シャルットは陽だまりの花畑を歩いていました。
ぽかぽかと、とっても気持ちのよい日差し。
柔らかな風にそよぐ花も、シャルロットに微笑みかけてくれているようでした。
シャルロットもなんだか嬉しくなって、座り込んで青い花を覗き込みます。
シャルロットはとても安らかな気持ちでした。
陽気、花の香り。
それらも心地よいものですが、なによりも。
少し離れた場所で己を愛おしそうに眺めてくれている男女の存在が、シャルロットをとても安心させてくれるのです。
美しい母と、凛々しい父。
母に抱きしめられたい。
父に頭を撫でてもらいたい。
シャルロットは無性に甘えたい気持ちになって、ふたりへ駆け出しました。
母はかがんで、シャルロットを抱きとめようとしてくれました。
でも。
たくさん走っても。
いくら進んでも。
ふたりに近づけない。
遠ざかっていくではありませんか。
「ぱぱー! ままー!! まって! どうしてまってくれないの!?」
泣き出してしまいそうになりながら、シャルロットが手を伸ばして追いかけます。
必死で走るうち、転んでしまった拍子にふたりが消えていなくなってしまいました。
「ねぇ! いかなで! シャルロットを、おいてかないでーーー!」
独り花畑に取り残されたシャルロットは、これ以上ない悲しみに包まれました。
「……ぱぱ……まま……」
悲しみで押しつぶされそうになりながら、シャルロットは自らの体が浮かび上がるような感覚に襲われます。
現実に引き戻される感覚。
気づけばシャルロットは、ベッドで目覚めました。
「……ゆめ……か……」
シャルロットは、さっきまで確かに存在していた幸福感が、幻だった喪失感を覚えながらのそのそと起き出します。
そして涙で塗れていた目元をぐしぐしと拭うのです。
いつもの神殿の寝室。
世界最大の大陸であるファ・ザード大陸の中心、聖都ウェンデルに座す光の神殿の一室でした。
シャルロットは光の神殿を統括する光の司祭の孫として、ここで神官たちの手伝いをしながら生活をしていました。
両親はシャルロットが産まれてすぐに他界したと聞いています。
それ以来、父方の祖父である、光の司祭の元に身を寄せているのです。
祖父は優しいし、周囲の者たちも温和で真心を込めて接してくれます。
それでも。
両親がもういないという事実は、まだ大人になりきれていないシャルロットに強く付きまといました。
時折、夢に見るほどに。
シャルロットは母と父を想っていました。
でも起きがけにめそめそていいては、両親も自分を心配してしまう。
シャルロットはそう自分に言い聞かせて、神殿内を走りだしました。
しかし走り出したシャルロットが、勢いよく廊下の角を曲がった時、誰かとぶつかってしまいました。
「いたっ!」
「おっと。シャルロット! だいじょうぶかい!?」
そこにいたのは中性的とすら言える物腰柔らかな青年、ヒースでした。
いつもシャルロットに優しくしてくれる、憧れの高位神官なのです!
