「これより星野アイさんの帝王切開を、腹部正中縦切開にて行います!」
『!!』
ゴローの口よりその術式が示し出されたことに、一也と譲介は同時にハッとする。
帝王切開には主立って二つの術式がある。一つは妊婦の腹部を縦に切開する腹部正中縦切開。もう一つは横に切開する下腹部横切開である。
縦切開は胎児娩出までの時間や術後の回復が早いというメリットがある反面、傷痕が目立って残るというデメリットがある。対し横は傷口が目立ちにくいが、胎児娩出や回復に時間がかかる。
(通常の出産ではなく双子。であるならば、正中縦切開を選択するのは極めて合理的だ)
(けど、アイさんはアイドル。腹部の傷痕は妊娠の露呈というスキャンダル要因にさえなりかねない。それは雨宮先生だって百も承知なはず。それでも敢えて選択するということは)
(あの術式を!)
(極めているということか!?)
そう一也と譲介は同時にゴクッと息を飲むのだった。
「富永先生は助手を務めないんですか?」
一方その頃さりなは、手術室の外に設けられた座椅子で富永と共に手術の完了を見守る。
「雨宮先生は産婦人科の専門医だ。オレが出るまでもない。後学も兼ねて一也くんと譲介くんが行うのが適切だ。第一今回の手術は秘密裏に行うもの。院長として部外者に悟られないよう見守らなければならない」
そう少しでもさりなちゃんの不安を取り除くように声掛ける富永。
「君は雨宮先生がアイさんの手術を担うことは不服かい?」
「うん。正直せんせに私より先に産んでもらえるのは悔しい。だけど、」
「だけど?」
「それが先生の仕事だから! 多くの妊婦さんたちに一秒でも早く安全に赤ちゃんの産声を聴かせる。私にとっての一番星のアイが母親になる瞬間を導いてくれるのは誇りに思う!」
「……。妊娠っていうのはね、本来哺乳類にとって危険性が大きくないものなんだ。遺伝子を次代残すのが生物としての務めだからね。だけどね、人間は直立二足歩行と脳の肥大化を行い知能を得た代償として、骨盤が狭くなり産道も短くなった」
「進化の過程で命懸けの行為になったってことですか?」
「そう。だからこそ古来より人類は出産を手助けするようになった。生物学的なデメリットを知能と協力で克服しようと努めてきた。どんなに医学が発達しても、母親のお腹から子供が産まれてくるのには変わりない。君の大切な人は、生まれ出る人々にとって最初の医療に携わる偉大な仕事をしているんだよ」
「富永先生、私の気持ちに気付いて」
せんせと私の関係性を察した上で励ましてくれていたのが、さりなは何より嬉しかった。
『オギャア、オギャア』
そうして二人が経過を見守る中、手術室には双子の産声が響き渡った。
「アイ! 元気な男女の双子だよ!!」
「ありがと、せんせ……」
無事出産を終え、アイは安堵の笑みを浮かべる。
「それではこれより閉腹処置に入ります」
そうしてゴローの手腕により素早く正確に腹膜、筋膜縫合と進んでいく。
(最初の切開から閉腹に至るまで二十五分ほど。双子の出産でこれほどの速さを誇るだなんて)
僅かな期間とはいえ富永先生の直接の指導を受けただけのことはあると、一也は感嘆とする。
(次は皮下組織縫合か)
ここで間違いなくあの術式を用いるはずだと、譲介は凝視する。
「埋没皮内縫合法。忘れもしない。オレが猛吹雪の中Kと初めて会った時、重傷を負った岡元刑事に施した術式。産婦人科医として覚えておくべき技術はあるかって問われた時、オレが直接教え込んだんだ。腹部正中縦切開と組み合わせれば、妊婦の負担軽減と傷痕の目立たさを両立出来るって」
事前にTETSUの代理で受け持つ際どのような術式を取るのか打ち合わせをした時、ゴロー自ら富永に打ち明けていた。
「オレとKの絆とも言うべき技法が、今こうして新たな医師に受け継がれ実践されている。感慨深いなぁ」
(さりなちゃん、富永先生。あの時の俺はただただ見ているだけしか出来なかった。だが……今は違う!!)
