深町シヲは万魔殿の支持者ではあるが、正式に所属している訳ではない。
一度棗イロハが加入の打診(ある程度戦力になると分かっている彼女を加えることで自身のサボる時間を増やすためでもある)をしたものの、「羽沼さんと同じ万魔殿に所属するなど畏れ多い」という理由で固辞されていた。そんな感情を抱くほどマコトに魅力があるとは、イロハからすれば疑問符がつく理由だが無理強いは出来ない。
現在のシヲは、書類の上では帰宅部である。あくまでも書類の上では、という注釈がつくが。
「――皆さん、今日はお疲れ様でした」
旧校舎の一角には名もなき
使われなくなって久しいが、撤去するほど傷んではいない。そんな古い掲示板の前が、彼女らの集合場所である。
「校内全域の整備は順調です。旧校舎の整備中に乱闘が発生し、数名が被弾しましたが少し傷跡が残る程度。今後も引き続き整備を続けますが……、風紀委員本部がある校舎は未だ手付かずです」
「万魔殿本部の害虫駆除も概ねは終わったよ。後は風紀委員長が半壊させた議長室だけ。万能マシン、壊れてないといいなぁ」
「食品搬入業者の護衛は完了しました。目立った戦闘も無かったので次は数人減らしても回りそうですね」
「学園近郊に湧いた温泉は今日から使えるよ。カスミ部長も温泉に入りたい人がいたら自由に入っていいよって言ってた」
集まっている生徒達の所属は様々だ。正式な委員会に所属していたり、部活動に力を入れていたりと、それぞれの思惑も異なる。それでもここに集まっているのは、理由がある。
誰も「風紀委員や万魔殿に頼むほどではない」と思い、同時に「一生徒が抱えるには重い」と感じた案件を、この場所なら置いていけるからだ。
掲示板の脇に据え付けられた古いポスト。投函口は歪み、塗装は剥げ、いつ撤去されてもおかしくない代物。
だが、今日も中には何通かの封筒が入っている。
言葉にするのは怖いけれど、勇気を出して綴ったもの。お願いするまでもないけど良くなったら嬉しいなという願望を書いたもの。誰かに伝わってほしいと思って紡がれたもの。聞いてほしくないと思いながら吐き出された感情の残滓。全部が一緒くたになっている。
シヲは定期的にこのポストの中をチェックしては、一つ一つに目を通して仕分けていた。これは風紀委員に伝えるべき事件だ。これは万魔殿が大手を振って動ける理由になる。これはシャーレを通してでも周知させるべきだ……といった具合に。
ポストの中に入っていた封筒を開く。悪戯で入れられたものの中に混ざって、震える筆跡の手紙が一通あった。
内容は、取るに足らないものだった。
旧校舎裏の照明が切れていること。夜間、帰宅が遅れると足元が見えづらいこと。風紀委員に頼むほどではないが、少しだけ怖いということ。
シヲは静かに息を吐く。
「……大丈夫です」
誰に向けた言葉でもない。
「この程度であれば、こちらで対応できます」
封筒の中身を精査しながら、動ける者を確認する。照明を取り替えるために動かせる人員、手段、そして実際に行動へ起こす時間帯。それらをシヲの脳でシミュレートする。重要なのは無視しないことだ。何らかの行動に反映させないといけない。
——ふと、シヲは指先を止めた。
かつて、自分がこのポストに手紙を入れた者達と同じ立場にいた日のことを思い出す。
給食部を辞めるほど追い詰められ、パンも作れなくなって、この手はただの肉の塊になった。
混ぜることも、捏ねることも出来ない。手順は覚えているのに、意味が分からない。温度も、匂いも、音も、味も。すべてが薄く、遠かった。
朝になれば起きて、夜になれば眠る。
それだけを繰り返していれば、人は生きていると見なされるらしい。
何をしても、していなくても、世界は同じ速度で進んでいった。誰かが怒鳴っても、銃声が響いても、心は動かなかった。
——埋もれても構わない。
その頃のシヲは、本気でそう思っていた。
目立たず、残らず、数えられないまま消えるなら、それでいい。自分がいなくても、学園は回る。誰も困らない。自己否定の末に生まれたそれは歪んだ形の安心だった。
『ゲヘナ学園近辺の通学路において、万魔殿および風紀委員の補給車両と生徒の動線が交錯する時間帯が存在します。現状でも重大事故は発生していませんが、小規模な接触や転倒が散見されます。優先度は低いと承知しております。ですが、もし余力があれば時間帯の調整、あるいは注意喚起のみでもご検討いただければ幸いです』
