幼女転生 ~二度目の異世界でも本気出す~   作:Eureka_HAMELN

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2 『ボレアス・グレイラット家』

 

 ごきげんよう諸君。

 私は現在、客室と呼ぶには些か過剰な部屋に隔離されている最中である。

 とにかく先日の話をしようではないか。

 

 庭に残されたクレーターは思いのほか早く片付けられた。

 正確には「なかったこと」にされたのである。

 地面は埋め戻され、芝は張り替えられ、記録は最低限に抑えられた。だが、あの場にいた者たちの記録まで消せるわけではない。そして、このような記録は権力者の耳へと必ず届く。

 結論から言えば、私の処遇は孤児院送りでも軍直轄でもなかった。

 ―――つまるところ、囲い込みである。

 

 「……落ち着かない」

 

 天蓋付きの寝台、柔らかすぎるほどの布団、磨き上げられた床。

 奴隷収容所からここへ移された他の奴隷達は既に殆どが孤児院か教会送りになったはずなのだが、私だけ明確に扱いが違った。

 廊下で見かけた他の子供たちは、皆同じ方向へ連れて行かれていた。祈りの言葉を教えられる者、読み書きを叩き込まれる者、あるいは単純労働の手配を受ける者。

 未来の形は違えど、進路は明確だった。だが、私にはそれがない。

 

 こうなった理由など分かりきったことであるが、それでもなお不気味である。囲われるというのは、拒否権が存在しない以上、それは合意ではない。単なる措置だ。いきなり環境が変わりすぎて昨日は眠れたものではなかった。

 庇護という言葉は、確かに耳障りが良い。だが、それは常に条件付きだ。守られる者は、守るだけの価値を証明し続けなければならない。その評価が、どの基準で下されるのか。私はまだ知らないのだ。

 

 コンコン、と控えめなノックがされた。

 

 「……どうぞ」

 

 先日と同じ、軍服姿の男が入ってきた。男は扉を閉めると、ほんのわずかに室内を見回した。警戒ではない。確認だ。

 

 「単刀直入に言おう。君の処遇が決まった」

 

 来たか。

 

 「ターニャ・フォン・デグレチャフ。君は本日より、ボレアス・グレイラット家の庇護下に入ることとなった」

 

 「ボレアス・グレイラット」

 

 案の定前世では聞いたことのない家名だが、語られ方からして地方豪族や没落貴族の類ではない。おそらくはこの城塞都市の領主の家名であろうと予想がつく。

 

 「……承知致しました」

 

 そう答えると、男はわずかに安堵したように頷いた。

 まぁそもそも、選択肢などあるはずもない。ここまで徹底して囲い込まれてしまっては、はいと答えるしかないのだ。

 

 「賢明な判断だ。君はまだこの世界を知らない」

 

 ええ、残念ながら。

 二度死んだ程度では、まだ足りなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 

 

 馬車での移動は前回よりも遥かに快適だった。

 揺れは最小限に抑えられ、座席にはクッションが敷かれ、窓もある。乗るのは初めてだが、これが貴族の馬車というものなのだろう。

 一応私は奴隷という扱いのはずなのだが、まるっきり客人の扱いである。一体魔術の適性があるだけの幼女に何を期待しているのやら。

 もはや一種の脅しであるようにも思えてきた。

 

 ちなみに同伴者は二人。

 一人はトーマスという男。何でも現在の領主の執事であるとのことである。今は馬車の運転をしているため私からは見えないし話せない。

 二人目はいま私の目の前にいる女性……メス…? 

 

 ……まぁ女である。

 

 獣の耳、虎のような尾、ずいぶんと露出の多い服装で全身に傷、それに帯刀までしている。これはひどい。見れば見るほど突っ込みどころが出てくる。

 

 「そんなにジロジロ見てどうした、何も変な所などないだろう」

 

 逆に変なところしかないだろう。

 

 私が一方的に30分は質問攻めにできる自信がある。

 しかし私としたことが、確かに自己紹介もせずに体を観察し始めるのは失礼だった。

 

 「失礼致しました、ターニャ・フォン・デグレチャフと申します。質問は山ほどありますが、ひとまずよろしくお願い致します」

 

 「ギレーヌだ。よろしく頼む。まぁあたしは何も知らされていないのだがな」

 

 「ギレーヌ様がボレアス家の方なのでしょうか?」

 

 「いや、あたしはただの用心棒で今は一応の護衛だ。あとギレーヌでいい」

 

