「リコリスに対する連続襲撃事件、ですか?」
ぱちくり、と瞬きをしながら藍が言うと、「ああ」とミカが困ったような表情を浮かべて頷く。ちなみに藍のそばには千束が気まずそうな笑みを浮かべ、たきなは何故かそんな千束に非難の眼差しを送っている。
どうしてミカが藍にこんな話をしているのか。理由は数分前に遡る。
いつも通りこの店にやってきた藍がミカにいつも食べている粒あん団子とアイスコーヒーを注文した後、千束と軽い雑談を交わし始めた。その時に昨日刃物による通り魔事件を企てていた男が逮捕されたという話題について二人が話していると、千束がこんな事を言ったのだ。
『藍くんも気を付けてね? 綺麗な顔してるんだから、変な奴に絡まれそうになったらすぐに逃げるんだよ? DAがあるとは言え、最近物騒なのは変わらないし。通り魔だったり、それにリコリス襲撃だってあったし……』
『……リコリスが、ですか?』
すると口を滑らせたことに気づいたのか、千束が明らかに焦った表情を浮かべた。『いや、それは、そのぉう……』と何やら言い訳を考えているようだったが、時すでに遅しで、藍の視線がまっすぐ千束の顔に向けられる。こうなってはもう隠す事などできないし、何より藍には相手の嘘を見抜く鋭い勘がある。ただでさえ千束は嘘が下手なのに、こうなってはもう隠し通す事は出来ないだろう。千束が困ったように藍の注文を準備していたミカに視線を向けると、ミカはやれやれと言うように深いため息をついた。
『……まぁ、藍くんはもうこちらの事情を知っているからな。だがそれでも、そういう事は一般人の前では話さないようにしなさい』
千束にやんわりと注意をしてから、『実は……』と前置きしてミカは藍に事件の事を説明し始めた。一方、うっかり藍に事件の情報を漏らしてしまった千束は冷や汗を垂らしながら表情を引きつらせ、そんな千束を相棒のたきなは冷ややかな眼差しで見つめるのだった。
―――藍がミカから聞いた話をまとめると、こういう事らしい。
約一ヶ月前、二子玉川でサードリコリスの一人が殺された。サードリコリスが任務の過程で死ぬのは大して珍しい事ではないのだが、それから今日に至るまでお台場、立川、品川の三か所でやはりサードリコリス達が一人ずつ殺されるという事件が発生した。この一ヶ月間でサードとはいえリコリス四人が次々と殺害されるという驚くべき事態に対して当然DAもすでに動き出しているが、ラジアータという全てのインフラの優先権を持つAIを所有しているにも関わず、目撃者・状況等は一切不明という有様だった。今のところはDAの方でも強い警戒態勢を取り、次の襲撃に備えているようではあるのだが、肝心の情報は極秘扱いであくまで支部のこちらには何も情報が来ないとミカがため息交じりに呟く。
「なるほど、それは確かに大変ですねぇ」
しかしリコリス達が襲撃されていると言っても、それはあくまでもDAでの話。DA及びリコリコの事情を知っているとはいえ、一般人の藍にとっては文字通り違う世界の話のように聞こえるだろう。実際、ミカとしても藍に危険な目に遭って欲しくないので、その方が有難いのだが。
「でも、千束さん達は大丈夫なんですか? クラスは違いますけど、千束さん達もリコリスですよね?」
すでにリコリスについての軽い説明を彼女達から受けている藍の言葉に、千束はあっけらかんとした表情で、
「ま、私達は支部だし大丈夫でしょ。今まで襲われてた子は全員本部の子達っぽいし」
「ですが、だからと言って支部の人間が絶対に襲われないという確証はありません。何らかの方針の転換で、支部のリコリスを襲う事も十分に考えられます」
「たきなは本当真面目だね~。よし、家事をやってもらってる事もあるし、肩揉んじゃるよ」
「……………本当にそう思っているなら、少しは分担していただけるとありがたいのですが」
「でもジャンケンで負けたのはたきなじゃ~ん?」
「うぐ………」
肩を揉まれながら、たきなが何故か悔しそうな呻き声を出す。一方たきなの肩を揉んでいる千束は、「あらら、お客さん見事に凝ってますね~」と呑気な声を上げていた。しかし藍は千束とたきなが何を話しているかいまいち分からず、ミカに視線を向けると彼はその理由を丁寧に話してくれた。