「ヒース! ごめんなさい! シャルロットのふちゅういでちた……シャルロットはぜんぜんへっちゃらでち!」
勢いよくぶつかりましたが、転倒まではしなかったシャルロットがはにかみながら頷きます。
「……あれ? シャルロット……?」
ヒースが膝を少し曲げて目線の高さをあわせてくれます。
優し気な青い瞳が心配そうにシャルロットを覗き込みます。
「泣いていたのかい?」
「……え、えへへ……ヒースはなんでもおみとおしでち。ちょびっとだけ、ぱぱとままのゆめをみてたでち……それで……」
強がって笑いながら言葉にすると、やっぱり胸の奥からふたりに会いたい気持ちが沸き上がってくるようで。
シャルロットはぐっと歯を食いしばりました。
そんないじらしい様子をヒースは少し悲し気に、しかし優しく見守ります。
「そうかい? どこかケガでもしたのかと思ってびっくりしたよ」
「シャルロットはへいきでち!」
シャルロットはむんっと力こぶをつくる仕草をしてみせます。
寂しさはまだ残っていました。
でも、ヒースに心配をされて、ヒースとおはなしをして。
ちょっとずつ、寂しさは紛れるような気分でした。
だから強がった笑いは、気づけば自然な笑顔になっていました。
「うん、いつもの元気なシャルロットだ」
ヒースが安心して頷く様子に、シャルロットは再び駆けだします。
「えへへ~!」
そうして満面の笑みで一度振り返って両手を振り回して。
神殿の奥へと走っていきました。
ヒースもその後姿を優しく見守り先に歩を進め……一度だけ、シャルロットを振り返ってその無事を確認して、微笑みました。
さて、ヒースは光の神殿の最奥、礼拝堂へとやってきました。
そこには穏やかな老人が、側近たちがしずしずと執務に精励していました。
彼こそが光の司祭。
その見識と徳により、世界中の人々が導きを求めてやまない、最高位の聖職者でした。
ヒースが執務机を挟んで、光の司祭に話しかけます。
「司祭様、少しお話があります。シャルロットのことで」
「おお、ヒース。シャルロットがどうかしたのかね?」
「……最近、あまり元気がないみたいです。まだ幼く見えますが、エルフの血をひく十五歳。マナの減少が心身に変調をきたしているのかもしれません」
「ううむ……そうじゃな……」
光の司祭は、眉間に深いシワを刻みます。
シャルロットの母であるシェーラはエルフでした。
木のマナの力を強く反映するエルフの血を継ぐシャルロットも、マナに対する鋭敏な感覚を持っているです。
光の司祭が、己の背後にあるマナの女神像を顧みます。
なんと、像は涙を流しているではありませんか!
「見たまえ、ヒース。マナの女神像が涙を流しておる。これは、凶兆であろう……そして、昨夜のアストリアの湖上に現れたという光……」
「ええ、夜中だというのに、まるで昼間のようなまばゆい光だったと聞いています。それも何か、マナの減少に関係していると?」
「はっきりと断定はできぬ。じゃが、最近のマナの変動と、何か関係があるハズじゃ。光は対岸のアストリアの村の方に消えた。すまぬが行って、調べて来てはくれぬか?」
アストリアは、ウェンデルの北に広がる湖のちょうど対岸になっている村でした。
滝の洞窟と呼ばれる、モンスターも生息する洞窟を通って行き来するのが主な連絡路でした。
「分かりました……この件と関係するか分かりませんが、ジャドの方から邪悪な気配も感じます。念のため、滝の洞窟に結界を張っておきましょう」
「分かった。そう通告を出しておこう。頼んだぞ、ヒースや」
厳しい顔でふたりが頷き合います。
そんなふたりの会話を、シャルロットは偶然にも耳にしていました。
光の司祭に今日のお仕事のことを聞きに来たのですが、先にヒースと会話していたのです。
なので邪魔にならないように、角に隠れる形で待っていたら、聞こえてきたというわけです。
シャルロットは急いで礼拝堂から踵を返して廊下に逃れます。
「……ひかり? なんだか……きけんなきがするでち! きっと、ヒースがピンチになるにちがいありまちぇん! あたちが、まもってあげなくちゃ!」
そして独り、そう決意するのです!