 「了解しました」

 

 なるほど、取り敢えず目的地に着くまで待っているしか無い訳か。まぁそれでもやる事はいくらでもある。

 

 「ではギレーヌ、色々聞きたいことがあるのですが宜しいでしょうか?」

 

 「ああ、あたしに分かることならば答えてやろう」

 

 そこからはとにかく、最低限知っておかなければいけないと思った事をギレーヌから聞き出していった。

 まずボレアス家とは何か、この場所は何という地域で、地図上でいえば何処に当たるのか、そもそも魔術師はそんなに希少な存在なのか、その他種族についてや社会構造などまで徹底的に聞いていった。

 

 結論、ギレーヌは本当に領主の用心棒なのかと疑いたくなるほど、説明に色々曖昧な部分が多かった。意図して伏せている、というよりは彼女もあまり良く分かっていないだけなように思える。

 

 だが収穫は大いにあった。これから領主のところへ行くというのに何も知らないのでは話にならない。

 ついでにギレーヌは剣士の事や冒険者という概念も教えてくれた。何でもそれで生計を立てる者もいれば、実力者なら自身の10倍ほどの大きさの魔物を討伐する者もいるだとか。本当に聞けば聞くほど、今まで常識とは外れすぎた世界である。

 

 

 そんなこんなで馬車は進み続ける。

 外の景色は、相変わらず中世ヨーロッパ風である。名前はギレーヌの談曰く、城塞都市『ロア』。

 石造りの街道、高い石製の城壁、行き交う人々。だがよく見れば、種族は混在している。人間、獣族、耳の尖った者、肌の色も実に多様性がある。

 文明水準と人種構成がまるで噛み合っていない。不気味なほどに。

 にも関わらず秩序は保たれている。それが、何より不気味だった。

 文化が異なれば、摩擦が生じる。常識が違えば、衝突が起きる。

 それがないということは、力によって均されているか、あるいは―――。

 

 そこまで考えて、私は思考を打ち切った。

 私も初めのころは、見ていく内に、知っていく内に色々と思案していったものであるが、もはや無駄であろう。

 とにかく私の中の常識で推し量るには、この世界は少々無茶苦茶が過ぎる。

 

 また私は思いっ切り溜め息を吐いた。

 うんざりだ。

 存在Ⅹの悪趣味が、また一つ裏付けられた気がした。

 

 「そうだ、フィリップ様がお前に会いたいと言っていたな」

 

 「町長がですか? ちなみにいつ?」

 

 「本日中にだと」

 

 即日面接。

 やはり、金の卵扱いである。

 光栄ではある、あるのだが……

 

 「こちらにも準備というものがあるのですがねぇ……」

 

 「まぁ過剰に気負う必要はない。悪いようにはされないだろうさ」

 

 どうだか。

 今後どういった立場になるかは分からないが、少なくとも現時点で私はただの保護された奴隷なのだ。

 ため息を噛み殺し、私は頷いておいた。

 

 「ちなみに城内の作法のようなものはあるのですか?」

 

 「知らん。初めの頃に言われた気もするが、もう言われなくなったな」

 

 「はぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボレアス・グレイラット家の屋敷は、城というより要塞だった。

 街の中心の高台に位置し、厚い外壁と見張り塔を備えている。無駄な装飾は少なく、実用性を優先した造りだ。城塞都市と言われるだけある。合理的な建築は、嘘を吐かない。 少なくとも、目的が明確だからだ。

 

 

 ……正直嫌いではない。

 

 

 芸術や歴史を愛する人にとっても、あるいは単に魅惑的な旅先を探している人にとっても、中世の城というのは素晴らしい遺産である。それを生きた歴史として浸ることができるとは。

 元々世界史が大好きであったターニャは、柄にもなく内心で興奮してしまった。

 

 

 写真を撮れればなぁ……

 

 

 そんなことを思っている内に、執務室の前まで到着した。

 さて、何も考えていないがどうしようか。

 扉の前で、ほんの一瞬だけ足を止めた。深呼吸をするほどの余裕はないが、思考を整える時間は必要だ。

 

 「フィリップ様、只今お連れいたしました」

 

 “入りなさい”

 

 中から若そうな男の声が聞こえると、私を中心に扉が開かれた。

 

 「二人共ご苦労、ではここからは二人で大丈夫だ」

 

 「了解しました」

 

