笠松トレセン学園の理事長と固い握手を交わしてから、数日後。
この日は、笠松トレセンの上層部を一堂に集めた打ち合わせが行われていた。
場所は、普段はあまり使われることのない大会議室。
理由は単純。
人数が多いからだ。
(……うん、思ったより多いな)
私は内心でそう呟きつつ、ずらりと並んだ顔ぶれを眺めていた。
理事長を始め、副理事長、各部門の責任者、年配の教員代表、事務方のトップ。
笠松トレセン学園という組織が、決して小さな個人経営ではないことを嫌というほど実感させられる光景である。
笠松の復興。
それをベースに、最終的には中央にも負けないトレセン学園を創り上げる。
そのために必要なのは、設備でも、資金でもなく、意識の改革である。
どれだけ金を積もうが、上の人間の足並みが揃っていなければ、改革は必ず途中で頓挫する。一番上の承認が取れても、下が付いてこなければ意味がない。
トレセン学園の運営は、たった一人でどうにかなるほど単純なものではないのだ。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
会議の冒頭で理事長が立ち上がる。
「既に話は聞いている者も多いとは思いますが、改めて紹介しましょう。
来年度より、笠松トレセン学園で勤務予定の彼女です」
一斉に、視線が突き刺さる。
驚きと好奇の視線が入り交じるが、全員から歓迎を示す雰囲気を感じる。
やはり、レースで勝ったウマ娘の威光はどこへ行っても通用するらしい。
私の場合は記録樹立とか色々と派手にやらかしたので、注目の的になるのは可笑しなことではない。
今ならきっと、「このGⅠ勝利の紋様が目に入らぬか~!」とか冗談で言っても、半分くらいの人は本気で跪いてくれそうである。
いや、やらないけど。
「……先日彼女と対談し、莫大な金額の寄付を承った。
具体的な額面については、後ほど資料で配布するが──
中央トレセンと同等、あるいはそれ以上の設備を揃えられるほどの資金が動いている」
ざわめきが、一段大きくなる。それも無理はない。
笠松トレセンは、長年にわたって資金難に苦しんできた。
上層部の面々も、その現実を身をもって知っている。予算案に目を通し、胃が痛くなる思いをした経験のある者は、この場には多く居る。
「……皆も知っての通り、我々笠松トレセンは、地方の中でも下から数えた方が早いほど、資金難に苦しんでいた。対策を講じようにも、そのための資金すら捻り出せず……結果として、今の状況が出来上がってしまった」
ここで、私は一歩前に出た。
「──差し出がましいようですが、中央所属であった私から見ても笠松の現状は正直、酷いの一言に尽きます」
どよめきが生まれるが、構わず私は続けた。
「トレセン学園に入学してくる生徒の質。
ウマ娘の腹を満たせない食堂に、中央を過大評価するあまり、生徒の意欲を削ぐような教師の存在。
はっきり言って、問題だらけです」
言葉を選んだつもりだが、内容は辛辣である。
誰かが息を呑む音がしたが、私は事実しか述べていない。
正体を隠して校内を見学させてもらった際、改善点や問題のある人員配置を見て、私は苦笑するしかなかった。
特に教師。
年配の方が多く、授業内容は基礎的である。
それ自体は別に咎めるものでもない。
問題は、中央の話題には決して触れようとせず、
「君たちには関係ない」
「地方は地方なりにやればいい」
そう言って、生徒の視野を狭めている点にある。
そんな様子でどうやって中央を超えるというのか。現状のままでは、口が裂けても「中央を超えます」なんて口にできない。
設備を整えたところで、下向きな発言しかしない教師が居座っている限り、改革は成し得ない。
「私は、ローカルシリーズだからと下に見ているつもりはありません。
むしろ、その水準を中央トレセンと同等──いえ、それ以上まで押し上げたいと考えています」
稀代のウマ娘。
世間でも最も名の知れた存在。
そんな彼女から漏れ出た、夢物語のような発言に、誰もが耳を傾けていた。
「無理、無茶、無謀。そんな言葉は、ただのまやかしです。
誰もが挑戦してこなかっただけで、具体的な計画を持って臨めば、大抵のことは実現できます」
「笠松の未来のためにも、抜本的な改革が必要です。
皆さんも、指を咥えて笠松の衰退を眺めていたいわけではないでしょう?」
誰かが、頷いた。
「その通りだ」と賛同の声が、相次ぐ。
「地元のトレセンに通う学生の中にも原石はいます。
磨かれていないだけで、中央すら霞むほどの輝きを持つ者も、決して少なくありません」
私は、確信を込めて言った。
世界は広大だ。
遅咲きなだけのウマ娘も居れば、学費の問題で泣く泣く地方を選んだウマ娘も居る。
隠れた才能を持つウマ娘の方が、世間では多いだろう。
才能は、必ずしも中央にだけ集まるものではない。
「私は、中央一強の体制を崩したい。
世界に通用するウマ娘を輩出するためにも、現状のままでは、日本は後進国のまま終わってしまうでしょう」
会議室に、静寂が落ちる。
私は、全員を見渡した。
「どうですか?
小さな地方トレセンとして名を残すより──
中央すら超えて、世界に名を轟かせるトレセン学園に、成長しませんか?」
「心配は無用です。失敗しても、私の持参金がはじけ飛ぶだけです。
あとは──皆さんの、やる気次第です」
そこまで言われてやる気を出さない大人はいない。
上層部の面々は理事長ほどではないにせよ、地元愛に溢れた、気のいい人たちばかりなのだ。
今までは、資金不足という現実の前に見て見ぬふりをするしかなかった。
だが、潤沢な資金があるとなれば話は別だ。地元振興が叶うならと身を粉にして働く覚悟のある人材が、ここには揃っている。
この世界は前世に比べて誠実な人間が多い。それもまた、幸いしているのだろう。
いずれにせよ、この日の私の言葉は確かに、笠松トレセンの大人たちの胸に火を灯した。
「若者がここまで御膳立てしてくれてはな……。
私たちも覚悟が決まるというものだよ」
理事長が苦笑いしながら彼女に告げた。
笠松トレセン学園はこうして、同じ方向を向いて歩みを始める。