私は初の教え子となったフジマサマーチを引き連れ、アメリカのレース場へと足を運んでいた。
どうしてこんな事態になっているのかといえば、彼女が放った一言にある。
「私は、東海ダービーで頂点を取りたい!」
……
……え?
東海ダービー。
東海地区の覇者を決める地方重賞の一つ。笠松、名古屋を中心としたウマ娘にとっては、確かに一大レースであり、目標として掲げられることも多いのだろう。
実際、これまでの笠松トレセンでは「まずは東海ダービーを目指そう」という指導方針が主流だったらしい。地方トレセンとしては堅実だし、否定する理由もない。
ないのだが……
でも、お前、東海ダービーって……
もっと上を目指せよぉぉ!
私の教え子になるのだから、せめて日本ダービーを制覇してやるくらいの意気込みが聞きたかった。
東海地区ってお前……どんだけ狭い地域の覇者になろうとしてんねん! 日本地図で言えば、ほんの一角じゃねぇか!
最早ツッコミを入れたいレベルである。
フジマサマーチは優秀なウマ娘だ。
素直で努力家で、頭も切れる。
しかし、目標設定があまりにも慎ましすぎた。
山の頂上を決めるのはいい。只、登ろうとしている山が富士山どころか弁天山(日本で一番小さい山)なのはいただけない。
笠松は今、生まれ変わろうとしている。
校舎も増築を始め、新入生の受け入れ態勢も整えつつある。
彼女は、その新生・笠松の第一スターに仕立て上げる予定のウマ娘だ。
そんな彼女が最終目標を東海ダービーに据えていては非常に都合が悪い。はっきり言って困る。
というわけで、私はフジマサマーチを強制連行することにした。この遠出で、彼女の価値観を塗り替えたいという思惑がある。
随伴者は、私とマーチだけではない。
沖野トレーナー。
理事長。
笠松トレセンのトレーナー数名。
なかなかの大所帯になっている。
「なあ、先生」
アメリカの巨大レース場を前に、マーチが首を傾げる。
「さっき、先生の銅像が建っていなかったか?」
「気のせいだよ」
即答した。
こらっ、変なところを見るんじゃありません、全く。
「それよりも、私たちは、何のためにアメリカのレース場に来たんだ?」
マーチのもっともな疑問に、私は軽く説明する。
「ちょうど都合良く、アメリカで一大レースが開催されていてね。
ケンタッキー・ダービー
アメリカクラシック三冠の初戦レースだよ」
「……ダービー?」
「そうそう、マーチ、この前「ダービーを獲りたい」って言ってただろう?」
「いや、私は東海ダ──」
「ダービー繋がりだよ、マーチ。
細かいことは気にしてはいけない」
私は無理矢理話を断ち切った。少々強引だったが、致し方無い。
アメリカの本場のレースを目にすれば、心変わりするかもしれない。
それに、マーチの成長のためにも見て損はない。
「欲を言えば、海外レースに目標を切り替えて欲しいとか思ってないからね。
うん、ホントに。
……いや、やっぱ海外挑戦しろマーチ」
「……話が通じないぞこの人、誰か助けてくれ……」
師匠に向かって、失敬な奴である。
あとで、私の威厳を教え込まなければ。
私とマーチが軽いコントを繰り広げている間、隣ではトレーナー陣が落ち着かなさそうに周囲を見回している。
「お、沖野さん……俺たちまで、こんなVIPルームエリアで観戦していいんですか?
場違い感が半端ないんですが……」
「おう、気にすんな。向こうのレース関係者が招待してくれたんだ。
お前らもいずれ海外に挑戦するかもしれないんだし、今のうちに慣れとけ」
「そんな無茶な……」
「いやはや、アメリカのクラシックともなると、観客数も桁違いだね。
我々も、いずれはこの地に負けないくらい盛り上げていかねばなるまい。
そうは思わんかね? 柴崎君」
「ははは、仰る通りで……」
アメリカで最も権威のあるレースともあり、観客の動員数も日本とは比べるまでもない。
観客席は人で溢れかえり、おしくらまんじゅうのように詰め寄せ、今か今かとレース開始を待ちわびている。
地方重賞とは次元が違う盛り上がりだ。
余談だが、ケンタッキー・ダービーの勝者には勝利の勲章として、薔薇の花輪が贈呈されるらしい。
日本もトロフィー一辺倒は味気ないので、そろそろバリエーションを増やした方がいいと思う。
勝者には最高級ニンジン詰め合わせとかどうだろう。
◆
パドックでの各ウマ娘の披露が終わり、重厚なファンファーレが鳴り響く。
そして──
ケンタッキー・ダービーが、スタートした。
(……やはり、アメリカのウマ娘は体躯が大きい)
身長もそうだが、肩幅、脚の太さ、筋肉の量。パワー勝負になれば、日本のウマ娘に勝ち目はないだろう。
流石、レース大国アメリカ。
「マーチ、君は日本基準では背が高いけれど、アメリカンサイズじゃない。
彼女たちと戦うなら、どう勝ち筋を見つけるか。
それを考えながら観戦しなさい」
「ああ、承知した」
マーチの目は真剣そのものである。
出走者たちの技術も、作戦も、全て吸収する勢いでこのレースを目に焼きつけている。
前向きな姿勢には好感が持てる。
指導を始めて、まだ半年。
しかし、マーチは驚くほど成長を遂げている。
戦術眼は鋭く、頭の中でレース展開を再生できるほど思考速度も速い。
賢さはSくらいあるんじゃないだろうか?