 そう言うと、ここまで案内してもらっていた二人は部屋の後ろの方に下がってしまった。

 こんな幼女にマンツーマンで面接をさせる気なのか。

 

 「私はこのロアの町の町長フィリップ・ボレアス・グレイラットだ。フィットア領の領主のサウロス・ボレアス・グレイラット――君のいた奴隷収容所を解体した人の息子だよ。まぁとにかく掛けなさい、慣れない環境で疲れただろう?」

 

 「ターニャ・フォン・デグレチャフです。では、お言葉に甘えて」

 

 丁寧だが、距離のある声色である。

 対等に扱う気はないが、雑に扱う気もないような、何とも絶妙な線だ。

 

 「驚いたよ、随分堂々としているじゃないか。こういった場に慣れていないとできない振る舞いだ」

 

 「お戯れを、未だ10にも満たない奴隷階級の幼女です」

 

 「いや、その歳でその目。…なるほどね、聞いていた通りだ」

 

 身を乗り出し、手を机の上で組んで真っ直ぐに視線を合わされた。

 

 「率直に聞こう。例の水魔術、再現は可能かな?」

 

 「魔術に対しての知識が乏しいので断言はできませんが、恐らくは可能かと」

 

 「制御は?」

 

 「現状では困難です」

 

 「正直でいい」

 

 短い問答。

 だが、無駄がない。

 正直これくらいの方が私としてもやりやすい。

 

 「結論から言うと、君を我が家の被庇護者としようと考えている。目的は三つ」

 

 そう言って指を一本ずつ立てる。

 

 「一つ、私の娘の教育をすること」

 「二つ、君の力を制御すること」

 「三つ、その力を正しく使う道を探ること」

 

 正しい、か。

 随分と曖昧な言葉を使う。

 

 「奴隷の身分で烏滸がましいですが、拒否権は?」

 

 フィリップは、苦笑した。

 

 「形式上はあるよ。だが……現実的ではないと思うね」

 

 でしょうね。

 

 私は小さく息を吐いた。

 結局のところ、ここに行き着く。選択肢など、最初から提示されていないのだ。

 

 「我々からは不自由ないほどの衣食住を君に提供する、その報恩として将来、その君の能力を存分に我が家のために発揮してもらう。それだけだ」

 

 「実質仕事はお嬢様の教育のみですか、よろしいのですか? そんな破格の待遇で」

 

 「そうかな。実は私の娘のエリスは物凄くやんちゃな子でね、学校に通わせた時期は一応あったけど、ほかの貴族には揃って山猿と揶揄されていてね。今まで雇った家庭教師も全員解雇している。正直、僕が知る仕事の中でこれ以上に難しいものはないよ」

 

 暗雲が垂れ込めてきた。

 そういう人間は、前々世であれば、解雇。前世であれば、それとなく粛清してしまえば済んだことだが、状況が違いすぎる。雇い人の娘となれば丁寧に扱わなければ即解雇だってあり得る。語りからして、過去の家庭教師はそうやって解雇され続けたのだろう。

 

 「あとは……君みたいな子が他の勢力に入ってしまうと、色々と厄介なんだ。意味は……君なら話さなくても分かるだろう?」

 

 おおよそ、自分の行政の妨害だったり、地位の略奪を狙う危険があると思っているのだろう。

 心外な話である。

 そもそも権力など大して欲してはいないし、もしそうだとしても、謀反など論外である。

 

 「君としては気持ちの良い話ではないだろうけど、今の君は少々危険すぎるからね、それなりに監視はさせてもらうよ。まずは魔術の使用は許可制、無断使用は厳禁ね」

 

 「まぁ妥当でしょう」

 

 正直、自由に撃てと言われた方が困る。この出力では、うっかり街一つ消し飛ばしかねない。

 監視と言っているが別に監禁という訳でもあるまい。あくまで管理下に置かれたというだけである。

 

 「取り敢えず! 細かいこと追々決めていくとしよう。先ず顔合わせを済ませてしまおうか。」

 

 「そのことですが、こちらも正直に申し上げますと」

 

 視線を上げ、真正面からフィリップを見る。

 

 「私は教育者ではありません。精々自分の中の規律と論理で動く人間です。情操教育は、保証しかねますが」

 

 「それでいい」

 

 即答だった。

 

 「むしろ、今までの家庭教師は貴族の娘らしさを押し付けすぎた。結果、全員噛み殺されてしまったからね」

 