そう目元をギュッとさせながらゴローは縫合を進めるのだった。
「出産おめでとうアイ!」
無事縫合を終え病室に戻ったアイに、真っ先に声をかけるさりな。
「わざわざ付き添ってくれてありがとうさりなちゃん」
「せんせの手術はちゃんと見届けたかったからね。それにしても、私が手術受けたのもあの手術室なんだよね。不思議な縁を感じるなぁ」
せんせに子供を産んでもらうのは先越されちゃったけど、手術では自分の方が先輩だからこれでお相子だと、奇妙な論理で納得するさりな。
「そう言えばさアイ。双子ちゃんの名前は考えているの?」
「うん! 男の子が
「えっ!? えぇと、せんせ?」
思いっきり引きつった顔でゴローの方に目を向けるさりな。
「あぁ、うん。命名権は母親にあるから、その……」
壊滅的にセンスが悪いキラキラネームだと二人とも思ったが、アイの前で言うのは流石に憚れると言葉を濁す。
「重要なのは母親の愛情だよ」
名前のことには触れずに上手く話をはぐらかそうとする一也。
「ああ。そもそも還暦間近だってのにローマ字表記のふざけた通り名な人と比べたら全然」
「誰がふざけた名だ!」
そんな時だった。譲介にツッコミを入れるようにTETSUが病室に姿を現す。
「おや、噂をすれば。あなたともあろう方がドルオタ如きに一撃食らうなんて、年を取りましたね」
自分と初めて会った時のことを引き合いに出して皮肉交じりに語る譲介。
「ウルセー! それよりだアイ。コイツの顔に見覚えはあるか?」
「いだだだ! 離せよ!!」
TETSUは病室に手足を包帯で拘束し身動きが取れなくなっていた黒フードの男を眼前に差し出す。
「えっと、リョースケ君だよね。よくB小町の握手会に来てくれてた」
バサッとTETSUがフードを脱がせた顔を見て名を呟くアイ。
「あっ! 知ってる!! 二ノの最推しの人だ!!」
ステージでは二ノの名を冠した団扇を振り、握手会では常に二ノの一番手に並んでた人だと指摘するさりな。
「俺のことを知っていたのか! アイ! お前さえいなきゃ二ノがB小町のセンターになれるのに!!」
最推しがセンターに立てない元凶だと糾弾し、アイに憎悪の念をぶつけるリョースケ。
「問い詰めたところ、どうやらコイツはネットでアイのスキャンダルを漁ってたら、B小町のアンチサイトでお前の妊娠の書き込みを目にしたそうだ」
そして書き込んだ者とダイレクトメールでやり取りし、凄腕の闇医者に密かに産んでもらおうとしていると知り、医者を襲撃すれば帝王切開の傷が残り妊娠が発覚すると読み襲撃したと語るTETSU。
「! アイの妊娠はこの場にいる人間以外は苺プロダクションの社長くらいしか知らないはず!? 一体誰が」
狂信的なアンチが自分みたいに推察で辿り着いたのかと勘繰るゴロー。
「アイ! 誰にも喋ってないよね!?」
「うん。ああでも、一人だけ喋ったなぁ」
「誰!?」
「この子たちの父親」
「!?」
問い詰めたアイの口から出た人物にさりなは絶句する。確かに妊娠したのなら父親に当たる人物に伝えるのは当然だ。だけどそれってつまり。
「成程な。妊娠を望まねぇクソ親父がアンチ扇動して俺を殺しにかかったってワケか!!」
それにしても、アイが父親に色々話したであろうとはいえ、予定帝王切開当日まで一切不穏な動きはなかった。黒幕はなかなか用意周到な奴だぜとTETSUは身構える。
「おっ、俺をどうするつもりだ!? 警察に突き出すのか!?」
「安心しな! こちとら職業柄サツの世話にはなりたくないんでね。代わりといっちゃなんだが、テメェの世話は俺がよく相手してるスジモン共に頼んである」
TETSUがパチンと指を鳴らすと、病室に黒服を纏った複数人の男が姿を現す。
「コイツですか? TETSUのタマ狙ったっていう命知らずのヤローは?」
