聖剣伝説3 TRAILS of MANA   作:モティ

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「リース」

 

 世界最大の大陸であるファ・ザード大陸。

 

 その東端に天を突く霊峰がありました。

 

 遥かな昔より、守護神が住むと伝えられるバストゥーク山です。

 

 守護神は乙女たちだけにのみ心を許すと伝えられ、故にバストゥーク山は女戦士アマゾネスによって守られてきました。

 

 そんなアマゾネスたちを軍として擁立する国が、バストゥーク山の中腹にありました。

 

 それが難攻不落と名高い、風の王国ローラントです。

 

 ローラントの王女リースは、アマゾネス軍のリーダーとして、その日も山中の警邏に出ていました。

 

 バストゥーク山は下草は目立ちますが、緑はそう多くない、岩肌が多い地形でした。

 

 起伏に富む地勢を、アマゾネスたちはなんなく行き来し、その精強さたるや並みの男が及ぶところではありません。

 

 ローラントとふもとを結ぶ山道、天かける道の一角でのことです。

 

 本筋から逸れた末端の行き止まりに、ハーピーと呼ばれるモンスターが羽を休めているのを見つけます。

 

 豚を乱暴にバラバラにして肉をむさぼっており、どこかの家畜を盗んできたものに違いありませんでした。

 

「私が行きます。みんなは他方の警戒を」

 

「リース様、どうか気をつけて!」

 

 副官のライザがリースを見送り、他のアマゾネスたちに指示を出し始めます。

 

 部下たちの声を背に、リースが槍を構えてハーピーの間合いに飛び込みます。

 

 人面鳥体のモンスターは、甲高い声を発してリースに襲い掛かってきました!

 

 「ローラントの平和を乱す魔物め!」

 

 翼になっている両腕で空を飛び、脚の爪で鋭く攻撃してきます!

 

「はっ!」

 

 リースは、下段に構えた槍の柄で爪を防御。

 

 ハーピーを突き上げるように槍で攻撃します。

 

 ざっくりと脚を傷つけることに成功しましたが、たまらずハーピーは上空に退避してしまいました。

 

 そのまま逃げてしまうかと思えば、旋回して様子見をしてくるではありませんか!

 

 やられっぱなしでは気が済まない!

 

 ハーピーの顔はそんな敵愾心がむき出しです。

 

 敵が手を出せない上空にあっても、リースは少しも慌てません。

 

 凛然と槍を構えなおし、頭上で回転させ始めました!

 

「風よ!」

 

 すると、槍の回転にかきまぜられた風が極小の竜巻を生み出し、ハーピーを巻き込んでしまいました!

 

「旋風槍!!」

 

 竜巻にかきまぜられ、風が乱れて制御を失ったハーピーが高度を落としていきます。

 

 そこへとリースが力強い踏み込み!

 

 真っ直ぐな槍の打突がハーピーを貫きました!

 

 ハーピーが動かなくなったのを確認すれば、リースは槍を納めて拳を握ります。

 

「やったぁ!」

 

 しかしその喜びもつかの間。

 

 リースはここ最近モンスターが頻出している事実に憂いを感じました。

 

「明らかに魔物の数が多くなってる……」

 

 そしてそれ以上に、風がリースを不安にさせるのです。

 

「それに、風……風が……風が泣いている……」

 

 リース自身、的確に表現できるわけではありませんでした。

 

 しかしどうしようもなく体感してしまうのです。

 

 風の流れが以前と比べておかしい、と。

 

 それが風の王国と呼ばれる故郷にとって、大きな意味を持つのではないか。

 

 そう感じずにはおれず、胸騒ぎがするのです……

 

 風の王国ローラント。

 

 王国と称されるローラントですが、国の在り様は、他の国とは少し異なる趣を持っていました。

 

 王様がいて、城下町があり、城があり、関所があり、商業をして農業を拓き、貿易をする。

 

 そんな誰もがイメージする王国と違い、ローラントと口の端に上る時、誰もがバストゥーク山の中腹に建てられた王城のみを想起するのです。

 

 この王城は、ほぼ王城だけで成り立っていました。

 

 商業や技術を発展させ、領土を増やして国民を増やす。

 

 そういった他の国家とは、方向性を異とする国なのです。

 

 つまり風の王国ローラントそのものの実体は、アマゾネスたちの軍事活動拠点としての意義が大きく、彼女たちの城塞と見ることができました。

 

 もちろん、王城のみで完全に立ちいくものではありません。

 

 もう少し俯瞰して見れば、ローラントとはバストゥーク山に点在する共同体を統括しているものと見ることができました。

 

 すなわち、ふもとの漁港や山の二合目程度に複数存在する部族の集落など。

 

