部屋のキッチンで弁当箱にご飯や玉子焼き、から揚げ、トマトなどといったスタンダードなおかずをてきぱきと詰めていく。作れる料理は和風、洋風、中華と幅広いレパートリーを誇るが、弁当を作る際はこのようにスタンダードなものを作るのが多かった。その方があまり内容が凝らずに済むというのもあるし、たまに常連となっている喫茶店『リコリコ』で弁当のおかずのおすそ分けをする事もあるので、スタンダードな方が受け入れられやすいという事情も関係している。
そしていつも通りお弁当を完成させると蓋をし、弁当を持ってリビングに置いてある愛用のリュックまで歩くと中に入れる。リュックの中には弁当箱の他に前日の内に入れておいた勉強用具や本も一緒に入っている。
それから朝食を済ませると洗面台へと向かい歯磨きなどの身支度を済ませる。鏡に映る女子にも見える自らの様子を見ていると、その視線が自分の顔のある一点で止まった。
「……………」
一瞬、その容姿が不快気な色に染まるが、すぐにそれを消すと洗面台の棚に置かれた箱から医療用の白い眼帯を取り出して左目に着ける。そして平日に着ているブレザーの学生服を着ると、準備完了。リュックを背負い玄関へと向かうと外に出て扉に鍵をかける。今日も、彼の一日が始まった。
一日の時間が経つのは意外と早く、時刻はもう三時近くになった。リュックを背負いながら彼は、最近通い詰めているある場所へと向かう。しばらく歩いていると、ようやくその場所が見えてきた。
ステンドグラス調の窓や色とりどりの花が咲いた木造の喫茶店。そこが最近藍が通う喫茶店リコリコだ。その店でコーヒーを飲み団子を食べながら、常連客達や看板娘と話したり本を読むのが彼の最近のお気に入りの時間である。
と、リコリコから一人の男性が出てくるのが藍の目に入った。仕立ての良いスーツを着た、理知的な印象の男性である。あまりリコリコでは見た事が無い男性だが、それを気にする事は無い。自分だって最近通うようになった客だし、もしかしたら最近来ていなかっただけで昔はよく来ていたお客さんなのかもしれない。
藍は男性に特段注意を払う事も無く歩き続け、一方男性の方も藍の方に歩いて来る。
そして二人がすれ違うと、藍がそのまま歩き続けたのに対し、男性の方は何故か立ち止まって振り返った。彼の視線は、歩く藍の背中へと向けられている。
「………今のは」
そのまま藍の背中を見つめていたが、やがて小さく笑みを浮かべて、
「………まさかな」
そう呟いて、男性は踵を返すと今度こそその場から歩き去って行く。
彼のスーツの胸元には、フクロウのような鳥を模した特徴的なチャームが飾られていた。
藍がリコリコに入ると、中にはミカがカウンターに立ち、ミズキがカウンター席の定位置に座っていた。どうやらリコリコでいつも見かける常連客達はまだ来ていないようだ。入ってきたのが藍という事にミカが気づくと、彼に笑いかけながら、
「いらっしゃい。今日もいつもので良いかな?」
「はい、お願いします」
言いながら藍はいつも自分が座っているカウンター席に腰かける。いつものとは無論、この店に来るたびに注文している粒あん団子とコーヒーのセットの事だ。藍が来るたびにいつもそのメニューを注文しているので、ミカの中ではそのセットが藍の『いつもの』として記憶されている。
藍が注文すると、カウンター席に座っていたミズキがにやりと笑い、
「千束ー! 藍くんが来たわよー!」
店の奥に向かって声を上げると、早速店の奥から「えええっ!? ちょ、ちょっと待って!」と慌てたような声が聞こえてきた。この店の看板娘の姿が見えないと思ったら、どうやら店の奥にいたらしい。その後パタパタと雪駄を履いた足音が聞こえてきて、赤い和服を着た少女が藍の前に姿を見せた。
「や、やっほー藍くん! 今日もいつものお団子とコーヒーで良い?」
「もう注文しましたよ。……その方は?」
藍は首を傾げながら、千束の横に目を向ける。というのも、藍の前に姿を現したのが千束一人だけでは無かったからだ。彼女の横に、もう一人少女が立っていた。
