藍くんとリコリコの愉快な日常   作:白い鴉

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今回は投稿までお時間がかかってしまい、申し訳ございません。仕事が忙しかったのもありますが、最近新しく購入したゲームに夢中になってしまい、執筆が中々進みないというクソみたいな事情のためです……。来週からまた執筆速度を元にしたいと思います。また、今話では前回に続いて藍くんの秘密がまた一つ明らかになります。最近急に熱くなってきましたので、皆様も熱中症などにお気をつけください。


Episode.12 A secret's worth is in keeping it

 

 

 

 

 

 

 

 ―――首を絞められていると少年が気づいたのは、首に強い圧迫感を感じているというのもあるが、単純に目の前にその張本人がいるからだ。その人物は仰向けに倒れている少年へ馬乗りの状態になり、細い首を両手で強く絞めつけている。当然気道が圧迫されているせいで少年の呼吸はとても苦しそうで、あと少し首を握る両手に力が籠められれば窒息死してしまうかもしれない。

 

 にも関わらず、少年はその人物から逃れようとする動きすら見せない。両腕はだらりと力なく床についたままで、呼吸は変わらず苦しそうだが両目(、、)はどこか虚ろな眼差しで自分の首を絞めている人物の顔を見つめている。逆光のせいでその人物の顔はよく見えないが、両目だけははっきりと見る事が出来た。

 

 光の届かない闇を連想させる、底知れない憎悪で彩られた両目。その双眸で少年の顔を見下ろし、細い首を強く絞めつけながら、怨嗟に満ちた低い声を吐き出す。

 

『どうしてお前は■■■じゃないの』

『どうしてお前は■■なの』

『どうして■じゃなくて、お前が生きているの』

 

 どういうわけか声の一部にはノイズがかかっており、少年の耳にはその人物がなんと言っているか分からない。けれど、自分に対して心の底から憎しみを抱いている事だけは分かる。それも、自分がこの人物に対して何かしたから憎まれているのではない。そもそも、自分はこの人物に憎まれるような事をした覚えはない。きっとこの人物は、自分が生きている事自体がどうしようもなく憎くて憎くてたまらないから、自分をこのような目に遭わしているのだろと少年は思う。それは傍から見るとあまりにも理不尽としか言いようがない。

 

 だが、少年はそれに対し怒りも悲しみも見せなかった。何故自分が生きている事に対してそこまで憎しみを抱いているのかは分からない。何故自分がこのような仕打ちを受けなければならないのかも分からない。

 

 分からない、けれど。自分に対してそこまで強い憎しみを抱いているという事は、きっと自分の方にそう思われても仕方がない理由があるからだろう。何も心当たりはないし、その理由を聞いた事も無い。だけど、この人物にここまでされるという事は、自分の方に何か非があるからなのだ。

 

 だから、こうして憎悪を向けられても仕方がない。こうして首を強く絞められてても仕方がない。何故ならきっと、自分が全部悪いから。そして目の前の人物は何も間違っていない。だから、今自分の首を絞めている手の力がどんどん強くなっているのを感じても、少年は何も抵抗しない。酸素が上手く行き渡らなくなってきたのか、視界が段々狭まっていき、口の端から涎が頬に垂れるのを感じる。そんな少年をまるで汚物のように見ながら、彼女(、、)は最後に言った。

 

『―――お前なんて、死ねば良いのに』

 

 その言葉を最後にして、少年の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

「………はぁっ」

 

 天竺藍は目を覚ますと同時に、まるで水中から顔を出したように口を大きく開いて酸素を肺に取り込んだ。それから胸に手を当てて自分の心臓の鼓動を確認しながら、ゆっくりと体を起こす。枕元に置かれている目覚まし時計を見ると、いつも自分が起きている時間よりも三十分ほど早い。こんなに早い時間に起きた事はこれまでに一度も無かった。まぁ、彼の場合はこれよりも遅い時間に起きた事も一度も無いのだが。

 

 藍は普段この寝室のベッドで眠っており、今はエアコンによる冷房が十分に効いている状態になっている。近年の夏の東京はほぼ毎日熱帯夜が続くとリコリコの常連客達から聞いたので、毎日冷房を効かせて眠っている。基本的に藍は一人暮らしのため、もしも熱中症になり意識不明の状態に陥ってしまったら誰かに知らせる事ができないためだ。