 ローラントはこれらの共同体と人や物の流通を取りまとめ、武力による保障をする立場でもあるのです。

 

 バストゥーク山に点在する共同体全てを線で結んだ共同体。

 

 それこそをローラントと称することもできました。

 

 この統治機構の裏付けは、ひとえに山岳戦においては世界最強と名高いアマゾネス軍の強さです。

 

 精強無比の軍が守りを固め、風と険しい山岳に守られた難攻不落の王城。

 

 風の王国ローラントは、永遠に外敵の侵入を許すことはあり得ない。

 

 誰もがそう、思っていました。

 

 しかし──……

 

 さて、リースは見回りから城に帰還して、点呼や装備の管理を終わらせてリースが中庭で時刻を確認します。

 

「あら、もう武術の稽古の時間ね……エリオットを探さなくちゃ」

 

 いつもなら、帰って来たリースに飛びついてくる弟が、今日は姿を見せません。

 

 中庭にはいないのかしらと周囲を見渡すリースに、城の警備をしていたアマゾネスたちが挨拶の声をかけてきます。

 

「リース様、おかえりなさいませ」

 

「ええ、ただいま戻りました。あの、エリオットを見かけませんでしたか?」

 

「いえ、お見掛けしておりませんが……いつもなら、帰還されたリース様のところにすぐやってくるのに、変ですね」

 

 まだまだ構って欲しい盛りの弟は、リースと離れることを極端に嫌います。

 

 城外の見回りにも不機嫌になるほどなのです。

 

 これほど弟が姿を見せないことに、少しばかりリースは不安に駆られてしまいました。

 

 とはいえ、本格的にエリオットを探すより先に、王様に帰還の報告をしなければなりません。

 

 リースは城内に戻り、玉座の間へ真っ直ぐ進みました。

 

 玉座に座っているのはローラント王国の国王、ジョスター。

 

 リースの実の父親です。

 

「ただいま帰りました、お父様」

 

「戻ったか、リース。いつも苦労をかけるな」

 

「ローラントの平和を守るためならば、大したことはありませんよ」

 

 ジョスターが色を失った瞳でリースを捉え、穏やかに微笑みます。

 

「お父様、エリオットがいる場所をご存じですか?」

 

「いや、分からぬな。ふむ、部屋にはいないはずだが……どれ、少し気配を探ってみよう。待っておれ」

 

 そういって、ジョスターが瞑目しました。

 

 ジョスターはかつての戦いで光を失っていました。

 

 しかし視覚を失い、他の五感が研ぎ澄まされ、人の気配を察知する力はひときわ優れているのです。

 

 ジョスターが瞑目して精神を集中してしばらく。

 

「はて、掴み切れんな。しかしそう遠くへは行ってないようじゃ。おそらく……城のどこかにおるようだが……」

 

「ほんとにもう、どこ行っちゃったのかしら!」

 

「エリオットの部屋にアルマがいるようじゃ。話を聞くがよかろう」

 

「ありがとうございます、お父様」

 

 リースがエリオットの部屋に訪れると、やはり当人は不在でした。

 

 代わりにアルマが、エリオットの勉強の準備をしているようでした。

 

「ねえ、アルマ、エリオットを見かけなかった?」

 

「おや、あたしゃてっきりリースお嬢様と一緒だと思ってましたよ。いつもお嬢様のおそばを離れようとしないのに、珍しいですねぇ」

 

 アルマはエリオットの乳母を務めていた、元アマゾネスの兵でした。

 

 今は一線を退いていますが、外国にもその名が知れ渡っているほどの戦士だったと言われています。

 

「エリオット王子にとっては、リースお嬢様が母親みたいなものですから、仕方のないことかもしれませんが」

 

 リースとエリオットの母である王妃は、エリオットを生み、そのまま眠るようにその命を閉ざしてしまいました。

 

 母はエリオットの顔を見ることなく、亡くなってしまったのです。

 

 幼いリースの目に映ったのは、静かに眠る母の顔と、新しく生をうけたばかりのエリオットの顔でした。

 

 バストゥーク山に住む誰もが妃の死を悲しむ中、リースは一人で天の頂へ登り、涙が枯れるまで泣きました。

 

 しかし心優しいリースは、母の愛を知ることができない弟のために、母の代わりにエリオットへたくさんの愛情を注ごうと幼心に誓ったのです。

 

 リース自身、今なお母親を想い返して悲しみが溢れる年ごろです。

 

 それでも、エリオットを立派に育てないと。

 

 その思いがリースを突き動かします。

 

 首を振り、母親への思慕を心の奥にしまい込んで、エリオットを探します。

 

「エリオット~! どこにいるの~!?」

 

 さて、当のエリオットはといえば。

 

 リースが帰ってくる少し前のこと。

 

 そろそろ姉が見回りから帰ってくる時間だと、エリオットは自室から飛び出して中庭へと向かっていました。

 

 その道中、不思議なささやき声を聞いたのです。

 

 ──……王子さま……王子さマ……

 

「……え? なんだ……?」

 

 見渡しても誰もいません。

 

 空耳かと小首をかしげるエリオットに、

 

 ──…しーっ! 王子さま! あナたがエりオット王子で、間違いないね?