意気込みのままさっそく光の神殿から出て行くと、警備の神官たちに止められてしまいました。
「あ! シャルロットさん、ダメです。今日は神殿の中でおとなしくしていてください!」
「な、なんででちか!?」
「近頃、不穏な様子があちこちから報告されています。光の司祭様のご命令です!」
「はなすでち! ヒースをたすけにいくんでち!」
神官たちふたりに抑えられて、シャルロットは光の神殿に戻されてしまいました。
「ぶー! けちんぼしゃんたち! いーだ! もういいでち!」
シャルロットは精いっぱいの捨て台詞で、神殿の奥へと戻っていきました。
神官たちは困った顔を見合わせるばかりです。
「ふーんだ。いいもーん。おーい、ミックー! ミックいるでちー?」
シャルロットが訪れたのは神殿の一室。
「あ、シャルロットさん」
シャルロットよりも幼い男の子。
見習い神官のミックがいる部屋でした。
「ミックをおとことみこんでそうだんでち! シャルロットを、アストリアまでつれてってちょ!」
「ええ、アストリアまで!? む、むりですよ! ウェンデルとアストリアのとちゅうにある、タキのドークツにはモンスターがいっぱいいるから、おとなたちみたいに、たたかえないと……」
「んまっ! しつれいなガキんちょでちね! こーみえても、シャルロットは、あんたみたいな、ほんとのガキんちょとちがって、はなもはじらうじゅうごさい!」
全身で拒否を示すミックに、シャルロットが腰に手をあてぷりぷり怒ります。
「……ただ、ちょこっとだけ、せーちょーがふつーのひとより、おそいだけでち! としうえのおねーたまのゆーことが、きけないんでちか!? おしおきするでちよ!」
シャルロットのかわいらしい剣幕も、まだ十歳に満たないミックには恐ろしい迫力でした。
「わ、わかりました! わかりましたよ! ……う~ん、それじゃあ、こんや、にかいのテラスにきてください。おもいついたことがあるんです」
「こんや? よるでちか?」
「はい。ぼくだってしごとやじゅんびがあるんですから!」
それもそうでち。
シャルロットはミックから協力を取り付けて、ひとまず収まりました。
「じゃあ、よるにテラスで。やっぱりだめでち~! なんてなしでちからね!」
そう凄まれて、ミックは慌ただしくの部屋を出て行きました。
それを見送ったシャルロットは、夜までベッドでお昼寝をしよう。
そう考えながら神殿を歩いていました。
「おお、シャルロット。こんなところにいたのかい」
すると、礼拝堂から出てくる光の司祭と行き会います。
「おじいちゃん!」
「ちょうどいい。シャルロットや、少しわしの仕事の手伝いをしてくれぬか?」
「うん、おてつだいするでち!」
元気のよいシャルロットの返事に、光の司祭もにっこりと微笑みます。
光の司祭とシャルロットがやってきたのは、礼拝堂近くの一室でした。
礼拝堂に劣らぬ厳かな雰囲気の漂う部屋で、ちょうど神官たちが洗礼盤になみなみと水を注いでいるところでした。
「司祭様、水の準備もできました」
「うむ」
洗礼盤の近くのテーブルには空の小瓶がたくさん並んでいます。
「シャルロット、このおしごと、すきでち!」
「そうかい? わしもシャルロットと聖水の小瓶を作る時、心が安らぐんじゃよ」
そうしてふたりして、にっこりと微笑んで作業に没頭しました。
光の司祭が厳かに天使の聖杯で水を掬い上げ、祈りをささげ、洗礼する。
こうして滝の洞窟から汲んできた水を聖水と成して、小瓶に小分けしていくのです。
光の司祭がマナの女神に祈りをささげる時、シャルロットも一緒にお祈りをします。
この聖水のこびんを手にした人に、どうかマナ加護がありますように。
そうして聖杯を受け取ったシャルロットが、小瓶に決まった量の聖水を注ぎます。
零さないようにしっかり集中。
その間にも光の司祭が次の聖杯で水を掬い上げて、祈り、洗礼していきます。
シャルロットが聖水を注ぎ終えて、まだ光の司祭が祈り、洗礼している途中ならば自分もお祈りをする。
そうしてたくさんの聖水の小瓶を作り、儀式に使ったり、求めに応じて譲るのです。
「いつもおもうんでちが、どーしてこんなにたくさんつくっても、あっというまになくなっちゃうんでちかねえ」
せっせと聖水を注ぐ途中、シャルロットが疑問を口にします。
面倒がったり、不満さはなく、純粋な疑問のニュアンスです。