「各地でリコリス達が襲撃されている事もあって、たきなは今千束の家に泊まっているんだ」
「ああ、それで。確かにお二人が一緒なら大丈夫そうですね」
「いやー、そうでもないよぉ。昨日も誰かに雇われたっぽいチンピラが二人家に押しかけてきて、そいつらはすぐに追い返したんだけどそのせいで窓がおしゃかになっちゃってねー。ったく、たきながご飯作ってくれた時に押しかけてくんなっての!」
「それは確かに駄目ですね。食事の時間はキチンと守られるべきです。それは追い返されても仕方ありませんね」
どうやら誰かに自分の料理を美味しく食べてもらう事を喜びとする藍にとって、食事の時間を邪魔する事は許されない事らしい。その証拠に、いつもはぽやんとした表情の藍の眉間に微かにしわが寄っていた。
少々話は逸れてしまったが、それでもミカの説明のおかげででようやく納得がいった藍はアイスコーヒーで喉を潤すと、さらにミカに尋ねる。
「もうDAは犯人達について何か情報を得ているのでしょうか?」
「いや、それについては楠木……リコリス達の司令管についてもこちらから何回か聞いているが、相変わらず情報は降りてきていない。だから今は、別ルートから情報を得ようとしている」
「………別ルート?」
その言葉に藍が眉をひそめると、ミカが別ルートの具体的な名前を口にした。
「こいつらが今回の事件で被害に遭ったリコリス四人だ」
その言葉の直後、パソコンの大型モニターに映し出されたのはベージュの制服を身に纏った四人の少女達の写真だった。藍の目は、その四人の姿を感情の読み取れぬ瞳でじっと見つめている。
現在藍がいるのは普段彼が時間を過ごしているリコリコの店内ではなく、普段は一般の客が入る事はまずない店の奥の押し入れ―――現在はクルミが寝泊まり兼情報収集のため使用している―――だった。押し入れの上段にはクルミ専用のチェアがいつの間にか備え付けられており、そこに座るクルミの前にはキーボードと大型モニターが設置されていた。そして藍のすぐ横でミカが彼と同じようにモニターの画面に視線を向けている。
少し前、ミカの口から出た別ルートというのはクルミの事だった。次の被害を防ぐためにも、ミカはリコリスの司令管である楠木に調査を申し入れたが受け入れられなかった。そこで登場するのが、最強のハッカー『ウォールナット』として名高いクルミである。彼女はなんとDAのAI、ラジアータにハッキングを仕掛ける事で情報をダウンロードし調査しようとしていたのだ。確かに彼女ほどのハッキングの腕ならばそれこそ朝飯前かもしれないが、それでもDAの頭脳とも言えるAIに、さらに自分の命を狙っている組織の中枢部に潜るような事をするとは、合理的であると同時に大胆ですらあった。
ミカの口からクルミの事が藍に伝えられ、藍がへぇと感心していると、カウンター席に座っていつものように結婚情報誌を眺めていたミズキが不意にこんな事を言った。
『折角だし、藍くんにも事件について情報共有しといたら?』
あまりにも突然すぎる言葉に慌てたのは、もちろん千束とたきなである。ミズキの言葉を聞くなり二人はすぐさま慌てた様子で彼女に抗議しようとするが、その前にミズキは頬杖をつきながら藍に視線を向けて、
『そりゃあ確かに一般人の藍くんに情報を共有するのは危険だけど……今はとにかく事件を早く解決するのが一番でしょ? それならこの子妙に勘が良いし、何か分かるんじゃない?』
ミズキの言葉に、千束はうぐっと妙な声を出して黙り込み、たきなも思わず口を閉ざしてしまう。ミズキの言う通り、一般人である藍に一連の事件の情報を聞かせるのは色々な意味で危険だが、そもそもの話襲撃犯達を突き止めて事件を終わらせなければ、千束やたきなはもちろん他のリコリス達の身が危険な事は確かなのである。それに藍には以前松下の嘘をここにいる誰よりも一番早く見破った、妙に鋭い勘がある。そんな藍ならば、さすがに一連の犯人の正体は分からないだろうが、自分達には分からない何かに気づく事ができるかもしれない。……無論言うまでもなく、藍に危険な目に遭って欲しくない千束とたきなとしてはあまり賛成したくないのだが、正直今はわずかな手掛かりでも欲しい所である。
