お前も万魔殿最高と叫びなさい!   作:竹製手桶

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ゲヘナ学園の救急医学部室。シヲはそこに寝かされていた。
外傷こそ無いが、意識は深く沈んでいる。白いシーツの上で静かに横たわる姿は安らかに眠る遺体にも見えた。

そのベッドの横のパイプ椅子に座るのは……羽沼マコトであった。シヲの短く切られた髪を指先で弄びながら、先程の出来事を思い出していた。



12.大事件(主観)の前に起きたこと

マコトはイロハ達と別れ、校外にある印刷所へ向かうところだった。自ら筆を取った自伝の見本誌が出来たという知らせを受けたからだ。

 

ところが、その移動中に躓いた。躓いた原因はピンが刺さったままの手榴弾だった。

銃撃戦が日常茶飯事のキヴォトスの中でも、取り分け治安が悪いゲヘナ学園。ここで手榴弾を持ち歩く生徒はそれなりにいる。それが落ちていること自体は(先生の観点から見ると良くは無いが)よくあることであった。

 

――マコトの躓いた場所が階段の近くで、足を踏み外したのでなければ。よくある出来事として終わっていた。

 

キヴォトスの生徒の身体は丈夫だ。銃で撃たれても早々死ぬことは無い。階段から落ちた程度で重傷を負うことは余程のことが無ければ存在しない。足を捻るか、掠り傷をいくつか拵える程度であろう。

 

「羽沼さん!」

 

だが、それを許容出来なかった者がいた。深町シヲだ。

彼女は愛銃すらかなぐり捨てて全速力で廊下を走り、空中に身を踊らせた。そしてマコトと地面が接触する前に己の肉体をねじ込んだのだ。本来マコトが受ける筈だった痛みの大半はシヲが負った形になる。シヲを下敷きにしたまま、マコトは階段の下へ落ちた。

 

「……っ。深町か?」

 

少し遅れて、自分の身体がのしかかるようにシヲの上にあることに気づいたマコトは声をかけた。幸いなことにマコトに怪我は無かった。マコトには。

 

「羽沼さん……。ご無事で…………」

 

マコトの下敷きになっていたシヲは、マコトが声をかけた瞬間に意識を手放したのであった。

駆けつけた万魔殿の(モブ)に見本誌の件を後日に回すよう指示したマコトはシヲを救急医学部へと運んだのであった。

 

 

「そうか、怪我は無かったの?」

「キキキ、このマコト様がこの程度で怪我などする訳が無かろう」

 

風紀委員に用があってゲヘナ学園へ訪れていた先生は、シヲが倒れたと聞いて救急医学部の部室へやって来たのであった。

 

「ただ、深町が目覚めないことが気がかりでな」

「マコトは……。シヲのことを知っていたの?」

「知っているとも」

 

マコトは即答した。

 

「深町シヲは私の、最初期からの支持者だ。学年は二年。演説の際はいつも一番前。私からも一番よく見えるところにいる」

 

どこか誇らしげな声色。それがあることが当然だと、疑いもしない口ぶりだった。

 

「私が未来を語れば必ず頷く。私が笑えば少し遅れて笑う。野望を語れば……。あれはもう、最初から叶うものとして聞いていたな」

 

先生は何も言わず、シヲの寝顔を見た。

 

「だからな」

 

マコトは続ける。

 

「今回のことも、不思議ではない。私に危害が及びそうになれば、ああいう真似をするだろう」

 

断定だった。予測であり、評価であり、無自覚な期待でもあった。しかし先生はそこに、何か引っかかるものを感じた。

 

「本当に、マコトはそれで納得してる?」

「…………先生は何でもお見通しということか。そうだな、先生が我が万魔殿に協力すると言うのであれば教えてやっても」

「なら結構です」

「何だとッ!?」

 

マコトは少し驚いた顔をしてから笑みを浮かべる。先生の洞察力を再評価した彼女は先生を改めて万魔殿へ勧誘してあっさり拒まれた。何度も断られているのに諦めないことは彼女の美点と言えなくもない。

 

「まあいい、教えてやろう。先生はこれまで多くの人助けをしてきたな?」

 

気を取り直した彼女は改めて語る。

 