 

 それなのに、今の藍は嫌な汗で全身がしっとりと濡れていた。原因は分かっている。ついさっきまで見ていた夢のせいだ。夢のはずなのに、まるで現実のような嫌なリアリティがあった。今も自分の首を強く絞めるあの生々しい感触が残っているような気がして、思わず自分の首を右手でゆっくりと撫でる。同時に夢の中で自分を睨みつけていた、あの憎悪で彩られた両目を思い出す。

 

「……………あの人の目を見るのは、久しぶりだなぁ」

 

 思えば、あの人の目は昔から何一つ変わらないと思う。いつもは何事にも興味がないと言うような冷たい目なのに、ほんの些細な事がきっかけでその両目がドス黒い憎悪で彩られる事がたまにあった。そしてそういった時に矛先を向けられるのはいつも自分だった。藍は首を撫でながら、小さな声でポツリと呟く。

 

「………でも、どうしてあんな夢を見たんだろう……」

 

 ここに来てから、あのような夢を見る事は無かったのに。そもそもの話、藍は夢というものをあまり見ない。仮に夢を見たとしても、翌朝までに夢の記憶を持ち越す事自体あまり無かった。なのに今は、先ほどまで見ていた夢の内容もその感触もしっかりと覚えている。こんな事は天竺藍という少年にとって初めての事だった。嫌な初めての経験に、並大抵の事にはあまり動じない藍もさすがに不安げな表情を浮かべる。

 

「……っと、こんな事じゃいけない。お弁当を作って、リコリコに行かなくちゃ……」

 

 呟くと、まるで水浴びをした犬のように頭を振ってベッドから立ち上がる。何故あんな夢を見てしまったかは分からないが、夢は夢だ。そんな事で悩むのも馬鹿らしいし、こんな顔をしていたらいつもリコリコで話をする二人の友人に心配をかけてしまう。今日は休日だし、また腕によりをかけてお弁当を作るとしよう。そう思いながら寝室を出ると、洗面所へと向かい冷たい水で顔を洗う。寝室は冷房が効いているとはいえ、そこから出ると夏特有の蒸し暑い空気が満ちているので、こうして冷たい水で洗うと気持ち良くて気分が少し腫れる。そしてタオルで顔を拭き、さぁ今日も一日頑張るぞ……と思いながら洗面台の棚に置かれた箱からいつも着けている白い医療用の眼帯を取り出そうとする。

 

 だが。

 

「………あれ?」

 

 ぽかんと、箱の中身を見た藍の口から間抜けな声が漏れた。棚には薬局で購入した、白い医療用の眼帯が入っている紙箱が置かれているのだが、箱の中には眼帯が一つも残されていなかった。何で? と藍の頭の中が疑問符でいっぱいになるも、すぐにその理由が明らかになる。

 

 つい先日、藍は自身が常連となっている喫茶店リコリコの実態とそこで働く店員達の正体を知った。まぁそれが原因で店員達との関係性がガラリと変わったなどという事は無く、これまで通りの形で彼女達と接する事になったのだが、問題なのはそれ以外にも彼女達の任務について色々あったせいで、藍の頭から眼帯を買いに行かなければならないという考えが一時的に吹っ飛んでしまったという事だ。その結果が、今目の前にある空っぽの紙箱である。

 

「……………あ」

 

 その瞬間、藍の顔が文字通り真っ青になり、口から呆然とした声が漏れる。人によっては眼帯をしないまますぐに薬局に買いに行けば良いのではないかと思われるかもしれないが、天竺藍という少年にとっては眼帯が無いというのは非常に大きな問題なのだ。いや、正確に言えば眼帯が無いという事ではなく、左目を隠せない事と言った方が良いかもしれない。どちらにせよ、いつも着けている眼帯が無いという事は天竺藍という少年にとって死活問題だった。それを証明するように、藍は口を開けて目を見開き、非常に動揺した表情を浮かべて―――。

 

「あ、あああああああああああっ―――!?」

 

