私とマーチは荷物を纏め、アメリカへと飛び立つ準備を終えた。
予備のシューズ、蹄鉄、着替え一式。汗拭き用のタオルも多めに入れ、歯磨き粉や美容品といった日用品も詰め込んでいる。
一度忘れてしまえば取りに戻るのも億劫なので、絶対に忘れ物がないようマーチにも厳命している。
暫くの間笠松を留守にすることになるが、私が居ない間でも回るように引継ぎも済ませて来た。その辺りも抜かりはない。
普段の生徒への指導はたづなにバトンタッチし、残る雑事や事務作業は沖野に押し付けている。
沖野への扱いが少々雑だと思われるかもしれないが、隙あらばトモ観察に勤しむ変態野郎なので、これくらいが丁度いい。
仕事漬けにしておかないと碌なことしないからな、アイツ。
雑事でもなんでもいいから押し付けておくが最善手である。
「……気楽に行って来いよ!
お前さんたちの活躍を此処から見守ってるからな」
「先輩の後は、私が責任を持って引き受けておきますね♪
アメリカでの吉報、お待ちしてます」
そう言って送り出してくれた二人。
彼らのためにも期待は裏切れない。
期待に沿えるように、向こうでも死力を尽くすのみである。
それから、彼らには理事長へ言伝を頼んでいる。
最近は笠松トレセンの台頭に伴い、質の悪い記者も増えているのでその注意喚起だ。
明朝から校門前で出待ちし、強引にインタビューを揺すってくるような輩がとうとう笠松に現れ出した。
爆発的に有名になった弊害だろう。
世間の注目を集めるのは悪くないが、余計な連中まで引っ付いてくるのが玉に瑕だ。
あの手の輩は何をしでかすか分からない。
生徒に悪影響を及ぼす前に一掃しておくのが吉である。
理事長には時期が来たら悪質な記者を一斉検挙するようにお願いしてある。既に了承も得ており、タイミングを見計らってお掃除する予定だ。
笠松に良識のない人間は必要ない。
面倒毎を持ち込む奴らに用はないのである。
事前にアポイントメントを取った人しか取り合わないと定例会議でも決めている。
理事長と上層部を交えた正式な決定なので、これは笠松の総意と言って差し支えない。
帰国した際も、この手の問題で手を煩わせたくないので先手を打っておいた。
あとあとを考えて行動できる私を、誰か褒めてくれてもいいと思う。
そうそう。
マーチも友人との別れを既に済ませている。
異国の地、アメリカへの遠征。
レースが一段落すれば帰国するとはいえ、向こうに滞在する期間はそれなりに長い。
食文化も言語も異なる環境に身を置くことになる。
両親との積もる話や友人から叱咤激励をもらったり、心残りがないよう全て済ませてもらった。
前日には盛大な見送り会を開いたらしいし。
そこまでしてもらえたなら心配は不要だろう。
逆に、見送る側のオグリキャップがマーチに付いて行くと駄々を捏ねたと聞いている。
実際、フライトの見送りにまで来ていたので相当執着されている。
直前まで蝉のようにマーチに引っ付いている姿は少しだけ面白かった。
北原がひっぺ剝がさなければ、一緒に付いてきた可能性すらある。
愛されてるね、マーチ。
私も愛弟子の交友関係がうまくいっているようで、鼻が高い。
「ちょっと待て! 何故こんなに力が強い! は、離せぇえええええ!!」
とかなんとか叫んでいたが、以前も似たような光景を目にした気がする。
帰国したらオグリキャップにしっかり構ってあげてほしい。
最近はマーチと居ないと、ウマ耳をぺたんと萎れさせてるらしいからね。
「皆さま、本日は○○航空をご利用頂きまして有難うございます。
この飛行機は成田空港発、ノーザンケンタッキー行きとなっております。
携帯電話など電波を発する電子機器は、機内モードに設定するか……」
私たちが搭乗する飛行機のアナウンスが流れた。
間もなく出発だ。
日本を離れ、海外へと赴く。
そう思えば、なんだか感慨深い。
「マーチ、アメリカは不安かい?」
手持無沙汰でやることがない私は、隣に座るマーチへと話し掛けた。
「……いや、そこまで心配はしていない。
これまでのトレーニングを偲べば、向こうでもいい結果を出せそうだと思っている」
「ふーん、マーチも自信が付いてきたようで何より。
私も必死こいてマーチを扱いた甲斐があったね。
涙を吞んで鞭打って良かった。
向こうでもトレーニングはビシバシ行くから気合入れてね」
「……いや、もう少し手心加えてくれてもいいんだが?」
「っはっはっは、またまた~。
ナイス冗談! 今からアメリカンジョークの練習なんかしなくていいんだよ、マーチ」
「……全部本音なんだが」
