折れた剣が視界に舞うのを、デュランは呆然と見上げます。
ああ、死ぬ。
直感するのは絶対的な死の予感。
逆立ちしても太刀打ちできない黒耀の騎士の実力を目の当たりにして、この間合い。
デュランは逃れようのない死の気配に直面して総毛立ち、血と言う血が凍り付く思いでした。
なのにその脳裏には処理しきれないほどのたくさんの感情が錯綜し、足掻こうとする身動きすら取れずにいたのです。
父の剣を失った衝撃。
英雄王リチャードの足を引っ張る結果にしかならなかった後悔。
道の半ば命を落とす無念。
そして、ひとかけらだけ場違いな想いがひとつ。
──…この騎士はオレを知っているのか?
黒い稲妻のような一閃の直前。
……お前、デュランか……
黒曜の騎士は確かにそう独白したのをデュランは耳にしていました。
その疑問も、嵐のような感情の渦に押し流されてあっという間に見えなくなります。
デュランは黒耀の騎士が無骨な外見に似合わぬ流麗とすら言える所作で刃を返すのを目の当たりにします。
必殺の剣気。
リチャードが魔法陣で黒耀の騎士を拘束しようとします。
紅蓮の魔導師がそれを阻止しました。
黒曜の騎士のプレッシャーを跳ね除けて、アンジェラとケヴィンが動きました。
アンジェラが高速でホーリーボールを撃ちだします。
ケヴィンが、懸命に飛び掛かろうとします。
フェアリーがデュランの内側から飛び出して、無意味と分かっていても黒耀の剣の盾になろうとします。
何もかもが、黒耀の騎士の剣速に間に合わないのは明白でした。
しかし。
ビシリッ
耳障りな音が響いたかと思うと、黒耀の騎士の動きが止まってしまったではありませんか!
見れば黒耀の騎士が纏う完全騎士鎧に、縦横無尽にヒビが入っているのです!
そこにアンジェラのホーリーボールが着弾!
明らかに、アンジェラ程度のホーリーボールが効くはずのない力量差だというのに、黒耀の騎士が揺らぎます!
「チッ……ここまでか」
紅蓮の魔導師が燃えるような色の外套を翻し、黒耀の騎士を包み込みます。
するとどうしたことでしょう!
しゅるり、と。
焔が小さくなるようにその姿が空に溶けていってしまったではありませんか!
一拍を置いて、ケヴィンの拳が空を切ります!
「黒いのと赤いの、どこいった!?」
「残念だが私のパートナーが限界のようだ。命拾いをしたな……今日は、これで失礼をさせていただこう」
そして、紅蓮の魔導師がそんな言葉を残して。
気配が完全に消え去ってしまいました。
呆然と立ち尽くしていたデュランが、どさりと尻もちをつきます。
「デュラン、大丈夫!?」
「デュラン、大丈夫か!」
「デュラン!」
フェアリーがデュランを覗き込み、リチャードたちも駆け寄ります。
リチャードに助け起こされながらも、デュランはまだぼんやりとしていました。
「へ、陛下……はい、オレは大丈夫です」
魂が抜けたようなデュランに、リチャードは怒鳴りつけようとしていた気持ちが落ち着きます。
そして穏やかな声でたしなめるのです。
「この馬鹿者、自分を囮になどしおって」
「申し訳ありません……あの時、オレができることなんて……それくらいしか……」
うなだれるデュランですが、しかしお説教はこれまでとばかりに英雄王がその肩を叩きます。
「しかしフォルセナを、そしてワシを救いに駆けつけてくれた。礼を言うぞ、デュラン」
さらに、リチャードはデュランの仲間たちへも視線を巡らせます。
「お前たちもだ。デュランの仲間なのだろう? そして……フェアリーも……」
最後にその視線がフェアリーに定まりました。
「マナの減少は聞き及んでいるが、世界は想像以上に危機的なようだ」
「はい、英雄王様。そのことで相談したいことがあって私たちはフォルセナへ来たのです」
リチャードが大きく頷きました。
「分かっている。しかし、ワシもすぐに話をしたいところだが……まずは城の状況を確認させてくれ。フォルセナ史上でも未曾有の損害を受けた」
リチャードが剣を履き直し、謁見の間から出て行こうとします。
