聖剣伝説3 TRAILS of MANA   作:モティ

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「デュラン」

 

「ようデュラン! 優勝、期待してるぜ!」

 

 薄暗い石造りの廊下を歩く途中、かけられた声にデュランが反応することはありませんでした。

 

 己の足音しか聞こえない。

 

 見えているものは廊下の先に差し込んでいる、外の光だけ。

 

 闘いへと向かうデュランの精神は、そんな極限の集中状態だったのです。

 

 廊下を抜ければ大きな歓声で迎えられました。

 

 抜けるような青空の下、デュランが姿を現したのは練兵場としても使われる広場です。

 

 中央に色の異なる煉瓦を配置しており、長方形の試合場として使用します。

 

 練兵場を取り囲むように、見物に来た騎士や傭兵、城の関係者は沸きに沸いていました。

 

 草原の国フォルセナ。

 

 その王城で開かれた剣術大会の決勝戦。

 

 それこそ、デュランが今まさに挑まんとする闘いでした。

 

「これより剣術大会若手部門の決勝を始める! デュラン、ブルーザー! 前に出よ!」

 

 練兵場を見下ろす位置に立つ、威厳ある人物が力強い声で命じます。

 

 英雄王と名高い、フォルセナの王リチャード。

 

 デュランは父と親友だったこの王様を誰よりも尊敬し憧れていました。

 

 そんな人の前で無様な試合はできません。

 

 闘志を燃やして、ずいとデュランは試合場の中央へと歩を進めます。

 

 対する男の名はブルーザー。

 

 完全鎧に身を包み、剣を担ぐように構えている不敵なたたずまいです。

 

「やはり勝ち残ってきたなデュラン! 今日こそおまえに勝つぜ!」

 

 兜でくぐもった声が、デュランを挑発してきました。

 

 対するデュランもまた、煽るように手招きをひとつ。

 

「勝つのはオレだ!」

 

 負けん気の火花を散らすふたりに、英雄王リチャードの厳かな号令が下されました。

 

「始め!」

 

 始まりと共に、両者は鏡写しのような袈裟懸けの剣でぶつかり合いました。

 

「うおおお!」

 

「ぬううう!」

 

 畳みかけるようにデュランが剣を連鎖させますが、敵もさる者。

 

 デュランの袈裟斬り、逆袈裟、そして斬り上げの三連撃をブルーザーは凌ぎきります。

 

 お返しとばかりに力強い上段からの振り下ろし。

 

 デュランはこれを身軽な横っ飛びで躱して一回転。

 

 縮めた身をバネのようにして跳ねれば、ブルーザーの横合いから強烈な突きを繰り出します。

 

 しかしブルーザーは身をよじり、デュランの突きを完全鎧の表面で滑らせていなしてしまいました!

 

「おっと、あぶないあぶない!」

 

 そして突きの勢いを利用した反撃の斬り上げ!

 

 さしものデュランも、胸部から肩にかけてこの一撃を食らってしまいます。

 

 わっと周囲から歓声が上がりました。

 

「くっ!」

 

 デュランとブルーザーがすれ違い、位置を入れ替えて対峙し直します。

 

 機敏さで優るデュランですが、一撃を受けた痛手のせいでしょう。

 

 ブルーザー横薙ぎの剣が、先にデュランを捉えました。

 

 それをデュランは縦に構えた剣で受け止め、大きく後退!

 

「はっはー! こんなもんかデュラン!」

 

 観客の誰もがブルーザーがこのまま押し切るかと思い、ブルーザー自身も逸る気持ちで追うように踏み込みます。

 

 しかしデュランは冷静でした。

 

 ブルーザーの不用意な踏み込みに合わせて、完璧に間合いを捉えたステップを挟み、力強い一撃を大上段から振り下ろしたのです!

 

「ぐぅ!? なんて威力だ!」

 

 ブルーザーはその一撃を、剣を掲げてどうにか受け止めます。

 

 しかしデュランは止まりません。

 

「うおおお!」

 

 まずは袈裟斬り。

 

 これも防がれました。

 

 しかしデュランは、打った反動を利用して、逆方向にくるりと自転します。

 

 そして反動を乗せた渾身の逆袈裟斬りで、ブルーザーを弾き飛ばしてしまったではありませんか!

 

 これで決着がついてもおかしくなかった一撃でした。

 

 しかしブルーザーは、寸前で剣の軌道を読み取り、完全鎧の角度を精緻に調整して威力を減少させたのです!