「なあ、先生」
中盤に差し掛かったあたりで、マーチが眉をひそめた。
「先頭集団のウマ娘から……奇怪な光景が見えたんだが」
「あれは、ゾーンだね。
極限の集中状態で発揮できるウマ娘の固有能力みたいなものかな。
クラシック初戦なのに、目覚めるのが随分と早い。
流石、海外。日本の一歩も二歩も、先を行っている」
「……私にも習得できるものなのか?」
マーチの問いに、私ははっきりと答えた。
「できる」
ただし、と私は付け加える。
「今はまだ、身体が仕上がってないから指導していない。
身体にも過負荷が掛かるからね。身体が仕上がってからでないと、怪我に繋がりかねない。その分強力だけど、ここぞという場面じゃないと使うのはお勧めしない。
要は必殺技だとでも思えばいい」
私もゾーンは使える。
てか、走り始めて3日で使えた。
私のスペックは一体どうなっているのだろうか? 疑問が深まるばかりである。
「選ばれし者だけが使える、なんて厨二病的なものじゃない。
努力と時間を積めば、ウマ娘なら誰でも発現できる。
マーチにも半年後には教えてあげるよ。それまでは身体作りと技術の研磨に力を入れようね」
マーチは黙ってレースを見つめていた。
彼女の領域は、どんなものだろうか。
稲妻のような領域を持つ者も居れば、宇宙空間で揺ら揺らと漂う領域を持つ者も居る。
紅茶を啜る者も居れば、玉座で佇む者も居る。
人によって千差万別であり、その者の心象風景が領域に反映される。
このレースの子の領域は灼熱のマグマであった。パドックでもこのレースに懸ける熱量が凄まじかったし、燃え盛る闘志が具現化していてもおかしくない。
レースは、やがてクライマックスを迎えた。
ゾーンに突入したウマ娘が、常軌を逸した加速を見せる。
それに呼応するように、観客の歓声が轟音のように響き渡っている。
「……これが、世界か」
マーチが小さく呟いた。
私はその横顔を見ながら言う。
「東海ダービーが悪いわけじゃない。
でも——」
「世界を見た後で、同じ目標を掲げられるかい?」
マーチは、しばらく黙っていた。
やがて彼女は、真っ直ぐ前を見たまま言った。
「私は……もっと上を目指すよ」
よし。
それでいい。
彼女の心に小さな波紋を起こせただけでも、今回の遠出には価値があった。
願わくば、今回のレースのような一大レースを目標に掲げて欲しいところだ。
「笠松のトレーナーもその目でしっかり認識しましたね?
ウマ娘には不思議パワーが詰まっています。
それを引き出し、レースに勝利を齎すのがトレーナーの務めです」
笠松のトレーナーにも刺激になっただろう。今この瞬間まで、領域を知らなかったトレーナーも居るかもしれない。
だが、心配は要らない。私という協力者もいる。
私の経験をフィードバックすることで、ウマ娘の領域の発現を手助けすることもできる。
「俺たちは……ウマ娘の可能性を、軽視しすぎていたのかもしれない。
だがよ、こうも滾る光景を見せられちゃ気合が入るってもんよ」
北原トレーナーが拳を握り込み、そう叫んだ。
沖野のお気に入りらしく、見どころあるトレーナーらしい。
他のトレーナーたちも、同じ思いだろう。興奮冷めやらぬ者も多い。
私は、そんな彼らを見て満足した。
異国の地を跨いでまで、訪れた甲斐があったものである。
この経験が彼らの成長に役立つことを、私は切に願う。
大知さん、千翼さん、ムッシーさん、コメント有難うございます。
あるかーりーんさん、S.Rapid223_225さん、評価有難うございます。
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