それにデュランが続きます。
「陛下、お供します!」
「うむ、道すがらおぬしが見てきた城の様子も教えてくれ」
そのままリチャードの後についていこうとしたデュランですが、一呼吸だけ謁見の間を省みます。
「シャル、すまんがまだ息のある近衛兵たちを回復してやってくれ。ケヴィンとアンジェラもシャルについてやってくれ」
「がってんしょーち!」
シャルロットが張り切ってヒールライトを唱え始めます。
謁見の間に来て傍観しかできなかったからか、気合万点です。
ケヴィンやアンジェラも、倒れている者たちを介抱し始めました。
デュランの指示を見ていたリチャードは、その成長ぶりに微笑みをこぼさずにはいられませんでした。
城の戦局は、およそ後処理のようなものでした。
どうやら紅蓮の魔導師が去ったタイミングでアルテナ兵の大半が引き上げており、召喚されていた魔法生物も送還されてしまっている様子でした。
残ったアルテナの兵力は、リチャードが見て回る頃にはすっかり無力化されていたのです。
一回りしたリチャードたちが謁見の間に戻ると、近衛兵たちも半分程度は動けるようになっていました。
リチャードは休ませねばならぬ者を休ませて、動けそうな者には手早い指示を次々と下します。
そしてひと段落ついてから、
「待たせたな、お前たち」
デュランたちを謁見の間に集めて話をする場を設けたのです。
「改めてフォルセナの危急によくぞ駆けつけてくれた。その働きまことに大義である」
「はっ、もったいないお言葉です」
デュランがかしこまりアンジェラたちもそれに倣います。
「しかしデュランよ、まさかおぬしがフェアリーを伴ってくるとは思いもよらなんだ」
リチャードの言葉と共に、フェアリーがデュランの内からふわりとあらわれます。
フェアリーを見つめるリチャードの眼差しは、どこか懐かし気なものでした。
「英雄王様、この世界からマナが急激に失われています。それを食い止めるために、マナの女神様を目覚めさせるしか手はありません」
「うむ、そのためにデュランがマナの剣を抜かねばならぬのだな?」
「は、はい、その通りです」
「ゆえに聖域へのトビラを開かねばならぬ。しかしフォルセナに来たということは何か足りぬものがあるのだな? 何を用意すればよいか?」
リチャードがヒゲをしごきながら、フェアリーの言葉を先回りして疑問を投げかけてきます。
想像以上に話が円滑に進んでいき、フェアリーを始めデュランたちも目をしばたきます。
その様子に、リチャードは愉快げです。
「ふふふ、おおよそどうすればいいかは把握しているつもりだ。実はワシもかつてフェアリーに選ばれし者だったのだよ」
「ええっ!?」
英雄王の言葉にその場の誰もが驚愕します。
「竜帝が世界征服に乗り出した世界大戦、あれはこの世界の存亡をかけた戦いでもあった。ヤツが奥の手として用意していた最終兵器のおかげでな」
「最終兵器……ですか?」
「うむ、古の禁呪法で生み出された災厄の竜、ギガントドラゴン。竜帝が操るこの最強のドラゴンは、世界中のマナを吸い上げて猛威を振るった」
「世界中のマナを!?」
「各国のマナが枯渇に瀕するほどの危機に陥ってな。そこでワシはマナの聖域からやってきたフェアリーと出会い、世界中の仲間たちと協力して竜帝と戦ったのだ」
英雄王リチャードの眼差しが、在りし日を思い出すように細まりました。
「仲間たちと力を合わせ、ワシは聖域へ赴きマナの剣を抜いた。そしてマナの女神の加護により、翼あるものの父と共にギガントドラゴンを討ち、この世界にマナを取り戻すことができたのだ」
しかし、と。
言葉をつづけようとするリチャードの言葉に陰りが生じます。
デュランは先の言葉がどういうものか察してしまい、すっかり整理したはずの心に哀しみが滲むのを自覚しました。
「しかし世界を破壊しかねないギガントドラゴンを倒せはしたが、その消耗で竜帝との最終決戦において、ワシをフェアリーを守り切れず……」