 

 その防御の技術を見抜いた騎士たちは、ほうと声を上げました。

 

 しかしながら、会場の声援は攻勢に出たデュラン一色に染められました!

 

「このまま決めるぜ!」

 

「させるものかよ!」

 

 ブルーザーが負けじと繰り出した、痛烈な横一文字の剣!

 

 デュランはそれを、なんと飛び上がるような跳躍で躱してしまいました。

 

 しかも回避だけにとどまらず、中空で縦に一回転!

 

 全体重を込めた剣で、ブルーザーを真っ向から斬り下ろしました!

 

「こ、このままやられるかよぉ!」

 

 踏みとどまったブルーザーからの、袈裟懸けの反撃!

 

「ブルーザー! 手加減しないぜ!」

 

 しかしそれよりも早く。

 

 着地したデュランの、流星のような横一文字斬りがブルーザーに叩き込まれました!

 

 縦と横の一文字が掛け合わさった鮮やかな十文字斬りの威力は、完全鎧をも斬り裂いてブルーザーを大きく吹き飛ばしてしまいました!

 

「ぐ、ぐああ! ……こ、降参だ……降参する!!」

 

 これにはブルーザーも白旗を上げました。

 

 その瞬間、この日で最も大きな歓声が城中に響き渡りました。

 

「勝負あり! 優勝者、デュラン!」

 

 結着の言葉に、デュランは昂る気持ちのまま剣を掲げて勝ち名乗りを上げました!

 

 練兵場を一望できる高い位置から、リチャードがゆっくりと降りてきます。

 

「いい試合だった。ウデをあげたな、デュラン! おまえの父ロキもきっと喜んでいるぞ」

 

「はっ!」

 

 尊敬する王様の言葉に、デュランは高揚を隠せない声色でひざまずき、優勝の勲章を授与されたのです。

 

 胸に輝く勲章を見下ろして、デュランは今日ほど己を誇らしいと思ったことはありませんでした。

 

 デュランは草原の王国フォルセナの剣士でした。

 

 父親は英雄王リチャードの親友であり、『黄金の騎士』と称されるロキ。

 

 しかしロキはデュランが幼い頃、ドラゴン族を束ねる竜の帝王との戦いで行方不明となってしまいました。

 

 母親も病気で亡くしてからは、妹のウェンディとともに、伯母のステラに育てられてきました。

 

 父親の思い出はほとんどないものの、やはり血は争えず、デュランは剣術において若手の中では右に出る者がいないほどの腕に成長していました。

 

 ロキの功績を受け継ぎ、従騎士に取り立ててもらうこともできたデュランですが、それを良しとしませんでした。

 

 己は己の剣腕だけで栄誉を掴む。

 

 そんな志で、フォルセナの傭兵として英雄王のもとで仕事をこなしていました。

 

 剣術大会で優勝したその日の夜。

 

 デュランは城壁回廊の一角で見張りの仕事をしていました。

 

 昼の激闘のこと、さしものデュランにも疲労は色濃く、大きく伸びをしてあくびを零します。

 

「くあぁ……」

 

「はっはっはっ、昼間あれだけ闘ったんだ。今日くらいは休んでよかったんだぞ、デュラン」

 

「へっ、本当の戦争になったら昼間に戦って、夜警をするなんて当然なんだ。これくらい、どってことねぇさ」

 

 持ち場を同じくする騎士の言葉に、デュランは強がって笑います。

 

「おまえが味方だと心強いよ。すぐに交代が来るから、もうちょっとだけ我慢してくれ。オレは、ちょっくら、もう一回りしてくるよ」

 

 騎士がそう笑いかけ、巡回に行ってしまいました。

 

 独りになると、近くに燃える篝火の優しい熱と光が心地よく、デュランはついうとうとしてしまいます。

 

 まどろみの中で、デュランは幼い頃の光景を夢に見ました。

 

 それは父が旅立つ直前の思い出です。

 

 妹はまだ四つん這いをして、美しい母も生きていた頃。

 

 武装を整えていた凛々しい父へと幼いデュランが駆け寄ります。

 

「またどこかに行っちゃうの、ぱぱ?」

 

「ドラゴンを退治しに行ってくるよ。竜を束ねる、帝王さ……だが、問題はない。リチャード王子と私なら絶対に敗けない」

 

 幼いデュランは聞いているのかいないのか。

 

 父の周囲をぐるぐると元気に駆け回ります。

 

