時は少し遡り。
ケヴィンがいかにフォルセナへと辿り着いたかのお話をいたしましょう。
月読の塔の上空、ケヴィンは邪眼の伯者の襲撃を受けてホークアイとリースから分断されてしまいました。
邪眼の伯爵のサイコウェーブにより、しがみついていた大鷲ともども脳が混迷した状態。
やがて不時着したのは、海でした。
「ぶはっ!?」
大鷲は着水してすぐにどこかへ飛び立ちましたが、ケヴィンは海水を飲んで大慌て!
しゃにむにとにかく泳いで漂って、もがくように陸地を目指しました。
夜明けが近かったのは幸いでした。
そう時間を経ず、陸地の方角が見えるようになったのです。
後は遠泳!
月明かりの都ミントスからジャドまで泳いだこともあるケヴィンのこと。
どうにか港街に這い上がることに成功したのです!
「な、なんだお前は!?」
「アルテナのスパイか!?」
「いや、まさかこんなスパイはいるはずが……」
一瞬で取り囲まれました。
「う? オイラ、スパイ、ちがう! フォルセナ、いきたい!」
あたふたと説明をしますが、もちろんすんなりと信じてもらうことも難しく、ひとまずは勾留される運びとなったのです。
ケヴィンがたどり着いたのはバイゼルという港街でした。
自由都市マイアと黄金の街道でつながる、南端の商業都市。
各国と連絡する船が非常に盛んに行き来する、ファ・ザード大陸西部における貿易の要衝です。
しかし各国との窓口が広い都市であるからこそ、不穏な世界情勢に敏感でした。
そこでバイゼルが取った施策は都市の一時閉鎖。
戦争や侵略に対する警戒で、まずは外を警戒する方針が取り決められたのです。
ケヴィンが港に揚がったのは、まさにそんな緊張した情勢だったのです!
「うう! オイラ、怪しくない! 信じて! フォルセナに行かなきゃ! 世界が! マナが!」
生来、弁が立つわけではないケヴィンが身の潔白を証明するのは至難でした。
世界の危機という壮大な話をしたと思えば、ホークアイがリースがと友人の名前を連呼する。
説明をしようとすると余計にこんがらがって、バイゼルの取り調べ担当も困惑する一方でした。
しかし、逆にその無垢さに、
「この子にスパイは無理だろう」
「潜り込ませるにしてももっとこう……あるだろ!」
「まぁ、街から出て行ってもらいさえすればそれでいいんじゃないか」
と激甘の判定をもらうことができました。
こうしてケヴィンは数日の勾留で解放されることになります。
「フォルセナに行きたいなら、この黄金の街道を北上して、道中にある大地の裂け目にかかっている吊り橋を渡って、さらに北上するんだ」
担当者が街の外までケヴィンを送る際、その教えは丁寧なものでした。
「これ、少ないけど弁当だ。ホークアイやリースってのと、会えるといいな! 達者でな!」
それどころかお弁当まで手渡される始末。
数日の勾留期間で、事情を説明しようとすればあうあうと困り顔となるケヴィンに、担当者もすっかり絆されていました。
「うん! ありがとうオジサン!」
輝かんばかりのケヴィンの笑顔に、担当者もにっこりです。
こうしてケヴィンは黄金の街道を北上して大地の裂け目を、そしてフォルセナを目指します。
ケヴィンにとって、黄金の街道は道のりだけ見れば楽なものでした。
魔物がはびこり整備されなくなったとはいえ、石畳が敷かれて歩きやすく、出てくる魔物も相手ではありません。
それよりも苦しいのはシェイドの刻でした。
陽が落ちて、月が出るとどうしても獣人の衝動がうずいて、それを抑えるのに苦心するのです。
最初の夜は、抑えつけようと躍起になりました。
しかしやがてケヴィンはヒースの言葉を思い出したのです。
──話し合うことはできないだろうか?
獣人としてケヴィンは、生まれたばかりなのだから。
その心と話し合うこと。
向き合うこと。
やらなければならないこと。
月明かりの下、ケヴィンはざわつく胸の奥にいる獣人としての自分に語り掛けることを始めました。
お腹が空いてるの?
なんでそんなにざわざわしてるの?
暴れたいの?