しかしそれでも、二人は藍がこの件に関わるのは反対だった。自分達の事情を知っているとはいえ藍は普通の一般人だし、リコリスについての情報の情報を知るという事はこちらの世界にさらに深入りするという事になる。そうなると、彼の身の安全を保障するのを難しくなる。そんな事、二人が望むはずもない。しかし一連の事件は解決しなければならない。二人がそんなジレンマに悩み始めた時、話を聞いていた藍が言った。
『よく分かりませんが、こんな僕でも千束さん達のお役に立てるならお話を聞きたいです。千束さん達が僕の身を案じてくれているのは分かりますが……僕にとっては、お二人の事も心配ですので』
彼の表情はいつもとあまり変わらなかったが、その声音には千束とたきなを心配する感情がこめられていた。その言葉を聞いて、千束とたきなの声が思わず詰まってしまう。彼にそうまで言われてしまっては、二人に反対する事はとてもできない。自分達が藍の身を心配するのと同じように、藍も自分達の身を案じて協力しようとしてくれているのだから。
それでも二人は最後の抵抗のように顔を見合わせて悩んだ表情を浮かべていたが、すぐにほぼ同時にため息をついてミズキの案を採用するのだった。
そして今、藍は店の奥にあるクルミの仕事場(という名の押し入れ)にてクルミとミカから一連の事件に関する情報を聞いている。画面には襲撃されたリコリスの遺体という、一般人が見るには少々惨い画像も映し出されているが、それを見ても藍は眉一つ動かさない。クルミはそれらの写真に加えて銃器の写真を表示させながら、
「被害者達の殺害方法は全員銃によるものだ。襲撃犯の具体的な人数は不明だが、サードとはいえリコリスを四人も殺している所を見ると数をそれなりに揃えているようだな」
「でも、その人達はどうやって銃を入手したんでしょうか。下手な動きをすればDAに気づかれてしまうのでは……」
今まで千束やミカから聞いた情報を元にして藍が疑問を口にすると、彼の横にいるミカが「その事なんだが……」とどこか苦々しそうな表情をしながら答えた。
「銃の入手方法についてはすでに私達もDAも把握しているんだ。春に起こった、ビルのガス爆発事件については知っているかな?」
「ええ。伊藤さんや米岡さんが話しているのを聞きました。確か窓ガラスが割れて大変だったとか……あ、もしかして……」
このタイミングで何故かミカが話題に上げた事、そして彼らからDAという組織がどのような事をしてきたのか聞いていた藍が何かに気づくとミカは頷いて、
「そう、ガス爆発というのはDAの情報操作によるものだ。実際はその日、武器商人達による大量の銃取引が行われていたんだ。その情報を聞きつけたDAが現場に駆け付けたものの商人達は全員死亡し、取引されていたはずの銃は何故か全て消えていた」
「だけど、実際は銃は消えていたんじゃなくてすでに取引されていたんだ。つまり、リコリス達が駆け付けた時にはすでに取引は終わっていて、銃は相手に全て引き渡されていた。……千丁もの大量の銃がな」
「千、ですか。それはまぁ……」
クルミの補足にさすがの藍も目を丸くする。するとそこである事が気になり、藍がミカに尋ねた。
「しかし、どうして商人達は全員死亡してしまったんですか? DAなら、一人ぐらいは生け捕りにして情報を取ろうとしそうなものですが」
「無論DAの司令官もそう考えていたんだが、現場にいたリコリスの一人がその場にあった機関銃を使って商人達を皆殺しにしてしまってね。結果商人達から情報を聞き出す事は出来ず、銃の行方は分からなくなってしまった。ちなみに、その当のリコリスは今店で働いているよ」
「え、それってもしかして………」
最後に付け加えられたミカの言葉に藍が思わず彼の顔を見ると同時に、「ああ……」と何かに気づいたような声を上げながら、
「以前ミカさんが僕にしてくれたたきなさんのアルバイトの話は、その時の銃取引の事だったんですね。それでたきなさんは商人達を皆殺しにしてしまった責任を取って、リコリコにと……」