 その様子を優しく見守りながらロキが強い言葉で諭します。

 

「デュラン、おまえは私の息子だ……男として、頼みがある。妹のウェンディと母さんを守ってくれ」

 

「うん! ぼくもぱぱみたいにつよくなって、ままとウェンディをまもるんだ!」

 

 ロキは微笑み、優しくデュランの頭を撫でて出発していきました。

 

 デュランがロキを見た最後の姿は、その後姿でした。

 

 その数か月後、若き日の英雄王リチャードがお付きの騎士を伴いやってきました。

 

 その沈痛な面持ちをこっそり覗いていたデュランは、一目で分かりました。

 

 ──ああ、父は。

 

 ──父は、もう……帰ってこないのだ。

 

「……シモーヌすまない……ロキは竜帝との決戦で……竜帝と共に底知れぬ穴に落ちていってしまった。私を助けようとして、竜帝と刺し違えたのだ……」

 

 その報告を聞く、母の毅然とした姿は今でもよく覚えています。

 

 張り裂けそうな哀しみをたたえた目も。

 

 その哀しみを悟られぬよう、デュランの母シモーヌは窓の外へ視線を巡らせます。

 

 窓の外は、深々とした夜でした。

 

「一週間、ロキの捜索を続けたのだが……」

 

「……そうですか……こうなることも、覚悟していました……」

 

 シモーヌの声は、言葉とは裏腹にこらえた悲しみが滲んでいました。

 

「……きっとあの人も本望だったはずです……ロキは、最期まで、『黄金の騎士』であり続けたのですから……う、っ!」

 

 震える言葉の途中、母が苦し気に呻いて倒れ伏してしまいました!

 

「シモーヌ、だいじょうぶか! シモーヌ! しっかりしろ!」

 

 倒れたシモーヌは、リチャードの呼びかけにも昏睡状態に陥ってしまいました。

 

 容体が安定したのは、それから数日が経ってからでした。

 

 ベッドから起き上がれない母の代わりに、デュランは妹のウェンディをあやし、看病のために母の姉がやってきてくれました。

 

 母が今にも途切れそうなか細い声で、伯母と話をしていたのを、デュランは妹をあやしながら聞いていました。

 

「姉さん……ステラ姉さん……ごめんなさい……」

 

「……シモーヌ、なんで病気のことを黙っていたんだい!」

 

「ロキが……きっと心配してしまうから……あの人は……リチャード王子や、フォルセナの民のためならば『黄金の騎士』であり続けることができたけど……私たち家族にだけは……弱い部分を、見せてくれたから……足手まといに……なりたく……なかった……」

 

「バカ! バカだよ、あんたもロキも……」

 

「……姉さん……お願いがあるの……」

 

「……分かってる。デュランとウェンディのことは、安心しな。あたしが必ず、立派に育ててみせるから……」

 

「……良かった……ありがとう……」

 

「シモーヌ!」

 

 伯母の悲痛な叫びが、遠くなっていきます。

 

 代わりに、火の燃える音が近づいてきました。

 

 デュランの意識が、現実に引き戻されていきます。

 

「……うっ、……しまった、寝ちまっていた……」

 

 頭をひっかき、眠気を退けるように首を振ります。

 

 異常はないよな、と周囲に意識を巡らせようとしたその時です。

 

 どさり、どさりと何かの倒れる音が聞こえました。

 

 城壁の縁に駆けよれば、なんと城内で騎士たちが倒れているではありませんか!

 

「おい! どうした! しっかりしろ!」

 

 城壁から飛び降りて駆けよれば、なんとふたりの騎士がこと切れているではありませんか!

 

「誰か! おい、誰か来てくれ!」

 

 デュランの声に、騎士たちが集まってきます。

 

「どうした?」

 

「何があった!」

 

 騎士や傭兵が集まってくる中で、デュランはぞくりと悪寒を感じました。

 

 何者かに見られている。

 

 そう感じて振り返り、周囲を見渡したデュランの視界の隅に、赤い残影が走った……そんな気がしたのですが、誰もいません。

 

「おい、今あそこに……」

 

「なんだ? 何かあったのか?」

 

 しかし集まって来た誰も、何も認識できていないようです。

 

 そんなはずはない。

 

 デュランが赤い幻を追うように走り出しました。

 

「おい、デュラン!?」

 

 城は正門をくぐると、内郭に続く道が三つに分かれます。

 

 すなわち、左右と正面。

 

