藍くんとリコリコの愉快な日常   作:白い鴉

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今話と次話が、今作品の色々なターニングポイントとなります。そのためにももっと今よりも早く書けるようになりたいというのが今の自分の切実な願いです……(平日の夜の執筆スピードが遅すぎる亀野郎ですいません……)。


Episode.9 Complete the unexpected mission

 

 

 

 

 

 

 天竺藍という少年が東京に来てから時が経つのは意外と早く、季節は夏へと突入していた。着ている制服だけではなく私服も夏用の半袖に、飲むコーヒーはアイスコーヒーが美味しい時期になっていた。最近はお腹を空かせた謎の男性を拾ったり、地下鉄で脱線事故が起こったりと色々な事が起こったが、それでも天竺藍にとっては初めての東京の夏である。この季節に備えて半袖のポロシャツに夏用のスラックスへと衣替えし、左目にはいつも通り医療用の白の眼帯、背中にはやはりいつも通りのリュック。夏の青空が眩しい晴れの今日、そんな服装の藍は何をしているかと言うと。

 

「これが、東京浅草のお祭り……!」

 

 東京浅草にある浅草寺―――正確には総門にある風雷神門の前で巨大な提灯と歩く大勢の人々に目を見開いていた。夏に入った最近、そう言えば浅草寺に行った事が無いなとふと思い、そろそろ東京に引っ越してきてそれなりに経った事とこの晴天で外に出ないのももったいないと思った事から、こうしてここに足を運んできたのである。そこで藍を待っていたのは、目の前の提灯の巨大さもそうだが、何よりも周囲を歩く人々の興奮と熱気だ。そこから聞こえてくる情報によると、今日は浅草寺の方でお祭りをしているらしく、それで人もこんなに大勢いるらしい。これは良い日に来たと、藍は少し嬉しくなった。

 

 そしていざ門を潜り抜けようとした時、人込みの中によく知る二人組が誰かを連れているのが目に入った。藍は人込みの隙間をかき分けると、二人組に近づいて声をかける。

 

「今日は観光ですか? 千束さん、たきなさん」

 

 その二人組は藍のいきつけの喫茶店リコリコの店員であり友人である錦木千束と井ノ上たきなだった。いつもならばリコリコで仕事をしているはずの二人だが、もしかしたら今日は休みを取って誰かと一緒に観光でもしているのかもしれない。そう思って藍は声をかけたのだが、それに対する二人の反応は藍の予想していたものとは少し違っていた。

 

「えっ、あ、藍くん!?」

 

 後ろから声をかけられた千束は素早く振り返り、藍の姿を確認すると彼がそこにいる事自体に動揺しているような表情と声音を出す。彼女のそばにいたたきなも、どこか驚いたような顔をしていた。一方藍の方は知り合いがここにいる事に驚くのは分かるがそれにしても少し驚き過ぎじゃないかと思ったが、それを察したのか千束が動揺しながらもどうにか笑顔を浮かべながら尋ねる。

 

「き、奇遇だね! 藍くんも今日はお祭りに来たの?」

「というよりも、今日は浅草寺に来たのですが、タイミングよくお祭りもしていたみたいで。運が良かったです。……それでこちらは、お二人のお知り合いですか?」

 

 そう言った藍の視線は、彼女達が連れている一人の人物に向けられていた。

 

 その人物は車椅子に座った老人だった。だが、ただの老人ではない。車椅子には脈拍を示す心電図などの機械が備え付けられており、さらに車椅子を押す人がいなくても一人で動かす事ができるように作られている、いわば電動車椅子だ。その外見も、まさに最新の科学技術を以って作られたような近未来的なものだ。そして老人の目にはゴーグルに鼻には酸素を取り入れる時に使用する鼻カニューラと、身も蓋もない言い方をすれば機械に生かされているような外見だった。それなのに身に付けているのは仕立ての良いスーツに革靴、蝶ネクタイと、まるでパーティにでも出るようなしっかりとした服装と病人が身に付けるような道具の数々がどこかアンバランスな感じを生み出している。

 

「そうそう! 松下さんって言うの! 先生が昔お世話になった人で、つい最近日本に来たから東京観光がしたいって事で、私とたきなが案内役を任されたんだー!」

「へぇ、そうだったんですか」

 