「まぁそういう事だ。そして、その取引された銃が今回のリコリス襲撃に使われている。だから襲撃犯と銃を受け取った連中が同一犯なのはまず間違いないだろう。まぁ、今はまだ分からない事の方が多いがね。残りの銃は一体どう使うのか、銃取引の際に起こったDAのハッキングもそいつらが行ったのか……」
と、何故かミカがハッキングという単語を出した瞬間、画面を見ているクルミの肩がビクリと震えた。ミカの方はそれには気づかず、藍の方は相変わらずぼんやりとした表情を浮かべているので気づいているのかいないのかすらも分からない。
「そういえば、犯人達はどうやってリコリス達を識別しているのでしょうか」
「あ、ああ。その事についてはまだ分からんが、ボクはリコリス達の制服が犯人グループにバレてるんじゃないかって思ってる。まぁ、まだ断定はできんが」
「……こうして聞くと、分からないことだらけですね」
聞いているだけでも、犯人達の目的やリコリス達を識別している方法がよく分からない。なるほど、これは確かにDAも犯人達の正体の割り出しにてこずるはずである。藍の呟きにミカは頷きながら、
「だが、もしも襲撃犯達を突き詰め、さらに捕らえる事ができればそれら全ての情報が一気に解明する。そのためにも、そして千束達リコリスの身の安全のためにも、一刻も早く襲撃犯達をどうにかしなくてはならない。……とは言っても、だからと言って君に全て解決して欲しいなんて言うつもりは無い。ただ、君なら私達には見えない何かが見えるかもしれない。何か分かったら、些細な事でも良いから私達に教えて欲しい」
「……はい。分かりました」
藍はそう言うと、目の前のモニター画面を相変わらず感情が読み取れないぼんやりした目で見始めた。何も知らない人間が見たら、本当に注意して見ているのかと疑問を抱く所だがミカもクルミも特に口を出すような事はしない。一見ぼんやりしているのはいつもの事だし、鋭い勘があると言っても藍は一般人だ。さすがにこれだけの情報で一連の事件の真相が分かるとは思っていないし、何かしらのヒントが見つかれば良い方だ。
だから、正直ミカもクルミもあまり期待はしていなかったのだが……そんな二人の予想を裏切るように、モニターを眺めていた藍が突如口を開いた。
「ミカさん。一つお尋ねしても良いですか?」
モニターを眺め始めてからそんなに時間が経っていないという事もあり、ミカが少し驚きながら「あ、ああ」と答えると、藍はモニターから視線を外さないまま尋ねる。
「リコリスは基本的に一人でいる事が多いのでしょうか。それとも、千束さん達のようにペアで行動する事が多いのでしょうか」
そんな藍の質問にミカ(と話を聞いているクルミ)は怪訝な表情を浮かべながらも、藍の質問に丁寧に答える。
「それは任務によるな。犯罪者の暗殺などが主な任務のサードリコリスならば一人で活動する事が多いが、セカンドやファーストならペアで動く事が多くなる。実際、本部のファーストやセカンドはペアで行動している事が多い。だが暗殺ではなくついさっき話した商人達のような、犯罪グループを相手にする場合はこちらもチームを組んで事に当たるのが基本だ。その際はファーストやセカンドだけではなく、サードも合同で任務に当たる」
「では、サードリコリスの近くに他のリコリスがいるという事はあるのでしょうか?」
「……ない、とは言えないな。暗殺を行う以上は、それを片付ける人間も必要になる。クリーナーを使う事もあるが、それは本当に多人数を殺害した時ぐらいだ。サードリコリスが暗殺した死体を他のサードが処分するというのはよくある。それがどうかしたのかい?」
「リコリス達が殺された際の現場がそれぞれ離れているのが気になりまして」
「現場?」
はい、と藍が頷くとミカはモニターに映し出されている、リコリス達が殺害された際の場所を確認する。一人目は二子玉川、二人目はお台場、三人目は立川、そして四人目は品川だ。藍はモニター画面を見つめながら、
「仮に犯人達がリコリス達を狙って殺害しているとすると、現場がそれぞれ離れているのが引っかかります。単にリコリスを殺害する事自体が目的であれば、周囲に似たような制服を着ているリコリスを見つけだして殺害すれば良いだけです。なのに犯人達は、何故か離れた場所にいた四人を殺害している」