 

 やはり不思議な声が聞こえてきました。

 

 見れば、石畳から外れた地面に黒い影がうごめいているではありませんか!

 

 声はそこから聞こえるようです。

 

 ──ふふふ、これからとってもユカイなことが始まルよ!

 

 するとどうでしょう!

 

 影からするりと、謎の男が現れたではありませんか!

 

「じゃーん! 私は旅の手品師でーす! 王子さまにとっておきの手品をお見せすルため、参上いたしました!」

 

 ひょうきんなポーズと共に手印を結べば、ぽわわんとまんまるいヒヨコが三匹生まれて、あっちこっちに飛んでいきました!

 

「あはっ! すごいや!」

 

 エリオットは楽しい気持ちになってはしゃぎます。

 

「さぁお立合イ! お次はブンシンの術~っ! はいっ!!」

 

 謎の男が別の手印を結ぶと、ぼわんと煙で隠れたと思えばエリオットの背後で二人になっているではありませんか!

 

 そう、彼らはナバール盗賊団の双子、ビルとベンだったのです!

 

「王子さま、コれからもっとすごい手品があるよ!」

 

「あそこに地下室があるだろう? そこでもっとたくさんの手品をお見せシよう! さぁ、行こう!」

 

 こうしてエリオットは、ビルとベンを伴い地下室の最下層へとやってきました。

 

 地下室の最下層は、ローラント周囲の風をコントロールする制御室でした。

 

 難攻不落と呼ばれるローラントですが、険しい山岳だけでなく、激しい風もまた守りの要なのです。

 

 常にローラントを守る方向に吹く風が、時に敵兵を吹き飛ばし、時に敵の兵站を断崖絶壁に叩き落すのです。

 

 制御装置の中央にはマナストーンを模した魔晶石が備えられており、ローラント周辺の風のマナに作用していました。

 

 もしもこの制御装置を停止させてしまうと、ローラントは風の守りを失うことになるのです!

 

「ねえねぇ、はやく手品やってよ!」

 

「まぁまぁ、そう慌てナいで。私は手品師一号、ビルでござ~い!」

 

「同ジく二号、ベンでござ~い!」

 

「え? ぶんしんの術じゃなかったの? ……ねぇ、もっと、ちゃんとしたヤツないの?」

 

「ふふふ、そレではとっておきの超大魔術をご覧に入れましょう……」

 

「その前にぼうz……あア、いや、王子さま!」

 

 ベンがこほんと咳払いをひとつ。

 

「王子さまなら、こコがどういう場所かお分かりかな?」

 

「あたりまえだよ! ここはローラントでいちばんだいじな、風をコントロールするところさ! でも王族のカギがないと、動かせないんだよ!」

 

 エリオットが自慢げにコントロールキーを取り出して見せびらかします。

 

 小さな魔晶石が金に縁取りされ、しっかりとした造りのチェーンを使った首飾りでした。

 

 「ほほう! でハ、王子様、そのカギとやらで、ちょっとだけ風を止めてもらえるかね? 超大魔術とは、アの世から王子のお母様を呼び出す術なんだがね…」

 

「王子はお母様に、会いたくなイのかな? 風があると、お母様が天国から下りてきづらいのさ……さァ、お母様のために、風を止めてあげようジゃないか!」

 

「お、お母様に!? お母様に会えるの!?」

 

 その言葉は、エリオットにとって最も効果的な言葉でした。

 

 母の愛情を受けたことのないエリオットは、たくさんの人から愛されて過ごしてきました。

 

 父の愛、姉の愛、乳母の愛、ローラントのみんなの愛。

 

 でも。

 

 いつしか思うようになったのです。

 

 これは、母の愛とは違うものなのではないだろうか……

 

 エリオットとて、たくさんの愛が真実のものだと理解する心は育まれていました。

 

 でもだからこそ。

 

 いつしか本物の母の愛を、知りたいと思うようになったのです。

 

 会いたい、母に会いたい、と。

 

 他の愛がはっきりと心を埋めてくれるが故にこそ、母の愛が心にはまるはずの場所が、ぽっかりと抜け落ちていると理解してしまうのです。

 

 自覚できてしまうのです。

 

 母に愛されたことがないという事実を。

 

「で、でも……リースおねえさまが、風をぜったい止めちゃだめだって……」

 

「おお、何と可哀そうに! 王子はお姉さまにダまされているんだよ! お姉さまは、この術のことを知っていて、自分だけがお母様に会ッているのかも!?」

 

「そ、そんな!?」

 

「王子、ぼやぼやしていると見つかっチまうぞ!」

 

 お母様に会いたい。

 

 お母様に会いたい。

 

 エリオットの心が張り裂けそうなほどに葛藤します。

 

 しかし心の冷静な部分が、風だけは絶対に止めてはいけないと警鐘を鳴らすのです。

 

 風を止めていいのか、止めてはダメなのか、止めたい、お母様に会いたい!

