月読の塔は非常に大きな塔でした。
質実剛健な石造りで、その頑強さは獣人が暴れることを前提に建てられたようにも見えます。
階段を上がると、非常に大きな吹き抜けとなっており、覗き込めば一階のフロアが見えました。
逆に見上げても、ずっと吹き抜けの構造になっているようでした。
まだ二階なので落ちても痛いで済むかもしれません。
しかし、もしも高い位置から転落すれば……
そんな想像をしてしまい、リースもホークアイもぶるりと震えます。
そんなふたりの耳に、遠吠えが聞こえてきます。
リースとホークアイが顔を見合わせました。
「……今、塔の中から聞こえましたよね?」
「ああ」
上の階からの遠吠えでした。
ただの狼ではありません。
間違いなく獣人でした。
それも獣化している獣人の遠吠えだとふたりは確信します。
「フェアリーもそう言っているようです」
さらにリースは胸元に手を添えてそう言いました。
リースの内側で休んでいるフェアリーから、何か心だけでやりとりをしているようです。
すぐにその情報をホークアイと共有します。
「この塔には月のマナが満ちているそうです。月のマナは狂気を司る側面もあるそうで、ここにいる獣人たちはそれに囚われているかもしれない、と」
「狂気のマナ? 穏やかじゃないな」
「はい。おそらく会話は通じないかもしれません……問答無用で襲ってくるかも」
「……獣人王のオヤジ、この塔を登り切る強さってのはそういうことかよ」
ホークアイが苦い顔をします。
しかしリースは毅然とした顔で、気後れをする様子はありませんでした。
「望むところです」
「武闘派だねぇ」
「アマゾネスも強さを第一にしていましたので。その……だから私は獣人王様の言うことが分からないでもないんです」
とはいえ、その表情に怒気を含んでいるのは見て取れます。
獣人王の理は分かる。
しかし心情は解せない、といったところでしょう。
「自分勝手なオヤジじゃないか。ケヴィンが苦労したっての、分かった気がするよ」
「それには同意します」
でも、とリースが続けます。
「国防を考えれば、強さを第一にするのは私も分かるんです。まずは、己の国を守ることが全ての始まりだと思っていますから」
「オレたちの場合、国じゃなかったからな」
リースが少しだけ眉をひそめます。
王族からすれば盗賊が徒党を組んでいる状態なんて、悩みのタネ以外のなんでもないのですから。
さらに、その盗賊団がローラントを奪ってしまったのですから。
ホークアイが慌てて弁明します。
「おっと、だけどそこいらのチンケな盗賊と一緒にしないでくれよ。フレイムカーン様の威厳と厳しい規律でまとまっていたんだから」
「それは、噂には聞いています。王制ではなかったけれど、権威に似たものはあったのでしょう」
「そんな堅苦しいもんじゃないよ。尊敬さ。みんな、フレイムカーン様を尊敬していたんだ」
それから、ちょっとホークアイが笑いました。
「怒るとメチャクチャ怖いんだけどな」
その言葉に、思わずリースもほほえみます。
それからふたりは気を引き締めて、さらに上の階層へとつながる階段を探し、月読の塔を登っていきます。
塔を登っていくと、やはり徘徊している獣人を見つけました。
銀毛の狼。
シルバーウルフです。
血走った眼をしており、どうも意味もなくウロウロしているようにしか見えません。
しかし感覚は非常に敏感なようで、隠れて様子をうかがっていたリースにすぐさま気づき、よだれをまき散らしながら咆哮!
がむしゃらに駆けてくるではありませんか!
そこに理性など微塵もなく、まるで獣そのもの!
ガギンッ!
シルバーウルフの爪を槍で受け止めながら、リースは困惑します。
「本能だけで動いている!?」
「これが狂気に囚われてるってことか!」
ホークアイが背後からダガーで斬りつければ、シルバーウルフはそっちに反応して爪を振り回します。
まったく隙だらけになったシバーウルフを、リースは槍の石突で一撃!
見事に昏倒して静かになりました。
「まさかこんな獣人がわんさかいるってのかよ」
ホークアイが怪訝な顔をすると、あちこちから狼の遠吠えが聞こえてきます。
どうやら、まだまだ狂気に囚われた獣人たちがたっぷりといるようでした。
ふたりは怪訝な顔をして、警戒を強めて進みました。
低い階層ではそう苦戦はしませんでした。
本能だけで動くシルバーウルフは、統率の取れたルガーの獣人隊と比べるべくもありません。
ホークアイのフェイントがてきめんに効果を発揮し、リースの槍も通用するのです。
しかし、徐々にその数が増えて、さらに強力な個体も散見されるようになります。
黒い体毛のブラッディウルフ。
シルバーウルフよりも強力な獣人で、やはり狂気に飲まれてリースとホークアイに襲い掛かってくるのです!
さらに!
「グルルルアアア!」
ブラッディウルフが筋肉を躍動させるように跳躍!
中空で火焔を纏いながら急降下してきます。
「朱雀飛天の舞!?」
リースが声をあげて予想される着弾点から大きく避難します。
次の瞬間、鮮烈な赤いエネルギーを纏ったブラッディウルフが石畳を粉砕!