「一か所で大勢殺せば、自分達の尻尾がDAに掴まれるかもしれないと考えたんじゃないか? どれだけ上手くやっても、一か所に長く留まり続けば監視の網に引っかかる可能性はある」
「その可能性は確かに否定できません。しかし僕が気になるのは、各現場で一人だけを殺害しているという事です。大勢殺すのは確かにリスクがありますが、それでも単にリコリスを殺害する事が目的ならば一人だけではなく二人ほど殺害しても良いはず。なのに犯人達は何故か、一人しか殺害していない。いくらリコリスが強いとはいえ、未だDAにも姿を確認されていない集団がそれだけの数しか殺害できていないというのは正直違和感があります」
「……ならお前は、連中がなんのためにリコリスを殺して回ってると考えてるんだ?」
「まだはっきりと断言できませんが、犯人達の狙いはこの四人だったんじゃないかと僕は思っています」
その言葉にクルミは眉をひそめるが、ミカは藍が何を言いたいのか分かったらしく「なるほど」と呟き、
「つまり、こういう事だね? この四人はリコリスだから殺されたのではなく、何か犯人達に狙われる理由があり殺されたと」
「今言ったように、はっきりとは断言できませんが」
しかし、だからと言って無視するわけにもいかない推理だった。犯人達がリコリスを無差別に狙っているわけではなく、この四人に狙いを絞って襲撃をしていたとしたら、今までの事件現場が妙に離れている事にも説明がつくし、この四人の共通点を見つける事ができれば次に狙われる可能性があるリコリスを特定する事ができるかもしれない。
「よし。クルミ、この四人に何か共通点がないか調べてみてくれ」
「ああ、分かった」
「それと、藍くん。君もありがとう。まだ確定ではないが、貴重な意見を聞く事が出来た」
「まだそうだと決まったわけじゃないですよ」
ミカからの感謝の言葉は素直に嬉しいが、その言葉の通り藍の推理が本当に当たっているかどうかはまだ分からない。犯人達の狙いがはっきりと分からない以上、この四人が狙われた理由が本当にただの偶然だったという可能性も否定できないのだ。
「確かにそうかもしれないが、犯人達の狙いが分かるかもしれないのも否定できない。君の意見は、無意味じゃないさ」
「そう言ってくれるのはありがたいですが、本当になんとなくそう思っただけですよ」
「………お前の場合、そのなんとなくが一番怖いんだけどな」
何せ松下の一件では、そのなんとなくでジンの視線に気づき、松下の嘘に気づいたほどである。藍自身はこう言っているが、そのなんとなくを侮る事はできない。
そして藍とミカは一人調査に没頭するクルミを残して、千束達が待つ店内へと戻るのだった。
「なるほど、襲われた四人に共通点ねぇ……。前から思ってたけど、藍くんて妙に勘が良いわよね。松下さんの嘘に気づいたり、ジンの視線に気づいたり……」
「そうですか? 普通だと思いますよ」
「いや、普通の男子高校生は相手の嘘に気づいたり、凄腕の殺し屋の視線に気づいたりしないから」
いつものカウンター席に座りながらきょとんとした表情を浮かべる藍に、隣の席に座るミズキのごもっともなツッコミが飛ぶ。と、藍の前にミカがあんみつが盛られた器を置きながら申し訳なさそうに言った。
「藍くん、すまないがクルミにあんみつを届けてもらっても良いかな? 犯人を捜すのに大分頭を使っているようだし、そろそろ甘いものが欲しくなってくる頃だと思う」
「分かりました。行ってきます」
二つ返事で藍はカウンター席から立ち上がると、ミカが差し出したあんみつの器を持ってトコトコと店の奥へと歩いて行った。男子高校生としては小柄な背中を眺めながら、ミズキはどこかしみじみとした口調で、
「なーんか、すっかり
「そういうわけにはいかないさ。ここで働いている事が楠木にバレたら面倒な事になる。そうなったら、藍くんにも迷惑がかかってしまう」
ため息交じりのミカの言葉にミズキはそうよねぇ、と肩をすくめる。いくら藍がリコリコの実態を知っているとはいえ、それがここで働いて良い理由にはならない。常連のお客さん達はきっと喜ぶだろうが、一般人をまがりなりにもDAの支部で働かせているなんて事が楠木の耳に入ったら間違いなくあれこれ問い詰められるだろうし、最悪の場合秘密を知ってしまった藍の身柄が拘束されてしまう可能性だってある。一般人が相手のため流石の楠木も藍の命をどうこうしようという気は無いだろうが、それでも藍の今の生活を滅茶苦茶にしてしまう可能性は高い。