 すると二人の会話を聞いていた老人―――松下が、そばにある心電図を通して機械で作られた声を出した。

 

『お二人のご友人ですか?』

「はい、そうなんです! 天竺藍くんって言って、お店の常連さんです!」

『ああ、そうだったんですか。こんにちは、私は松下と言います。今日はこのお二人にとてもお世話になっています』

「いえいえ、そんな事ないですよ~。今日はまだまだこれからですって!」

 

 千束が笑顔で松下にそう言いながら、再び藍に視線を戻すと、

 

「……………」

 

 藍は何故か、きょとんとした表情を浮かべて松下の顔を凝視した後、ぱちくりと瞬きを二回した。

 

「藍くん?」

「―――あ、すいません。僕は天竺藍と言います。初めまして」

『ええ、初めまして。礼儀正しい人ですねぇ』

「ありがとうございます」

 

 松下からの誉め言葉に、藍は素直に頭を下げた。そんな二人のやり取りを前にしながら、千束だけではなくたきなも心の中ではハラハラ状態だった。

 

 ―――彼女達が藍に松下の案内役をしているというのは半分本当だが、もう半分は嘘だ。彼女達が今回松下に東京の観光案内をしているのはリコリコに来た一件の依頼が理由だった。

 

 つい先日リコリコに来たその依頼の内容はこんなものだ。過去に妻子を何者かに殺害され、自分も命を狙われたためにアメリカで長らく避難していたが、去年筋委縮性側索硬化症―――喉や呼吸を含めた全身の筋肉が痩せて力が入らなくなってしまう難病―――による余命宣告を受け、最後に故郷の日本、それも東京を見て回りたいというものだった。しかしまだ妻子の命を奪った何者かに命を狙われている可能性があるため、千束とたきなの二人が観光案内をすると共にその護衛を行う事になったのだ。本人が大企業の重役という理由で敵が多すぎるため、狙われている理由も敵の正体も一切不明ではあるが、だからと言って見過ごすわけにはいかない。また、その分報酬もたっぷりという俗な理由もある。なので、今日こうして二人が松下の案内兼護衛をしているというわけだった。無論ミカとクルミもドローンを通して三人を見守っているし、有事の際には車で待機しているミズキもサポートする手筈になっている。

 

 そのため、今こうして藍が千束達と一緒にいるのは実は非常にマズかったりする。観光案内が半分とはいえもう半分は護衛だ。もしかしたら松下の命を狙った殺し屋が現れるかもしれないし、藍が巻き込まれる可能性だってある。もしもそうなったら、千束とたきなの正体が藍に知られるかもしれず……最悪の場合、藍の身に危害が及ぶかもしれない。千束とたきなの頭にその可能性がほぼ同時に思い浮かび、まるで氷の柱を直接突っ込まれたような寒気が二人の背中を襲った。

 

「そ、そういうわけだからごめんね藍くん。今日は松下さんの観光もあるから、話はまた今度お店の方で……」

 

 そう言って千束が精一杯の笑顔を浮かべて手を振りながら別れを告げようとした時。意外な提案が意外な人物からもたらされた。

 

『―――ああ、そういう事なら天竺さんも私達と一緒にご同行してはどうでしょうか?』

 

「―――え?」

「―――は?」

 

 その瞬間、確かに千束の笑顔が一瞬消え、たきなの口から思わずと言った感じで声が漏れた。名指しされた藍の方もそれは同じのようで、ちょっと驚いたような表情を浮かべながら、

 

「僕も、ですか? でもご迷惑じゃないですか?」

『いいえ。こういう事は大勢の方が楽しいですし、若い人達だからこそ共有できる話もあるでしょう。それに私も、同性の方が一人いてくださると色々と助かるという事情もありますしね。なので私としては天竺さんにもご同行していただけるとありがたいのですが……この後何か予定などあるでしょうか?』

「僕は別に構いませんが……。この後の予定も特にないですし」

 

 そう言ってチラリ、と藍は千束とたきなの二人に視線を向ける。一方の二人は、どうにか平静を取り繕いながらも内心では滅茶苦茶混乱していた。それはそうだろう。まさか護衛対象が無関係の一般人を自分達の護衛と観光に巻き込んでくるとはあまりに予想外である。おまけに相手は千束が密かに想いを寄せる相手だ。二人としては首を横に全力で振りたかったが、護衛対象直々の言葉とあっては反対するのも難しい。二人が返答に困っていると、二人が耳にしているインカムからミカのため息交じりの声が聞こえてきた。