「聖都ウェンデルに、それだけたくさんの人が訪れるということじゃよ。道に迷った者、道から外れてしまった者、道を見失ってしまった者……かくも多いことじゃ……しかし、そんな人たちとて、マナの女神様は余さずに見守ってくださっておる。当人たちだけが、それすら分からなくなり、自分は独りだと錯覚してしまう……誰かに助けてもらうこともできなくなる……」
光の司祭が聖水の小瓶を手に取り、悲しみや憐れみを越えた、優しい眼差しをしました。
「この聖水は、滝の洞窟で取って来たものじゃ。マナが豊富に含まれて、飲んでも身につけていても、少なからぬ霊験がある。じゃがな、シャルロットや。それ以上に、マナとは女神様のもたらしてくれた大いなる力……そのマナに触れているということは、既に女神様の一端に触れているということ……」
シャルロットが熱心に話に聞き入ります。
「そして水を汲んでくれた神官たち……この小瓶を造ってくれる職人たち……こうして聖水を注いでくれるシャルロット。たくさんの人の手を渡り、最後にこの小瓶を求める者の手に渡る……それは、誰もが誰かの手を借りて、支え合って生きているという証左にほかならぬのじゃ……そう自覚して、たくさんの人と手を取り合い、健やかにこの世界を生きていけるよう……マナの女神様の加護がありますように……」
光の司祭が、聖水の小瓶を握り、祈りの言葉を零します。
「……そんな祈りを込めて、わしからも、ウェンデルにやってきた者を少しだけ支える手になるために……こうして聖水に洗礼して祈りをささげておる……きっと、おまえの祈りも……やってきた者たちの支えになるはずじゃ……」
「うん!」
嫌な顔ひとつしないシャルロットに、光の司祭はしみじみとした気持ちになります。
「おまえの父、リロイはこの仕事が好きではなくてのう。もっぱら剣の稽古をしたがっておったものじゃ」
そしてぽつり、ぽつりと光の司祭が昔を懐かしむようなことを言いました。
「ぱぱ?」
「そうじゃよ。リロイがおまえくらいの年の頃、よく逃げ出されて、叱りつけたものじゃ……しかし剣士としての修行は真面目に積んで、ナイトの称号を得るに至った」
「ぱぱはままの、ナイトしゃんだったんでちか」
「ふふふ、お似合いのふたりじゃったよ」
シャルロットの父は、シャルロットの母と駆け落ちして去って行ったと聞いています。
そして母の故郷で亡くなってしまったとも。
死に目にすら会えなかった光の司祭から、強い後悔が滲んでいるのをシャルロットは察しました。
「もう少し、リロイに自由を許してやればよかったと思っておる……しかしそれもかなわぬ今、シャルロット……ふたりの大切な子供であるおまえを……わしは大事に育てたいと思っておる。シャルロットや、おまえにマナの加護があらんことを、祈るばかりじゃ……」
「おじいちゃんは、シャルロットがじゆーなほうがいーい?」
シャルロットの問いに、光の司祭はたいそう難しい顔をします。
「そうじゃな。シャルロットが自由であればいいと思っておるよ。じゃが……今のおまえはまだ幼くか弱い。真に自由を得られるためにも……おまえはまずは自らの責務をきちんとまっとうできる成長をするよう、修行に励みなさい……」
「シャルロットは、まだ……そとにでちゃだめでち? シャルロットはヒースをおてつだい……したいでち……」
上目遣いに尋ねてくるシャルロットに、光の司祭は驚いたような顔をします。
「おまえ、わしらの話を聞いておったのじゃな? シャルロットや、おまえにはまだ早い……気持ちは分かるとも。ヒースの力になってやりたいのじゃな……しかし……しかし……」
おまえでは足手まといになってしまう。
そんな言葉を柔らかく言い換えようと、光の司祭が口ごもったのを見て、シャルロットは溜息をつきました。
「どうしてもだめでち……?」
「どうしてもじゃ……シャルロットや、お願いじゃから、よいこにして本でも読んでいておくれ……」
「わかったでち……シャルロットはいいこにしてるでち……」
「……だいじょうぶじゃ、シャルロット。ヒースを信じてやりなさい……あやつはとても優秀な神官じゃ。いつか、光の司祭を継いでもらいたいとすら思っておる……おまえが憧れるヒースは、きっと仕事をきちんとやり遂げる男じゃ」
シャルロットは力なく頷きました。
こうして、聖水の小瓶づくりを終えてから、シャルロットは落胆した様子でベッドへ向かったのです。
そしてシェイドの刻。
「なーーーんて、じっとしていられないでち!!」
お昼寝から跳び起きて、シャルロットは漲るやる気のままテラスへと走り出しました!