 

 そんなぐるぐると迷い、エリオットが泣きだしそうになっていると、

 

「……エリオット~! ここにいるの~!?」

 

 エリオットを探すリースの声が聞こえてきます。

 

 声の反響から、どうやら地下室を降りてきているようでした。

 

「ほら! 噂をすレば……!」

 

「さぁ、急ぐんだ! おねえサまに見つかっちまったら、二度とお母様には会えないよ!」

 

「……うう…ううう……でも……でも……」

 

 エリオットはどうすればいいか分からず、制御装置の前で凍り付いてしまっていました。

 

「このガキ! 早くシやがれ!!」

 

 そんなエリオットの様子に、ベンがしびれを切らしたように火弾を一発、その足元にぶち込みました!

 

「ひぃっ!?」

 

 驚き怯えたエリオットは、咄嗟にコントロールキーを制御装置にあてがってしまったではありませんか!

 

 するとどうでしょう!

 

 制御装置がその働きを止めてしまいました!

 

「エリオット!!」

 

 まさにその時、リースが制御室へと駆けこんできます。

 

 怪しい二人組に取り囲まれたエリオットを見つけて仰天せざるを得ません!

 

 槍を構えて、ビルとベンを睨みつけます!

 

「何者だ、おまえたち!? エリオットを放しなさい!」

 

「おねえさま!」

 

 拘束されていたわけではないエリオットが、慌ててリースの元に駆け寄ります。

 

 しかし目的を果たしたビルとベンはもうエリオットに目もくれません。

 

「ふ、ふははは、やった! やっタぞ! ローラントなど、この風さえなければナバールの敵ではない! 今ごろ城内を、我が軍がいっセいに侵攻を始めているはずだ!」

 

「くくく、ローラント城は我々ナバール盗賊団、あラため、ナバール王国がいただいていく! 盗賊団最後の仕事、城を盗ムことだなんて、イカスだろ?」

 

「あ、ああ……!」

 

「おのれ! 間者め!」

 

「おっと、オレたちに構ってるヒマはあるノかな、王女さま? 国王は目が見えないのだろう? 今ごろどうやって戦っていルのかなぁ?」

 

「ッ……! お父様! エリオット! 来なさい!!!」

 

 エリオットの手を引き、後退しようとしたその時です!

 

 鋭い音を伴い、手裏剣がリースに飛んで来たではありませんか!

 

 リースはエリオットをかばうように、槍で手裏剣を弾き飛ばします。

 

「もっとも、行かせナいがね」

 

「アマゾネス軍団のリーダーはこコで足止めだ」

 

「それにイザベラ様から、エリオットとイう王子は絶対に確保しろとの厳命だからな……」

 

「なんですって……!」

 

 リースの困惑をよそに、ビルとベンが短刀を手に手に、連携の攻勢に打って出ました!

 

 リーチで勝る槍を巧みに操り、ふたりの攻撃を捌きますが、いかんせん手数が違います。

 

「そコだ、行けベン!」

 

「おウ、ビルよ!」

 

 がぎん、とビルの短刀が槍を押さえつけた隙に、ベンがリースをすり抜けて、エリオットへ飛び掛かります!

 

「この、曲者! エリオット様から離れろ!」

 

 しかしその時、アマゾネス軍のナンバーツー、ライザがやってきて槍でベンへと突きかかります。

 

 なかなか鋭い槍捌きに、これにはベンも一時後退。

 

 ビルと並んで構えなおします。

 

 さらにライザに続いて、三人ほどアマゾネスの兵たちもやってきて、ビルとベンに槍を構えます。

 

「リース様! 城が敵軍に!」

 

「分かっています! あなたたちは、あの間者ふたりを抑えてください……私とエリオットは、お父様のところへ!」

 

「はい!」

 

 こうしてビルとベンをライザたちに任せて、リースはエリオットの手を引き、地下室から城内へと駆け戻っていきました。

 

 中庭へと戻ると、そこは地獄のような光景が広がっていました。

 

 あちこちに火の手が上がり、何人ものアマゾネスたちが倒れています。

 

 キン、キンと方々で金属がぶつかり合う音も聞こえて、ここが戦場となってしまったことをいやがおうにも実感させられてしまうのです!