 

『……千束、たきな。仕方がない。藍くんとも一緒に行動してくれ』

「ちょっ……!?」

「なっ、店長……!」

 

 またもや予想外の言葉に、千束とたきなは藍が見ている前だというのに思わず大声を出しかける。すると当然藍の方は突然声を出した二人を不思議そうな目で見て、それに気づいた千束が愛想笑いを浮かべながらたきなを連れて藍と松下から離れるとたきながインカムを通してミカに抗議する。

 

「(店長、いくらなんでもそれには賛成できません……! 護る対象が二人に増える事になりますし、何より一般人の藍さんを巻き込むわけには……!)」

 

 藍を同行させる事の危険性をたきなが必死に説明しようとするが、銃弾飛び交う戦場を潜り抜けてきた経験ならば二人よりも圧倒的に上のミカは、分かっているとインカムの向こうで言いながら続ける。

 

『私も同感だが、依頼人の言葉を無視するわけにもいかない。それに、こうして私達が話し合っている間にも時間は過ぎていく。それはあまり良い事ではない』

 

 今こうしてたきなとミカが言い合っている最中にも、松下の命を狙う何者かの魔の手が忍び寄っているかもしれない。つまりこうしている時間ももったいないという事だ。たきながぐっと唇を噛み締めると、ミカが申し訳なさそうに二人に言った。

 

『……もしもの際は現場にいる二人の判断に任せる。あまりに勝手すぎるとは私も思うが、頼む』

 

 そう言われてはたきなもそれ以上言い返す事が出来ない。しかしそれでも、藍を巻き込むのは……とたきなが逡巡していると、ミカとたきなのやり取りを聞いていた千束がはっきりとした口調で言った。

 

「(……うん、分かったよ先生)」

「(千束………)」

「(でもその代わり、本当にその時が来たら私達の判断で藍くんも松下さんと一緒に逃がすから、フォローお願いね?)」

『ああ、分かっている。……すまない、千束』

「(良いって、気にすんなよー)」

 

 通信の最後に千束はわざと明るい声を出したが、彼女の笑っている横顔がかすかに緊張に帯びている事にたきなは気づく。それも当然だ。この任務の結末次第では、松下の命は助ける事が出来たとしても自分達の正体ややってきた事が藍にバレるかもしれないし、藍の身にも危険が及ぶかもしれない。いや、むしろファーストリコリスの彼女の方が自分よりもその危険性について強く認識している事だろう。それでも彼女がミカに反対しなかったのは、護衛対象である松下の想いを蔑ろにするわけにはいかないと思ったからか、自分とたきなで二人を護りきってみせるというリコリスとしてのプロ意識からか、それともその両方か。

 

 何はともあれ、方針は決まった。千束はミカとの通信を切ると、横で自分の顔を見ているたきなの目の前で両手の掌を合わせた。

 

「(ごめんたきな! そういう事だから、たきなの負担も増えちゃうと思うけど、松下さんだけじゃなくて藍くんの事も一緒に気を付けてもらって良い?)」

 

 本当に申し訳なさそうな表情の千束にここまで言われては、断るなどたきなにはできない。たきなは仕方ないと言うかのようにため息をついてから、

 

「(……今更、反対する理由もないでしょう。それより、そろそろ二人の所に戻りますよ。長い時間離れていると怪しまれます)」

「(ん、そうだね)」

 

 たきなの言葉に頷きながら、千束が藍と松下の所に戻り明るい笑顔を作ると、そんな千束に藍が尋ねた。

 

「何かあったんですか?」

「んーん? 何でもないよ! じゃあ藍くんも加わった事だし、改めて東京案内を再開するとしましょー!」

 

 テンション高く左手を高く掲げる千束だが、その内心は穏やかではあるまい。たきなの胸の中には未だ不安が残っているが、残念ながら敵の姿も確認できていない以上観光を中止にする事は出来ない。仕方のない事だと自分に言い聞かせながら、たきなは三人へと駆け寄っていくと藍に声をかける。

 

「藍さん。よろしくお願いします」

「はい、僕からもよろしくお願いします。……僕が言うのもなんですが」

「………?」

「折角の東京観光ですし、今日は楽しみましょう」

 