「シャルロットはこれまできちんとしゅぎょーをしてきたんでち! ぜったい、ぜーーーったいヒースをたすけるんでち! おじいちゃんは、シャルロットがじゆーなほうがいいっていったもん! それに……」
──ぱぱもきっとこういうとき、こうしてはしりだしたひとだったんだ。
シャルロットにはそんな確信がありました。
光の司祭を出し抜くような真似に、罪悪感がないわけではありませんでした。
それでも、シャルロットは胸に溢れるヒースを助けたい情熱に駆られるのです。
そして。
父もきっとこんな情熱を持っていたのだと思うと、なんだか勇気と嬉しさがこみあげてくるのです。
神官たちと出くわさないように、慎重にテラスへとやってくると、隅っこの方にミックが準備をしていました。
「シャルロットさん! こっちこっち!」
手招きするミックに近づいていくと、ごそごそと奇妙なものを設置します。
「ちょっとまってくださいね……コレをだれにもみつからないように、よーいするのは、たいへんだったんスから……よいしょっと!」
見れば、黄色くてぷにぷにとした感じの不思議な物体です。
「ジャーン! コレは、『バネクジャコ』といってですねえ、ちょースゲージャンプができるんですよー!! どこで、てにいれたかは、ナ・イ・ショ!」
「なんでちか、コレ? こんなもんで、どーしよーってんでちか?」
「これにおもいっきりとびのって、おもいっきりジャンプするんです! これならおとなたちにみつからずに、アストリアまであっというまにいけるハズです。さあ、いそいで! みつかったらぜったいにおこられちゃいますからね!」
シャルロットがごくりと喉を鳴らします。
これでジャンプをして、湖をひとっとびする。
途方もない気もしますが、しかし他に手はありません。
ミックが指さす方位を確認して、シャルロットは意を決しました!
「そーれ!」
バネクジャコに飛び乗って、たっぷりとしゃがみ込みます。
「やーーー!」
そして、バネクジャコの弾力にあわせて、思いっきりジャンプ!
シャルロットはかつてない反発力に押し返されて、星々がきらめく夜空へとぶっ飛んでいきました!
「……あ! こりゃだめだ……あ、あーあ! おれしーらないっ!」
とてつもない重力加速度と、轟々と鳴る風の向こうで、はたしてミックのそんな言葉がシャルロットに届いたか……
空中で姿勢制御もままならないシャルロットは、小さな体をぐるんぐるんと回転しながら放物線を描きます。
回転する視界で、どうにか湖を越えることを確認できましたが、アストリアに向かっているかまでは判別がつきません。
海の巨大な大渦に巻き込まれた木の葉のように、シャルロットはなすすべなく成り行きに身を任せるしかできませんでした。
ひゅーーーーー…
「うん?」
落下地点はアストリア方面からの、滝の洞窟の入り口付近のことでした。
奇しくも、そこにはウェンデルへ向かおうとしている筋骨隆々の少年が立ち往生していました。
彼こそケヴィン!
月夜の森から旅立ち、ウェンデルにもう少しという距離までやってきていたのです。
ケヴィンの聴覚が、聞いた覚えのない風切り音を奏でるのを捉えて空を見上げます。
そこには、高速と回転しながら落っこちてくる女の子が!
そう、すさまじいジャンプで湖を飛び越えたシャルロットです!
「あ、危ない!?」
とっさに身構えたケヴィンは、落下してくるシャルロットを受け止めます。
しかしその威力のすさまじいこと!
ふたりはもつれ合うように地面に転がり、途中で離れて別々に岩壁とぶつかってしまいました!