それに、もしもそうなったら千束がどのような行動に出るか分からない。なので、ミカとしても藍にこの店で働いてもらいたい気持ちはあるのだが、リコリコの管理者としても、藍の身を案じる一人の人間としても、彼がこの店で働く事を許可する事はできなかった。
「だけど、仮に今まで殺されたリコリスに何かしらの共通点があるとして、襲撃犯達はどうやってその情報を手に入れたんだって話にならない? 戸籍がないリコリスの情報を手に入れる事なんて簡単にできる事じゃないし、それこそラジアータをハッキングでもしないと無理でしょ」
「確かにその通りだが、今はクルミからの報告を待つしかないな。襲撃犯達の情報が少ない以上、我々にできる事はどうしても限られてくる」
「ま、それもそうねぇ。……ところで、さっきからどったのアンタ? そんな眉間にしわ寄せて」
ミズキの視線の先は、店内の座敷席に座るたきなに向けられていた。現在彼女は腕を組んで、何か考え込んでいるようだった。ミカとミズキはてっきり一連の襲撃犯達の事について考え込んでいるのかと思ったが、目を見開いてたきなが口にしたのは少々予想外の言葉だった。
「……勝てないんですよ」
「え?」
「家事分担をジャンケンで決めてるのですが、一回も千束に勝てないんです。統計的にどの手も勝率は三割のはずなのに………」
腕を組んで真剣に悩んでいるたきなの様子に、事情を知ったミカとミズキは顔を見合わせてからたきなに言った。
「『最初はグー』でやってるでしょ?」
「それじゃ千束に勝てない」
「え?」
呆気に取られた表情を浮かべるたきなに、二人は千束のジャンケン必勝のタネを説明し始める。
「千束が相手の服や筋肉の動きで次の行動を予測しているのは知ってるだろ。最初にグーを見せてしまうと次に来る手がグーかそれ以外かを知られてしまう」
「変えずにグーだと当然パーを出されるし、変えると分かれば千束はチョキを出しとけば絶対負けないでしょ? つまりたきながあいこにできる確率が三割」
「勝つ確率はゼロだ。千束にジャンケンで勝つには、『最初はグー』をやめて最初の勝負で勝つしかない」
「あいこになったらもう勝てないし、ましてあいこから始めたら一生勝てないよぉ?」
とミズキが楽し気に種明かしを終えると、たきなの体がプルプルと震えていた。なんともまぁ、千束のスペックを存分に活かした非常に大人げない勝ち方だった。というか、銃弾を余裕で見切る動体視力をそんな事に使わないで欲しいとたきなは心の底から思った。
「組長さんとこに配達行くわぁ~」
そしてちょうどそこに大人げないジャンケン必勝法をたきなにかました張本人が呑気な声と共に店の奥からフロアに戻ってきた。呆れ半分非難半分の三人の視線を受けた千束は、ついさっきまで自分のジャンケン必勝法が暴露されていたとは夢にも思わず、「……なによ?」と尋ねる。
「いーえ別に」
「え? 何々? 教えてよー」
「……千束さん、どうしたんですか?」
とそこに、ついさっきクルミにあんみつを届けに行っていた藍が戻ってきた。藍がカウンター席に座ると、ミカが藍に尋ねる。
「クルミの方は何か言ってたかい?」
「大分情報が絞り込めてきたみたいで、もう少しで何か分かるかもしれないとの事でした。それより千束さん、何かあったんですか?」
「いや、それが私もよく分からんのよー。ねねたきな、一体どうしたの?」
「いーから早く配達行ってきな」
やや面倒そうなミズキの言葉に「すぐに用意します」とたきながツインテールにしていた髪の毛を片方解くと、まるでそれを止めるように千束が言った。
「あ~、今回は大丈夫。制服がバレてるんだろうってクルミが」
「………リコリス制服ですか?」
「ああ、そう言えば言ってましたね」
先ほどの会話を思い出して藍が呟くと、それを聞いた千束が口元に笑みを浮かべて自分が身に着けているものを一同に見せた。
「でも、これなら絶対分かんないでしょ?」