 普段ならばまず聞く事ができないであろう、非常に珍しい藍の叫び声が、マンションの一室に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「そう言えば藍くんの眼帯の下って、どうなってるんだろうねぇ」

 

 千束がそんな事を言いだしたのは、相棒のたきなと一緒にリコリコの買い出しに出かけていた時だった。二人共それぞれリコリコで働く際に着用している赤と青の和服に身を包み、片手には買い出しで購入した食材などが詰まったバッグを持っている。しかし横に並びながらそんな事を言いだした相棒の言葉が聞こえているのかそれとも無視しているのか―――きっと彼女の事だから後者なのだろうが―――、たきなは千束の言葉に答えず黙々と歩き続ける。すると千束は先ほどよりもやや大きい声で、

 

「そう言えば藍くんの眼帯の下って、どうなって………」

「聞こえていますから大きい声を出さないでください」

 

 ようやく反応が返ってきたものの、相棒のつれない反応に千束は唇を尖らせて、

 

「だって~、たきなが私の事無視するから~」

「突然意味も意図も分からない事を言われてすぐに返答できるわけないでしょう。ただでさえ千束は普段から意味が分からない事を言う常習犯なんですから」

「ちょいちょいちょい、いくら何でもそれは酷過ぎじゃないかなたきなさんや。千束さんはぁ、いつもみんなのためになる、意味も薫陶もある言葉を言ってますよ?」

「四月一日はまだ早いですよ千束」

「酷くない!?」

 

 あまりの塩対応に千束は思わず叫ぶが、流石に本心からの言葉ではないだろう。これぐらい、互いの性格をよく知っている二人にとっては軽いじゃれ合いのようなものだ。なのでたきなも心からそう思っているわけではない……と思いたい。何せ例え相手が相棒であっても遠慮も躊躇もない言葉を言うのが井ノ上たきなという少女なので、まったくないとは言い切れないのが残念な所である。

 

 しかし千束の言葉が気になったのか、たきなはそこで初めて千束の顔に視線を向ける。

 

「………そう言えば、藍さんっていつから眼帯をしてるんですか?」

 

 よくよく思い返してみれば、たきなが初めて藍と初めて会った時から彼はすでに眼帯を着けていた。それぐらいの時に着け始めたのか、それとも自分達が出会った時よりも前から着けていたのかは分からないが、どちらにしても結構長い期間眼帯を着けている事になる。たきなの問いに千束は藍が初めて店に来た時の事を思い返しながら、

 

「初めてお店に来た時からもうしてたよ? あれを外してる所は私達も常連のお客さん達も見た事が無いんじゃないかなー」

「なら、単純に目にできものか何かができてしまったんでしょう。私達があれこれ考える問題じゃありません」

 

 たきなが至極まっとうな正論を言うが、それで納得できなかったのか千束はうーんと腕を組んで、

 

「いやでもさぁ、藍くんが初めてお店に来た時から大分経つよ? 普通それぐらい時間経ったら、もうとっくに治ってるものじゃない? 私的には、きっと藍くんの眼帯の下には何かとんでもない秘密があると思うんじゃわ。さすがに藍くんが中二病で眼帯を着けてるとは思えないし。どう? 何かあると思わないかいワトソンくん?」

「誰がワトソンですか」

 

 左手の人差し指をピンと立てて自慢げな笑みを浮かべる千束をたきなは半目で冷ややかに見つめるが、確かにここまで言われて気にならないというのは嘘になる。千束の言う通り目に何らかの異常が生じたとしても時間が経てば自然と治っていくものだし、藍が中二病的な理由で眼帯を着けているとも思えない。というか、彼の性格からすると中二病という言葉すら知らない可能性が高い。まぁ彼の目に生じているかもしれない異常の治癒が遅いという可能性もあるにはあるのだが、確かに気になるのは事実だった。

 

「というよりも、そんなに気になるなら藍さんに直接聞いてみたらどうですか?」

「んー、そうだねぇ……。って、噂をすればあれ藍くんじゃない?」

 

