ラビの森は、名前の通りラビがたくさん生息する森林です。
岩場も多いため、隠れていたラビとひょっこり行き会い、かじりつかれることもしょっちゅうです。
とはいえ、剣を持つデュランを脅かすものではありません。
デュランは青々と茂る木々の色や匂い、清く流れてゆく川の美しさを新鮮に思いながら旅をしました。
高原や草原の国であるフォルセナに、ここまで豊かな森林はそうありません。
まったく違う国に来たのだと、デュランは興味深い気持ちになりました。
道中、ラビの他にもキノコの魔物マイコニド、蜂とカマキリが合わさったような魔物アサシンバグなどが襲い掛かります。
デュランにそれらもばったばったとなぎ倒し、連なる山が見える方角へと目指します。
ファ・ザード大陸の中部と東部は、広大な山脈で分断されていました。
この山々の中に滝の洞窟が通っており、ラビの森とウェンデルをつなげているのです。
何度かの野営を経て、遥か遠かった山脈へと近づいてきた頃合い。
いくつかの立て札を見つけ、「この先、滝の洞窟」だったり、「この先、湖畔の村アストリア」といった表示があります。
デュランが滝の洞窟の方へ歩いていくと、岩場が突き出て、道なりに屋根を作っているような一角に辿り着きました。
山の高い位置から流れてくる水が、この屋根を伝ってしたたり川に流れていく様は、自然の美しさを感じさせます。
道にはちょっとした階段がこしらえられたり、たいまつも掲げられており、人の手が加わっているのが見て取れます。
道なりに進んでいけば、ぽっかりと口を開く洞窟が見えてきました。
あれこそまさに滝の洞窟!
これを抜ければ、いよいよウェンデルです!
さっそく勇んで洞窟に入ろうとすると、
「あだっ!?」
なんとデュランは、不思議な力に押し返されてしまったではありませんか!
まるで洞窟の入り口に、見えない壁がそびえたち、来るものを拒んでいるかのようです。
「な、なんだこりゃ!?」
ぶつかった鼻っ面を撫で、今度はゆっくりと手を差し伸べます。
やはり、見えない何かの感触が返ってきます。
「結界か!? ここまで来てそりゃないぜ!」
デュランは剣を抜いて、力強く斬りかかりました!
しかし結界はびくともせず、デュランの剣の方が押し返される始末!
何度も斬りつけたり、どこかに隙間がないか試してみましたが、どうにもなりません。
肩で息をするほどあれこれ試して、どうも今のままではダメだと結論づけるしかありません。
「くっそ~ここまで来て……なにか呪文が必要なのか? どうすりゃいいんだよ!」
呆然と立ち尽くすデュランは、いったん来た道を戻ります。
近くに湖畔の村があるはずだ、そこで話を聞いてみよう。
こうして湖畔の村に導く立て札を探しては、デュランはさらに南下していきます。
デュランが湖畔の村アストリアまで辿り着いたのは、日が暮れる手前の時刻といったところでした。
アストリアは大きくありませんが、穏やかで豊かな村のようでした。
畑はよく耕され、道も綺麗に整備されています。
思わず湖畔の桟橋に足を運んで、デュランは雄大な湖を望みます。
アストリアはファ・ザード大陸でもっとも大きな湖の北端に位置し、その対岸に聖都ウェンデルが鎮座しているのです。
湖は遠目からでも対岸が見えない巨大さで、デュランは暮れなずむ湖の情景についつい心を奪われてしまいました。
「やぁ旅の人、どうだいこの湖は。大きくて素晴らしい景色だろう?」
村人がにこにこと声をかけてきました。
「ああ、急いでるんだけど、つい見惚れちまった」
「はっはっはっ、田舎の村だが、この湖は自慢なんだよ。ゆっくり見ていってくれよ」
朗らかな村人の様子に、村を誇りに感じている思いがありありと伝わってきました。
その嬉しそうな顔に、デュランも国を誇りに思う気持ちで共感してしまいました。
「ゆっくりしたいのはやまやまなんだがな。早くウェンデルに行きたいんだ。でも、滝の洞窟に結界があって、あれは外せないのか?」