溌溂とした印象を持つ千束とは正反対の、静かな印象を持つ黒髪の少女だ。黒髪をツインテールにし、青の和服がよく似合っている。何故か左頬には白い絆創膏が貼られていた。
藍が尋ねると千束が少女の方に両手を当てて、
「あ、この子昨日から働く事になった井ノ上たきなさんって言うの! たきな、この人は天竺藍くん! 私と同じ十七歳で、このお店の常連さんだよ!」
「まだ数回しか来ていないですし、常連さんではないと思いますが」
「いやー、もう十分常連さんでしょー! ね、先生!」
千束がミカに言うと、ミカも「そうだな」と頷く。藍にとっては数回ぐらいの認識かもしれないが、実際は注文するメニューを覚えられているぐらいこちらに来ているので、もう常連だと認識されてもおかしくない。一方、たきなの方は藍の方を見ながら真面目な表情で、
「井ノ上たきなです。昨日よりこちらで働く事になりました。よろしくお願いします」
と、中々固い挨拶をしてきた。それは千束も同じことを思ったのか、「もう、固いよたきなー!」と言ってくる。しかし藍の方はそれを気にする事も無く、たきなに向かって頭を下げる。
「天竺藍です。よろしくお願いします」
「いや、あんたも固いわね」
横からミズキの指摘が入るが、藍本人はもちろんたきなも気にしていないようだ。
そして藍と千束が他愛のない話をしていると、店の奥から藍のお気に入りのメニューである粒あん団子とコーヒーのセットを手にしたミカが戻ってきた。藍は彼からそのセットを受け取ると、いつものように粒あん団子に口をつける。その彼の姿を千束はニコニコと楽しそうな表情で、そしてたきなは何故かじっと観察するような視線で見ていた。
さて、DAの支部であるこのリコリコに店員として来るという事から分かるように、井ノ上たきなも当然DAの関係者である。千束と同じリコリスの一人であり、『クラスセカンド』に位置している。
実は数日前まで彼女はDA本部にて任務を受けていたのだが、この度DAの支部であるリコリコに転属という形でやってきた。それには数日前に起こったある事件が関係している。
数日前、大量の銃取引の情報を得たDAが現場に数名のリコリスを派遣したのだが、そこでセカンドリコリスの一人が取引商人達に人質にされてしまい、身動きが取れなくなってしまった。謎の通信障害により本部とも連絡が取れなくなり、おまけにこのまま膠着状態が続いたらリコリスの一人が殺されてしまうという状況で、その場にいたたきなが取った行動は、そばにあった機関銃で取引商人達を撃ち殺すというものだった。
その場の状況を打破するには一番合理的で最短の方法であったし、実際に人質にされていたリコリスも助ける事ができたのだが、その結果商人は死亡して銃は行方不明、おまけに仲間の命を軽視したと見られかねない行動からたきなは現場のリーダーであるファーストリコリスの鉄拳を食らい、挙句の果てにその時に下されていた待機命令を無視したという事でここリコリコへの転属を命じられたのだった。
そして昨日、リコリコへのある依頼がきっかけで銃取引は実はすでに終わっていた事、さらにその時の画像を入手できた事などから、その画像に映っている人物達を追っていけば消えた大量の銃の在り処が分かり、たきな本人の評価も上がり本部に戻る事ができるんじゃないかという事で、今日から改めて働く事になったのだった。
そんなたきなの目の前に藍は現れたのだが、彼女の目から見た天竺藍という少年の印象は、『不思議な人』だった。
イケメンというよりも綺麗な人という言葉がしっくりとくる、女性にも見える中性的な容姿。身長も千束より少し高いぐらいと男子高校生にしては小柄なので、正直喉仏と声を聞かないと男性なのか女性なのか見分けがつかない。黒髪と呼ぶには温かみのある、名前を付けるならば『夜色』という名称がピッタリの髪の毛を肩ぐらいまで伸ばし、左目には白い医療用の眼帯を着けている。普通の人ならば目立つであろうその眼帯も、彼が着けるとその神秘性を引き立てる小道具ぐらいにしか見えないからやはり不思議だ。