 と千束が前方に指を差し、たきなの目がその方向に向けられると、前から確かにそれらしき人物が歩いて来るのが見えた。服装こそ平日に身に着けている学校の制服ではなく私服だが、背中のリュックは彼がいつも背負っているものだし、何よりその人物が着ている服は以前自分達が一緒に買い物に行った時に、千束が藍のために見繕った赤色を基調とした服だ。それ以外にも歩き方や体格からしても、藍の可能性は非常に高い。第一、服が変わったぐらいでいつも店で見慣れている人物の情報を見間違えるようではリコリス失格である。

 

 だが、今日の藍には一ついつもと異なる点があった。それは今日の彼が珍しく帽子をかぶっているという事だ。服を選んでいた際に、やはり千束が見繕って藍が購入したキャスケットの帽子。今日の彼はその帽子を目深に被っているため、彼の少女にも見える中性的な容姿が今日はよく見えない。たきながそう思った直後、前の藍らしき人物は帽子のつばに手をかけてさらに帽子を目深に被った。その様子はまるで、自分の顔が人目に晒されるのを恐れているようでもある。

 

「……藍さん、どうしたんでしょうか。どことなく様子がおかしいですが……」

「うーん、確かに今日はちょっと挙動不審気味だね。はっ、もしかして悪事に手を染めちゃったり!?」

「藍さんがそんな事するわけ無いでしょう。失礼ですよ」

 

 おどけた態度の千束にたきなが半眼で言うと、千束はえへへと笑いながら後頭部に手をやり、

 

「まぁでも、聞いてみれば分かるでしょ。おーい、藍くん!」

 

 千束が大声を出しながらこちらに歩いて来る藍に手を振った瞬間、どうやら二人の見立て通りその人物は藍だったらしく、彼女の大声に反応する。しかしその反応というのも、ビクリと体を大きく振るわせてのけぞるといういつもの彼とは想像できないほど大げさなものだった。やはり藍らしくないその反応に二人が少し驚きながら藍に駆け寄ると、藍は目深に被った帽子の下から右目だけを覗かせて二人の顔を確認する。

 

「ち―――千束さんに、たきなさん? どうしたんですか?」

「いやいやいや、それはこっちの台詞なんだけど……。何かお買い物?」

「え、ええ……。ちょっと薬局に買い物があったものですから……。売り切れでしたけど……」

「そうなんだ……。あ、そうだ! 折角会ったんだし、一緒にリコリコに行こうよ! きっと今日も来る予定だったんでしょ?」

「え、いえ、それはそうなんですが、その予定だったと言いますか、何と言いますか……」

「よーし! そうと決まったらレッツゴー! タイムイズマネー!」

 

 好きな少年に会う事ができてテンションが上がっているのか、千束は藍の右手の手首を掴むとリコリコへと歩き出した。右手を直接握るような事をしないのは、さすがに好きな少年の手を直接握るのは恥ずかしいという、千束のいじらしい考えからだろう。しかしそんな可愛らしい考えとは対照的に、千束はぐいぐいと藍をリコリコへと引っ張っていく。男性と女性という性別の差などまるで気にせず、ああも簡単に人を引っ張れるというのは、さすがはDAが誇るファーストリコリスと言うべきか。そしてたきなはそんな千束に呆れつつ、いつも違う様子を見せる藍に少し不思議そうな視線を向けながらも、動き出した相棒を止める事など今更できるはずがないので、黙って二人の後をついていった。

 

 そして数分後、リコリコに着いた千束は店内に続く扉を勢いよく開けると、底抜けに明るい声で告げた。

 

「たっだいまー! 千束とたきなが戻りましたよー! あと途中藍くんと会ったんで連れてきましたー!」

「ああ、お帰り二人共。それといらっしゃい、藍くん」

 

 声をかけてきたのはカウンターの中にいるミカだ。彼の他にはいつものカウンター席に陣取っているミズキ以外に客の姿はない。クルミの姿も無いのは、恐らくまだ寝ているのだろう。ウォールナットとしてリコリコの裏の仕事を手伝ってくれる彼女は夜遅くまで情報収集をしている事もあり、昼まで起きてこない事がしょっちゅうある。

 

 ミカの視線が千束とたきな、そして彼女達の後ろにいる藍に向けられる。そこでミカの目が『おや?』と何やら不思議そうな色を帯びたのは、藍の様子がいつもと違う事を察したからだろう。それはミズキも同様で、怪訝な眼差しを藍に向けている。一方、二人の視線を受けている藍はそのまま帽子も脱がずに二人の横をそそくさと通ると、いつも座っているカウンター席に座り少し小さな声でミカに注文する。