 集まり始めた騎士たちの声も聞かずに、デュランは左のルートを突き進んでいきました。

 

 そして城の外郭と内郭をつなぐ橋の上。

 

 デュランがたどり着いた時、まさに奥へ進もうとする男の後ろ姿がそこにいたのです。

 

「止まれ! 何者だ貴様!」

 

 ゆっくりと男が振り返りました。

 

 まるで炎のように赤いマントを羽織った美丈夫でした。

 

「ふっ、なかなかカンの良いヤツがいたものだ……」

 

「曲者!」

 

 デュランが電光石火の踏み込みで、赤いマントの男に斬りかかります。

 

 しかしなんということでしょう!

 

 デュランの剣は赤い残影を虚しく斬り裂くに終わりました。

 

 魔法による移動!

 

 微動だにしないまま、まるで剣をすり抜けるような幻と化すがごときウデの冴えです!

 

「なんだこの魔法!?」

 

 ぎょっとして周囲を見渡せば、男は遥か後方にたたずんでいます。

 

「この……!」

 

 二度、三度と剣を振り回しますが結果は同じ。

 

 デュランの剣は赤い残影を霧散させるだけに終わり、男を捉えられません!

 

「オレの剣が……通じない…!? 」

 

「フッ、よほど自分の剣に自信があったようだな……ああ、なるほど、分かったぞ。おまえが今日の剣術大会で優勝したという男か」

 

「そうだ! オレの剣はもうフォルセナで一番なんだ……そのはずなのに……!」

 

 わななくデュランの様子を見て、男から嘲笑が漏れ出しました。

 

「……フフフフ……ハハハハ!」

 

「何がおかしい!」

 

「そんなくだらない誇り、笑わずにはいられるか。少しは身の程というものを思い知るがいい……!」

 

「黙れっ!」

 

 激昂したデュランがひときわ迅速な刺突を繰り出します。

 

 しかも一撃では終わりません。

 

 残影の全てに、刃を突き立てようと一気呵成の機敏な剣!

 

 しかしそんなデュラン渾身の技量をもってしても、赤き魔法使いにはかすりもしません。

 

 橋の末端まで移ろった男は、ひときわ見下した口調でこう言いました。

 

「ハッハッハ! てんで子供じゃないか! こんなヤツを雇っているとは、英雄王リチャードも耄碌したようだ!」

 

「貴様!! 国王陛下を侮辱するか!!」

 

 デュランの怒りが最高潮に達したその時です。

 

 男の右手に燃え盛る炎が生まれました。

 

「ファイアボールか!」

 

 デュランは激怒に身を焦がしながらも、冷静に魔法の正体を見極めます。

 

 炎の球を生み出し、敵に叩きつけるシンプルが故に強力な魔法。

 

 しかしまだ距離のある状況、並みのファイアボールならば十分に見切れる自信がありました。

 

 突撃をしながらファイアボールを真っ向から斬り落とし、返す刃で仕留める!

 

 それがデュランの思い描いた絵図でした。

 

 しかし。

 

「ぐおおおっ!?」

 

 そのファイアボールは、違いました。

 

 速度、威力。

 

 共にこれまで見たものとは桁違いだったのです!

 

 直撃寸前、どうにか剣で受け止めるたというのに、着弾と共に炸裂して衝撃がデュランに大きなダメージを与えます!

 

 突撃した以上の距離を吹き飛ばされ、無様に這いつくばる結果となってしまったのです!

 

「ぐ、う! 負ける、かっ!」

 

 額を打った流血も拭わずに、痛めた肩を抑えながら片膝立ちとなって男を睨みつけたデュランが、瞠目しました。

 

 視界いっぱいに映ったのは、赤い男ではなく氷弾の嵐……!

 

「バカな速すぎ……があああ!」

 

 傭兵仲間たちに殴りつけられるよりも強烈なダメージが、寒冷をともないデュランを何度も襲います!

 

 威力も甚大ですが、それ以上に恐るべきはそのスピード!

