私はトレーナー業務もこなしているが、同時に教員としてウマ娘の教育指導にも携わっている。
腐っても元GⅠウマ娘。
それなりに、いや、かなり勝ってきた自負もある。
勝利経験者からの指導というのは想像以上に説得力があるらしく、生徒からの納得も得やすい。
全ての授業に顔を出しているわけではないが、不公平が出ないよう、全クラスに一通り指導を施すようにしている。
目的は単純明快、笠松トレセンの生徒の質の向上にある。
私が表に出て指導を施すことで一人でも多くのウマ娘がレースに勝ち抜けるなら、それでいい。
「……いいか、レースってのはスタートが肝心だ。
逃げや先行は云うに及ばず、差しや追い込みだって例外じゃない。
最初の一歩で一人だけ前に出られれば、それだけで位置取り争いを有利に進められる。
スタートが遅れた時点でもう不利を背負ってると思え」
グラウンドに整列したウマ娘たちが神妙な顔で頷いている。
他の子より0.1秒速くスタートを切るだけで、一馬身の差が生まれる。
それは小さな差に見えるかもしれない。
だが、この世界ではコンマ数センチの差で順位が入れ替わる。その差で泣くくらいなら、最初から差をつけておけという話だ。
「実際に私が実演してやろう。
空いてるゲートに学生も入れ。
その方が如実に差が分かるだろうからな」
脳の反応速度には限界がある。
一般人で0.35~0.4秒。トップアスリートでも0.2秒台。
研ぎ澄まされた者でも、0.1秒に届くかどうか──
私はそれを超える。
限界反応速度すら超えて、身体を動かすことができる。
私と幾人かの学生がゲートへと収まる。
合図。
瞬間、身体が前に出た。
──コンセントレーション
走り出しの時点で、既に二馬身以上の差がついていた。
まだ数メートルも走っていないというのに、差は歴然だ。始まって僅かの間でも、リーチの差が生まれている。
「いいか、見ただろう。
スタートだからと甘く見るな。
開始の合図ですべてが決まると思え。
「最初だから多少遅れてもいい」なんて考えた瞬間、そのレースはもう負けだ。
最初の差は必ず積み重なって、取り返しのつかない差になる」
どのスポーツでも共通だが、最初の一歩目が肝心なのは変わらない。
その後の展開含め、スタートが上手くいったかどうかで精神的なゆとりも生まれてくる。
勝利を掴み取れるのはたったの一人だけ。
その勝者となるためには、あらゆる視点で差を拡げていかねばならない。
「ゲートが苦手な奴は必ず克服しろ。
それが勝利を掴む鍵になる。
レースで勝ちたいならスタートから勝ちに行け。
精神的な余裕を持つためにも、スタートダッシュは完璧を目指せ」
私の指導を受け、神妙に頷く生徒たち。
素直なのは好感が持てる。
私の教えが彼女たちの中に染み付いてくれると有難い。
授業は基本こんな感じで、実地形式で私が直接指導している。
他校のトレセンはどうだか知らないが、トレーナーだけに指導を全て丸投げするのも負担が掛かる。
基礎を学校側で叩き込んでおけば、トレーナーも育成に集中にできるだろう。
教員としてある程度の仕事もこなしているが、トレーナー業も勿論忘れていない。
私の本業はトレーナーである。
此方がメインであるので、心血注いで育成に携わっている。
併走トレーニング、プールトレーニング、坂路、フィジカルチェック。
やることは山のようにある。
今も北原の担当になったオグリキャップと、私の愛弟子フジマサマーチが、上級者用坂路をひいこら言いながら登っている。
「正しい努力には正しい結果が伴う。
力を付けたいなら、私と同じ練習をこなしてみろ」
……とかマーチが言っていた。
アイツら、いつの間に打ち解けたんだろうか。
最初出会った時、オグリキャップに喧嘩売られてなかったか?
いつの間にか練習仲間兼ライバルみたいな関係になってるじゃないか。
にしてもマーチのやつ、口八丁手八丁でオグリキャップを練習に付き合わせるとか悪魔の所業か、アイツ。身体が仕上がりつつあるマーチなら兎も角、彼女にはまだ早いだろうに。
案の定、オグリキャップはバテた。
当たり前だ。
彼女が走っているのは上級者向けの坂路コース。高低差五十メートルの鬼畜コースであり、今は私やマーチくらいしか利用者が居ない。
まあ、これから利用者は増えてくると踏んでいるが。
沖野の新しい担当となったスペシャルウィークを始め、柴崎の担当となったセイウンスカイ。
あとはめでたくトレーナーの付いたライスシャワーもそのうち挑戦するだろう。
他の子はトレーナー選びに苦戦を強いられているようなので、暫く後になるだろうが。
オグリキャップもいずれはバンバン走れるようになるだろうが、まだ時期が早いと言わざるを得ない。
スタミナと筋力を充分付けてから挑んだ方がいい。身の丈にあった負荷で走った方が己の糧になる。
「マーチ~。
なんか余裕そうな顔してるから坂路五本追加ね~
あっ、演技で辛そうな表情しても駄目だよ?
全部分かってるんだからね~」
私はマーチへと追加の練習を言い渡した。
つい先日、彼女は領域を身に付けた。
身体的な能力の成長も著しい。
思わず涙が零れそうだ。
その調子でどんどん成長して、中央勢をワンパンしてほしい。
私は彼女を応援した。がんばえー、マーチ! いけいけ、マーチ!
「っ……く、くそがああああ!!」
雄叫びを上げている気がするが、私は聞き流した。
愛の鞭である。
鬼畜トレーナーでごめんね。
でもマーチの力になるんだから諦めてトレーニングに励んでほしい。
私はマーチの絶叫をBGMに、他の子のトレーニング風景を観察する。
体幹トレーニング称してツイスターゲームに励む者。
マーチの練習を真似て、初心者向け坂路に果敢に挑戦している者。
以前のような「駆けっこ頑張りま~す」的な空気は感じ取れない。
笠松トレセンが前に進んでいる証拠である。
「うにゃあああ! どうしてもゲートから好スタートが切れない!」
「ふん、初心者用坂路など、余を満足させるに足らぬわ!
……って、何だこの上級者用は!?
誰だ余! こんな狂ったコース作った奴は!!!」
騒がしくもトレーニングに励む生徒たち。
設備が整えば意識も変わる。
トレーニングの幅も増え、トレーナーたちからも好評を得ている。
上手く使いこなして能力を引き延ばしてほしい。
さて。
マーチが戻って来るまで、他の子の面倒を見てあげるとしよう。
金ぴかの暴君そうなウマ娘とか、指導のし甲斐がありそうだ。
お互いに競い合い、鎬を削り、磨き合う。
笠松トレセンの日常は、生徒たちに確かな成長を齎していた。
そろそろリグヒに向けて本格的に育成しなければ…
頼むからバレンタインタイキとマッチングしないでくれー!