 物理的に、とは言っていないが……まぁ、な。 

 まさかな……。

 

 「同年代の対等な存在が、彼女には必要だと思ったのさ。エリスに同年代の友達なんていないからね」

 

 言っていることは、おおむね理解した。

 だがなんと言うか、拭いきれない違和感が何処かに……。

 

 「僭越ながら、それならば私は対等な存在とは言えないのでは? 年齢はともかく、立場としては執事やメイドの方々と変わらないような気がするのですが……」

 

 「ああ、言ってなかったっけ?」

 

 机の引き出しから、一通の書類が取り出される。

 封蝋は既に割られており、内容は決裁済みなのだろう。

 

 

 

 「被庇護者と言ったが、つまりは私の養女だ」

 

 

 

 

 

 ……は?

 

 

 

 

 

 「はぁぁぁああ!?」

 

 「良いリアクションじゃないか。安心したよ、そういうのを見ると、君も歳相応だね」

 

 一瞬、言葉の意味が脳に届かなかった。

 被庇護? 教育係? 監視付きの管理対象? 

 何が「言ってなかったっけ?」だ!

 話の最後にっ! こんな事をっ!

 

 

 

 「ようこそ我が家へ、今日より君はターニャ・ボレアス・グレイラットだ」

 

 

 

 そう言って、思わず立ち上がってしまった私と同じく、立ち上がって手を差し出してきた。

 さらりと言われた内容だが重い、あまりにも重い。

 奴隷から、養女。しかも領主家の。立場上、準貴族扱いになるのだぞ!?

 

 「……拒否した場合は?」

 

 フィリップは、今度ははっきりと首を振った。

 

 「現実的な拒否権は、ない!」

 

 

 クソッタレが!!

 

 

 「ただし」

 

 彼は少しだけ、声音を和らげた。

 

 「君を道具として扱うつもりはない。それだけは約束しよう」

 

 ……信用するかどうかは、また別の話である。

 深く息を吐き、一応の動揺を鎮めてから、差し出された手に応えた。

 

 「これからよろしくお願い致します」

 

 握手は短く、形式的に済ませた。

 これ以上感情を表に出せば、足元を見られるだけだ。

 

 「じゃあ、早速エリスと顔合わせだけしてきてもらおうか。案内させるから行ってきなさい」

 

 そう言って、また別のメイドに催促され出口に向かわされた。

 

 …恐ろしい男であったが、実に貴族的で、実に合理的だ。

 養女という形を取れば、他勢力への間違いない牽制になる。能力が高い者が欲しいからと言って、正式な家族を横取りするのは、政治的に面倒だからな。

 そして単純に逃げ道を絶てる。

 これでもう私は、ボレアス・グレイラットという家名から逃れることはできない。

 だが、これでは……

 

 「最後に私からも、一つだけ宜しいでしょうか」

 

 「いいだろう、聞こう。君は、何を望む?」

 

 その問いは、神ではなく、人間から投げられた。

 

 「……自由を」

 

 「自由?」

 

 「私にも、選択できる余地のある人生を」

 

 フィリップはしばらく私を見つめ、そして頷いた。

 

 「いいだろう。可能な限り保証しよう」

 

 「感謝します」

 

 「礼は不要だ。これは投資だよ」

 

 神は常に答えを強要した。

 信じるか、否か。従うか、滅びるか。

 だがこの男は違う。

 提示するのは条件であり、代価であり、そして結果だ。

 

 ああ、なるほど。

 この男は信用できる。

 

 

 

 少なくとも、

 神よりは、ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉が閉まる音は、思いのほか軽かった。

 カチリ。と金属が噛み合う乾いた音だけを残して、執務室には三人だけが残された。

 

 「……宜しかったのですか?」

 

 「何がだい?」

 

 「全て、です」

 

 トーマスは一歩だけ前に出た。

 

 「身元不明。来歴不明。年齢に不釣り合いな知性。制御不能の魔力量。それにフィリップ様もお気づきでしょう? 容姿がアスラ系貴族に酷似している。偶然にしては出来過ぎています!」

 

 言外にある言葉は、はっきりしている。

 

 ――何かの差し金ではないのか。

 

 フィリップは否定も肯定もせず、視線だけをギレーヌへ向けた。

 

 「君はどう思う? ギレーヌ」

 

 「……分からん」

 

 「分からん、だと?」

 

 「五月蠅い。分からんものは分からん」

 

 ギレーヌは尻尾を一度だけ、苛立たしげに揺らした。

 