 

 ファイアボールから間髪入れずにアイススマッシュを繰り出す手練たるや、達人の技と言えるものでした。

 

 しかもこれだけですら終わらないのです。

 

 仰向けにダウンしたデュランが、朦朧とする意識の中で、男が既に真空の刃の準備を完了しているのを認めたのです。

 

「……これでトドメといこう。なかなか楽しませてもらったぞ」

 

 エアブラスト……あの一撃が降り注げば確実な死が訪れる。

 

 そう確信した瞬間でした。

 

「侵入者だ! 城内に侵入者ががいるぞ! 見つけ出せ!!」

 

 大きな声と共に、多数の騎士たちが近づいてくる音が届きます。

 

 赤い男は、不敵に笑って風の魔法を解除しました。

 

「……ククク、命拾いしたな……威力偵察はここまでだ。もっとも、わざわざ私が出向いた甲斐があったかどうか。おまえのようなザコばかりなら、フォルセナの占領も容易らしいからな……」

 

 そう言い残して、赤い残影と化す転移魔法で男は消えてしまいました。

 

「……クソッ! ま……待ちやが……れ……」

 

 後に残されたデュランは、立ち上がることもできず、屈辱と敗北感で臓腑が焼け焦げる思いのまま、気絶してしまいました…

 

 次の日、城内は騒然となりました。

 

 謁見の間ではひっきりなしに騎士が行き来し、リチャードへ次々と報告を上げにやってきます。

 

 その誰もが、怒りに燃えていました。

 

「昨夜の被害での死傷者は十二名。生き残ったのは重傷者のデュラン一人……」

 

「デュランの話では、赤いマントをつけた魔術師だと言う。おそらくは現在アルテナで破格の出世をしている、『紅蓮の魔導師』で間違いないだろう」

 

「では、敵はアルテナというわけか……不届き千万! これは由々しき事態だぞ!」

 

「許せん! 向こうが全面的に攻めてくる前に、こちらから打って出るべきだ!」

 

「……まぁ、待つがよい」

 

 それまで額を抑えて瞑目し、物思いにふけっていたリチャードが静かに言葉を発します。

 

「まだ軍を動かすのに決定的な証拠を提示できるわけではない。それに、何故アルテナがこんな偵察をしてきたのか。目的も明らかにせねばなるまい……」

 

「はっ」

 

「昨夜、潜入に気づいたのはデュラン一人。しかも、あのデュランすら軽くあしらわれたのだ。今はヘタに動くべきではないだろう。まず城内の警備の再編成だ。それと、こちらからもスパイを送り込んでアルテナに探りを入れてくれ。スパイが最優先だ。ぐずぐずしていると外国から来る者を封鎖されるだろう」

 

「御意に!」

 

 先ほどまで怒り心頭だった騎士たちも、英雄王の指示に冷静さを取り戻します。

 

 騎士たちが各々の所轄へ戻っていく中で、リチャードが側近のひとりに尋ねます。

 

「デュランの様子はどうだ?」

 

「はっ、まだ治療中です。もう歩けるほどには回復したのですが、その……敗北がそうとう堪えたようで、ずっと酒場で自棄になっているとか」

 

「そうか……あやつのことだ、相手が悪かったと言っても聞きはすまい……少し、そっとしておいてやれ」

 

 リチャードはデュランが己を責める様子がありありと想像できました。

 

 少し時間はかかるかもしれない。

 

 しかしそこからきっと立ち直るはずだ。

 

 親友の子を、リチャードは信頼していました。

 

 それよりもリチャードの心に深い影を落とすのは……

 

「……ヴァルダ……何故だヴァルダ……」

 

 リチャードは再び物思いに沈みます。

 

 王城がいつまでも落ち着かない一方で、デュランはフォルセナの酒場に入り浸る日々を過ごしていました。

 

 怪我も治り切らぬまま、紅蓮の魔導師に喫した苦い敗北を、酒で飲み下そうとする毎日。

 

 それでもあの灼熱の敗北感と屈辱は消化できませんでした。

 

 いくら酔おうとしても、あの夜に見た紅蓮の魔導師の嘲笑が頭にこびりついて離れないのです。

 

「……クソ……クソぉ……」

 

 震える拳がテーブルを叩きました。

 

 他の客も、もう見慣れた光景です。

 

 それでも全滅した夜警唯一の生き残りということで、腫れもの扱いで放置されていたのです。

 

「お兄ちゃん! まだ寝てなきゃだめよ! 怪我が治りきってないでしょ!」

 

 そんなデュランを叱りつける声が飛んできました。

 

 デュランの妹ウェンディが、腰に手を当てて怒っていました。

 

 アルコールで朦朧としたデュランは、ウェンディを一瞥しただけで再び無念の海に沈んでいきます。

 

「……チクショウ……紅蓮の魔導師……オレの剣は……オレの、力は……」

 

「しっかりしてよ! お兄ちゃん!」

 