「ああ、そのことか。ウェンデルから神官様がやってきてね、なんでもジャドの方から危険な気配を感じるから封鎖したらしいんだ」
「獣人たちのことか!」
「獣人? どういうことだい?」
どうやら、アストリアまでジャドの状態が伝わっていないようです。
「今、ジャドは獣人に占領されて、ウェンデルが攻められそうなんだよ」
「ええ!? そんな事態なのかい!? でも、それなら神官様の読みは当たっていたってことか」
村人が目を白黒させて驚きます。
「その神官なら結界を外せるのか?」
「そりゃあ、結界を張った本人だから外せると思うが……」
「……どっちにしろ、ウェンデルにジャドの状況を知らせるなら、その神官ってヤツに話をつけた方が早そうだな。なぁ、あんた、神官はどこに行ったんだ?」
「ラビの森だよ。最近、このあたりに不思議な光があらわれるんだ。それでウェンデルから神官様がやってきて、調査してくださってるというわけさ。でも、今から追いかけるつもりかい?」
もうあと少し日が落ち切る時刻。
例え軽くあしらえるような魔物ばかりだとしても、シェイドの刻の森は危険です。
「悪いことは言わない、今日はここで休みなさい。神官様も、区切りをつけてこの村に戻ってくるんだ。休憩や補給にね」
「……帰って来た神官を捕まえる方が無難ってことか」
デュランは渋い顔ですが、ジャドからこちら野営でここまでやってきました。
ひとまずこの村できちんと休み、補給をした方がいいでしょう。
デュランは頷きます。
「分かった。今晩はこの村で休ませてもらおう」
「宿屋の場所は分かるかい? ほら、村の入り口のあたりの……あそこだよ」
「ああ、ありがとう」
こうして、デュランはアストリアの宿屋を訪れました。
宿屋はすっかり腰の曲がった老人が切り盛りしているようですが、かくしゃくとして店の手入れも行き届いていました。
「オヤジ、一晩泊めて欲しいんだ」
「はいはい、あんたウェンデルへの旅人じゃな?」
「ああ。しかし滝の洞窟の結界で足止めだ」
「ヒース様の結界ですのう。ヒース様に話を通せば、きっと結界を外してくれるはずじゃが……」
「もし帰ってくるなら捕まえて話をしたい。オヤジ、ヒースって人が戻ってきたら知らせてくれないか? 帰ってこなくても、日が昇ったらこっちから探しに行くつもりだ」
「そりゃ構わんが……ふうむ、少し間が悪かったのう。ヒース様と一緒に森を調査しておった獣人が、さっきまで休んでいたんじゃ。すっかり回復したから、また森に戻って行ってしまった。彼なら、ヒース様の行方を知っていたかもしれんのに」
「獣人? なんだって獣人が?」
「なんでも森で知り合って、仲良くなったらしいが、その獣人も毒を受けて苦しんでおったからのう」
詳しくは聞いておらん、と宿屋の主人が首を振りました。
デュランが訝し気な顔をします。
「その神官ってのはウェンデルから来たんだろう? ジャドが占領されたってのに、獣人と仲良しだって?」
「なに、ジャドが占領とな?」
「ああ、獣人たちが我が物顔だぜ」
デュランがジャドの話をすれば、宿屋の主人はううむと唸り、ぽつりと詩の一節のようなことを口走りました。
「幻の光があらわれる時、獣によりて村は滅ぶ……」
「なんだそりゃ?」
「この村の言い伝えですじゃ……まさか、幻の光とはヒース様が追っている光で、獣とは獣人たちのことでは……」
「なんだ、言い伝えかよ」
デュランはあまり興味がない様子で一笑に付しました。
料金を支払って、「オヤジ、とにかくオレは休ませてもらうぜ。ヒースってのが来たら寝ていても起こしてくれ、頼むぜ!」と部屋に行ってしまいました。
こうしてデュランは部屋で荷を解いてくつろぎました。
そして宿屋の主人が用意してくれた食事をとった後、食料や旅の道具を補充できるだけ買い出して、すぐに眠りに落ちてしまいました。
湖畔の村もすっかり夜が更けた頃合い。
デュランが熟睡していると、ふと窓から強烈な光が差し込みます。
もう朝か? と瞼の裏にまで突き刺さる光に目を開けて起き上がると、なんだか不思議な光が外を飛んでいるではありませんか!