 「嘘はついていない。それは断言できる。だが、あたしから視ても普通ではない」

 

 ギレーヌが人差し指で眼帯を押し上げ、翡翠色に光る右目を覗かせた。

 

 「魔力眼か、使っていたのかい」

 

 「ああ」

 

 眼帯を外し、光る眼を俯かせながら話した。

 

 「体内を巡っている魔力の流れが妙だ。量が多い少ないの話じゃない。……例えるなら、水瓶に入っているのが水じゃないんだ」

 

 「……ほう」

 

 「同じ形をしているが、中身が違う。体に馴染んでいない……違うな、世界に馴染んでいない、と言えばいいのか……とにかく、違和感がある」

 

 トーマスが息を呑む音が聞こえた。

 

 「……異端、というやつか?」

 

 「異端かどうかは知らん。ただ――」

 

 ギレーヌは、先ほど馬車で対面した幼女の姿を思い出す。

 落ち着きすぎた目であった。

 今までに見たことがない類ではあったが、少なくとも、あの年の少女がして良い目ではなかった。

 

 「放っておくのが危険だというのは、あたしも同意だ」

 

 執務室の空気の僅かに重くなったことを肯定するように、フィリップは沈黙に対しゆっくりと頷いた。

 

 「まぁそうだろうね」

 

 「……ならば尚更、危険では?」

 

 「そうだね、危険だよ」

 

 あっさりと言った。

 

 「非常にね。だから囲ったんだよ」

 

 「囲い込むには、あまりにも……」

 

 「強引だ?」

 

 「はい」

 

 フィリップは小さく笑った。

 

 「あんな情報が入ってきた以上、他に方法があったかい?」

 

 トーマスは言葉に詰まる。

 

 軍に渡せば兵器になる。

 教会に渡せば聖具になる。

 他領に流れれば、いずれ敵になる。

 どれも、ロアにとって最悪だ。

 

 「養女という形なら、政治的にも筋が通る。監視もできるし、逃げ道もない。それでいて、人として扱っている体裁も保てるしね」

 

 「……彼女は、それを理解しています」

 

 トーマスは苦く言った。

 

 「……理解しているからこそ、怪しいのです」

 

 フィリップは、その指摘を否定しなかった。

 

 「そうだね」

 

 「確かに、危険物を安全に処理するにしては甘いのかもしれない」

 

 フィリップは立ち上がり、窓の外――城塞都市ロアを見下ろす。ロアは、上から見るとよく整っているのがわかる。人の流れ、物資の動線、兵の配置。

 

 「だがね、ギレーヌ。あの目を見ただろう?」

 

 「……ああ」

 

 「権力を欲しがる目ではない。支配を夢見る目でもない」

 

 フィリップは静かに言う。

 

 「私と同じ、生き残るために考え続けてきた人間の目だよ」

 

 しばしの沈黙。

 やがてギレーヌが腕を解き、壁から離れた。

 

 「……承知した。監視体制はあたしの方で万全に整える。万が一にもエリスお嬢様に手出しはさせん」

 

 「そう言ってもらえると助かる」

 

 変わらずロアの街を見下ろしながら、ぽつりと呟く。

 

 

 「なるようになるさ」

 

 

 その言葉に、トーマスは小さく息を吐いた。

 この方はこういう人だったと。

 

 

 

 なるようになるさ。

 人ではないかもしれない。危険かもしれない。だが今は、まだ子供だ。

 握った手はエリスよりも小さかったのだ。

 それに彼女は私によく似ている。

 

 フィリップ・ボレアス・グレイラットは、窓の外に視線を戻す。

 城塞都市ロアは、今日も変わらず動いている。

 ならば、その歯車に一つ異物が混じったところで――我々が積み上げてきた数十年間の歳月は負けはしない。

 きっと、なるようになるのだろう。

 

 問題はいつも「異物」が歯車を壊すか、それとも新しい動力になるかだ。

 だがそれを決めるのは、異物ではない。

 

 

 

 

 「期待しているよ、色々とね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人は自分の置かれた境遇を選ぶことはできない。

 しかしその境遇の中で、

 どのように振る舞うかは選ぶことができる。

 野心は人を救いもすれば、

 また静かに殺しもする。

 それを知った者だけが、

 自分の足で立っていると言えるのだ。」

 

 

         スタンダール『赤と黒』より

 

 




   


 ここまで!

 気長に待て!


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