 

「しっかりしてっ! だいじょうぶ!?」

 

 近場で倒れているアマゾネスに駆け寄ると、まだ息はあるようでした。

 

「……も、申し訳ございません……リース様……風が止まって……敵が城内に、眠りの花粉を……む、無念です……どうか、はやく国王のもとへ……」

 

 バストゥーク山の低い位置に生息する花の一部に、強力な睡眠成分を持つものがありました。

 

 ローラントの民も一度や二度はこの花粉にやられてしまうことがあるほど、身近にある毒物です。

 

 この花粉で眠ってしまうと、ある程度の年数は耐性ができるのですが、やがてその抵抗力も弱まっていきます。

 

 いつ耐性が切れるかは本人すら分かるものではなく、おそらく眠ってしまった者が三割以上には上ると思われました。

 

 そんな混乱の中で奇襲されたのです。

 

 これは、まずい。

 

 想像以上の危険な状況に陥っている現実に、リースは背筋が凍り付く思いでした。

 

「あ……ああ……あああ……!」

 

 エリオットもまた、この事態を引き起こしたのが自分であると自覚して、へたり込んでしまいました。

 

「おっと、まだ眠っていないヤツがいるぜ」

 

「見ろ、こいつはリース王女だ!」

 

「へっへっへっ、こりゃ美人だ! 捕まえてたっぷりと楽しませてもらおうぜ!」

 

 そんなリースに、ナバールのニンジャ兵たちが群がってくるではありませんか!

 

「許さない……ナバール!!」

 

 怒りに燃えるリースが、ニンジャたちに暴風のような槍を見舞います!

 

 さしものニンジャたちも、アマゾネスのリーダーの槍を真正面から受けてはどうしようもありません。

 

 あっという間にニンジャたちを血祭りにあげて、エリオットの手を引きます。

 

「エリオット、お父様のところに行くわ。玉座の裏に王族専用の脱出路がある……そこから、あなたがお父様を支えて逃げるのよ……」

 

「で、でも……おねえさまは……」

 

「……お父様のところに、行くわよ」

 

 討ち死にを覚悟で徹底抗戦をする。

 

 そんなことをまだ幼い弟に言えるはずがないリースは、エリオットから目を逸らして玉座の間へ走り出しました。

 

 城内もまた、悲惨な状態でした。

 

 たくさんのアマゾネスが倒れ伏し、火はかなりの広い範囲に及んでいます。

 

 エリオットを守りながら何人ものニンジャを倒し、階段を上がれば玉座の間。

 

 そんな折。

 

「リース王女、お待ちしておりました」

 

 その行く手に立ちふさがる男がいました。

 

 ひどく顔色の悪い、貴族めいた上品な仕草の男です。

 

「貴様もナバール兵か!」

 

「ふ、あんな連中と一緒にされては困る……」

 

 槍を構えるリースと、その背後で怯えるエリオットを、男は血のように赤い瞳で睥睨します。

 

 そして、かっと瞠目したかと思えば、まるでその視線に射抜かれてしまったかのように、リースとエリオットは身動きが取れなくなってしまいました!

 

「な……身体が……!?」

 

「私は邪眼の伯爵……あなたの弟、エリオット王子をお迎えに上がった……我々の計画に、エリオット王子が必要不可欠なのだ」

 

 すぅと体重を感じさせない歩調で、邪眼の伯爵が近づいてきます。

 

 エリオットが必要と言いながらも、邪眼の伯者の瞳はリースに釘付けでした。

 

 しかも、鼻先が触れ合いそうなほどの距離で、邪眼の伯爵がリースの瞳を覗き込んでくるではありませんか!

 

 近づくごとに、リースは邪眼の伯爵がまとう尋常ならざる鬼気に、本能的な恐怖を覚えずにはいられませんでした。

 

 しかし金縛りにあったかのように、リースは指一本動かせないのです!

 

「美しい……命令ではエリオット王子だけでよかったが……リース王女……あなたの美しさは、宝石にも勝る……」

 

 邪眼の伯爵が、うっとりとした様子でリースの頬に指先を這わせます。

 

 まるで、死人のような冷たさにリースはびくりと身をすくめました。

 

「そう、エリオット王子は、我が主に……そしてリース王女……あなたは私の妻に──」

 

「嫁入り前のお嬢様に、汚い手で触れるんじゃないよ!」

 

 瞬間、邪眼の伯爵の頭上から槍が突き入れられました!

 

 死人のような伯爵は、するりと後退してその槍を躱しましたが、それでリースとエリオットの呪縛が解けました!