 トクン、とたきなが感じたのは、以前藍の笑顔を見た時にも感じた不思議な胸の高鳴り。それに思わずたきなが胸に手を当てかけるが、慌てて胸から手を離す。観光が半分とはいえもう半分は松下の護衛任務だ。こんな事では敵が現れた時に対処が遅れる。たきなは熱くなる顔を隠すように藍から顔をそらすと、早口で彼に言った。

 

「……ええ、そうですね。それなら、早く行きましょう。時間は有限ですから」

 

 そう。こんな所でいつまでも話している時間はない。早く松下に東京観光の案内をして、任務を完了させなければならない。まったく楽しむなというのは無理だが、それでも気を緩めるわけにはいかないのだ。

 

 ―――それなのに、どうして自分の心は藍が一緒に同行すると決まってから少し高鳴っているのだろう。これではまるで、彼が同行する事を自分が喜んでいるみたいではないか。そんな雑念を払うようにたきなはふるふると軽く首を横に振るうと、三人と一緒に歩き出す。

 

 こうして、難易度が上がってしまった松下の護衛任務が始まってしまった。

 

 

 

 

「まったく、面倒な事になったな」

「そう言わないでくれ。依頼人の望みはできれば叶えてやりたい」

 

 千束達四人を空中に浮かべたドローンで追尾し、取り付けられたカメラの映像を自分のパソコン越しに見ながらクルミが呆れ交じりに言うと、横にいるミカがため息をつきそうな声音を出す。一般人の藍を巻き込みたくないのはミカも同じだが、依頼人に言われては駄目だと言うのも難しい。クルミはウナギの蒲焼のようなお菓子にあぐっと噛みつきながら、

 

「だけど松下も何を考えているんだ? 一般人が一緒にいて動きづらくなるのは自分だろう」

「きっと彼にも何らかの考えがあるんだろう。妻子を殺された彼が、わざわざ一般人を危険に巻き込もうとするのは考えづらいしな」

「それはそうだが……」

 

 ミカとクルミが言葉を交わし合っていると、クルミのパソコンの中で突然藍が立ち止まった。それに二人が怪訝な表情を浮かべると、藍は何故かクルミのドローンの方をまっすぐ見る。気のせいだろうが、クルミの目と藍の目が合ったような気がした。

 

「……藍の奴、まさかボク達が見ている事に気づいたのか?」

「いや、さすがにそれは無いだろう。単にドローンが珍しいだけじゃないのか? もしかしたらイベント用に飛ばしているものだと思っているかもしれん」

 

 確かに街中でドローンなど中々見る事は出来ないし、あったとしてもそれはミカの言う通りイベントの時などだ。そう考えると、今日開かれている祭りのために飛んでいるドローンだと藍の方は思っているかもしれない。

 

「………ん、確かにそうだ。考えすぎだな。どうやらボクも気が張っているみたいだ」

「無理もない。殺し屋が松下さんの命を狙ってくる可能性があるわけだからな。ココアでも淹れるか?」

「ああ、頼む。監視は任せといてくれ」

 

 それにミカはふっと笑うと、クルミから離れてココアの準備に向かう。ふーとクルミがリコリコの押入内部に設置されたチェアにもたれかかり、パソコンから視線を外す。

 

 そのパソコンの画面の中で、藍は変わらずにじっと視線をこちらに向けていた。

 

 

 

 

「……………」

 

 藍の視線は、空中に浮かんでいるドローンにまっすぐ向けられていた。しばらく黙ってそのままの状態で立っていると、藍の耳に千束の声が飛んできた。今彼女は知り合いの好々爺が行っている射的の出店で、的となっている商品をほとんどかっさらってきた所である。ちなみに、かっさらった商品は全てギャラリーの少年少女達にあげた。

 

「藍くんお待たせ! ……どうしたの?」

 

 空中を何故かじっと見つめている藍に千束だけではなくたきなも不思議そうな表情で見つめるが、藍の方はそれに答える事無く空中から千束に視線を変えると、こんな事を言った。

 

「いいえ。ただ、一緒にこちらに来た方がお二人もお祭りを楽しめるのではないかと思っただけです」

「「……………?」」

 