「アビドスの廃校対策委員会に協力し、ミレニアムの危機を救い、エデン条約の件も丸く収めている。噂によるとSRTの者や百鬼夜行の者もいるそうだな?その中で救われた生徒は多いだろう。道を踏み外さずに済んだ者、あるべき場所に戻れた者、路頭に迷わなかった者……。色々だ」

 

先生の中で、何人かの生徒の顔と名前が浮かぶ。そのどれもが、『守るべき存在』だった。

 

「……それで?」

 

先生が促すと、マコトは腕を組んだまま続ける。

 

「深町シヲは有能だ。判断が速く、盤面を見る目があり、何より私の野望を『実現可能なもの』として扱っている。だがな……」

 

一拍。

 

「あいつは、前に出てこない。成果を誇らず、功績を主張せず、名前を呼ばれても後ろに下がる」

 

先生、黙って聞く。

 

「それでは褒めようがないだろう。助けてくれと言う相手を助けるのは簡単で分かりやすいだが……。そうではない相手を助けるのは難しい。先生も知っているだろう。差し伸べた手を振り払うような、助けられる立場を拒む者を」

 

マコトは一度、視線を逸らした。それは考えをまとめるための、ほんの僅かな間だった。

 

「深町シヲは、まさにそれだ。自分を使えとは言う。役立てろと言う。だが、守れと言わない。利益も欲しがらない。報いを与えようとすれば、必ず一歩引く」

 

先生は、そこでようやく口を開いた。

 

「……それを、君はどう思ってる?」

 

問いは穏やかだった。評価でも、糾弾でもない。ただの確認だ。

マコトは即答しなかった。胸の奥にある言葉の粒を微笑みながら吟味している。

 

「…………厄介だ。だが、面白い」

 

マコトはそう言って、小さく肩をすくめた。

 

「支援者とは、本来もっと分かりやすいものだ。利を求め、名を欲し、評価を待つ。痛みを拒む。だからこそ、与える側も迷わずに済む」

 

あれをしてほしい。これをなくしてほしい。そういった望みがあるから、人は上に立つ者を選ぶ。それが選挙だ。

 

「だが、深町シヲは違う」

 

マコトは再びベッドに視線を戻す。眠ったままの少女の横顔を見つめる。

 

「使えと言う。盤面に置けと言う。なのに自分が壊れることに頓着しない。それすらも計算に入れているときがある」

 

その声音は静かだ。普段の自信に満ち溢れたものとは少し違う、落ち着いた声。

 

「私はな、先生。そういう駒をどう扱えばいいのかをまだ知らん」

 

それは告白だった。自覚の有無に関わらず。先生は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……それでも、褒めてあげればいい」

 

マコトが、ぴくりと眉を動かす。

 

「簡単な話だよ。前に出てこなくても、功績を主張しなくても。君が見ていたならそれでいい。頑張ってることはちゃんと分かってるよ、いつもありがとうって、伝えればシヲは充分嬉しいと思うよ」

 

マコトは、少し考える。腕を組んだまま、視線を天井へと向けてほんの数秒。沈黙が落ちた。

「……それは」

 

ゆっくりと、言葉を選ぶ。

 

「このマコト様が、『深町シヲ』という個人に向けて声をかけるということだな」

「そうだね」

 

先生は頷いた。

 

「万魔殿の議長と支援者じゃなくて、同じ学園の生徒として」

 

その言葉に、マコトは小さく鼻で笑った。

 

「キキキ……。難しいことを言うな、先生は」

 

笑ってはいるが、その声音にはいつもの余裕がなかった。

 

「私は『議長』として語ることには慣れている。

敵に向けて、群衆に向けて、世界に向けて、な」

 

マコトは天井から視線を戻し、もう一度、ベッドの上の少女を見る。

 

「だが、『個人』に向けて言葉を選ぶ経験は少ない」

 

先生は、何も言わない。続きを促すでも、遮るでもなく。

 

「ましてや……。私が名前を呼んだだけで倒れるほど、虚弱な相手となると、なおさらだ」

「虚弱?」

「時々校舎内でも壁に凭れかかったり座り込んでいるだろう。先生は見たことが無いのか?」

「あるよ」

 