「な、なんだありゃ!?」
窓を開けて確認しようとした時には、光は森の方へ消えていました。
呆然としていたデュランですが、ふと村人との話を思い出します。
いわく、ウェンデルから来た神官は不思議な光を調査しているとか。
あれがそうか!
とピンときたデュランは、特急で装備を掴んで部屋を出ます。
あれを追いかければ、ヒースって人と出くわせるかもしれない!
宿屋の主人も、あの不思議な光を見ていたらしく、面食らった顔です。
「あ、お客さん……あんたも見たのかい、あの光を!」
「ああ。オレはあの光を追いかけてくる!」
「き、危険じゃぞ! ああ……マナの女神様、お守りくだされ、お守りくだされ……」
恐れおののく主人を置き去りにして、宿屋を飛び出したデュランは、森の方に消えた光を追いかけました。
光は強烈に光ったり、弱々しくはかない燐光になったりと、ひどく不安定な状態です。
おまけに空を飛んでいるものですから、光を追いかけるデュランは川を迂回したり、高低差のある岩場をよじ登ったりとひと苦労。
何度か見失いそうになりながら、デュランはなんとか光を追跡します。
道中、周囲に気を配ってウェンデルの神官らしい者も追っていないか見渡しますが、どうも自分ひとりだけのようです。
地元の者は森にちらほらいましたが、彼らは光を恐れて遠ざかろうとする者ばかりでした。
ついに光が力尽きるように、その高度を落としたのはアストリアからずいぶんと離れた、湖を臨む花畑でした。
結局デュラン以外、誰もその花畑まで来る者はいませんでした。
光を追いかければ、ウェンデルの神官ヒースとやらに会えると思ったのに!
そんな目論見のアテが外れたとはいえ、デュラン自身も光の正体が気にはなっていました。
ゆっくりと歩み寄ると、光の正体は、なんと小さな妖精ではありませんか!
花畑に倒れる姿は、ひどく衰弱している様子でした。
「お、おい! だいじょうぶか? しっかりしろ!」
デュランに声をかけられて、妖精は小さくうめいて、身を起こします。
そして、力を振り絞るように浮き上がりました。
「はぁ……はぁ……だいじょうぶ……あなたは……?」
「オレはフォルセナのファイター、デュランだ。アストリアの宿で光が見えて追いかけてきたんだ……おまえ、何者だ?」
「デュラン……この際、しょうがないわね……あなたに決めちゃおう!」
「なんの話だ?」
「ううん、なんでもないわ。わたしはフェアリー。マナの聖域から来たの。ねぇ、お願い! わたしをウェンデルの光の司祭様のところに連れて行って! これ以上、飛ぶ力が残っていないの……」
「ああ、オレもウェンデルに行くつもりなんだ。でも、滝の洞窟の前に結界が張られて通れないんだ」
「結界? それなら、わたしがいればきっとだいじょうぶよ。お願い、急いで! マナの樹に異変が起こっているの!」
「マナの樹? マナの聖域とか、マナの樹とか……なんだってんだ?」
聞きなれない単語にデュランが首をかしげていると、東の方角が不自然に明るくなるのに気づきました。
この花畑が湖を臨む位置なので、湖の上に遮るものがなく、発生源がよく分かります。
アストリアです。
そう、アストリアが燃えているではありませんか!
「……なんだあの火の勢い!? 火事どころじゃないぞ!」
デュランと共に炎を確認したフェアリーが、焦ったようにデュランの肩に停まります。
「急いで行ってみましょう! わたしはあなたの中に入り込んで、休ませてもらうね。姿が見えなくなるけど、心配しないで」
そしてその身を再び燐光に変じて、すぅとデュランの体の中に溶けて消えてしまったではありませんか!
「ええっ!? ちょ!? ど、どういうことだよ!?」
──早くアストリアに行きましょう!
「うわ、頭の中から声が!?」
消えてしまったフェアリーに困惑していれば、そのフェアリーの声が脳裏に響きます!
なんとも不思議な感覚に、デュランが狼狽していると、
──早く早く!