 

 リースとエリオットを守る立ち位置で槍を構えるのは、乳母のアルマではありませんか!

 

「アルマ!」

 

「お嬢様は早くジョスター国王の元へ!」

 

 見ればエリオットは、呪縛が解けても腰が抜けたように立ち上がれないようでした。

 

 エリオットの手を引いて行くよりも、まずは自分がお父様の元へ行かなくては。

 

 呪縛の中であってもつないでいたエリオットの手を、リースは放しました。

 

「あ」

 

 エリオットはその心細さに、すがるようにリースを見上げてきます。

 

 その瞳は、まるで見捨てられた者の眼差しでした。

 

 いいえ、エリオットとて、頭では理解しているはずです。

 

 この緊急事態、早急に国王の元に誰かが駆けつけねばならないことを。

 

 自分が自力で立てない足手まといであることを。

 

 しかし幼い心は、そう割り切れません。

 

 リースは胸が締め付けられる思いで、エリオットから視線を切って踵を返します。

 

「エリオット王子はいたダいていくぜ!」

 

 その瞬間!

 

 なんとエリオットの影からビルが現れて、エリオットを羽交い絞めにしてしまったではありませんか!

 

「エリオット!」

 

 ビルが軽快に距離を取り、追いすがろうとしたリースの前に、ベンが短刀を構えて立ちふさがります。

 

 そこにビルとベンを抑えていたはずの、ライザたちも駆けつけます。

 

「リース様! 申し訳ありません、ニンジャたち逃げられてしまい……ああ!」

 

 まさにビルがエリオットを羽交い絞めしている状況に、アマゾネスたちが悲鳴を上げます。

 

 邪眼の伯爵が低い声で笑い声を漏らします。

 

「よくやった……おまえたちはエリオット王子を丁重にナバールにお迎えしろ……」

 

「はハっ!」

 

 こうしてニンジャマスターたちは風のように場外へと走っていきました。

 

「エリオット!」

 

「お嬢様は国王様の元へ! エリオット様は我々が……くっ!」

 

 リースを制して飛び出そうとしたアルマへ、邪眼の伯爵のマントが翻り、伸びてきます。

 

 ただの布のように見えて、鋭利な切れ味を見て取ったアルマが槍で防御!

 

 柄が半ばまで切り裂かれるほどの威力ではありませんか!

 

 邪眼の伯爵がアルマにうっそりと笑いかけます。

 

「おまえが一番の手練れだろう? 行かせないよ」

 

「……この男はあたしが抑える! ライザ! あんたちはエリオット様を!」

 

 アルマが瞬時に判断をして叫びます。

 

「は、はい!」

 

 アマゾネスたちが青い顔で返事をすれば、整然とビルとベンを追いかけます。

 

「わ、私も……」

 

 そにリースが続こうとした時です。

 

「リース様!」

 

 邪眼の伯爵から視線を外さないまま、城を震わすほどの一喝がアルマから飛び出しました。

 

「ジョスター国王の元へ! 間に合わなくなる!!」

 

 血を吐くようなアルマの叫びに、リースが玉座へと走り出します。

 

「……ッ……!」

 

 リースが走り出したと同時に、アルマと邪眼の伯爵が戦いを始めました。

 

 熾烈な戦いの気配を背に、こうしてリースは玉座の間へと辿り着きました。

 

 そこでは、アマゾネスたちやニンジャたちが何人も血まみれで動かなくなっており、ジョスター国王もまた、力なく倒れていました。

 

 その体は血まみれで、敵の刃を何度も受けているようです。

 

 もう、長くはないのが一目で分かりました。

 

「お父様!!」

 

「……うぐ、う……リースか? ……ぐふっ……」

 

「しゃべらないで!」

 

「……はぁはぁ、すまぬリース……この日が来ることを、風が泣いて知らせてくれていたのに……マナの変動が……ワシのカンをにぶらせたのかもしれん……」

 

「お父様……そんな……間に合わなかったの……? それに、エリオット……エリオットが……私が……手を放したせいで……」

 

「……すでに城内にはエリオットの気配はない……城外……そうか、さらわれたのだな……しかし、ライザたちも追いかけている……」

 

 ジョスターの声は息も絶え絶えで、今にも途切れそうなものでした。

 

 それでもなおジョスターはなんとか立ち上がり、玉座の裏側へと足を運びます。

 

 そして何かの操作をすれば、がこんと下り階段が現れました。

 

 緊急の脱出路でした。

 

「リース、ここから逃げるんだ……そして……ローラントを再び……ごほっ」

 

「お父様……! お父様も一緒に!」

 

「いいや……わしはもう助からない……それに、お前が逃げた後、この抜け道を閉じねばならないからね……」

 