「あいたたた……」
とはいえ、ケヴィンの強靭な肉体と柔軟な筋肉が落下の衝撃はほとんど殺してしまい、どちらも大きな怪我はありません。
まずはケヴィンが立ち上がりました。
「ウウ……、何だ、何だ! お、女の子!?」
そうして周囲を見渡すと、ぐったりと倒れているシャルロットに驚きます。
「ウウ、どどど、どうしよう……」
そのまま放っておくわけにもいかず、ケヴィンは伸びてしまっているシャルロットを背負って、近くの村まで運ぶことにしました。
そこは湖畔の村アストリア。
宿でベッドをひとつ借りたケヴィンは、シャルロットを寝かせて、一息つきます。
そこまで時間を経ず、シャルロットがもぞもぞと起き上がってきました。
すぐとなりにいたケヴィンが、ほっとした様子でシャルロットに話しかけます。
「あ、お、おきた……? そ、その……ここ、アストリア、宿屋。平気か……? きみ、空から落っこちてきて、つれてきた……」
「……う、う、ごめんちゃい。ごめいわくをおかけしちゃったでち……みっくのやつしっぱいしたでちね! うぎぎ~かえったらおしおきでち!」
ベッドの上でぷりぷりと怒るシャルロットに、ケヴィンが目をしばたかせます。
どうやらミックという人物のせいでこうなったようです。
「オ、オイラ、もう行くね。もう、夜おそい。キミは、寝ていくといい……」
とはいえ、ケヴィンも先を急ぐ道中です。
それだけ言い残して、宿屋を辞してしまいました。
シャルロットも、まだまだ頭がぐわんぐわと回っている気分です。
ここはお言葉に甘えて、ぽてんと横になると、すぐにすやすやと寝息を立ててしまいました……
朝になるとすっかり気分も爽快。
窓から差し込む朝日を浴びながら、シャルロットが伸びをします。
「きのうは、しんせつなひとにたすけてもらって、ラッキーでちた。さぁ、こうしちゃいられまちぇん! はやく、ヒースをみつけないと!」
そして気合十分に宿屋から出て行きました。
扉を開けると、大きな湖が目の前に広がります。
「ここがアストリア……」
のどかな雰囲気の村で、シャルロットはとても住み心地がよさそうだと感じました。
ついほっとしてしまいそうになる気持ちを引き締めて、聞き込みです。
「ヒースをしらないでち?」
「ヒースはどこでち?」
「ヒースがきてないでちか?」
そんな質問を、村の人たちにぽいぽいと投げかけていると、
「ああ、ウェンデルの神官さんかい? ラビの森の方に行くっていっていたよ」
そんな答えが返ってきました。
人によっては、
「おやまぁ、お使いかい? えらいねぇ」
と、まんまるドロップまでくれるおばあちゃんもおりました。
「私にも孫が生まれてねぇ。お嬢ちゃんみたいに可愛らしく成長して欲しいわ」
「ウェンデルにきたら、たくさんしゅくふくするでち!」
「あらまぁ、お嬢ちゃんウェンデルから来たの! えらいね~」
そんな風にたっぷりと褒められました。
シャルロットは何かと年配の人たちに可愛がられる子なのでした。
そしてシャルロットもまた、そんな年配の人たちよく親しみました。
ついつい話し込んでしまったシャルロットは、おばあちゃんと別れてから、さっそく森の方へ足を向けました。
ラビの森はアストリアと、その北に位置する要塞都市ジャドの間に広がる広い森です。
黄色くてまんまるいラビというモンスターがたくさん住んでいることから、ラビの森と名付けられていました。
ラビは強くないし、個体によっては人と仲良くなることもあるモンスターです。
とはいえモンスター。
襲ってくることもありますし、下手をすると怪我を負いかねません。
シャルロットはアストリアの農夫から殻竿を購入して、それを手に森へと突撃しました!
ラビの森では、名前の通りラビがシャルロットの行く手に立ちふさがります!
「ラビしゃん! シャルロットのゆくてをはばむならようしゃしないでちよ!」
ぶんぶんと殻竿を振り回して威嚇すると、びっくりしたラビが散っていきます。
時折、狂暴な個体はシャルロットに頭突きや噛みつきをしてきますが、殻竿でどうにか撃退していきます。
「シャルロットにかかればらくしょうでち!」
いっぱしの戦士からすれば散歩と変わらない道のりですが、まだまだ大人になりきれていないシャルロットには大冒険!