などとさらに一喝が響きます。
「わ、分かったよ。うへ~変な感じがするなぁ」
こうしてデュランはフェアリーと一緒に行くこととなりました。
アストリアに戻る道中、デュランが思い出すのは宿屋の主人が口にしていた伝説でした。
幻の光があらわれる時、獣によりて村は滅ぶ。
アストリアに上がった炎が、伝説が現実となったものならば、滅びに向かっているということでしょうか。
小さな村とはいえ、かなりの数の住人たちが過ごしていました。
全滅するとなれば、これは大ごとです。
ウェンデルの神官ヒースも巻き込まれている可能性だってあります。
伝説がいう獣というのは、獣人のことなのでしょう。
ならばアストリアを滅ぼした足で、ウェンデルへ向かっているのかもしれません。
しかし結界があるから侵攻できないか?
いや、ヒースってヤツが巻き込まれて死んでいたら結界は外れるのか?
もしかしたら、死んでも外れないタイプの結界かもしれないのか?
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、デュランはとにかく急ぎました。
アストリアに辿り着いたのは、もう夜が明けて空が白み始めた頃。
家屋の大半が焼け落ちて、火は落ち着いているのですが、延焼がちろちろとまだ残骸に居座っている惨状でした。
惨状でした。
無惨に引き裂かれ、容赦なく暴虐にさらされた村人たちはもうぴくりとも動きません。
「あんた! おい! しっかりしろ!」
村の出入り口付近に倒れていた者を助け起こそうとしても、既に冷たくなっていました。
その背中には大きな爪痕が残っておりました。
デュランの中から、ふわりとフェアリーが姿を現して、いたましげな顔になります。
「ビースト兵にやられたんだわ……」
「ひでぇことをしやがる……」
「一刻も早くウェンデルに行かなきゃ! 光の司祭様に伝えないと!」
少しだけ、アストリアを見渡しました。
生存者がいるかもしれない。
しかし、これほどまでに壊滅させられればそれは絶望的かもしれません。
後ろ髪を引かれますが、状況の深刻さを考えれば、ウェンデルに急ぐべきだとデュランは踵を返します。
「だけどフェアリー、ほんとに結界を外せるのか?」
再び自身の体の中に戻っていったフェアリーに、デュランが声をかけます。
返事は頭の中に返ってきました。
──絶対にできるとは言い切れないけど、きっと解けるはずだよ!
「オレは魔法なんてさっぱりだからな。おまえを信じるぜ!」
投げやりなようで、全幅の信頼を注いだ言葉でした。
できないから丸ごとを放り投げるというよりも、できないことを仲間に託すような。
そんな響きでした。
宿主の心情をダイレクトに察することができるフェアリーは、出会って間もない自分を信じてくれるデュランに、とても嬉しい気持ちになりました。
「しかし、さっきマナの聖域だとか、マナの樹だとか言ってたな。それがなんで、ウェンデルに行く理由なるんだ?」
道中、デュランがそんな疑問を口にします。
──今、世界からマナが減少しているのは知ってる?
「え? マナが? いや、知らなかったが……そうなのか?」
──そうなのよ! マナはこの世界に循環するエネルギー。これが枯渇しちゃったら、おそろしいことになるの。
「つまり世界の危機なのか?」
──そうよ!
「……もしかしてオレはめちゃくちゃ重要な事態に巻き込まれてるのか?」
──ごめんなさい、聖域からこの世界へやってくるのに力尽きちゃって……どうしてもあなたに頼るしかなかったの。
訝し気なデュランの脳裏に、フェアリーの心底申し訳なさそうな言葉が響きます。
ふんっとデュランは鼻を鳴らしました。
「ウェンデルに連れていくぐらい、どうってことねぇよ」
──……ごめんなさい。
フェアリーの声は、どうにもしおらしいものでした。
後ろめたい色すら感じるほどです。
──あなたは、どうしてウェンデルに?
「どうしても強くなる必要があってな」
──そう、光の司祭様に助言を請いたいのね。
「ああ、そのためにも、獣人たちより先にウェンデルへ辿り着かなきゃな」
道行き、獣人たちの気配はありませんでした。
しかし道中には大人数の移動した痕跡が残っているのを、デュランは見逃しません。
十中八九、獣人たちのものでした。
その痕跡を見る限り、獣人たちは滝の洞窟に行ったり来たりを繰り返しているようです。
おそらく結界は維持されたままなので、引き返したのでしょう。
滝の洞窟に辿り着いても、やはり獣人たちの姿はありません。
洞窟に進んだ可能性もありますが、それはなさそうです。
なぜならデュランは、洞窟の入り口で立ち往生している女性を見つけたからです。