武器の意匠に至るまで。たった二本の手の仕業とは思えない速度で、方形が、円形が、線型が彫りこまれていく。

 一切の妥協も揺らぎもない、精緻な造形がモンコの目を奪った。

 その一瞬が、()()()()()()にとっては命取りだった。

「……はっ!」

 我に返ったころにはもう遅い。埴輪兵たちがすでに動き始めていた。カムヤライドは後手で動くしかない。近くに迫った剣士の頭を蹴り砕き、飛んで来た矢を叩き落し、馬の足をすくい――だが、追いつかない。一撃を防ぐ間に二撃が打ち込まれる。二手をかわす間に四手が迫る。四体を崩す間に八体が来る。

「畜生っ……!」

()()()()()()

 無数の埴輪が砕け散る戦場だというのに、その声は耳元でささやかれているようにはっきりと聞こえた。

「かわいそうに……貴方は骨の髄まで芸術家(わざすべのひとり)なんだね」

 先ほどまでの威厳に満ちた神らしい口調とは違う。それはイドラデウスの本音のように思えた。

「貴方が私の芸術(わざすべ)に見とれている暇さえなければ、もしかしたら私の顔に蹴りの一発でも叩き込めたかもしれなかったのに。けど貴方はその機会を逃した。いや――もっと大事なことに費やしたのね。私の(わざ)に見惚れ、盗まんとした。まさしく芸術家だわ」

「イドラデウス……!」

「そんな貴方が、こんな下らない役目に縛られているなんて、哀れで仕方ないわ。どう? 私と一緒に来ない?」

「畜生! 俺は! 俺は……!」

 カムヤライドは止まらない。埴輪を砕く拳を、蹴りを止めない。

「俺が境界線から降りたら――どれだけの人が傷つく!?」

 息が切れようと、足がふらつこうと、決してやめない。

「俺の芸術(わざすべ)を見て笑ってくれる人々が――どれだけいなくなる!?」

 無理やりでも構うまい。

「たとえ神でも、それ以外でも! 人の世には立ち入らせない!」

 顔を覆う仮面を引き下ろし、鍵穴を刻む光線をイドラデウスに放った。

「立入――禁止だぁ!!」

「――気が変わったわ」

 イドラデウスは埴輪兵たちを脇にどかすと、光線を真正面から受け止めた。手を広げ、その胸の真ん中に当たるに任せたのだ。

「――はは。嘘だろ……」

 だが、びくともしない。鍵穴の形に焼けた服の奥に覗く肌は、なめらかで白く、わずかも焦がすことができなかった。こんなことは初めてだった。理解を拒む光景を前に笑うしかない。

 そして、いつの間にか眼前にイドラデウスがいた。まるでカムヤライドが国津神の鍵を閉じる時のように、飛び蹴りの姿勢で。

「さようなら、モンコ。貴方と貴方の作る芸術(わざすべ)に、幸あれ」

「ぐおっ――」

 イドラデウスの靴先が胸に触れた瞬間、世界が吹き飛んだ。いや、吹き飛ばされたのはこちらだ。境界を離れ、岩の門を抜け、島が遠ざかり、霧が置いてゆかれ、海が走り――。

「ぐっ――はぁ!!」

 気が付けば、浜辺に横たわっていた。変身が解け、輝旧土が傍らに転がる。全身が痛い。起き上がれない。

「今の物音は何だ!? ――おい、あんた! 大丈夫か!?」

 モンコが浜にぶつかった音を聞いたのか、誰かが駆け寄ってくる。倒れて動けないモンコの顔をのぞき込んでくるその男は――。

「あ、あんたは――ゴダイか?」

「ゴダイ? それは――」

 見覚えのある、だがどことなく違う顔立ちのその男は戸惑いながら言葉を続けた。

「去年死んだ俺の父の名だが。――知り合いなのか?」

 

  *

 

「つまり、俺は霧の中で二十年ほど前の時代に迷い込んでいたことになる」

 モンコはそう結んだ。オウスはしばし呆然としていたが、聞かなければいけないことを聞いた。

「それで……その島は、どうなったんですか」

「ああ。ゴダイの息子が言うには……俺が牢屋から消えた翌々日、予定通りに本土の兵士が海の道を渡って島を探りに行ったらしい」

 だが、とモンコは言う。

「誰もいなかったそうだ。祭りの跡も、小屋もあった。だが集落の中心には崩れた粘土の塊しかなかったし、罪人たちもいなかった。もちろん、イドラデウスたちもだ」

「それじゃあ……」

 おそらく、粘土の塊はイドラデウスの屋敷の跡だろう。だが、知らない人が見れば正体は分かるまい。

「ああ。今となっちゃ、あの島で起きたことを知っているのは俺だけだ。きっと、罪人たちはイドラデウスがどこかに連れて行ったんだろう。愛している、って言ってたからな。見捨てはしないだろう」

 モンコは手の中で弄んでいた粘土を細く引き伸ばした。話の中に出てきた、イドラデウスがそうしたように。

「その後、この芦原中国(あしはらのなかつくに)を巡ったが、イドラデウスのような神とは出会わなかった。もしかしたら、あいつが国津神をあちこちで生み出しているんじゃないかと思ったこともあるが――結局あいつは、男たちの傷を治すために国津神を利用しただけだったんだろう」