 

「……ミカさん。その、アイスコーヒーお願いします」

「粒あん団子は今日は良いのかい?」

「はい。今日はアイスコーヒーだけで……」

 

 注文を聞きながら、ミカは心の中で少し驚く。藍はいつもリコリコに来ると粒あん団子とコーヒーを注文するのだが、彼がコーヒーだけを注文するのは初めてだ。やはり今日の彼はどうも、いつもと比べて様子がおかしい。それはやはり他の三人も感じ取ったようで、ミカと同じような表情を一様に浮かべている。

 

 そしてミカがアイスコーヒーを藍の前に置くと、藍は静かにコーヒーを飲み始める。しかしその最中も足を忙しなく動かしたり、何度も帽子を目深に被ったりと落ち着かなさそうな様子だった。その様子に、リコリコの四人は藍から離れて座敷席に集まると口々に話し始める。

 

「なーんか、今日の藍くん様子おかしいよねぇ……」

「たきな、今日三人で一緒にここに来る途中で、何かあったりした?」

「いいえ、今日藍さんと会った時から、挙動不審でした」

「となると、彼がああなのは少なくとも千束達と出会う前からという事か………」

 

 いつもならば客のプライバシーに必要以上に首を突っ込むような事をしないミカも、さすがに藍が心配らしい。すると藍の後ろ姿を見ていたミズキがこんな事を言う。

 

「ってか、今日の藍くんどうして帽子なんて被ってるの? いつもなら被ってないわよね?」

「うん。それに帽子を何回も被りなおしてるのも気になるんだよねぇ。まるで顔を見られるのを隠してるみたいに」

「監視カメラを警戒しているという事でしょうか?」

 

 ある意味リコリスとしては当然ではあるが、普通の一般人としてはややズレているとも言えるたきなの発言に、ミカは首を振りながら、

 

「それならさすがに店内に入っている時点で帽子は脱いでいるだろう。それにさすがに彼が、監視カメラを気にするような事をするとも思えないしな」

「もうまだるっこしいし、千束が直接聞いてくれば?」

「いやー、さすがにあの状態の藍くんが素直に話してくれるとは思えないなぁ」

 

 何せ、こうして見ているだけでも何かを警戒しているような素振りをたびたび見せているのだ。藍にどうして帽子で顔を隠しているのかストレートに聞いたとしても、素直に話してくれるとはあまり思えない。千束はふむ、と口元に手をやりながら、

 

「何故か顔を隠す藍くん、何かを隠しているような素振り。………何やら、謎の匂いがしますなぁ。謎があるなら解き明かしたくなるのが探偵の(さが)というものだよね?」

「いつからあなたは探偵になったんですか? それにさっきのワトソン発言といい、さては洋画で何か探偵ものでも見ましたね?」

「というわけだから、藍くんの謎を解き明かすのにちょっと協力してくれないミズキ?」

 

 たきなのツッコミを無視して、千束がミズキに聞く。いつもならば面倒臭いと断りそうなミズキだが、今日はそんな気分でもないらしく愛用の眼鏡をキラリと光らせて、

 

「ふっ、乗ったわ。缶ビール一本で手を打とうじゃない」

「私未成年でお酒買えないからせめておつまみで」

「というより、どうしてそんなにノリノリなんですかミズキさん」

 

 二人の話を聞いていたたきなが口を挟むと、ミズキはふっと口元に笑みを浮かべ、

 

「ミステリアスで可愛い男の子の謎って、なんか無性に暴きたくならない?」

「発言だけ聞くと非常にいかがわしい言葉ですね」

「ミズキ………」

 

 要するにただの興味本位ですと言うような言葉にたきなは冷たい視線をミズキに向け、ミカはそれなりに長い間一緒に働いている従業員を何とも言えない表情で見つめていた。

 

「ま、それはそれとして、藍くんの謎をちょっと探ってみるとしましょうか!」

「やめた方が良いと思うぞ、千束………」

 