 いつも通りの藍の不思議発言に二人が首を傾げていると、藍は「じゃあ行きましょうか」と言って松下の車椅子の手押しハンドルを握り人込みの中へと進んでいく。自分達の事情を知らないからとはいえマイペースな藍の行動に、千束とたきなは慌てて二人の後を追って行った。

 

 

 

 

 それから松下を連れた三人は様々な場所を観光した。江戸あやつり人形という、小型の獅子舞を職人が操るのを見たり、千束がお面を購入しそれを松下に着け、その姿を撮影して一緒に笑ったり(とは言っても松下は表情が動かないので分からないが、声を聞く限りとても嬉しそうだった)。さらに観光の途中では刑事の阿部と部下の三谷と偶然出会い、藍が阿部から両手に花だねぇと言われていた。天然な藍は、松下さんも一緒ですよと言うのを忘れていなかったが。

 

 その最中も、千束もたきなも周囲に対する警戒を切らさなかったが、幸いと言うべきか松下の命を狙う殺し屋が現れる事は無かった。今日は藍の同行という予想外の出来事はあったものの、それ以外はおおむね順調である。突然同行する事になった藍も初対面の松下と親し気に言葉を交わしており、藍特有の不思議と人を引き付ける魅力のためか二人の仲は良好そうだった。まぁ、松下と会話している藍が何故か時々瞬きを二回して不思議そうに彼の顔を見ているのがたきなには少し気になったが、特にそれ自体が大きな問題というわけでもないし、藍が時々行う不思議行動の一つだろうとあまり深くは考えなかった。それよりも、周囲の警戒の方が大事である。ちなみにそんなたきな自身も、最初はミカにはそれとなく反対していたものの、今では藍と一緒の東京観光を実はそれなりに楽しんでいたりする。お祭りで始めて見るものに静かに目を輝かせる藍に、しっかりと丁寧に、時には微笑みすら浮かべて説明する彼女の姿からもそれは明らかだった。そして千束はそんなたきなの姿をニコニコと笑顔で見守っていた。

 

 そして四人は隅田川を走る水上バスに乗り、次の観光場所へと移動する事になった。なお、藍は水上バスに乗るのも初めてのようで、初めての水上バスを興味深げに歩き回っていた。殺し屋の方も、さすがにこんなに人が多い場所で襲撃をしてくる事は無いだろう。

 

『あれが延空木(えんくうぼく)ですね』

 

 ゴーグルのせいで視線は分からないが、どうやら松下は建設中の延空木を見ているようだった。延空木とは、十年前に半壊状態になった旧電波塔に代わる新しい平和の象徴となる予定の建物である。建設中とは言えその雄姿は、ここからでも十分に見る事ができる。

 

「十一月には完成らしいです」

『設計に知り合いが関わっているんです』

「え、すご!」

 

 松下の言葉に千束が思わず感嘆の声を上げると、松下は延空木を見ながら言葉を続ける。

 

『そう。彼は未来にすごいものを残してる』

「じゃあ、完成したら見に来てくださいね。またご案内しますよ」

 

 すると松下は車椅子を操作して体を千束の方に向けた。

 

『ええ。またお願いします。―――キミは素晴らしいガイドだからね』

 

 その言葉に、千束は頬を微かに赤らめながらとても優しい笑みを浮かべた。松下は再び車椅子を元の位置に戻すと、こんな事を言った。

 

『彼を誘った事については、すいませんでした』

「彼って……藍くんの事ですか?」

『ええ。あなた達が彼を巻き込みたくないのは二人の様子を見て分かりましたし、私も何の関係も無い人を巻き込むのは良くない事だとは分かっていました。……ただ、息子の事を思い出してしまいましてね』

「息子さん………?」

 

 千束は思わず怪訝な表情を浮かべる。松下の家族は妻と娘だけで、その二人も殺されてしまっている。彼に息子などいるはずがないのだが……。そんな千束の考えを読み取ったのか、

 

『実は娘が生まれた後、妻はもう一人赤ちゃんを身ごもったのです。しかし娘の時とは違い難産でしてね。結果妻の命は助かったのですが、赤ちゃんは死んでしまった。………私達の家族になるはずだったその子は、男の子でした。当時の私は我が子と弟を失った妻と娘、そして死んでしまった息子に対して何もしてやることができませんでした』