返ってくる言葉はありません。
ただ心がざわめくばかり。
このざわめきが心に入り込めむことを許せば、ケヴィンは獣人になってしまうのが分かっていました。
だから、懸命にざわめきを抑え込み、ひたすらに問いかけます。
しかし問いかけても問いかけても、ざわめきはただざわめきでしかありませんでした。
そしてそのざわめきはカールを手にかけた時の感覚をどうしようもなく思い出させて、ケヴィンは泣いてしまうのです。
ざわめきと哀しみで乱れる心を懸命に抑え込んでいるうちに、ケヴィンは疲れて眠ってしまう。
黄金の街道を北上する道中は、そんな夜の繰り返しでした。
ある夜、ざわめきと哀しみで涙を流すことはなくなった日のこと。
ケヴィンは自分から語り掛けるだけではダメなのだろうとうっすらと悟ります。
即ち、獣人の己が語る言葉を聞くべきだと思ったのです。
いえ、おそらく獣人の己は言葉をすら知らないでしょう。
しかしその気持ちを、知ることができるのではないか。
つまり獣人の己に体を渡さねばならないと思い至ったのです。
ケヴィンはとても嫌だなと思いました。
カールを失った時の心が焼かれるような灼熱感と、己の四肢が自由にならない恐怖が脳裏によみがえり体が震えます。
でも。
「ヒースさんに、言ったんだ……」
──オイラ、話し合ってみる。獣人の自分と。
泣きそうな顔で、ケヴィンが月に吼えました。
「獣人のオイラ、なんでもいい! オマエが思ってること、教えて!」
ケヴィンが裡に広がるざわめきに、心を開きます。
するとざわめきが心に入り込み、ケヴィンの筋肉が隆起して、体毛がどんどん増殖していくではありませんか!
アオーーーーーンッ!
獣人の姿に成ったケヴィンが、大きな遠吠え。
そして駆けだしたのです。
それは自由の喜びにまみれた狂奔でした。
ケヴィンは街道を逆走するその疾駆を止めることができませんでした。
獣人の己に体が支配され、指の一本も自分の意思で動かせないこと以上に。
業火に晒されるような心の熱狂が、そこにはなかったのです。
ただただ、自由であることを喜び、思うままに走る風のような無邪気な高揚。
それだけが今、獣人である己が感じている全てでした。
ケヴィンは愕然としました。
そして理解に及びます。
カールを手にかけた時は獣人王の罠によって。
マンティスアントと対峙した時は命の危機によって。
獣人である己は獣人である己なりに、焦燥と切迫を感じて暴れていたのです。
その灼熱感と恐怖がケヴィンを苛み、それが尾を引いていました。
しかし、ただ自由である今はどうか。
何にも縛られず思うまま動くことで、無垢な喜びだけが獣人の己から伝わってくるではありませんか!
ケヴィンは二件の経緯のみを根拠に、今日まで生まれたての赤子に対して喜びを封殺し続けていたことを自覚しました。
そんなケヴィンの心の反応に、獣人になった双眸から涙を流します。
獣人になった己は、それを不思議そうに拭います。
ごめん、ごめんよ。
ずっと閉じ込めていてごめんよ。
オマエは自由だから。
思い切り走って、走って、走って!
獣人の己は、夜通し駆け回り暴れまわり、やがて朝日と共にケヴィンの心の中で眠りにつきました。
体力に自信のあるケヴィンをして、疲労を覚える全力の謳歌。
大の字になり、昇る太陽を見上げながらケヴィンは思いました。
まだ幼い獣人の己は、拾った時のカールと同じなのだと。
ケヴィンは親を亡くしたちびウルフのカールを、赤子の時から育てていました。
生まれたてのカールも、自由に動き回るだけで、ただ走り回るだけで喜びに満ちた顔をしていたのを思い出します。
ならば同じように。
獣人の己もまた、育ててやらねばならない幼い存在なのだと。
ケヴィンは強く痛感して、そして涙を流しながら眠ってしまいました。
道のまんなかで豪快に眠ってしまったケヴィンに、ゴブリンやポロンたちもおそるおそる近づいて様子を伺いますが、そのいびきのすさまじさや、豪放すぎる寝相にこいつもモンスターだろうと判断され、ことなきを得ました。
それからの行程は、シェイドの刻に獣人の己を自由にさせてやり、朝日と共に眠りにつく。
起きれば逆走したり、道を外れた道を元に戻り北上する。
ケヴィンの道行きはそんなジグザグしたものになりました。
そして少しずつ。
ケヴィンは獣人の己に心の中で語りかけ続けました。
獣人の己も、最初はケヴィンの語りかけをただざわめきに感じているだけだったのでしょう。
それが幾夜かを経て、少しずつ反応を示すようになってきたのです。
最初は恐れるように、不思議がるようにしていた獣人の己も、ちょっとずつケヴィンという存在を自覚して興奮し始めます。
それからは、カールに対する接し方と同じでした。
オイラはケヴィン。
いろんなこと、教える。
だいじょうぶ。
オイラ、オマエの味方!
体が自由にならないケヴィンは、ただ語りかけるしかできません。
それでも獣人の己はケヴィンの言葉に対して、耳を傾けようとしてくれる心の動きを示してくれました。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、ケヴィンは獣人の己に言葉を染み込ませていきました。
そんな風に、ケヴィンと獣人の己がお互いに意識をし合えるようになった頃合い。
ケヴィンは大地の裂け目に到着したのでした。
「えっ!? 橋、落ちたの!?」
しかしケヴィンを待っていたのは、フォルセナへ行けなくなってしまったという事実でした。
どこまでも深い奈落のような断崖絶壁の際で、同じく足止めを食らった商隊も困っている様子です。
「ああ、なんでもアルテナの兵が落としちまったらしいんだ」
「そんな……」
フォルセナへ向かう途中だった商隊から聞くところによると、橋が落ちたのはつい最近のことのようでした。
バイゼルの者たちも心配していたように、アルテナの不穏な動きがこんなところにまで影響するなんて!