 だが、ミカの言葉も好奇心に駆られている今の千束には届いていないようだった。彼女はミズキと顔を寄せ合うと、ひそひそと何かを打ち合わせし始める。そんな二人の姿に、たきなははぁとため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

「で、この間伊藤さんがね~」

「………はぁ、そうですか」

 

 ニコニコと藍の横のカウンター席に座りながら話をしている千束に対して、藍は相変わらず帽子を目深に被りながら彼女の話に相槌を打っている。しかしその相槌と一緒に返す頷きなどはいつもと比べると小さく、千束の話を上の空半分で聞いているのが見え見えだった。一方、そんな二人の様子をミカはカウンター内でどこか不安そうな目で眺め、たきなは二人とは少し離れた所で呆れたような視線を相棒に向けている。

 

 そして、もう一人。ミズキがゆっくりと抜き足差し足で藍の背後に忍び寄っていた。その表情はニヤニヤと、まるで悪戯を思いついた子供のような笑顔だった。だが荒事専門ではないとはいえさすがは元DAの人間であるからか、足音と気配の消し方は中々のものだった。あれなら相手がただの一般人ならば気づくのは相当難しいだろう。できる事ならば、その技能をこのようなくだらない事で発揮するのはやめて欲しいとたきなはミズキを冷めた目で見つめながら内心思った。

 

 たきながそんな事を思っている事など露知らず、ミズキは藍との距離を詰めていき、やがて彼のすぐ背後に辿り着くと、ゆっくりと彼の被っている帽子に手をかけようとする。

 

 だが、ちょうどその時千束と話をしていたはずの藍が振り返り、予想外の藍の行動に思わず動きを止めたミズキと目が合う。それから藍は帽子の下で半眼になりながらじっとミズキの顔を見て、

 

「……何をしているんですか? ミズキさん」

「え、いや、これは、そのー……ちょっとしたドッキリ?」

 

 ミズキが慌てながらその場を取り繕おうとすると、藍の後ろにいる千束が呆れたような声で、

 

「まったくもう、何してんのよミズキぃ。ごめんね藍くん、ミズキが変な事して」

 

 やれやれと今にもため息をつきそうな声音で千束は言ってから、「あ、そうだ」と何かを思い出したように呟き、

 

「ねぇ藍くん、ちょっと聞きたい事があるんだけど………」

「……? はい? 何ですか……」

 

 そう言って藍が引きつったような笑みを浮かべているミズキから、真後ろにいる千束へ振り返った瞬間。

 

「―――ごめん!」

 

 千束がちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべながら、右腕を素早く動かして藍の頭上にある帽子をかすめ取った。

 

 ―――そう。これが千束とミズキが立てた『藍くんの帽子奪取大作戦』という名の作戦だった。

 

 まずミズキが藍の背後からこっそり忍び寄り、帽子を素早く取る。これで帽子を取る事ができればそれに越した事は無いのだが、千束はこれで帽子を取れる可能性は非常に低いと考えていた。

 

 何故なら藍には相手の嘘を瞬時に見抜き、リコリスである自分やたきなですらも気づかなかった殺し屋の視線に気づくという、あまりに鋭い勘がある。いくらミズキが背後から気配を殺して忍び寄ったとしても、その勘の良さによって気づかれてしまうのではないかと思ったからだ。そして結果は千束の予想通り、背後から忍び寄っていたミズキは藍に気づかれてしまう事となった。

 

 そこで千束とミズキが考えたのは、ミズキがあえて藍に見つかる事で彼を油断させてから、千束が藍の帽子をすぐさま取り上げるというものだった。これならばミズキが藍の帽子を取り上げる事に失敗してしまったとしてもすぐにその隙をカバーする事ができるし、何より千束にはリコリスの中でも一際優れた身体能力と天才的な洞察力がある。いかに鋭い勘を持っていたとしても、藍は身体能力面では普通の男子高校生だ。真正面からでは鋭い勘を持つ藍から帽子を取る事は非常に難しいし、それで警戒されてしまえば帽子を取る事はほぼ不可能になってしまう。しかしこうしてミズキと協力し、ミズキがわざと失敗した事で彼の警戒心を一時的にでも緩めてしまえば、彼の帽子を取る事は決して不可能ではない。それで考えたのが、一連の手順というわけだった。

