「私の演説に感銘を受けたから万魔殿に入りたい、だと? キキキ……! お前達には見る目がある。歓迎しよう! ようこそ、我らが万魔殿へ!」
――これは夢。あったかもしれない春の残滓。■があのロングコートを羽織っていた■■の記憶。
「羽沼議長、議長主導で建設中のビルの工事業者が飛びました!リゾートの経営を委託していた会社も音信不通になっています!」
「何だとっ!?……奴らの足取りを追え!我ら万魔殿を馬鹿にした報いを与えるぞ!」
「了解しました。奴等の根城を発見次第、更地にしてきます! 塵一つ残さない地平にしてやりますとも」
「更地はやり過ぎ……てないな。シヲ、行ってこい。チアキ、証拠写真は頼んだぞ」
「マコト先輩!? ちょっとそれはヤバくないですか!?」
「行きましょう、チアキ議員。ご安心を。ヘルメットはちゃんと用意してありますし、安全運転で目的地へ到着してみせます」
「気にしてるのは安全面じゃなくて……。あ、シヲちゃん待って! 止まって! ストップ!」
「いいか、シヲ。私の止まれは『引き金から指を離し、銃口を下げろ』という意味だ。相手の発言内容を聞いてから即座に発砲しろ、爆弾を一斉に起爆しろという意味ではないからな?」
「羽沼議長および万魔殿を侮辱、恐喝する発言は看過出来ません。だから撃ちました。先に敵対行為をしてきたのはあっちなので正当防衛に入ると思います」
「………………イロハ」
「はぁ。マコト先輩、私を見ないで下さい。この中で一番シヲの手綱を握れるのはマコト先輩ですからね?」
――全部上手くいく訳がなかった。だけど楽しかった。硝煙と砂埃、瓦礫の山を前にしても、ボロボロになっても、貴女がいるだけで私は楽園にいるみたいだった。
「シヲちゃん、よく見て。あなたは段々眠くなーる、眠くなーる……」
「サツキ先輩。そんな古典的な方法でシヲが眠るわけが……」
「すぅ…………すぅ………………」
「まさか、寝てる……!?」
「おぉ!?万魔殿の眠らぬ番犬、深町シヲの貴重な寝顔……。シャッターチャンス!」
「シヲ先輩、ちゃんと寝てる……。皆、しぃーだよ」
――何でもない日が楽しかった。あれをしよう、これもしたいと皆で話した。上手くいかなかったね、ああすれば良かったかも、次はこうしようと話すことも、全部楽しかった。
――まさに、青春だった。
「アリウスの者を利用してトリニティ総合学園を破壊する。良い考えです、羽沼議長。あのお花畑な連邦生徒会長やお嬢様達は何も分かっちゃいない。敵の敵は味方だと。我々が嫌っているトリニティ総合学園の内情について、知らない訳が無いのに……」
――だけど、その青は。
「羽沼議長、ここは危険です!今イロハ議員が鹵獲した戦車でこちらに向かっています!それに乗ってゲヘナ学園へお戻り下さい!」
「くっ……、イブキは無事か?」
「無事です。彼女はチアキ議員とサツキ議員が保護しているかと。ですから私達は安全にゲヘナ学園へ向かうことが当面の……」
――眩む閃光と、貴女の流す命の色で。
「シヲ!伏せろ!」
「議長!?」
――全部、全部。赤く、朱く、紅く。染まっていった。
シヲは割れそうなほどの頭痛で目が醒めた。夢を見ていた気がするが何も思い出せない。
覚えているのは不快感だけ。べったりと纏わり付くような、そんな感覚。
彼女にとって見覚えのある天井は救急医学部の部室。マコトタワーでスケバン達と戦っていたのは覚えていた。そこで窮地に陥って、先生と風紀委員達が助けに来て、それから。
(ああ、私は役に立たなかった)
無力感がチクチクと胸を刺す。
(私は守ったのではない。時間を浪費しただけ)
シヲは自分の掌を見る。少なくとも、目につく範囲の怪我は丁寧に処置されていた。
(先生と風紀委員が来れば、数分で終わった)
じわじわと胸の中に広がる黒い感情。それは真っ白な紙に垂らしたインクのように、潮が満ちるように広がっていく。
(何の役にも、立てなかった)
沈みかけた思考を引き上げたのは、足音と話し声だった。それも複数人。暫くしてカーテンを開く音。
服装はバラバラ。部活や委員会も違う、何一つ統一感の無い生徒たち。だけど、シヲは全員のことを知っていた。把握していた。
――何故なら、彼女達はゲヘナ学園生活扶助会の者達だったから。