彼女は今いつものリコリス制服の上にポンチョを身に纏っていた。なるほど、これなら確かに見ただけでは千束がリコリスとはまず分からないだろう。一方でミカとミズキは呆れたような目で千束を見ながら、
「私服じゃ銃は使えないんだぞ」
「警察に捕まっちまえ」
「……そうだったんですか?」
「制服が身分証明書兼許可書みたいなもんだからね。いくらリコリスと言えど、私服で使ったら普通にガチャンよ」
初耳だった藍が尋ねると、ミズキは肩をすくめながら自分の片手に手錠をかけるジェスチャーをした。
「んな事は分かってるよ。下にちゃんと着てますぅ」
ほら、とポンチョを少しめくっていつもの赤い制服を一同に見せる。
「じゃ、私もそれで……」
「だぁいじょうぶ! それより、今日も夕飯楽しみにしてるよたきな~!」
「なら、僕が一緒に……」
「いやいやいや! 藍くんはなおさら駄目でしょ!」
千束が少し慌てて、自分について来ようとする藍にツッコミを入れる。実際藍は戦闘要員ですらないただの一般人だし、相手はサードとはいえリコリスを四人殺害している集団だ。どういう基準でリコリス達が襲撃されているかは未だ分からないが、その襲撃される可能性のあるリコリスに藍を同伴させるわけにはいかない。しかし、彼がこう言ってくれたのはきっと自分の身を案じてくれたからだろう。千束はそれににんまりと笑いそうになるのをこらえつつ、明るい口調で言った。
「でもそれじゃあ藍くんに悪いから、玉子焼き作って待っててくれるとすっごく嬉しいかな~!」
「たきなさんのご飯があるんじゃないですか?」
「それはまた別問題! んじゃ、行ってきまぁ~す!」
と、最後まで明るい態度のまま千束は扉を開けて出て行った。ベルの音を鳴らしながら閉まっていく扉を見ていた藍はミカの方に顔を向けて、
「……というわけなので、玉子焼きを作りたいので玉子を頂くのと台所をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「あ、藍くん私の分のおつまみもついでによろしく~」
「藍くんを自分の都合の良いように使いなさんな……」
さらっと藍をこき使おうとするミズキにミカがため息まじりにたしなめ、たきなもやれやれと首を振りながら藍の手伝いでもしようかと思ったその時。
「あああああああああああああああああああああああああっ!!!」
突然店の奥から絶叫が店内に響き渡り、リコリコの三人だけではなく、藍もかすかに目を見開いて驚く。そして店の奥から押し入れの戸を開ける音と何かが勢いよく転がる音が聞こえたかと思うと、声と音の主―――クルミがいつもの冷静さをかなぐり捨てて四人の前に現れた。
「これを観てくれ! 銃取引の時のDAのドローン映像だ!!」
そう言ってクルミが指差したのは、彼女が持っているタブレット端末の画面だった。画面にはどこかの建物の屋外と、銃を持った四人の少女達……サードリコリス達の姿が映し出されている。
「あの時現場のビルを包囲していたのが殺された四人だった! これが犯人に流出して顔がバレたんだ!」
「なんでそんなもんが流出すんのよ?」
「……あの時のハッキングか………」
ミカの脳裏に銃取引が起こった日、ハッキングによる影響で通信障害が起こった時の記憶が蘇る。どうやらその時に、通信障害だけではなく映像も一緒に流出したらしい。
「となると、これでどうして犯人達がリコリスを狙う事ができたのか謎が解けましたね」
「ああ。藍くんの言う通り、犯人達はリコリスを狙っていたのではなく、この四人を狙っていたというわけだ」
そもそもリコリスを襲撃しようとしていた犯人達が、この映像から顔がハッキリと分かっている四人に狙いを定めたという事も考えられるが、どちらにせよ相手が標的を無差別に選んでいたのではなく、この四人を最初から狙っていた事に変わりは無い。
「この映像の流出元……ハッカーの身元を突き止める事ができれば話は早いんだがな。犯人達について何か知ってるかもしれない」
「でも、DAもまだそのハッカーを見つけられてないようです。ラジアータをハッキングできるほどの人物となれば、かなり限られるはずなんですが……」