 

 ―――錦木千束の悪戯は、全てが隙の生じぬ二段構え―――。

 

 なお、このようなくだらない悪戯のために自身の能力をフルに活用している千束を、たきなは馬鹿を見る眼差しで見つめていたのだが、当然その事に千束は気付いていない。今はそれよりも自身の作戦が上手くいった強い達成感と藍に対する少しの申し訳なさを感じながら、彼女の視線が藍の顔に注がれ―――。

 

「………え?」

 

 藍の顔を見た千束は思わず、きょとんとした声を出した。

 

 帽子が無くなった藍の顔には、千束達が思っていたよりも大きな変化は生じていなかった。いや、正確に言うならば今まで彼の顔にあったはずのある物が無くなっている。

 

 それは、今日に至るまで彼の左目を覆っていた白い医療用の眼帯。そしてその眼帯が今まで隠していた左目が露になっていた。千束の視線が、思わず藍の左目に吸い寄せられる。

 

 千束が初めて目にする藍の左目は、普段から露になっている右目の色と違っていた。右目の色は普通の日本人らしい黒色なのだが左目の色はまるで、宝石のように綺麗な色彩の―――。

 

 

 金色。

 

 

「―――」

 

 だが。

 

 その目について千束が感想を言う前に、藍の表情に変化が起こった

 

 ついさっきまでミズキに対するものである胡乱気な表情を浮かべていた藍は、自分の帽子が千束に取られた事に対して一瞬ポカンとした表情を浮かべた後、自分の左目が千束に見られている事に気づく。その直後、彼の顔にある感情がはっきりと浮かび上がるのを千束は見た。

 

 その感情の名は―――恐怖。

 

 そしてそれを見て千束が思わず動きを止めた次の瞬間、彼女の体に衝撃が走り、気が付くと千束は店の床に尻もちをつく形でしゃがみ込み、いつの間にか藍の姿が目の前から消えていた。銃弾すらも見切るはずの自分の身に何が起こったのか、何故藍の姿がいつの間に消えているのか。今この場で起こった事態がまったく分からず、千束は床に両手をつきながら呆然とその場に座り込む事しかできなかった。

 

 一方、二人の様子を傍から見ていたたきな達には何が起こったか理解していた。突然藍が千束を両手で勢いよく突き飛ばし、それに千束が思わず床に両手をついて尻もちをつくと、その際に彼女の手から彼が被っていた帽子が離れた。藍は素早い動きで床に落ちた帽子を拾い上げ被ると、まるで逃げるようにリコリコの扉から外へと飛び出して行ってしまったのだ。藍が逃げた事を証明するようにリコリコの扉は開いたままで、床に何が起こったか理解できていない様子の千束が尻もちをついている。

 

 いや、何が起こったか理解できていないのは状況を見ていた三人も同じだった。千束が藍の帽子を謝りながら取った直後、藍が千束を突き飛ばすという、いつもの藍では信じられない行動を取ったのだから。銃弾も避けられる事ができるはずの千束が真正面から突き飛ばされたのも、未だに床に尻もちをついているのも、藍の行動が信じられなかったからだろう。四人は何も言わずその場で固まっていたが、そんな四人に店の奥から眠たそうな声がかけられた。

 

「ああ、よく寝た……。ミカ、ココアを入れてく……何が起こったんだ?」

 

 目をこしこしとこすりながら店の奥から歩いてきたのは、ようやく起きてきたクルミだった。彼女はミカに声をかけた後、店内の有様を見て目を丸くする。あまりの状況に、ありえない事だとは思いつつも強盗でも入ったのか? と一瞬考えてしまう。しかし当然ながら、クルミのその問いに誰も答える事は出来ないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 リコリコから自宅のマンションに帰ってきた後、藍は洗面台の前で荒い息をついてた。先ほどまでの記憶が曖昧で、自分がここまでどの道を通って来たのか分からない。ただ覚えているのは、リコリコで自分が被っていた帽子を千束に取られた事、それから自分が全速力で走ってここまで帰ってきた事だけだった。荒い息を数回ついて藍が顔を上げると、鏡に藍の顔が映し出される。そしてその際に、藍の視界に黒色の右目とは違う、金色の左目が飛び込んできた。