 ウェンディがデュランの腕を掴んで必死に訴えかけてきます。

 

 その手のぬくもりに、デュランの酔いが醒めていきます。

 

 しかしそうなるといっそうきまりが悪くなり、デュランは突っ伏すようにウェンディを無視してしまいました。

 

「……」

 

「よわむし! そんなお兄ちゃんなんて、お兄ちゃんじゃない!」

 

 うなだれてとぼとぼと酒場を出て行くウェンディの背を、引き留めようとデュランが立ち上がります。

 

 しかし追うことができず、デュランはやるせない気持ちで見送るしかできませんでした。

 

 もう飲みなおす気にもなれず、デュランは酒場を後にします。

 

「よわむし……か」

 

 泣き出してしまいそうなウェンディの声がデュランの耳に蘇ります。

 

 頭の中にこびりついていた紅蓮の魔導師の嘲笑が、ほんの少し遠ざかりました。

 

「……少し歩くか……頭、冷やさなきゃ……」

 

 夜のフォルセナは静かでした。

 

 城内が侵入者に荒らされた噂は既に広まっており、誰もが不安そうにしています。

 

 ──占い婆さんの言ってた通りだったな……これからのことも聞きに行ってみるか。

 

 ──フォルセナ城が攻められるなんて……不安で仕方がないわ。占い婆さんに相談しようかしら……

 

 町を歩いていると、占い婆さんとやらが人々の口の端によく上るようでした。

 

「へっ、占いなんて……」

 

 デュランは悪態をつきますが、どうにも気になってしまいます。

 

 デュランとて、ただ敗北しただけならば奮起していました。

 

 しかし紅蓮の魔導師と己の強さの距離が、あまりに隔絶している絶望から抜け出せず、酒におぼれてしまったのです。

 

 これから何年、何十年を修行に費やせば紅蓮の魔導師に届くでしょう。

 

 あるいは百年も修行しなければならない。

 

 もしかしたら、届かないかもしれない。

 

 そう直感してしまうほどの差。

 

 デュランは己の剣と、その行く先に自信を持てなくなっていたのです。

 

 もしかしたら見失った剣の道に、道しるべを示してくれるのではないか。

 

 わらにも縋るような思いで、デュランは占い師の店の扉を開いていました。

 

 店の中は、洒脱な赤いカーテンがたっぷりと垂れ下がり、異国情緒のある趣でした。

 

 豪奢な絨毯と重厚な黒塗りのテーブルの向こう、魔術書とろうそくに囲まれた老婆が水晶玉を前にして座っていました。

 

「ようこそ、占いの館へ……おお、おお。ずいぶんとしけたツラをしておるのう、若いの」

 

「なんだと?」

 

 開口一番、老婆の口ぶりにデュランはむっとしました。

 

「……人の運命は、99パーセントまで、あらかじめ決まっておる……」

 

 デュランの怒りに気づいているのかいないのか。

 

 老婆は訥々と語り始めました。

 

「じゃが、残り1パーセントに、未来があり、夢がある……人はその1パーセントをこう呼ぶ。『希望』と……」

 

 しわくちゃで開いているかも分からない老婆の目が、デュランには光ったように見えました。

 

 そして何もかも見透かされたような気になり、ぎくりとします。

 

「ひどい悩みごとがあるようじゃのう。どれ、ワシが占ってしんぜよう。なぁに、ワシにかかればどんな悩みも解決じゃ」

 

 老婆が水晶玉に手をかざし、何やらごにょごにょとつぶやき始めました。

 

「うるせえ! オレは占いなんか信じねえ! 力だ! 信じられるのは、力だけなんだ! やい、ババア! どうすりゃオレは強くなれるんだ!?」

 

 これ以上、老婆が何かを続ければ、本当に自分の心が暴かれるかもしれない。

 

 そう感じてしまったデュランは、残っている酔いの勢いもあり、テーブルを踏んで老婆の胸倉につかみかかりました。

 

「何をするんだい、この無礼者! そんなに強くなりたきゃ、クラスチェンジをするんだね!」

 

「……クラス……チェンジ……?」

 

 デュランはその言葉を、虚を突かれたように繰り返します。

 

 知らない言葉でした。

 

 しかし、何かデュランを引き付ける力があり、呆然としてしまった一瞬。

 

 老婆が思いのほか機敏にデュランの手を掴み返し、逆にテーブルの向こうへ投げてしまいました。

 