 頭が真っ白になってしまったリースの唇は、何を紡げばいいのか。

 

 ただ震えるばかりでした。

 

 ジョスターの弱々しい手が、リースの肩を叩きます。

 

「リース……つらいだろうが……今は生き延びるために、こらえてくれ……この城で討ち死にするのは、たやすいことだ……しかし、それはローラントの滅び……おまえが生きのびれば、ローラントは未来につながる……つながって、ゆけるのだ……」

 

 そして、最後の力を振り絞るように、リースを脱出路へと押し込みます。

 

 別れ際、ジョスターは首から下げていたペンダントをリースに手渡します。

 

 ジョスターが持つ、制御室のコントロールキーです。

 

「持ってゆけ。いつか、おまえが心から想い合える相手に、これを継いで欲しいと思う……ふふ、これを作る時、ミネルバが鎖にこだわったものだ……」

 

「お母様が……?」

 

「革紐や布ではなく、鎖でなくてはダメだ、とな……」

 

 コントロールキーはペンダントの形を取っていますが、首にかける紐はチェーンが使われていました。

 

 しっかりとした造りで、簡単に千切れることのないものです。

 

 千切れることなく、つながってゆきますように。

 

 母が、そんな祈りを込めたのだとリースは直感します。

 

「鎖は、環を連ねていく。そうやって、輪になる……つないでゆく象徴なのだそうだ……わしとミネルバ。おまえとエリオット。さらに、その次に、その次に……」

 

 ならばこのペンダントは、コントロールキーという以上に、大切なつながりを証すためのもの。

 

 リースは目が開くような心地で、ジョスターの言葉を噛み締めました。

 

 見えなかった母の手が、ずっと肩を支えてくれていたと今になって気づくように。

 

 ぬくもりが胸に広がるようでした。

 

 言い終えたジョスターが、いっそう激しく咳き込みました。

 

 血を吐き、大きく息をして、ジョスターは意を決したように脱出路の扉に手を掛けます。

 

「リース、エリオットを……そしてローラントを……頼んだよ……」

 

「お父様……」

 

 リースが最後に見たのは、ジョスターの優しい微笑みでした。

 

 ひどく古びて錆びついた扉が音を立てて閉ざされ、脱出路はもう二度と開かなくなりました……

 

「お父様!!!」

 

 ──……ローラントのアマゾネスは、ナバールのニンジャ兵たちに蹂躙の限りを尽くされました。

 

 リースが脱出路から外に出たのは、城の制圧が完了した後のこと。

 

 脱出路は、ずいぶんと長い距離を掘られたトンネルでした。

 

 城門を越えて城に続く山道の、非常に見難い片隅が出口となっていました。

 

 慎重に身をはい出したリースが見たものは、燃えるローラント城でした。

 

 真っ赤な炎が城を舐め、その熱がここまで届くようです。

 

 いえ、届いたのは熱ではなく、笑い声のような気がしました。

 

 燃えろ燃えろと、狂ったような哄笑。

 

 ──……ああ、

 

 ローラントは狂気に燃やされたのか……

 

 炎上する城を見つめ、リースの心の中で、平和が音を立ててはっきりと崩れてしまったことを自覚します。

 

 平和だった日々。

 

 愛する家族の思い出。

 

 仲間たちと充実した研鑽。

 

 肚の底が焼けつくような、グチャグチャの感情で脳がしびれ、今にも膝から崩れ落ちそうなほど力が抜けていく感覚。

 

 それでも今、手の中に残されたジョスターのペンダントがリースの正気をつなぎとめます。

 

 そんなリースを、……小さな風が通り過ぎて往きました。

 

「……風……風が……」

 

 しかしもう、何もかもが手遅れでした。

 

「……今さら……風が……戻ったって……!」

 

 全身から力が、魂が抜けてしまうような虚無感のままリースはふらふらと歩き始めます。

 

 燃える王城を背に。

 

 ローラントに背を向けたことでようやく。

 

 虚ろな瞳が、ようやくリースに涙を流すことを許しました。

 

「……エリオット……探さなきゃ……でも、どこに……」

 

 そこでふと、リースは思い返します。

 

 以前、ジョスター国王が困った時は聖都ウェンデルの光の司祭様を訪ねなさいと……助言してくれたことを。

 

「きっと、お導きくださるはず……」

 

 それは希望というにはあまりにもか細い灯火でした。

 

 しかし故国を失ってしまったリースにとって、すがるしかない道標。

 

 歩を進めながら、リースは絶望の虚無感から目を逸らし、ひたすらにウェンデルに辿り着く未来を……ローラントを取り戻す未来を念じます。

 

 天かける道の途中。

 

 涙も枯れ果てた頃、リースは少しだけ心を取り戻していました。

 