だから、あの嘆願書に似た投書も、祈りではなかった。ただの事務的な確認。誰にも届かなくて当然の、投げ捨てに近い文章。返事が来るなど、最初から期待していなかった。
返事が来るなど、想定外だった。
『投書、確かに受け取った。内容についても確認している。指摘の通り、現状では大きな問題として扱われていないが、改善余地があることは間違いない。こうした細部の報告は助かる。今後の判断材料として扱わせてもらう。——万魔殿所属 羽沼マコト』
それを読んだ瞬間、世界が音を立てて戻ってきた。
文字が、意味を持った。言葉が、こちらを見ていた。自分が書いたものが、「読まれた」と理解された。無視されなかったという事実だけで胸が詰まった。
胸の奥で、何かが壊れた。それは今までの常識が壊れる音だったのかもしれない。
同時に、何かが組み上がった。
——ああ、この人は、拾うのだ。
価値があるかどうかではなく、重要かどうかでもなく、ただ「そこに書かれた声」を。
救いではなかった。慰めでも、優しさでも、福音でもない。判断のための言葉として扱われただけだ。けれどたまらなく正しかった。それだけで、シヲの世界は少しだけ信じられるものになった。
だから、シヲは無視しない。
優先度が低いと切り捨てられる声も、重要ではないと笑われる願いも、ただ「そこにあった」という理由だけで拾い上げる。
かつて、自分の言葉を拾ってくれた人がいた。
それだけで、世界は続けられた。
今度は自分が、それをする番だ。
古い掲示板の前で、シヲはポストを閉じる。その動作は、祈りでも儀式でもない。
ただの確認だ。
「確かに、受け取りました」
それで十分だと、彼女は知っている。
■
「ゲヘナ学園生活扶助会……。彼女達はそう呼ばれています」
「扶助会?」
「はい。自然発生的な呼び名ですが、少なくとも風紀委員の間ではそれで通ります」
風紀委員の行政官、天雨アコの耳に時折入るその団体は正式に認可された訳ではない。それどころか予算の申請すらしたことがない団体だ。
それなのにアコの耳に入る理由は、決まって同じだった。
問題が大きくならない。声が悲鳴になる前に消えている。
誰かが拾っているのだ。誰にも評価されない場所で、誰にも感謝されない形で。
その中心にいる生徒の名を挙げると、本人は必ず首を横に振る。
「違います。そもそも、そのような名称の団体は存在しません。存在していない椅子に座っていると言われても困ります」
役職も、肩書も、存在しないのだと。ただ、声を仕分けて、適切な場所に届けているだけだと。
声を拾う者は、自然と人を集める。判断を下す者は、自然と責任を背負う。それがかつて彼女を救ったと言う誰かの真似であっても。
(あのタヌキが、誰かの救いになったという事実自体、未だに理解できませんが)
アコの中でマコトと言えば、傍若無人で後先考えない振る舞いと、ヒナへの嫌がらせに腐心しているタヌキである。
何故彼女はマコトに好意的なのか聞いたときは先生共々酷い目に遭った。やたら整理されたプレゼンから溢れる狂気で頭が痛くなったのを覚えている。
だが――。理解できるかどうかと、事実であるかどうかは別問題だ。
深町シヲの行動記録を追えば、必ず同じ構図に行き着く。
誰かが声を上げる。彼女がそれを拾う。適切な場所へ回され、適切な者が動く。結果として、問題は大事にならない。
そこに命令はない。強制も、権限も、予算もない。あるのは判断と、それを信じて動く人間だけだ。
役職が存在しない以上、責任者も存在しない。形式上は、完璧である。
しかし行政官として言わせてもらうなら。責任を負わずに済む立場で、これほどの判断を下している生徒の方が、よほど厄介だ。
ゲヘナ学園生活扶助会という組織は存在しないとされている。存在しない組織の会長になんてなりようがない。
だが、仮に実在する日が来たなら。就任式を行うまでもなく、会長は決まっている。
羽沼マコトがいつから万魔殿の議長になったのか分からなくてのたうち回ってました。有識者の到着が待たれます。
まあ、所詮二次創作だし……。連邦生徒会長だってミスはするし……。