先生は即答した。目撃者を探せば先生だけでなく、風紀委員や他の部活動の生徒も手を挙げるだろう。

マコトがこれに気づいていないのは意外だな、と先生は思う。

 

「でも、それは体力の問題じゃないと思う」

 

マコトは一瞬、言葉を切る。

 

「……どういう意味だ」

 

先生はベッドに横たわるシヲを一瞬見てから視線を戻した。

 

「君が通り過ぎたあとで、やっと呼吸を整える生徒の顔を、何度も見てきたって意味」

 

マコトは鼻で笑う。

 

「私の存在が原因とでも言いたいのか?」

「少なくとも、君の声は効きすぎてる」

 

釈然としない顔のマコトを、先生は真正面から見た。

 

「自覚はないだろうけど。君は、シヲにとって『安心』と『緊張』を同時に与える存在だ」

 

マコトは眉をひそめる。

 

「矛盾しているな」

「してるね。でも、そういうことはある」

 

先生は肩をすくめた。

 

「信じているからこそ、期待しているからこそ、近づきすぎると耐えられなくなる。シヲは、君を遠くから支えることには慣れているけど、近くで見られることには慣れていない」

 

沈黙。

マコトは腕を組んだまま、再びベッドへ視線を向けた。眠ったままの少女は、相変わらず静かだ。

 

「……それなら」

 

ぽつりと、呟く。

 

「私が声をかけること自体が、負担になるということか?」

「ううん、違うよ」

 

先生はすぐに否定した。

 

「声をかけるなじゃない。お互い慣れてないだけ。議長としてでも、象徴としてでもなく。ただの生徒同士として話すのには、マコトもシヲも慣れてないってこと」

 

マコトは、短く笑った。

 

「やはり難しいな」

「君が難しくしてるだけだよ」

 

その言葉に、マコトは返さなかった。しばらくして、そっと立ち上がる。

 

「……今日は引くとしよう」

 

それは命令でも、逃走でもない。判断だった。扉の前で、ほんの一瞬だけ立ち止まる。

 

「だが……。お前を見ている、という事実だけは変わらん」

 

そう言い残して、マコトは医務室を出ていった。扉が閉まり、足音が遠ざかる。

 

しばらくの沈黙のあと、先生は小さく息を吐いた。

 

「……行ったよ」

 

返事はない。だが、シーツの端がほんのわずかに強く握り直された。枕元には二重円の連なったヘイロー。シヲのそれが薄ぼんやりと浮かんでいる。それを見た先生は苦笑する。

 

「聞こえてたでしょ」

 

シヲは答えない。目も開けない。ただ、胸の上下が先ほどよりも少しだけ速くなっていた。

 

「大丈夫」

 

先生は、優しく続ける。

 

「今のは『万魔殿の議長』じゃなくて、一人の生徒の話だから」

 

その言葉に、シヲの指先が、微かに震えた。まるで神が本当に存在していたと確信したような、そんな動き。祈るように自分の指を絡めている。

 

「先生……。先生を殺人教唆でヴァルキューレに通報していいですか」

「えっ」

「羽沼さんの美声を傍で拝聴しただけでなく、あのような勿体無い御言葉を賜ったおかげで今すぐにでも昇天してしまいそうです。今ならトリニティ総合学園の生徒でも寛大な心で受け入れてしまいそうです」

 

シヲは目を閉じたまま、早口で言い切った。どこか必死で、どこか本気だった。

先生は一瞬だけ言葉に詰まり、それから苦笑する。

 

「……通報理由が詩的すぎるなあ」

「真剣です。あれは言葉の暴力です。近距離・無防備・無自覚の三点セットです。ああ、でも羽沼さんは先生に唆されてやったので無罪ですね」

「ヴァルキューレも困ると思うよ」

 

先生はそう言って、軽く肩をすくめた。この通報を受けたヴァルキューレの公安局長(尾刃カンナ)の顔が目に浮かぶ。悪戯として処理されるか、取り敢えず様子を見に行くかは状況次第だろうか。

 

「今日はもう、休みな。通報も昇天も、判断力が戻ってから」

「……了解しました」

 

シヲは小さく返事をしてもう一度、深く息を吐いた。

 

胸の奥はまだ熱い。鼓動も速い。けれど、壊れるほどではなくなっていた。

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