 すなわち、もう戻らない命を悼む心。

 

 つり橋の上で、ひときわ強い風がリースに吹きすさびました。

 

 ああ、ローラントで失われた命が、この風にのってマナへと還るのだろう──

 

 ならばそこには、先に逝った母も、いるのだろうか。

 

「……お母様……お父様やみんなをどうかお迎えください……私は……エリオットを必ず助け出します……」

 

 リースが母の形見のリボンを解けば、長い髪が風に梳かれてはためきます。

 

 そして手の中のリボンを見下ろし、そっと握り締めました。

 

「お母様……どうか見守っていてください……」

 

 風が止んだ頃合い。

 

 リースが髪を結い直し、先へ進もうとした、その時です。

 

 宙を舞う弱々しい光がリースの視界に映りました。

 

「あれは……?」

 

 光は明滅しており、今にも途切れてしまいそうです。

 

 直感的にリースは、あれが死にかけている命なのだと理解します。

 

 モンスターの類かもしれない。

 

 しかし、ああも衰弱して、今にも落下していきそうな儚さを放っておくこともできませんでした。

 

 リースが追いかけてみると、山道の片隅に光が不時着して、光が途切れて人の形を取ったではありませんか!

 

 いいえ、小さな羽の生えたこの形は……

 

「妖精!? しっかりして、だいじょうぶ?」

 

 片膝をついて心配そうにのぞき込むリースの声に、妖精が小さく呻き声を上げます。

 

「うう……」

 

「ど、どうしましょう……どうしたら……」

 

 どう手を施せばいいか分からないリースが困っていると、疲労困憊した様子ではありますが、妖精が起き上がり、宙に浮きあがりました。

 

「はぁ……はぁ……こ、ここは……?」

 

「ここは天かける道……ローラントへ続く山道よ」

 

「ローラント……? 全然違うところに出てきちゃったのね……いいえ……そもそもわたしがこっち側に辿り着けただけでも……奇跡のようなものだわ……」

 

 妖精の浮遊はひどく不安定です。

 

 今にも消えてしまいそうなほどの消耗をしているのが目に見えました。

 

 心配そうにリースが尋ねます。

 

「だいじょうぶ? あなたは何者……?」

 

「わたしはフェアリー……マナの聖域から来たの。あなたは?」

 

「私はローラントのアマゾネス、リースです」

 

 マナの聖域。

 

 困惑するリースに、フェアリーが懇願をするように両手を合わせました。

 

「ねぇ、お願い。わたしを聖都ウェンデルにつれていって……もう一刻の猶予もないの!」

 

「え? 私もウェンデルへ向かう途中でしたから構いませんが……」

 

「よかった……もう飛ぶ力も残っていないわ……」

 

 それから、フェアリーはリースへ近づきます。

 

「ごめんなさい……少しだけ、あなたの中で休ませてちょうだい……もう、私は長くないから……あなたを煩わせる時間も、きっと短いわ……」

 

「え? それはどういう……」

 

 リースの問いかけよりも早く。

 

 フェアリーがリースに触れました。

 

 するとどうしたことでしょう!

 

 フェアリーが再び燐光にほどけて、リースの輪郭の中へと流れ込んでいってしまったではありませんか!

 

「こ、これは……!? フェアリー!?」

 

 ──だいじょうぶ、わたしはここにいるわ……

 

「きゃっ!? 頭の中から声が!?」

 

 ──ごめんなさい……できるだけ、うるさくないようにするわ……でも、消えたわけじゃないの……だから、どうか……早く、早く……聖都ウェンデルに……

 

 心の中に聞こえる声が、力尽きるように静かになっていきました。

 

 感覚的に、リースはフェアリーが眠ったのだと理解します。

 

「ど、どうなってるのかしら……」

 

 不思議と、嫌悪感や忌避感はありませんでした。

 

 むしろ小さな命を助けることができたのだと思うと、安心する気持ちすらあります。

 

 少しの間、自分の体に触れてみますが、フェアリーを宿した変化はないようです。

 

 でもそれ以上に、不快ではない困惑の中で、リースはローラントを滅ぼされた悲しみが、ほんの少しだけ紛れたような気がしました。

 

 こうして、リースは聖都ウェンデルへと旅立ちます。

 

 国を失い、最愛の父も失ったリースに、残された希望はあまりに小さいものでした。

 

 弟のエリオットを探し、国を取り戻す。

 

 絶望的とすら言える目的にくじけそうな心を叱咤して、リースはウェンデルを目指すのです。

 

 しかし、この時リースは、世界の命運をかけた戦いにやがて自分が巻き込まれていくことなど、知る由もありませんでした……

 

 物語は、まだ始まったばかりなのです……

 

 

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