「ふん、なんだい見かけばかりのヒヨっこかい! あんたみたいなヒヨっこは、『ひよこ戦士』にでも、クラスチェンジするんだね! さぁ、とっとと、出てっておくれ!」

 

「ま、待ってくれ……! クラスチェンジ……どうすればいいんだ!」

 

「そんなに知りたきゃ、光の司祭に聞くんだね! 聖都ウェンデルに行きな!」

 

 老婆がしっしと手で追い払う仕草をします。

 

「クラスチェンジ……クラスチェンジか……!」

 

 店から出たデュランに、フォルセナの夜風が心地よく吹いてきます。

 

 いよいよ酔いが醒めてきたデュランの胸にはまるで新しい光が差し込む気持ちでした。

 

「やってやる……紅蓮の魔導師に勝つためなら、なんだってやってやるさ……よし、いっちょ聖都ウェンデルまで行ってみるか……!」

 

 そうと決まれば善は急げ。

 

 デュランはやけ酒で沈んでいた時とは打って変わって、活き活きと駆けだしました。

 

 まずは自宅で旅支度を整えなければなりません。

 

 もはや夜明けが近い時刻。

 

 伯母のステラとウェンディを起こさないように、そろそろと扉を開けます。

 

 そして音をたてぬよう二階の自室へと戻ってくれば、旅に必要なものをバックパックに詰め込んでいきます。

 

「……オレは、あの紅蓮の魔導師を許さない。必ず倒す……それまでは、ここには帰れない……」

 

 荷を詰める手が、止まります。

 

 本当に、それができるのだろうか。

 

 クラスチェンジとやらを、本当にできるのか。

 

 自分は無事にそこに至れるのか。

 

 無為に命を散らす結果になるまいか。

 

 デュランの決意は、あまりに薄氷の上に固められたものです。

 

「……帰らない……」

 

 しかし、それを押し殺し、デュランは旅支度を続けます。

 

 デュランには己を、この国を、尊敬する王を、侮辱したあの男を見ぬふりして生きるなんてできませんでした。

 

 あの夜、デュランは誇りを殺されたのです。

 

 部屋には剣術大会の優勝を証す勲章を飾っていました。

 

 あれほど輝かしかった勲章も、今では色あせてすら見えてしまうのです。

 

 それは勲章ではなく、デュランの心が色を失っていることを意味しました。

 

 あの輝きを取り戻すために、旅立つのです。

 

 やがて必要なものを取りそろえたデュランはそっと階段を下りていきます。

 

 もうそろそろ夜が明ける頃。

 

 奥ではステラとウェンディが眠っているはずです。

 

 その顔を見ずに出て行くつもりでした。

 

 しかし扉に手を掛けたデュランは思い直し、ほんの少しだけ、ふたりの寝顔をそっと覗き込みます。

 

 ステラの顔は体の向きで見えませんでしたが、ウェンディはとても安らかに眠っていました。

 

 もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれない。

 

「……ふたりとも……勝手に旅に出て……ごめん……」

 

 その感傷を飲み込んで、デュランはふたりが眠る姿から背を向けました。

 

 家を出ると、日が地平線から顔を覗かせ始めていました。

 

 風そよぐフォルセナに、朝がやってきます。

 

 まばゆい光に目を細めながら、旅程に思いを巡らせていると、背後から声がかかります。

 

「ちょっと待ちな、デュラン!」

 

 デュランが振り返ると、そこにはブロンズソードを手にしたステラが立っていました。

 

「ステラおばさん……!?」

 

 ステラは微笑みながらその剣をデュランに差し出します。

 

「こっちの剣ととりかえて行きな!」

 

「これは!?」

 

 デュランはその剣を両手で受け取り、鞘から半身だけ刃を抜きます。

 

 古い剣ですが、よく手入れされたブロンズソードでした。

 

「ロキが……あんたの父さんが若いころに使っていた剣さ。ロキもこの剣で、あんたと同じように剣術大会に優勝したんだよ。決勝で英雄王を破ってね……」

 

「!」

 

「行ってきな、デュラン。ウェンディにはあたしから伝えておくよ。だから後のことは、心配しなさんな。王様にも、あいさつしていきなよ。お待ちになっておられるからね」

 

「国王陛下が!?」

 

「昨日お見えになってね。ロキの息子なら、きっと旅立とうとするはずだってさ。流石だねぇ……もっとも、あたしも伊達にあんたたちの母親代わりをしてたわけじゃない。こうなるとは思ってたよ……」