全く、今からアメリカに向けてジョークの練習とは……
マーチの気合の入れように慄くばかりだ。
これから赴く異国の地。
レースがどう転ぶか正直分からないが、容易く勝利を飾れるほど楽な道のりではないだろう。
今のアメリカの環境は世界屈指の魔境と化している。
欧州レースすら差し置いて、世界で最もレベルの高いウマ娘が集う地と噂されるだけはある。
ただ、今のマーチの精神状態なら安心してレースに臨めるだろうと判断できた。
アメリカンジョークでもなく、マーチは何が来ようとも動じない不動の精神と不撓不屈の心を獲得している。
きっと大物になれるだろう。
私が保証するのだから、間違いない。
「安心して臨むといいよ、マーチ。
君の強さは私が保証する」
フライトのアナウンスが流れ、出発の合図がされた。
飛行機が離陸し、空へと羽ばたく。
かの地でどんな出会いや困難が待ち受けるか分からない。
けれど、全ての障害を薙ぎ払っているマーチの姿が何故か想像できた。
◇
その頃。
駄々を捏ねてマーチの見送りに来ていたオグリキャップは、笠松トレセンへと帰還した。
しかし、その面持ちは生気が抜けている。
オグリキャップにとってフジマサマーチはライバルとも云える存在であり、同時に超えるべき壁として分厚く聳え立つ存在でもあった。
そんな存在が異国の地へと飛び立ってしまった。
オグリキャップの喪失感は計り知れない。
ぽっかりと胸に穴が空いた気分になっており、ナーバスな気持ちに陥っている。
「オグリちゃん、元気出して……
そんな調子じゃ、この先のレースにも支障をきたしちゃうよ」
あまりの様子に見かねたベルノライトが心配するが、聞こえているかすら怪しい。
これは重症だ……傍からでも判断できる程に落ち込んでいる。
このままでは冗談抜きで本当にレースに支障をきたしかねない。
何とかして元気付けようとベルノライトが画策していると、そこに一人のウマ娘が現れた。
金ぴかの冠を携えた如何にも我の強そうなウマ娘。
オルフェーヴル。
彼女が背中に巨大なブツを抱えて現れた。
背負っているものが余りも大きすぎて、オルフェーヴルが押し潰されているんじゃないかと錯覚してしまう。
「全く、余に大荷物を押し付けるとは不敬な奴らだ。
帰ってきたらこの恨み、どう晴らしてくれようか。
まあ、良い。オグリキャップ。
余がお前に渡すよう直々に頼まれていた品だ。感謝して受け取るがよい」
オルフェーヴルがむすっとした表情をしながら、背負っていたブツを渡す。
果たしてその正体は——
フジマサマーチの巨大ぬいぐるみであった。
その大きさは、普通のぬいぐるみを一回りも二回りも上回る。
まさしく超特大と表現するに相応しい。
『どきゅーとぬいぐるみ』と呼ばれる品であり、世間では未だ出回っていない。
ちなみにお値段66,000円。
これを買える者は相当お金に余裕のある者か、熱狂的なファンに限られる。
フジマサマーチのグッズ販売の試作品として、彼女のトレーナーに送られた品ではあるのだが、余りにデカすぎてスペースを圧迫した。
というか、大きすぎて置くに困った。
その為、彼女は押し付け先を探しており、これ幸いにと即座にプレゼントすることを決めた。
「マーチが居なくなれば、オグリキャップも心寂しくなるだろう」
との気遣いの結果であった。
巨大ぬいぐるみを貰ったオグリキャップ。
ぎゅっと抱きしめ、その肌触りを確かめる。
もふもふで抱き心地も良い。
あと気のせいか、なんかいい匂いがする。
オグリキャップの表情が和らいだ。
その様子にベルノライトがなんとも言えない表情をする。
同級生のぬいぐるみを抱えて調子が回復するって、どうなんだろうか……
変な方向に進んでしまわないか若干心配になった。
「その様子なら気に入ったようだな。
然らば、寮の部屋に持ち帰るが良い」
オルフェーヴルは一仕事やり終えたといった感じだ。
彼女は頼まれた仕事を果たした。
後のことは、彼女には関係ない。
ぬいぐるみをどう扱おうが、彼女には知ったことではない。
フジマサマーチのぬいぐるみを手に入れたオグリキャップ。
睡眠時も抱き着いて寝ることで快眠を得られる、調子上げグッズと化す。
本人に見立ててお世話をする。
いつしか、そんな光景が現れることになる。
マーチ本人が帰って来たときどうするんだろうかと、ベルノライトは今から頭を悩ませるばかりであった。
誤字報告が毎度の如く届く件について。
いつもご迷惑お掛けしてますm(__)m
もう特技タイピングミスって名乗ってもおかしくないレベルな気がする。