「オイラ、どうしてもフォルセナ、行きたい。なにか、手段、ない?」
「そう言われてもなぁ……」
商隊の隊長が後頭部をひっかいてなんとも言えない顔になってしまいました。
「隊長、マイアで聞いた話、あったじゃないですか。ほらあの錬金術師の」
「ああ、あれか」
商隊のひとりが声を挙げれば、隊長が何かを思い出します。
「黄金の街道を東に進んでいくと、マイアって自由都市がある。そこにボン・ボヤジって錬金術師がいるんだ」
「ボン・ボヤジ?」
「そいつが妙な物を作っているらしくてな。なんでも、フォルセナまでひとっとびできる魔法の発明だってんだ」
「ひとっとび!? すごい!」
隊長の話にケヴィンの目が輝きます。
「だけどまだ未完成らしくて、そもそも本当にひとっとびなんてできるのかって……」
「隊長、隊長。もう行っちゃいましたよ、あの子」
「ん? あれ?」
説明を続けていた隊長ですが、部下に肩を叩かれて気づけば、ケヴィンの背中がもう小さくなっているではありませんか!
その素早さに、商隊の者たちは唖然とします。
「なんて行動力だよ」
「元気な子っスねぇ」
こうしてケヴィンは東に進路を取ります。
バイゼルから大地の裂け目までは、獣人の己が逆走をして二倍の時間がかかりました。
しかし今では、獣人の己が少なからずケヴィンの声に耳を傾けて、意図を汲もうとしてくれました。
そっちじゃないよ。
あっちだよ。
うん、あっちに向かって走ってくれると、オイラ、うれしい!
ケヴィンが嬉しいという気持ちを、獣人の己はきちんと受け取ってくれるようでした。
ケヴィンが嬉しいと、獣人の己も嬉しい。
それを感じて、ケヴィンもなんだか嬉しい気持ちになりました。
嗚呼、とケヴィンは心の中で深い感慨にふけります。
カールに手をかけた獣人の己を許せなかった気持ち。
獣人の己に罪などあろうはずがない事実に、虚しさとやるせなさと切なさを感じる気持ち。
獣人の己に対して、守ってやらなければ、導いてやらなければ、育ててやらなければならぬという気持ち。
カールを育てていた時の大変さや愛しさが、フラッシュバックして感じる複雑な気持ち。
ケヴィンの中でたくさんの感情がないまぜになりながらも、そのひとつひとつを腑に落とすことを納得せずにはいられませんでした。
もう獣人の己を恐れて憎むことを、ケヴィンはできなくなってしまっていたのです。
だけど。
だからこそ獣人王と死を喰らう男の所業に対しては、怒りが凝るのを強く自覚します。
獣人の己と共に歩む。
その上で、カールの仇を討つ。
ケヴィンは改めてそんな決意を、黄金の街道で確立したのでした。
「でも、その前に、世界、滅びる、ダメ! デュランたちに、早く追いつかなきゃ!」
こうしてケヴィンがマイアはマイアに辿り着いたのでした。
マイアに辿り着いたケヴィンは、手当たり次第にボン・ボヤジがどこにいるのかを尋ねました。
変わり者の錬金術師のこと、すぐに住居を突き止めて訪れると、
「なに!? フォルセナに行きたいじゃと! きみはヒジョ~~~に運がいい! まさにワシの『ハイパードリームターボキャノン2号』が完成して間もないところなのだ!」
「変な名前……」
「え~い! フォルセナに行きたくないのか!」
「行きたい!」
「よろしい! では裏庭に行ってみたまえ!」
促されるままに裏庭へ足を運ぶと、そこには立派な大砲が鎮座しているではありませんか!
ケヴィンがふわ~と物珍しそうに眺めていると、ボン・ボヤジもすぐにやってきます。
一度ぴょいんと跳ね上がれば、大砲のハッチを開いて中へいざないます。
「風よ~し、方向よ~し! フォルセナに、飛ばしてやるぞ! 準備はいいかね?」
「うん! お願い!」
こうして。
ケヴィンもまたキャノントラベルによってフォルセナへと発射されたのです。
風がよかったのか、それともデュランの時よりも精度が上がったのか。
ケヴィンはモールベア高原に落とされることなく、フォルセナのど真ん中へ着弾します。
そして。
ゴチーーーーーンッ!!!
着弾地点にいたなんだか変なカタチのゴーレムに衝突!
「いたたた……」
不時着したケヴィンは、ふらつく足取りで立ち上がって周囲を見渡します。
「ここ、どこ? フォルセナ、ついたの?」
「あっ!? お前は!」
「ケヴィンしゃん!?」
こうしてケヴィンは、フォルセナでデュランたちと再会することができたのです!