「……………」

『そして余命が近いせいだったのか、彼を見た時に一緒に時間を過ごす事が出来なかった息子の事が頭をよぎりましてね。彼と君達には無理を言っているのは分かっていましたが、もしかしたらあったかもしれない、息子といる時間というのを過ごしてみたかった。その結果、あの世に行く前にさらに楽しい時間を過ごす事が出来ました。……もういない人間の代わりをさせてしまっている彼にとっては、いい迷惑でしょうけどね』

「そんな事無いですよ。藍くんは、とても優しい人ですから。彼ならきっと松下さんの事情を知っても、迷惑だなんて思わないです」

 

 はっきりと断言した千束はその頬を赤く染めながら、とても優しくて柔らかな笑みを浮かべていた。彼女の目は、水上バスの中を歩く藍にまっすぐ向けられている。おっとりしていて目が離せない時もあるけれど、それでも他の誰かを思いやる優しさを持つ少年。そんな少年だからこそ、錦木千束は天竺藍に恋したのだ。

 

『彼の事が好きなんですね』

「……やっぱり分かります?」

『彼と話しているキミの顔を見れば分かりますよ。好きな人と話すのは、他の人と話すのとまた違った喜びと楽しさがありますからね』

 

 松下の言葉に千束はちょっと恥ずかしそうに微笑む。自覚は無いのだが、以前にたきなからも指摘された事を考えると、どうやら自分の彼に対する態度は、自分が思うよりも分かりやすいらしい。

 

『キミ達を見ていると、妻といた時の事を思い出します』

「奥さんは、どんな人だったんですか?」

『そうですね……。私には、あまりにもったいないぐらい素敵な人でした。一緒に旅行をしたり、一緒にお酒を飲んだり、一緒に本を読んだり……。そんな他愛のない、何気ない時間を一緒に過ごし、そのたびにこの時間が終わらないで欲しいと何回も思ったものです』

 

 松下の言葉を聞いて、千束は以前に藍と一緒に雨を眺めた時の事を思い出す。自分もあの時は松下と同じように、この時間が終わらないで欲しいと心から思った。好きな人と一緒に過ごす時間が終わらないで欲しいと願うのは、もしかしたら誰にも共通する願いなのかもしれない。

 

『それにしても、今日は暑いですね。ちょっと中で休ませてもらいます』

「あ、それじゃあ私も一緒に……」

『いえいえ、大丈夫です』

 

 そう言って松下は千束の提案をやんわりと断ると、車椅子を動かして船内へ移動しようとする。その際にたきなとすれ違うと、何故か途中で止まり車椅子の向きを変えて千束に向き直る。

 

「松下さん?」

『………年寄りの戯言と聞き流してもらって良いのですが……。好きな人との時間は、大切にしてください。いつ別れの時が来ても、おかしくないのですから』

「……………っ」

 

 松下の言葉に、千束は思わず息を呑む。愛する妻と彼女の間に生まれた娘の命を奪われた男性の言葉には、強い説得力があった。愛する二人の命を奪われて、彼は今までどんな思いで過ごしてきたのだろう。

 

 松下は再び車椅子を回転させると、船員が開けた扉を通って船内へと姿を消した。彼と入れ替わるように自販機で購入したペットボトルを手にしたたきなが戻って来て、千束にそのうちの一本を渡す。

 

「千束、どうぞ」

「ありがとう」

 

 たきなは千束の隣に座りながら、松下が通って行った扉に目を向けて、

 

「喜んでもらえてるみたいですね」

「私良いガイドだって! 才能あるかも!」

「依頼者の警護が優先ですよ」

 

 松下の言葉にはしゃぐ千束に、苦笑しながらたきなが返す。

 

「そうだね……。そうだった」

 

 そう呟く千束の胸元を、たきなが何故かじっと見つめる。すると彼女の視線に気づいた千束が尋ねた。

 

「なぁに?」

「今朝の話……本当なんですか?」

 

 それは、今朝リコリコで松下を迎えた時の事だ。初めてリコリコの面々に出会った時、松下が機械に生かされている自分を自嘲したのだが、そんな彼に千束は自分も同じだと言った。―――胸の前にハートの形に手を合わせて。

 

 そして千束に松下がペースメーカーですかと尋ねると、千束はまるごと機械ですと返した。それはつまり、千束の心臓は機械で作られた物……人工心臓という事だった。それからすぐ東京観光に出発したため詳しい話を聞く事ができなかったので、たきなはここで今朝の話が本当かどうか千束に聞きたかった。だが、もしかしたらその必要は無かったのかもしれない。いくら何でも、千束があんな冗談を言うはずがない。それを証明するように、千束は自分の胸元を指差しながら、