「アンタの仲間じゃないの? さっさと調べなさいよ?」
餅は餅屋という言葉の通り、クルミならば同じハッカーについて何か知っている可能性はある。そもそも、知らなかったとしてもハッカーを突き止める事など彼女にとっては文字通り朝飯前だろう。彼女より格上のハッカーなど存在しないのだから。
それを分かっているからこそのミズキの言葉だったのだが、それを聞いたクルミは何故かうう……と何か言いにくそうに口ごもってから恐る恐る、小さな声で衝撃的な事実を告げた。
「……あの時のは……ボクだ」
「「「はぁっ!?」」」
まさかの驚愕の発言に、藍を除いた三人が揃って声を上げる。それもそうだろう。DAの通信障害が起こった原因であり、そしてたきなが
「依頼を受けてDAをハッキングした。そのクライアントに近づくためには仕方なかったんだ……」
「ちょっとぉ……。あんたが武器をテロリストに流した張本人ってわけ?」
しかしさすがにその言葉は聞き捨てならなかったのか、俯いていたクルミが勢いよく顔を上げてミズキに反論した。
「それは違う!! 指定の時刻にDAのセキュリティを攻撃しただけだ!」
「ソウデスカ! おかげで正体不明のテロリストが山ほど銃を抱きしめて、たきなはDAをクビになりましたぁ!」
「もういい! やめろミズキ!」
ミカがミズキを叱責するが、それでも結果的にテロリスト達を支援してしまったという負い目はあるらしく、クルミは再び口ごもってしまう。しかしそこで何かに気づいたらしく、ハッとした表情を浮かべて店の中を見回し始める。
「おい! 千束はどこだ!?」
「ついさっき、配達に行きましたけど……。千束がどうかしたんですか?」
たきなの困惑の言葉を聞いたクルミは、奥歯を噛み締めるとタブレットの画面をスワイプして別の画像を呼び出しながら苦し気な口調で言う。
「……流出した画像だが、さっきので全部じゃないんだ。あと一枚ある」
そして差し出されたタブレットの画面を見て、三人が目を見開き、藍も微かに眉をひそめる。クルミのタブレットの画面には、ついさっき出て行った千束の横顔が鮮明に映し出されていた。
つまり、襲撃者達の次の
「いかんなこれは……!」
ミカは呟くと、素早くスマートフォンを取り出して電話帳から千束の電話番号をタップする。幸いにも電話の相手はワンコールで出てくれたらしく、彼女の能天気な声がミカ以外の四人にも聞こえてきた。
『もしもしもしもし~?』
「千束! 敵はお前を狙ってるぞ!」
『え?』
が、ミカが警告した直後。
『ちょ、ちょいちょいちょいちょいっ!?』
電話の向こうから千束の焦った声がしたかと思うと、ガシャンッ!! と何か重たいものがぶち当たったような轟音が電話の向こうから聞こえてきた。
「千束!? 千束!!」
「なんかすごい音がしたよ……?」
ミカがスマートフォンに向かって必死に叫び、ミズキが緊張した表情を浮かべる横で、たきなはすでに動き出していた。店の奥に行き素早く和服からリコリス制服に着替えて武器などが入った鞄を手にする。
「とりあえず組事務所へ向かいます!」
「クルミ! 千束を捜せ!」
「分かった!」
クルミのドローンならば、空から千束を捜す事ができる。そしてたきながリコリコの扉を開けて外へ出た瞬間、
「僕も行きます!」
「ちょっ、藍くん! あんたは店にいなきゃダメでしょ!」
なんと店から藍が飛び出してきて、外に出てきたたきなに追い付いてきた。それを確認したたきなはぎょっとした表情を浮かべると、自分に追い付いてきた藍に言った。
「藍さん、駄目です! お店で待っててください!」
「千束さんを捜すなら、人手が多い方が良いはずです。仮に千束さんだけではなく犯人グループを見つけても、その時はきちんと隠れています。それなら良いですよね?」
「………っ!」
本当なら断固拒否する所だが、藍の言葉にも一理ある。今は確かに一人でも人手が欲しいし、何よりも時間がない。こうしている間にも、千束の命が危ない。たきなは奥歯を強く噛みしめると、藍に背中を向けながら、
「……絶対に危ない事はせず、キチンと隠れていてください!」
「はい、分かりました」
藍はこくりと頷くと、たきなと一緒に夜の闇に向かって走り出した。