神殿にこもることの多いシャルロットにとっては、たいそう新鮮な体験でした。
ラビを追い払いさえすれば、のどかで素敵な森の中。
森にいるとなんだか落ち着いて、シャルロットは木々に親しみを覚え、木々もシャルロットを歓迎してくれている気がしてなりませんでした。
これも、母親のエルフの血がそうさせるのでしょうか。
そんなことを考えながら歩いていると、そう遠くない距離で、何者かがなり立てている声が聞こえてきました。
いざこざが起きている気配に、もしやヒースが!とシャルロットは立ち上がって駆けだします。
はたして森の拓けた場所、木々ではなく岩が目立つ野辺で何人かの男たちが集まっていました。
そんな中から、聞き覚えのある涼やかな声が!
「おまえたち、ビーストキングダムの獣人だな?」
「……お、おい! こいつウェンデルの神官だぞ!」
「なに!? ウェンデルの者に我々の姿を見られた以上、このまま返すわけにはいかんな!」
「ウェンデル侵攻の邪魔になる前に、排除してやる!」
「クッ……ケヴィンくんの言っていたことが本当だったとは!」
なんとそこには、三人の獣人たちに囲まれたヒースがいるではありませんか!
「ヒース!」
ヒースのピンチに、シャルロットが一生懸命、駆けつけましたが、その頭を獣人のひとりに押さえつけられてしまいました!
「何だ、このガキ?」
「な、なんでちか、あんたしゃんたち!! いたい、いたい、はなすでち!」
頭を掴まれたシャルロットは、じたばたともがきまずが、びくともしません!
「シャルロット!? やめろ、やめてくれ! その子から手を放せ!!」
慌てながらも、ヒースは迅速に魔力を右手に集中させます。
聖なるエネルギーが珠の形に象られ、八つの衛星のようにヒースの右手首を周回し始めました。
ヒースの得意魔法、ホーリーボールです!
人差し指でさし示し、親指も立てた手の形。
瞬間、ホーリーボールの一発が人差し指の方位に撃ちだされると、シャルロットを掴んでいた獣人の顎下に直撃!
小さく爆ぜた聖なるエネルギーが、獣人を吹き飛ばしてノックアウトしました!
「な、なにしやがった!? この野郎!」
他の獣人ふたりが、いきり立って襲い掛かってきますが、ヒースはそれぞれにホーリーボールを直撃させて地に沈めてしまいます!
「ぐはぁ……!?」
「こんな……ヤツに……!」
獣人たちを昏倒させて、ヒースが泣き出しそうになっているシャルロットへと優しく手を差し伸べます。
「シャルロット! 大丈夫かい!? それに、どうしてこんなところにいるんだ!?」
「うぇぇこ、こわかったでち……ヒース……あのね、あのね、シャルロットね……」
涙をこらえながら経緯を説明しようとするシャルロットに、優しいまなざしを向けていたヒースが、森の方角をきっと睨みつけました。
「しっ! 待ってシャルロット、何か来る!」
「な、なんでちか……こ、こわいでち……」
ヒースの緊張が尋常ならざる度合いに達しているのが分かり、シャルロットは気圧されるように硬直してしまいました。
そんなシャルロットを、ヒースが咄嗟に突き飛ばしてしまったではありませんか!
するとどうでしょう、先ほどまでふたりがまとまっていた場所に、闇の波動が殺到してヒースに浸透していくではありませんか!
「ぐぅ!!? ……ぐわあああッ!!」
もしもヒースが突き飛ばしていなければ、シャルロットも巻き添えになっていた規模です。
闇の波動の呪力により、ヒースは倒れ伏し、身動きが取れなくなってしまいました!
「ヒース!」
シャルロットが駆け寄りますが、ヒースは指一本動かせない状態に陥ってしまっていました。
すると森の方から、道化師めいた不気味な男がぬうと現れました。
なんと、死を喰らう男ではありませんか!