「それで……イズモタケル殿は、その男たちのようになってしまうんでしょうか」

「そうはならないと俺は思っている。あの男たちは、国津神の恨みと共鳴したからああなったんだ。イズモタケルなら大丈夫さ」

 そう聞き、オウスはほっと息をついた。

 モンコはぼうっと夜空を見上げ、呟いた。

「今でも不思議でならない。本当に、イドラデウスは何者だったんだろうな……」

 モンコの気持ちもわかる。ただただ訳の分からない状況に巻き込まれ、圧倒的な力で追い出されてしまったのだ。

 そのイドラデウスは、島の男たちの願いを叶えることしか眼中になかった。だが。

「モンコ殿。そのイドラデウスのように、命を(ほしいまま)にする神が敵として現れたら……あなたはどうしますか?」

「どうする、か」

 モンコはしばし考え、目を一度閉じた。

「そうだな。俺が迷っていたのは、イドラデウスが俺を敵だと思っていなかったからだ。境界線を越えようとしなかったからだ」

 目を見開き、手の中の粘土をこねる。手になじんだ埴輪の形を作る。

「俺の答えは決まっている。どんな力を持った相手だろうと、人の世を乱す神なら――俺が()()るだけさ」

 モンコは立ち上がり、背筋を伸ばした。

 鎧をまとってはいないが、右足でいつもの線を描く。その上に立ち、埴輪を掲げる。

「俺の立つ境界線から、一歩も通しはしない。神様立入禁止だ」

 オウスは、モンコの決意を満面の笑みで見届けた。

「それでこそです。僕も負けませんからね」

「頼りにしてるぜ」

 二人はがっしりと握手をした。

 この二人を待つ運命は、すぐそこまで迫っていた。

 

  *

 

 二人の戦士が握手をしたのとは違う時、違う場所。

 獣の霊たちが跋扈する畜生界に、似つかわしくない人間がいた。

 黒づくめのとんがり帽子と服、夜空にきらめくような金髪の少女。霧雨(きりさめ)魔理沙(まりさ)だ。

「邪魔するぜ」

「ゆっくり見て行って」

 魔理沙を招き入れたのは、イドラデウスこと埴安神(はにやすしん)袿姫(けいき)だ。彼女が居城とする霊長園の工房は、いつしかモンコと呼ばれた男が踏み入った場所と、ほとんど同じ風景をしていた。

 真ん中に作業場となる机や椅子、造形に使う道具や粘土が並んでいる。壁際の棚には完成した作品や作りかけのあれこれが並んでいる。ある場所はきちんと、またある場所は無秩序に。

 魔理沙がある棚を覗き込み、そこにある鏡や鐘の形をした造形物を見て目を見開く。

「こいつはすごいな。どいつもこいつも途方もない霊力が籠ってる」

「お、分かるのね。嬉しいなあ。外の動物霊と来たら、食えるかどうかと敵かどうかしか気にしないんだから」

「そういう連中だからなあ。……ん?」

 と、魔理沙はまた別の棚に並ぶ埴輪を見て、眉根を寄せた。

「こいつらは……お前が作ったのか?」

「……どう思う?」

「触っていいか」

「どうぞ」

 武人(ますらお)の姿をかたどった埴輪をはじめとして、全部で八つ。魔理沙は一つ一つを手に取り、角度を変えて観察し、そして結論付けた。

「お前が作ったものじゃないな」

「どうしてそう思うの? 霊力?」

「それもあるが……何だろうな。こいつらには、情熱があるよ。お前の作る、不気味なくらい綺麗で整った造形とは違う。まるで爆発するような気概が込められてる気がする」

 袿姫はそれを聞き、満足げに微笑み、深く頷いた。

「なるほど、見る目がある。貴方も芸術家(わざすべのひとり)なのね」

「わざ……芸術家(ゲージュツカ)ってことか?」

「ああ、そうそう。そういうこと」

 袿姫は粘土を手に取ると、ひと固まりを魔理沙に手渡した。

「折角だし、何か作っていかない?」

「何かって、なんだよ」

「何だっていいのよ。心の中で渦巻くものを形にできれば」

 そういう間にも、袿姫は恐ろしい速さと正確さで何かをこね、彫りこんでいく。

 魔理沙がキノコを形作った時には、袿姫は精緻な装飾が施された人型を作り終えていた。

 あの日、境界線の上で神に立入禁止を告げたその姿を。

「そいつは……?」

「昔どこかで見たのよ」

「どこかって?」

「どこだったかな」

 カムヤライド(モンコ)イドラデウス(袿姫)の心に、彼自身を焼き付けていた。場所と時間を越えて浮かび上がったそれを、袿姫は芸術(わざすべ)のようだと思った。

 袿姫はこのことを他の誰かに話すことはないだろう。ただ一人、胸の内に仕舞い込んでおく。

「でも――かっこいいでしょう?」

 その内側を覗き込めるものはいない。あの日、胸に鍵穴は穿(うが)たれなかったのだから。

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