そしてデュランの父ロキもまた、竜帝と相打ちとなって亡き者となってしまった。
少しだけ、沈黙が場に下りました。
リチャードが、ゆっくりとした口調で話しを戻していきます。
「当時のフェアリーは忘却の島で聖域へのトビラを開いてくれたが……」
「はい。私もトビラを開く場所は忘却の島が適切だと思います。でも、私にはもうトビラを開く力が足りないんです」
「では、どうやって?」
「精霊たちの力を借りることができれば必ずトビラを開くことができるはずです」
「その手があったか!」
リチャードが膝を打ちます。
「精霊たちはマナストーンのそばにいるはず。英雄王様、どうかマナストーンの場所を教えてください」
「ふむ……」
リチャードが非常に難しい顔になりました。
慎重に考えをまとめるように間を少しだけ置いて、それから再び口を開きます。
「マナストーンは八つ存在して、それぞれ土、水、火、風、光、闇、月、木の元素を生み出していると言われる」
「光の精霊ウィル・オ・ウィスプと土の精霊ノームは見つけています」
「残り六つか……うむ、よし。ではまず商業都市バイゼルから、船でパロに渡るのだ。バストゥーク山の中腹にある風の王国ローラントに、風のマナストーンある」
「ローラント! リースの故郷!」
ケヴィンが声を上げ、デュランたちはジャドで別れたリースを思い返します。
「まだ仲間がおるのだな? しかしローラントの出身者となると……」
少しばかりリチャードが言い淀みます。
「……ローラントは砂漠の盗賊団ナバールに占領されてしまったと聞く。情勢が安定はしているとは言い切れぬ。その者にとっては、過酷な旅になるやもしれぬな」
その言葉に、重い空気が流れます。
フォルセナもひとつ間違えていればそうなっていたのですから。
「風のマナストーンの近くには風の精霊ジンがいるはずだ。ジンを見つけたら、また戻ってきたまえ。さて、」
話をひと区切りするように、リチャードがひとつ手を打ちます。
「世界に関わる話を優先させてもらったが、フォルセナを助けてくれた勇者たちよ、改めてその方らの名を聞かせてくれ」
その表情はどこか嬉し気で、世界を憂う生けとし生ける者の顔でも、フォルセナの為政者の顔でもありますが。
なによりも親友の息子の成長を喜び、その仲間たちに興味を示す親しい大人としての顔のようでした。
リチャードの言葉に、まずはシャルロットが立ち上がりました。
「ウェンデルからまいりまちた、ひかりのしさいのまごむすめシャルロットでございます。ききゅうのじたいにじょりょくできたこと、たいへんよろこばしくおもいます」
そして作法に則った完璧な礼をします。
舌足らずな声調ですが、その格調高い物言いにデュランたち全員が度肝を抜かれました。
それにシャルロットはジト目です。
「なんでちか」
「い、いや、ちゃんと喋れるんだなって……」
「ふーんだ、シャルロットはひかりのしさいのおまごしゃんでちからね。こーゆーばにもなれてるんでち」
リチャードはそんな若者たちのやり取りにも楽し気です。
「光の司祭殿の孫娘だったとは、回復の呪文が達者なわけだ。いや、騎士たちが随分と世話になった。マナの聖域を巡る旅に、ウェンデルの協力は不可欠である、どうかデュランをよろしく頼みたい」
次に立ち上がったのはケヴィンです。
「うう……オイラ、ケヴィン。オイラ、殺されたカール、生き返らせたい。死を喰らう男、マナの女神ならそれができるって、言った……でも、光の司祭、それはできないって言った。だからせめてカールの仇討ち、したい。獣人王と、死を喰らう男、倒すために強くなりたい。でも、その前に、世界が滅びると、困る。だから、デュランたちに協力して、マナの女神、起こしたい」
こういった場に慣れていないケヴィンは、自分の経緯を訥々と語ってしまいました。
デュランたちもケヴィンの旅の動機を、ジャドで一言だけ耳にしています。
即ち「カールを生き返らせたい」
しかしその言葉の続きが、このような重いものだったとは!