そしてそんな彼に、昨日知り合ったばかりのファーストリコリスである少女、錦木千束が楽し気に話しかけている。話の内容は他愛が無く、今日の団子の味はどうかとか、今日お店で格好いいお客さんが来ただとか、正直たきなにとっては興味のない内容の話だったが、それらを藍は丁寧に聞き、答え、千束も答えにくるくると表情を変えながら話していく。その顔は本当に楽し気で、頬は赤く色づいている。
千束のその様子に、こういった事にはあまり関心のないたきなも気づいた。千束は間違いなく、目の前にいる少年にそういった感情を抱いている。たきながふとカウンター席に座っているミズキに視線を向けると、たきなが何を考えているのか気づいたのか、その考えを肯定するようににやぁといやらしい笑みを浮かべた。よく見るとミカも、藍と千束の二人を暖かい目で見つめている。つまり、この店にいる人達はみんな千束のその感情に気づいているというわけだ。しかしそれが分かったとしても、たきなはそういった千束の感情が理解できなかった。
自分達はリコリスという、この国の治安を維持し悪人を人知れず消し去るエージェントだ。いかにそういった感情に敏感な十代の女子とはいえ、そんな事に時間を浪費したり一喜一憂するのはあまりに馬鹿馬鹿しいとすら思う。なのに千束は楽しそうだし、ミカもミズキも特に注意するような気は無さそうだ。あまりにリコリスとしての自覚が無さすぎるとすら、たきなは思った。
一瞬、こんな人が相棒で大丈夫か……とすら思いかけたが、ふとある可能性に思い至る。
目の前に座る、天竺藍という少年。もしや、この少年に何かミカや千束といった人物達の心を掌握する何かがあって、それで千束は彼に夢中になっており、ミカやミズキもそんな二人を微笑まし気に見つめているのではないか?
と、まぁ真面目が行き過ぎてそんな突飛な思考になってしまっていた。元々この少女はとても真面目な所があるので、このような思考になってしまうのもむべなるかな、といった所である。それにもしも本当にそんな方法があるのだとしたら、本部に戻るのにも今後の任務にも役に立つ可能性が非常に高い。しかしそれが本当にあるかはまだ分からないし、何よりあったとしても彼がそれを教えてくれるとは限らない。
だとすると、今取れる手段は一つ。
この店に来る彼を監視し、本当にそんな方法があるのか調べれば良い。たきなの目が、仕事の時のように鋭くなる。
こうして、井ノ上たきなの天竺藍に対する監視ミッションが(勝手に)スタートしたのだった。
それからたきなは藍が店に来るたびに仕事する傍ら彼の姿や行動を常に観察していた。
まず分かった事は、彼は粒あん団子が好物であるという事。というよりは、それ以外を食べている事がまずない。店に来たらとりあえず粒あん団子とコーヒーのセットを注文し、本を読むというルーティンを送っている。
それと少し意外な事は、スマートフォンを持っていないという事だった。正確には通信端末は持っているのだが、今の男子高校生にしては珍しいガラケーのようだ。店にいる時に黒色のガラケーを取り出して操作していた事から、それは間違いない事が分かっている。それ以外にも、彼の自宅にはテレビがないという事が分かった。これは彼と千束との会話で判明した。千束は洋画を見るのが好きで、彼におすすめの洋画を貸そうと提案したのだが、それに対する彼の返答はテレビもDVDプレイヤーも持っていないからできないとの事だった。家にいる時に暇じゃないの? とミズキが尋ねると家に本があるからそうでもないと答えていた事から、どうやら彼は完全に活字中毒者のようだ。ちなみに提案を断られた千束はその後、ちょっとしょんぼりした表情を浮かべていた。
次に分かった事は、意外と毒舌というか、たまに人の心にグサッと来る一言を言う事だった。これは店での彼とミズキとの会話で分かった事だ。
ある日、ミズキがカウンターで愚痴を彼に漏らしていた事があった。ミズキは座っている席が藍に近い事もあり、たまに愚痴を漏らしている事がある。