 

 デュランの胸に熱いものがこみ上げてきました。

 

 こんなにも自分を見守ってくれている者たちがいて、己を尊重してくれている。

 

 背にした剣を、父のものと入れ替えながら、ぐっとデュランは顔を上げました。

 

「……おばさん、ありがとう。きっと戻ってくるよ……」

 

 もう先ほどまで、帰らぬ旅になるかもしれないという不安はありませんでした。

 

 帰ってこなければならない。

 

 みんなの心に応えるためにも。

 

 デュランは力強く、城へと歩みを進め始めました。

 

 その背に激励をするように、ステラは手を振り続けました。

 

 城はまだ慌ただしい状況にも関わらず、デュランはすんなりと謁見の間に通されました。

 

 どうやらデュランの行動に、前もって通達がされていたようです。

 

 謁見の間で、デュランは玉座の英雄王リチャードにひざまずきます。

 

「行くのだな、デュランよ」

 

「……国王陛下! 私の剣では力が及ばず、むざむざと敵を逃してしまい、まことに申し訳ありません」

 

 デュランの激情の瞳を、リチャードは厳しくも優しいまなざしで見守ります。

 

「……私は、あの紅蓮の魔導師を許すことができません。私の敗北だけではなく、この国を、国王陛下を侮辱した……あの魔導師を! あの魔導師に打ち勝つまでは、フォルセナには戻らない。その覚悟でございます」

 

「おまえの気持ちはよく分かった……気をつけていくのだぞ、デュランよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 堂々たる足取りで、デュランは謁見の間を後にしました。

 

「ふふふ、いい目になりおった。プライドの高さが心配だったが……ロキの生き写しだのう……」

 

 その後姿を眺めながら、リチャードはひげをしごきながら微笑みます。

 

 デュランの目指す聖都ウェンデルは、世界最大の大陸であるファ・ザード大陸の中心に位置する都市でした。

 

 対するフォルセナは大陸の西方。

 

 北はミスト山脈に守られ、南には広大なモールベア高原を有する国です。

 

 まずデュランはモールベア高原を南下し、大地の裂け目と呼ばれる巨大な峡谷を目指します。

 

 大地の裂け目にかかる巨大なつり橋を渡れば、黄金の街道と呼ばれる世界有数の交通路に出て、自由都市マイヤに接続することができるのです。

 

 マイヤからは船で要塞都市ジャドへ向け、東に進路を取ります。

 

 最後にジャドを南下すれば、聖都ウェンデルに辿り着く。

 

 これがデュランの旅程でした。

 

 モールベア高原はモールベアと呼ばれる、トゲの生えた巨大なモグラの魔物が群生する地帯でした。

 

 突然地中から飛び出して来ては旅人を襲う厄介なモンスターです。

 

 もちろんデュランの腕ならばモールベアの一匹や二匹、問題にはなりません。

 

 何度かの野営を経て、デュランはまるで神が大陸を斬り裂いた痕にすら見える巨大な峡谷へと辿り着きます。

 

 そこは、断崖でした。

 

 覗き込めども底が見えぬ深い闇。

 

 かかっているつり橋はデュランが五人並んでも楽に通れるほど広く大きく、頑丈な造りでした。

 

 その証拠に、谷に吹きすさぶ風は強いものですが、つり橋はびくともしません。

 

 デュランは力強い歩みでつり橋を渡り切り、ふと歩みを止めました。

 

 大地の裂け目を通り過ぎたということは、フォルセナの領土から外に出たということ。

 

 デュランは己が育った世界から、初めて飛び出したのです。

 

 デュランは一度だけ、フォルセナの方角を振り返りました。

 

「……紅蓮の魔導師め! オレは……誰よりも強くなってやる……そして……おまえに必ず勝つ!」

 

 誓いの言葉は、吹きすさぶ風に溶けて消えてゆきますが、デュランの胸にしっかりと刻み込まれました。

 

 もう、振り返りません。

 

 デュランは駆けだしていきました、果てしない旅路へと。

 

 紅蓮の魔導師に敗れ、自信を失いかけたデュランでしたが、いつの日にかあの魔導師に打ち勝つため、聖都ウェンデルへと旅立ちました。

 

 しかし、この時デュランは、世界の命運をかけた戦いにやがて自分が巻き込まれていくことなど、知る由もありませんでした……

 

 物語は、まだ始まったばかりなのです……

 

 

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