 

「……………」

 

 それを見た藍はそれを隠すように、そっと自分の左手で左目を覆い隠す。

 

 ―――千束に左目を見られた。この大嫌いな左目を。

 

 普段は基本的に何事にもあまり動じない藍だが、この左目だけは例外だった。普通の人間ならば左右で同じ色をしているはずの眼球の片方だけが違う色という事が、天竺藍という少年にとっては非常に強いコンプレックスとなっていた。それは他人と違うからという理由だけではない。金色の左目を見た事で昔の記憶が刺激されたのか、藍の脳裏にある人物の姿が思い浮かぶ。

 

 この目を見るたびに、あの人(、、、)は藍の事を憎しみのこもった目で睨みつけてきた。この目を見るたびに、あの人(、、、)は藍に憎しみの言葉をぶつけてきた。その時の怨嗟の言葉を、藍は今でも鮮明に思い出す事ができてしまう。

 

『死ね。死ね。死ね。■■。お前なんて死んでしまえ』

『お前じゃなくて、■■■が生きていれば良かったのに』

『■■■じゃなくて、お前が死ねば良かったのに』

『この―――、■■■■■の■■が』

 

 そのたびに、藍はその人物に謝った。

 

 ごめんなさい。こんなめをしていてごめんなさい。■■■じゃなくてごめんなさい。―――しななくて、ごめんなさい。

 

 自分がそのような目に遭う事に対して怒るのではなく、憎むのでもなく、ただ自分がそんな奇異な目をしている事が悪いのだと、目の前の人物は何も悪くないのだと、ただひたすらそう思って。

 

 藍が左目を眼帯で隠すようになったのもそれが理由だった。この目を隠していれば、少なくとも目の前の人物は自分を見て嫌な思いをせずに済むと思って。結果暴力を受ける頻度は少し減ったものの、変わらずあの人(、、、)は藍の顔を見るたびに憎々し気に睨みつけてきたし、藍が受ける暴力自体も無くなったわけでは無かったのだが。

 

 そしてそれが原因で、藍は自分の左目が嫌いになった。人前に出る時は欠かさず白い医療用の眼帯を着けて隠すようにしてきたし、東京に引っ越してきてから誰にも左目を見せるような事だけはしなかった。あの居心地の良い、リコリコの店員達にも。

 

 でも今日、千束に左目を見られてしまった。別にそれで彼女を責める気は毛頭ない。好奇心に駆られるのは誰にもあるし、そもそもこんな左目を持っている自分が悪い。だから千束の事をどうこうするつもりは無かった。だけど今日この忌まわしい左目を見られてしまった以上、もうあのお店には行けないかもしれない。こんな、気持ちの悪い左目を―――。

 

「………あ」

 

 と、そこまで考えた所で藍はある事を思い出し、小さく呟いた。

 

「お金払うの、忘れた………」

 

 今日は早く帰りたいがためにアイスコーヒーだけ注文したが、注文は注文である。その分のお金はきっちりと支払わなければならない。本当は眼帯をせずに歩くだけでも相当なストレスなのだが、だからと言ってお金を払わないわけにもいかない。そんな事をすればリコリコに迷惑が掛かるし、今まで美味しいコーヒーと和菓子を出してくれたミカに申し訳ない。そして何よりも、やらなければならない事がある。

 

「………」

 

 藍の脳裏に、何が起こったか分からないと言うような千束の表情が思い浮かぶ。動揺した自分が思わず千束を突き飛ばしてしまった事だけは、朧げな記憶の中にしっかりと残っている。

 

 ―――いくら動揺していたとはいえ、千束を突き飛ばしてしまった。その事だけは謝らなければならない。例えこの左目を晒した状態だとしても、それだけは絶対にしなければならない。

 

 藍は洗面台に手をつくと、ゆっくりと立ち上がって玄関へと歩いて行った。

 

  

 

 

 

 

 




料理上手で無知無防備純粋でワケアリ、普段は眼帯付けていて実は黒と金のオッドアイ……。いやもうこれは他作品だと確実にヒロインですわー。伊藤さんが知ったら確実に藍くんをモデルにしたヒロインが作られますわー。
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