「セナ部長! 深町さんの生存を確認しました!」
「い、生きてる〜!!」
「生きてるとは心外な……。生死を彷徨っていたみたいな言い方をしないで下さい」
「だって、スケバンに囲まれていっぱい撃たれたって聞いたよ!」
救急医学部と扶助会を兼部している
風紀委員が来ればあっという間に鎮圧出来る者達から受けた怪我なのだからこれは大怪我ではないとシヲは主張するが誰一人聞いていなかった。当然である。
「良かった……。連絡はつかないし、掲示板の近くにもいないし、バイクも無いし……」
「アタシたち、先生に言ったんだ。深町さん、絶対何かあったって」
「最初は万魔殿のイベントがあるのかと思いましたけど、今日は何もありませんでしたし」
シヲの思考が止まる。
「……何故、何かあったと思ったんですか?」
「だって、いつもいるじゃないですか」
「万魔殿が何かしてる訳でもないのに校内にいないなんて、おかしいなって思ったから」
それは責める言葉ではない。当たり前の確認。普段いる人がいないことを不思議に思ったからやっただけの、ごく自然な善意。
「……私がいなくても、学園は回ります」
ぽつりと零れた言葉に、数人が同時に首を傾げる。
「え?」
「何言ってるの?」
「風紀委員が来れば、数分で終わった戦いです。私が持たせた時間など……」
「は?」
帰宅部の生徒が眉を吊り上げる。
「何言ってるの?」
その声音は、怒りに近かった。
「シヲちゃんがいなかったら、マコトタワーはスケバン達の隠れ家になってたかもって風紀委員の子が言ってました」
「それに、アンタがいなくなったって聞いて、アタシたちめちゃくちゃ怖かったんだから」
「掲示板の前、空っぽでさ。あのポストの鍵も深町さんが持ってるから開けられなくて」
「あのポストの鍵は側面のキーボックスの中に入ってますよ。暗証番号もキーボックスの底に書いてあります。私でないと開けられない訳ではありません」
「あ、そうなの? でもさ……」
「深町さんがいないの、何かヤだなって」
「うんうん。アタシは万魔殿のことよく分かんないけどさ。深町さんが万魔殿の人達のことを楽しそうに話してるのは好き」
「あの掲示板が無くなったらゲヘナの良心が一個消えちゃうよ」
「だから、風紀委員のとこに来てた先生に言ったんだ。シヲちゃんのこと知りませんかって。そうしたら探してくれたんだ」
彼女達は嘘をついていないと、シヲには分かった。もしもこれで嘘をついていたら、彼女達は女優として天性の才能を持っているに違いない。
「……」
シヲの胸の奥で、何かが引っかかる。否定しようとしてもうまく言葉が出てこない。
(違う。私は、そんな……)
何が違うのか分からない。
シヲの実力が誤差であることは事実だ。色眼鏡をかけても平均より少し上程度の腕前だ。
ただスケバン相手に時間を稼いだだけ。風紀委員が来ればすぐに終わった。
理屈は崩れていない。なのに。
胸の奥で、黒いインクが広がるはずだった場所に何か別のものが滲んでいる。滲んで生まれた色の名前も、波打つ感情の名前も分からない。
何故か
丁寧に畳まれた自分の上着。その襟元にあるはずの徽章。
「……?」
黒ずんでいたはずの万魔殿初期支援者バッジが、僅かに光を取り戻していた。
安物の合金で出来たそれは経年劣化が進んでいる。布が触れると落ちにくい黒ずみをお裾分け、指先で触れると手が汚れる。それを落とすのはなかなか面倒くさい。少なくとも、石鹸で洗った程度では綺麗にならない。
マコトタワーでの攻防戦で砂埃と硝煙に燻された後なら尚更だ。
表面を撫でたシヲの指先も例に漏れずほんのり黒く染まったが、それもいつもより薄い気がした。
「……誰か、触りましたか?」
「えっ!? 触ってないよ!?」
「アタシ金属アレルギーだし!」
「私も触ってない!」
「……そうですか」
シヲは小さく息を吐く。
(救急医学部の方が触れたのでしょうか)
(手や制服に汚れが付いていないといいのですが)
彼女の考える方向は致命的にずれていた。
ゲヘナ学園の郊外にあるオフィスビルに一通の文書が届く。
その封筒には万魔殿のロゴマークが入っていた。
──────────────
ガベージ社様
貴社関係者による不法侵入、器物損壊、及び本校生徒への発砲・傷害行為について事実確認および正式な見解を求めます。
