笠松トレセン学園。正式名称、笠松トレーニングセンター学園。
全国に十五存在する、地方トレセンのうちの一つである。
中央トレセンばかりが脚光を浴びている昨今。
地方というだけで、どうしても二軍、三軍のレッテルを貼られ、地方レース場の人気は低迷を辿っている。
当然、笠松も例外ではない。
観客数は年々減少にあり、スタンドに足を運ぶのは休日に特にやることのない社会人か、暇を持て余す年配の人々が大半だ。
中央のような熱狂はない。
歓声よりも、そよ風の音の方がよく響く状態だ。
かつてはそれなりに集客も見込めたが、人も金も話題性も中央に吸い取られてしまい、物好きが物見遊山で訪れる、少々物悲しい場所となりつつあった。
気付けば地方トレセンの中でも下から数えた方が早いほどに、衰退の一途をたどっていた。
そんな笠松に、転機が訪れようとしていた。
◇
「……本当に、海外から寄付の申し入れが届くとはな」
笠松トレセン学園、理事長室。
白髪交じりの理事長は、机に広げられた書類の束を前に、何度目か分からないため息を吐いた。
そんな彼の指先は、わずかに震えていた。
「しかも……金額のスケールが、桁違いだ。
この書類が届いた時、私は一度目を疑ったよ。
これも、君の人気が成せる業なのかね?」
理事長は、再び書類に目を落とす。
寄付元の欄には、誰もが一度は聞いたことのある名前が並んでいた。
VRダイビング技術を専門とする世界的IT企業のCEO
ウマ娘の脚部障害治療に特化した、グローバル医療機構の理事
ドバイでエネルギー産業を一手に担う企業の統領
その他、名だたる資産家たちの名前が連なっている。
(……なぜ、この連名で寄付が?)
そう疑問を禁じ得ないのも無理はない。
その総額は県の年間予算を軽く上回り、笠松トレセンを三度建て直してもなおお釣りが来るレベルだ。
到底、一地方トレセンに寄付されるような金額ではない。
理事長が震えるのも無理はなかった。
裏から手を回したであろう下手人の彼女。
その顔には笑みが浮かび、満足げな様子がみてとれた。
「私が挑戦状を叩きつけたら、乗ってきましてね。
彼らはしっかり契約を果たしてくれました。
私が危ない橋を渡って、確約してきた資金です。
使い道は、笠松トレセン側に一任する。
正式に言質も取っています」
彼女が、数ある地方トレセン学園の中から笠松を選んだ理由。
それは、決して深いものではない。
観客数は少なく、話題性もない。実績も正直言って乏しい。
言ってしまえば、何一つとして取り柄がない。
だからこそ、そんな場所を再興できたら楽しいだろうな~程度の感覚である。
しかし、笠松トレセンのトップである理事長にとってこの偶然は、突如降って湧いたチャンスでもあった。
目の前の彼女は、世間でも名の知れた存在。
彼女がこの地に就任するだけで、入学希望者は確実に増える。
その上。
莫大な資金まで、背負ってきたのだから驚きを禁じ得ない。
「理事長。貴方は今の現状をよくご理解しているでしょう。
中央に人気を取られ、加速度的に観客数も減少傾向にある。
正に、風前の灯と言ってもいいでしょう。
座して待っていても現状は変わりません。
笠松を盛り返すには、一石を投じなければならない」
「君の言っていることは正しい。
だが、資金繰りに困っていた我々の下に救いの女神のように登場した君の手を、素直に握っていいものか……
判断に迷っているのだよ私は」
「……仰る通り、少々怪しいと感じても無理はありませんね」
彼女は一度視線を外し、窓の外へと目を向けた。
それに伴い、理事長の視線も窓の向こうへと吸い込まれる。
「此処の土地は、非常に魅力的な場所です。
近くには、トレーニングに最適な山がある。ランニングに向いた河川敷もある。海辺にも電車一本で行ける距離にある。周辺環境に限ってみれば、中央にも引けを取らない」
事実、その通りだった。
ウマ娘がわざわざ遠征せずとも、基礎体力を鍛えられる環境が揃っている。
恵まれた土地と言ってもいい。
「笠松が中央に劣っている点は……まあ、数えればキリがありませんが、施設面は私が担いできた資金でどうとでもなります。
室内プールにダンススタジオ、トレーニングジム、トラックに芝のコース、坂路コース。
足りないものは、全て金の力で解決できます」
彼女は魅惑的な笑みを崩さず続けた。
「私はね、理事長。
中央ばかりが脚光を浴びるのはどうかと思うのです」
「中央とのパイプも太い、名家出身の君がいうのかね?」
「まあ、中央からの侵略者のように見えるかもしれませんが、私は本心からこの地を発展させたいと願っています。
何故なら、面白そうだから」
面白そう。
只それだけのために、莫大な資金をぶら下げてこの地にやって来たという。
その精神性は健常者のそれではない。
間違いなく異常者だ。
理事長は、深く息を吐いた。
途方もない資金。
突き抜けた行動力。
歴史を振り返れば、世界を変えてきたのは、常にそういった異常者だった。
世界で初めて有人飛行を成し遂げたライト兄弟だって、周囲から見れば、空を飛ぼうとする狂人に過ぎなかった。
人の想像を超えた、馬鹿げた発想の持ち主が世界を常に変えてきた。
そして、目の前の彼女もその類だと理事長は確信した。
「常識的に考えて、こんな寂れた場所を君が本気で発展させてくれるという話に喰いつかないほど、私は愚かではない。
問題となる資金も、君が調達してくれた。
ここで文句を付けるような人間は、何処を探しても見つからないだろう」
上手い話には裏がある。だが、この話は違った。
目の前の彼女は、その上手い話を現実に起こす為に、既に手を回していた。
魚を捌くためにまな板と出刃包丁だけでなく、取り皿も、醤油も、盛り付け用のツマまで用意している。あとはお好みで捌くだけといった状態だ。
彼女は時間と労力を掛けなければ手にできない資金面を、既に解決してくれている。
「地方が中央に劣るなんて常識、覆しませんか?
玉座でふんぞり返っているだけの中央なんて見飽きたでしょう。
いつまでも雌伏の時を過ごす必要はありません。
この学園が発起人となって、中央を引きずり降ろせばいい。
地方だって、中央に劣っていないと世間に示してやりましょう」
その一言が、決定打だった。
理事長としても、中央一強の姿勢に思う所がなかった訳ではない。
人気も話題性も搔っ攫っていく中央に、一泡吹かせてやりたいと思うのは当然の思考であった。
一トレセンの代表者として、笠松の未来を憂う者として、断るという選択肢は存在しなかった。
笠松トレセン学園・理事長と一人のウマ娘が、固く握手を交わす。
それは地方トレセンである笠松に、かつてない変革を齎す合図となるのであった。