「そうか。哀しみを背負い、世界のために戦ってくれようとしているのだな」
リチャードが深みのある声で、ケヴィンの悲しみに寄り添うように頷きます。
しかし、と怪訝な顔をするのです。
「死を喰らう男というのは、分からぬ。しかし獣人王殿が無意味にそのようなことをするとはどうしても思えぬ……」
「う? 英雄王様、獣人王、知ってる?」
「知っているもなにも、かつての旅の仲間だよ」
リチャードが往年を懐かしむように破顔します。
「先ほど話したようにワシはかつて竜帝を倒すため、世界中の仲間たちと協力したのだ。ビーストキングダムの獣人王、アルテナを治めている理の女王、ウェンデルの闇の司祭、砂漠の陽炎、ローラントの名君、コロボックルの賢者……そして、わが友ロキ。彼らの協力が無ければ、勝利はなかっただろう」
デュランたちは挙げられる錚々たる顔ぶれに、英雄譚を聞いているような気分になりました。
「確かに獣人王殿は苛烈だ。それだけに、己の行いとその影響を深く見つめる人物でもある。その上でケヴィンよ、おぬしを追い詰めるならば……きっと理由があるのではないだろうか?」
「……オイラが獣人王の子供だから、たぶん、強くしたい」
「なんと、ガウザー殿の子であったか!」
リチャードが玉座から乗り出します。
「ううむ……ならば確かに……考えられるかもしれん。怒りを引き出す手段……か?」
それでもリチャードには少し違和感は残るようでした。
しかしその違和感を明確に解き明かすのは無理というもの。
今はケヴィンにただ励ますような言葉をかけるばかりでした。
「その真意を問いただすためにも、強くならねばならぬな、ケヴィンよ」
「うん、獣人王、強くないヤツの言葉、聞かない。だから、オイラ、強くなって獣人王を倒して、聞く!」
「その意気だ。獣人の力はこの上なく頼もしい。デュランと切磋琢磨をして、マナの聖域へと向かってくれ」
ケヴィンは切磋琢磨の意味が分かりませんが、とてもいい顔で大きく頷きました。
「それで、おぬしは……アルテナの者のようだが」
最後にリチャードは、アンジェラに視線を巡らせます。
アンジェラは強いまなざしでそれを見返しました。
「アルテナの王女アンジェラ。この度は、アルテナの侵攻を……その、本当に悪かったと思ってるわ」
「王女だと!? ヴァルダの娘だというのか」
リチャードが思わず玉座から立ち上がります。
そして狼狽と驚愕をないまぜにした表情でアンジェラを凝視します。
そしてアンジェラの深い緑の瞳を見つめて、リチャードはあっ!と声を漏らします。
「そんな……まさか……」
「な、なんなのよ!?」
アンジェラは、己を見つめるリチャードのただならぬ雰囲気に抗議するような声を上げます。
しかしリチャードは、努めて平静を装って玉座に腰を下ろし直して取り繕うのです。
「いや、すまぬ。なんでもない……」
どう見てもなんでもないはずがありませんでした。
「何よ、もったいぶって、気になるじゃない! ケチケチしないで教えなさいよ!」
「こら、無礼者! 国王陛下にむかって、何てこと言うんだ!」
アンジェラが憤慨する様子をデュランがたしなめます。
しかしリチャード当人は、デュランを手で制しました。
「いや、構わぬ。すまんな王女、少し……込み入った話があるのだ。それは別に機会を設けよう。その……理の女王にも同席してもらって」
「……できないわ。だってお母様は私を抹殺しようとアルテナ兵に指示を出しているもの」
その言葉にリチャードの表情が険しさを増します。
「あの心優しかったヴァルダが……いや、それを言うならばこのフォルセナ侵攻もそうだ。本当にヴァルダが……?」
「それは……」
直々にマナストーンへのいけにえを言い渡された母は、まぎれもなく本物の母でした。
それでも。
アンジェラはどうしてもそうだと断言をしたくありませんでした。
「……英雄王さん、私はどうしても、母がやっていることが正しいと思えないの。お母様も昔の仲間だったんでしょう?」
「うむ、かつてのヴァルダからはとうてい考えられぬ」
「私はこの旅で魔法を鍛えて、再び母に問いただしたいの。これまでの全部が、本当にお母様の本当の意思かって」
アンジェラの痛切な言葉に、リチャードが深く頷きました。