若頭風の男は、組が世話になっているTETSUを負傷させたのは組のメンツに泥を塗ったも同然だと、今にも殺しにかかろうとするほど憤慨していた。
「オウよ! コイツにゆっくりと東京湾スキューバダイビングを楽しませてやれ!!」
「ウッス!」
「嫌アアア! 助けてエエエ!!」
そうしてリョースケは反社共に拉致されるのであった。
「わぁ。コワーイおにーさんたちとお友達ってホントだったんだー」
私を直接狙うならともかせんせぇに襲いかかるのは一切同情の余地がないねと、アイは状況を嬉々として見届けるのだった。
「ウチの病院にあんまり反社の人たち入れて欲しくないんだけどなー」
幸い深夜の手術で目撃者はいないだろうけどと、富永は杞憂であれと願う。
「アイ! 父親は誰なの!?」
「秘密」
「はぁっ!? ふざけないで!? もしかしたらせんせが襲われていたかもしれないのに、よくそんな呑気なこと!!」
アイのあまりに非協力的な態度に、さりなは怒り心頭に糾弾する。
「私は今回の件に関して、一切干渉しないよ。この子たちを守るためにも」
「アイ!!」
「ククク。成程なぁ。つまりは俺が独断で黒幕のクソ親父探し出すのも、一切妨害しねえってワケだな!」
「さっすがせんせぇ、分かってるぅ!」
こういうところはせんせぇと息が合うなと微笑むアイ。
「報酬は稼いだ金の一割と話していたが、実際手術を行ったのは雨宮だ。その話はなかったことにしてくれて構わん。だが代わりに、ガキのDNA情報をもらっておく。それを鑑定にかけて、父親を探り出す!!」
そう宣言し双子に近付き、アクアの口内粘膜を採取するTETSU。不干渉を宣言したアイは黙って状況を見守るのだった。
「ククク! 待っていやがれ! この俺を襲わせたことを生涯後悔させてやる!!」
そう不敵な笑みを浮かべながらTETSUは病室を後にするのだった。
「そう言えばアイ。アクアとルビーはどこに預けるの?」
子供がいることを隠し通すんだから、秘匿性の高い施設を探し出すのかと訊ねるさりな。
「うーん。そのことなんだけどぉ……。富永総合病院って託児所ありますか?」
「ああ。だけど、あくまで職員用の施設で、一般人は受け入れてないよ」
「職員さんなら使えるってことなんですよね。だったらアクアとルビーをせんせの子どもとして預けられませんか?」
「はっ!? はああっ!?」
アイの提案があまりにも承服できなく、さりなは大声を上げる。
「奥さんのコト聞かれたら、バリキャリで出産後海外出張してるとかの設定で。どうかなせんせ?」
「おっ、俺が富永総合病院の勤務医に? いっ、いいんですか富永先生!?」
ゴローは偽りの家族関係とかをすっ飛ばして、憧れの富永総合病院に勤務という帰結のみ合意を得ようとする。
「えっ? まあ、病院施設貸し出した責任はあるし。優秀な産婦人科医を雇えるってなら、ウチとしても大歓迎ではあるかな」
「俺が優秀な産婦人科医……。是非喜んで!!」
富永に評価されたゴローに迷いはなかった。
「ちょっとぉぉぉ! 勝手に話進めないでよー!!」
「でもさー。せんせが首都圏勤務になったら、さりなちゃんもいつでも会えるよ?」
「うっく、ぐぬぬ……!」
明確に自身にもメリットがある提案なだけに、さりなは反対出来なかった。
こうしてアイが産休を終えるタイミングに合わせ、アクアとルビーはゴローが父親という設定で育てられることとなったのだった。
さりなちゃん加入によりB小町の力関係も変わり、アイが絶対的な存在ではなくなった。なのでリョースケは推し変せずニノのファンのママで居続けたという、動機が異なる設定にしました。ニノに少しだけ救いのある展開ですね。
また、リョースケとヒカルが直接関係あるとそこで話が終わってしまうので、ネット上の書込みを見てということにしました。
さて、ようやく原作1話の時系列消化しましたが、お話自体は1巻の終わり+α程度を想定しております。今しばらくお楽しみくださいませ。