死を喰らう男は、身動きできなくなったヒースを見下ろしてニタリと笑います。
「クックック……ホーリーボールを高いレベルで使いこなすワリに、あっけないな……しかし、なかなか良質な魂を持っているようだ。こいつは思わぬ拾いモノをしたわい……」
「うわー、ばかあ! ヒースになにするでちか!!」
「何だい、このチビ! ひっこんでな!」
ぽかぽかと殴りかかるシャルロットですが、死を喰らう男に一蹴され、地を転がります。
「げぇっ! げほっ!」
痛みと衝撃で内臓がひっくり返るような心地で、視界もぐるぐる。
シャルロットはぐったりと動けなくなってしまいます!
「シャル……ロットに……何をする!!」
その無法な行いに、動けないはずのヒースが怒号と共に身を起こします!
ホーリーボールを、四つの衛星のように手首に装填!
片膝立ちで、死を喰らう男を指させば、四発の聖なる弾丸が連射されました!
「おっと!?」
とっさにガードした死を喰らう男の枯れ木のような右腕が、着弾と共に吹き飛んでしまったではありませんか!
間断の無い連射と、着弾点を一切ブレさせずに、一点へと四発を叩き込んだのです!
呪縛によりろくに動けぬ有様で、これは神業と言える技量でした。
「こいつはスゴイ! ワタクシの呪縛を受けてまだそれだけ動けるとは……ワザも冴えもスンバラシイじゃありませんか!」
しかしなんということでしょう!
片腕が吹き飛んでなお、死を喰らう男は平然としているではありませんか!
「あーあー、腕をこんなにしちゃって。片腕じゃああの結界を砕くのは無理だな……これじゃあ今夜は間に合わんか。ルガーのバカに伝令は……まぁ、いいか。ほっときましょ」
そして夕ご飯が抜きになってしまう、程度の残念さで右腕を拾い上げてぷらぷらと弄ぶのです。
一方のヒースは、力を振り絞った全身全霊でした。
もはや指一本動かせない有様です。
死を喰らう男が、そんなヒースの喉を掴んで持ち上げてしまいました。
「それよりキミだよ、ヤサオトコくん? ワタクシの腕を吹き飛ばした代償に、その魂を引っぺがしてたっぷりと味わわせてもらいますからねぇ!」
死を喰らう男がぶつぶつと呪文を唱えると、ヒースが苦し気に呻き、もがき始めました。
今まさに、死を喰らう男の呪術によって、ヒースは肉体から魂を引き抜かれそうになっているのです!
しかし突然、死を喰らう男の詠唱が途切れます。
「……なに……!? まさかこの魂の色とカタチは……そんなバカな……いや、待て……確かウェンデルに子供がいると言っていたな……もしや!?」
すっかり自問自答に陥った死を喰らう男の手から、ヒースが滑り落ちて地に倒れます。
それを見下ろし、死を喰らう男は狂ったように笑いだしました。
「ヒャハハハハハ! なんてコト! ありえないありえないありえない!! けど、ありえないなんて、ありえない!! アア、こんな偶然があるもんかネ!? なんてオモシロイんだ! 最高だ! やっぱりこのセカイは、最高だヨ!!」
そして死を喰らう男が哄笑に交えて呪文を唱えると、ヒースと一緒に消えてしまったではありませんか!
シャルロットが起き上がれるようになった時には、ふたりの姿は影も形もなくなってしまっていました!
「ヒース! どこ!? どこにいったの!?」
周囲を見渡しても、伸びている獣人たちが横たわるばかり…
シャルロットは全身から力が抜け落ちてしまい、膝をついてしまいました。
「ヒース……ヒース! ヒースをかえせーっ!!!!」
シャルロットの叫び声が、ラビの森に虚しく溶けて消えていきました。
突如あらわれたビーストキングダムの獣人たちと、ヒースを連れ去った謎の男。
シャルロットのまわりで、何かが音を立てて動き出しました。
しかし、この時シャルロットは、世界の命運をかけた戦いにやがて自分が巻き込まれていくことなど、知る由もありませんでした……
物語は、まだ始まったばかりなのです……