それで階層が崩れ落ちることはありませんが、脅威の威力です。
「でも……ルガーより怖くはないな!」
朱雀飛天の舞が外れてキョロキョロとしているブラッディウルフの背後。
忍び寄ったホークアイがダガーで的確に急所を撃ち抜きます。
朱雀飛天の舞は確かに強力な技ですが、思考力もなくただ無作為に放つのではふたりに届きません。
とはいえ、その腕力は人間を遥かに凌駕して、動きも素早い難敵と言えました。
ただ殴ってくるだけでも油断できず、リースとホークアイは張り詰めていく一方でした。
「リース、無事か?」
ひと段落がついてホークアイが声をかけた時でした。
リースからの返事がありません。
「リース?」
その肩を叩くと、突然リースがホークアイの手を払いのけて振り返ります。
その顔には、いまだ戦闘の興奮が色濃く残っており、荒い息で歯を食いしばっています。
「リ、リース?」
困惑するホークアイの顔に、リースがはっと我に返るように冷静さを取り戻しました。
額に手をおいてリースが首を振ります。
「す、すみません……なんだかこの塔を登っていくと、頭に血が昇りやすくなってきて……」
「おいおい、オレたちも月のマナに飲まれ始めてるってのかよ」
しかし不思議とホークアイの頭はまだまだ冷静です。
リースも不思議に思ったところで、心の中にフェアリーが弱々しく語り掛けてきました。
「フェアリーが言っています……ホークアイさんは、月のマナに適性があるようです。他にも、木のマナにも」
「オレが?」
自身のことながら、意外な言葉にホークアイが目を見開きます。
「ちょっと珍しい才能みたいですよ」
「だから冷静でいられるのかな」
そのようです、とリースが頷きます。
「私の様子がおかしくなったら、止めてくださいね」
「そうさせてもらうよ」
それから、階を経るごとにリースの動きはどんどん精彩を欠いていきました。
シルバーウルフやブラッディウルフのように、本能に任せた攻撃や突撃を繰り返すようになるのです。
「リース! 止まれ! リース!」
「ハッ!?」
ホークアイが必死でその肩を掴まねば、シルバーウルフの爪が直撃していた場面。
済んでのところで正気に戻ったリースが石突を跳ね上げてシルバーウルフを昏倒させてますが、すぐに膝を衝きます。
「大丈夫か?」
「すみません、どんどん頭が……」
リースは両目を覆いながら唇を震わせます。
「少し休もう。まだ半分くらいだ……このままじゃ厳しい」
魔物たちの警戒をかいくぐり、どうにか小休憩できそうな小部屋に逃れて一息。
リースも落ち着いてきました。
「ご心配をおかけしまいした、もう大丈夫です」
「いや、もう少し休憩しよう。登っていくにつれて獣人たちの数も多くなってる」
「……そうですね」
瓦礫に腰掛けたリースは、明らかな疲労が滲んでいました。
肉体的なものではなく、浸食する狂気に抗う精神的なものです。
ホークアイが部屋の外を警戒しながら、リースの様子を伺います。
このままでは潰れかねない。
それが率直な見立てでした。
「進み方を変えよう」
「進み方、ですか?」
「ああ。リース、君はオレよりも強い」
言われてリースがきょとんとします。
「それは……私はずっとアマゾネスとして鍛錬してきましたから」
「それで君に前衛を任せる形だったが、まずはオレが前に出よう」
リースが眉をひそめます。
「しかしホークアイさんでは……」
「狂気の獣人たちの爪なんかは受けきれないな」
ホークアイがさっぱりとした顔で笑います。
「だから、オレの役目は引き付けて避ける。君は一歩だけ引いて視野を広く持ってくれ」
「……なるほど」
競り合いが続くほどに、狂気がにじり寄って思考力が落ちてくるのをリースは直感していました。
様子を見ていたホークアイも、およその傾向が掴めていました。
だから、まずはホークアイが身をさらし、リースには冷静に状況を見定めてもらうこと。
そして一撃で仕留め、闘争の熱狂に身を置かないように努める。
おそらく、最も狂気に思考力が奪われない立ち回りでした。
「……いいんですか?」
しかしその分ホークアイの負担は倍増すると言えるでしょう。
リースほどに攻防が強くないホークアイでは、ブラッディウルフの爪で致命傷に陥りかねません。
しかしホークアイは強がってウィンクしては、リースに笑いかけます。
「安心しなよ、砂漠では仕事中に掴まったことは一度もないんだ。任せてくれ」
「ホークアイさん……」
「おっと、それ」
ホークアイがリースに人差し指をつきつけます。
指さされて、リースが困惑しました。
「そろそろ、気兼ねや遠慮も取り払っておこうぜ。オレのことは呼び捨てにするんだ」
「えっ、えっと……ホークアイ……さん」
「だーかーらー!」
「す、すみません、つい」
リースが口元を隠して恥ずかしそうにします。
それからもう一度、居住まいを正し。
「分かりました、ホークアイ。よろしくお願いします」
「その丁寧な物言いも……」
「そ、それは許してください。急に口調を変えるなんて無理ですよ!」
「ちぇっ、お姫様だなぁ」
「これでもローラントの王女ですから」
ふたりがにっこりと微笑み合い、リースが立ち上がります。
「もう、大丈夫です。行きましょう」
こうして、ひとときの休憩と作戦タイムを済ませたふたりは、再び月読の塔に挑みます。