 

「本当だよ。鼓動無くてビックリしたけど。あ、でも狙撃する時とか助かるんだ~」

 

 銃による狙撃を行う際には、心臓の鼓動や呼吸などによって銃口がわずかに振動し狙いがブレてしまう事がある。それを考えると確かに心臓の鼓動が無いというのは、狙撃の時には便利だろう。すると千束の言葉を聞いたたきなが突然左手を千束の胸に持っていき、当然千束が慌ててたきなから身を離す。

 

「ちょ~いちょいちょいちょいちょい! いきなり何すんの!?」

「……? 確かめようと思って……」

「良いけど公衆の面前で乳を触るな!」

 

 確かにそれはそうかもしれないが、だからと言って人が多い所で大声で乳を触るなと叫ぶのもどうなのだろうかとたきなは思った。まぁ、自分の行動が原因なのでさすがにそれは言葉にしなかったが。と、千束の声を聞きつけたのか藍が水上バスの探検から戻ってきた。

 

「千束さん、大きな声を出して一体どうしたんですか?」

 

 さすがにたきなに乳房を触られそうになったとは言えず、千束は若干顔を赤くしながら照れ隠しに言った。

 

「え? いやいや、何でもないよ~? それにしても、今日は暑いねー!」

「ええ、そうですね。夏がここまで暑いなんて、僕も思いませんでした」

 

 そう言いながら藍はたきなの隣に座ると、先ほど自販機で購入したのか冷たい水が入ったペットボトルの蓋を開けると水を飲み始める。頬から一筋汗が喉へと流れ、その喉がこくこくと水を飲む動作に合わせて嚥下する。無防備とすら言えるその動きに、千束はもちろんたきなですらも見入ってしまった。すると彼女達の視線に気づいたのか藍が水を飲むのをやめて彼女達に視線を移すと、

 

「二人共、僕の顔に何かついてますか?」

「な、なにも何もついてないよ! 今日もいつも通りのプリティでクールな藍くんフェイスだよ!? だよね、たきな!?」

「そ、そうですね。その通りです」

 

 千束がたきなに同意を求めると、たきなもドキマギしながら頷く。そうですか、と藍は言いながらペットボトルに再び蓋をし、それを見た千束とたきなはほっと安堵の息をつく。まったく、どうして自分は彼の水を飲む仕草をじっと見ているのだ。こんな所をミズキに見られたらまたスケベなどとからかわれかねない、気を付けようと千束は思い、たきなの方はいつもならばありえない自分の姿に恥ずかしさを感じながら、どうにか大きくなる鼓動を静めようとしていた。

 

「それにしても、今日は僕が一緒にいて良かったんですか?」

 

 と、そんな二人の動揺など知らない藍が松下が消えていった扉を眺めながら二人に聞いた。彼の言葉に反応したのは、先に冷静さを取り戻した千束だった。

 

「ど、どうして?」

「いえ、松下さんが僕も一緒に同行してはどうかとおっしゃった時、お二人共動揺したような、困惑したような表情を浮かべていたので……松下さんやお二人にご迷惑がかかってないか、それだけがちょっと心配でした」

 

 どうやら松下の提案の際の自分とたきなの様子を見られていたらしい。以前から思っていたが、この少年はおっとりしているように見えてどうも勘が鋭い一面がある。千束は内心で彼のそんな一面に驚きながらも、笑って彼の心配を払拭する。

 

「私達は大丈夫だって! それに、松下さんもきっと藍くんが一緒にいて良かったって思ってるよ」

 

 言いながら、千束は先ほどの松下の言葉を思い出す。かつて生まれるはずだった息子を失い、彼に対して何もしてやることができなかったと松下は嘆いていた。しかし今日、天竺藍という少年と出会い少しの間だけでもその時間を共有する事で、彼の心のわだかまりは少しだけでもとかすことができたはずだ。今日藍が同行すると聞いて自分もたきなも思わず動揺してしまったが、それでも藍が一緒にいて良かったと千束は思う。

 

「だから、藍くんが心配する事なんてなんにもないよ。ね、たきな?」

「……ええ、そうですね。私もそう思います」

 