【以下の内容が書かれた資料が添付されている】
・日時
・場所(マコトタワー敷地内)
・被害者(ゲヘナ学園生徒 深町シヲ)
・損害物(バイク・建物)
・風紀委員立ち会い記録
・弾道記録
・シャーレの『先生』および鎮圧に当たった風紀委員複数名による証言
【中略】
当該現場において、 当学園所属生徒が自らの所有する二輪車を遮蔽物として使用せざるを得ない状況が確認されております。
これは当該生徒が第三者より明確な攻撃対象とされていたことを示す合理的状況証拠であると判断いたします。
また、車両には前面集中型の弾痕が確認されており、 偶発的な被弾とは到底考えられません。
つきましては、 当該行為が計画的加害である可能性について、 貴社の正式見解を求めます。
当学園は、 所属生徒に対する危害を看過する立場にはございません。
加えて、当該生徒は入学当初より本校活動を支援し続けてきた生徒であり、その継続的行動から見て、本件における一連の事態が当該生徒の自発的対立行為に起因するとの推論は事実に基づかないものと断じます。
本件につきましては、回答期限を当文書の到着後一週間までとし、期限を過ぎた場合当学園は本件を故意の敵対行為とみなし、必要な措置を直ちに講じます。
ゲヘナ学園 万魔殿
議長 羽沼マコト
情報部長 京極サツキ
戦車長 棗イロハ
書記 元宮チアキ
構成員 丹花イブキ 以上
──────────────
調度品がゴテゴテと並ぶ会議室。壁のモニターには万魔殿の抗議文が映し出されている。だが空気は妙に軽い。
ガベージ社。ゲヘナ学園の近郊でかつてはそれなりの大きさの下請け工場だった。しかし評判以上に黒い噂が絶えなかったのも事実。
マコトはゲヘナ学園近隣の商店街の再開発と共に工場周辺の治安改善に力を入れた。結果、彼らの後ろ暗い商売は立ち行かなくなった。それから規模は徐々に縮小し、今に至る。
「ふん。大層な文面だな」
「証拠、証言、弾道記録……。まるで法廷ごっこだ」
別の
「どうせあの政治ごっこをしている小娘達の差し金だろう」
会議室のどこからか笑いが漏れる。
「ゲヘナの風紀委員長は確かに厄介だが……万魔殿? 支持率約3%の生徒会だろう?」
「たった3%だぞ?」
「それに
室内に失笑が広がる。
「生徒を盾にして圧をかけているだけだ」
「回答期限一週間? 無視でいい。形式的に『関与を確認できない』とだけ返しておけば十分だ」
「撃ったのはスケバンだ。我々ではない。我々と彼女らを繋ぐ直接的な証拠は無い」
「二輪車を盾にした? なら向こうが勝手に戦闘を選択しただけだ」
「そうだ。あの生徒が過剰反応した可能性だってある」
誰も資料を最後まで読んでいなかった。読もうとすらしなかった。
それが最後の通告であることを理解していたのは、窓際に追いやられていた元弁護士の
「……しかし、社長」
市民の声は小さい。しかし今の彼に出せる精いっぱいの声だった。
「抗議文の署名が連名です」
「だから何だ?」
「議長だけではありません。情報部長、戦車長、書記……」
沈黙が場を支配する。
「……つまり?」
「組織決議です。彼女達の意見は一致しています。もし我々と敵対すると決めた場合は……」
その空気を、すぐに嘲笑が上書きした。
「だから政治ごっこだと言っている」
「連名にして重みを出したつもりだろう」
「所詮は学生だ。回答期限を過ぎても何も起こらん。仮に動いたとしても、万魔殿は不仲である風紀委員
「我々は直接撃っていない。法的に詰められる材料は弱い。……それよりも」
幹部が指を鳴らす。
「マコトタワーの周辺をもう一度揺さぶれ。治安が悪いことを示せば、あの建物は自然に閉鎖に追い込める」
元弁護士の背中に冷たい汗が流れる。
(もう一度?)
(今、抗議文が届いたばかりなのに?)
彼の経験は告げている。ここに書かれている期限一週間は猶予ではない。万魔殿がガベージ社に照準を合わせるための準備期間だ。銃口ならまだ優しい。あれは音を立ててくれる。
このまま何もしなければ、一週間後には音のしない崩壊がガベージ社を襲うだろう。
残念ながら社長達はそれに気づいていない。気づくとすれば……。全てが終わったときだろうか。