 ほらー、と千束は相棒の返答を聞いて明るく笑う。それに藍も、「それなら良いのですが……」と呟いた。そんな二人に挟まれながら、たきなは両膝の上で両手をきゅっと静かに握った。

 

 千束に言った事は嘘ではない。松下はきっと藍が一緒にいて良かったと思ってるし、藍が心配する事なんて何もない。そう千束も思っているし、それは自分も同じだ。

 

 ―――問題なのは藍が松下との観光に同行するのが決まった時、不安である一方で心のどこかでそれを自分が喜んでいた事だ。任務である以上、一般人の藍が関わる事は良い事ではない。護衛に支障をきたすだろうし、何よりも自分達の正体について彼に知られる危険性だってある。それを考えれば、あの時千束や松下、ミカがなんと言おうと自分だけは彼が任務に同行するのを最後まで反対しなければならなかった。

 

 でも、できなかった。彼が同行する事に不安を抱えながらも、強く反対する事は出来なかった。それは誰よりも自分が、彼が同行する事を―――彼と一緒に時間を過ごせる事を喜んでいたからだ。だからこそ彼の同行に強く同行する事ができなかったし、その上彼の同行に嬉しさすら感じてしまっていた。その理由が、四人で出発する際に自分が感じた微かな胸の高鳴りだった。最初は分からなかったが、こうして一緒に東京観光をしている今なら嫌でも分かる。分かってしまう。彼の存在に喜びを感じなければ、あんな感覚は味わなかった。例え任務の過程で彼に自分達の正体が知られ、最悪の場合彼の身に危険が及ぶという可能性があったとしても。そう考えて、たきなはきゅっと唇を噛み締める。

 

 ああ、なんて最悪な考え。なんて利己主義(エゴイズム)な考えなのだろう。こんな事、リコリコに来る前までの自分なら考えもしなかったに違いない。藍が任務に同行するのを許さなかっただろうし、それどころか『邪魔なのでさっさと消えてください』ぐらいは言っていたはずだ。でも、リコリコに来てから自分は変わった。今朝千束の人工心臓について聞いてからずっとその事が気になっているし、例え危険でも一般人である『普通』の藍に自分達のそばにいて欲しいと思っている。………悪人を人知れず消す、『普通』ではない自分達のそばに。自分達と彼の間に、『普通』という分厚い壁があるのを知りながら。

 

 非合理的な考えだ、とたきなは心の中で思いながら隣にいる少年について思いを馳せる。どうして、一般人のこの少年に対してこんなに心をかき乱されるのだろう。千束に対する感情とはまた違う、痛みと温かさという矛盾を内包する感情が自分の中に息づいているのが分かる。例え自分達が普通とは違う『異常』であっても、彼にいてほしいと願ってしまう。こんなにも自分の心をかき乱すのは、千束以外だときっと彼だけに違いない。

 

「………藍さん」

 

 と、気が付けばたきなは藍に向かって声を発していた。それに藍だけではなく千束も彼女に視線を向けると、たきなは俯きながら何か聞こうとする様子を見せたが、まるで彼女自身がそれを拒むように唇を噛み締めると、顔を上げて何事も無かったような微笑みを浮かべて藍に言った。

 

「いえ、何でもありません。それより今日は暑いので、水分には気を付けてくださいね?」

「……はい。分かりました」

 

 藍はそう言うと律儀にペットボトルの蓋を開けて、水を口に含んでこくこくと飲み始める。それからふぅと一息つくと、振り返って風景を見始めた。その姿はただぼんやりと風景を眺めているというよりかは、何かを凝視しているようにもたきなには見えたが、きっと風景の中に何か珍しいものがあったのだろう。それからたきなは自分の横顔を千束が見つめている事に気づくと、ただ静かに微笑みを返して俯いた。

 

『―――例え私達が「普通」じゃない事を知っても、あなたは私達のそばにいてくれますか?』

 

 口から出す事が出来なかった、その言葉を思い浮かべながら。

 

 




実は今話の後半部分は何度も書き直したりして中々進まなかったのですが、藍くんが水を飲む場面を少しでも色っぽく書こうとしたらスラスラ書けました。あれ、おかしいな……前の風呂上がりのシーンと良い、この小説のヒロインは藍くんだった……?(震え声)。
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