「あーあ、また男との出会いが無かった……。ねぇ藍くぅん、どうして私って良い男と縁が無いんだと思う?」
「ミズキさんの人間性が問題なんじゃないですか?」
「おいそれどういう意味だ!」
あまりにも手厳しすぎる発言にミズキが酒瓶をカウンターに叩きつけながら立ち上がると、藍は読んでいた本からミズキに視線を変えて、
「勘違いしないでいただきたいのですが、ミズキさんの女性としての魅力は十分にあると思います」
「……………ほぉ」
すとん、とミズキは大人しく席に着いた。どうやらとりあえず話を聞こうという気になったらしい。
「まず容姿は普通に優れていますし、性格も僕から見ても良いと思います。よほど特定の容姿が好みな方ならともかく、普通の男性ならばまずミズキさんに見とれない方はいないのではないでしょうし、ミズキさんの性格を気に入る方も少なくないと思います」
「……、ほ、ほうほうほうほうほう」
どうやらツラの良い男(byミズキ)である藍の言葉に満更でもないようで、ミズキはちょっと嬉しそうに頷いている。
「―――ただ、それなのにミズキさんに良い出会いがないという事は、ミズキさんに男性の方を見る目が無いか、ミズキさん自体の結婚相手に求めるハードルがやや高いのが原因ではないかと思います。というより、それぐらいしか原因が思い当たらないので、結局のところミズキさんの人間性に問題があるのではないかと僕は思いますが……どうしたんですかミズキさん。どうしてちょっと泣いてるんですか」
「うっせぇ! こっち見んな小僧!!」
あまりに遠慮のない正論のナイフに、ミズキはちょっと涙ぐんでいた。というよりも、もう半泣きの状態だった。悔しさのあまり、コップに日本酒を注ぎこんで一気に飲み干していた。そういう所では? とそれを見ていたたきなは思った。
「…………ね、ねぇねぇ藍くんや」
今度は二人の話を聞いていた千束がすすすと藍に近寄ってきた。心なしか、千束の顔が微妙にひきつっている。
「どうしたんですか千束さん」
「ち、ちなみになんだけど~。あくまで参考になんだけど~。……あ、藍くんは私に女性としての魅力があるって思う?」
「……? はい。それはもちろんあると思います」
藍は一度しっかりと頷いてから、
「まず容姿はとても良いですし、性格もとても明るくて親しみを感じるので非常に接しやすい方だと思います。なので多くの方から好かれるでしょうし、一般的な男子高校生の方なら誰もが一度は付き合いたいと考えるのではないでしょうか。また性格も非常に明るい方なので、同性の方からの人気も非常に高いと思います。僕は千束さんがどこの学校に通っているかは分かりませんが、共学でも女子高でも千束さんならまず間違いなく一番人気のアイドル的存在なのではないかと僕は思いま痛いです痛いです叩かないでください千束さん何で叩くんですか」
「だーかーらー! そういう所だって藍くんは! 本当にもう!!」
「………?」
バシバシバシ! と顔を真っ赤にした千束に思いっきりぶっ叩かれながら、藍は困惑した表情を浮かべていた。
このように、よくよく考えてみると人の心にグサッとくる一言を言う事もあるが、普通の人間ならば照れるような事でも何ら臆せずにズバズバと言う、良くも悪くもはっきりと物事を言う人物であるのかもしれないとたきなは思った。
次にリコリコの常連客達との関係だ。
この店には様々な常連客が来る。漫画家の伊藤に、刑事の阿部、作家の米岡、女子大生の北村。彼と話す機会が多いのは他の常連客と比べると年齢層が比較的近い伊藤や北村だが、意外にも一番仲が良いのは米岡だった。
米岡はリコリコに来てはしょっちゅう次回作のアイデアに悩んでいる事が多いのだが、その際には藍が応援する事が多かった。
「米岡さん、アイデアの方は大丈夫ですか?」
「……いや、正直言ってマズい……。俺、今度こそ駄目かもしれない……」
「……そうなんですか? 頑張ってください。僕、米岡さんの読む小説が早く読みたいです」
と、常日頃から本を読む姿がリコリコで目撃されている藍からそう言われると米岡もそれ以上弱音を吐く事が出来ない。さらにいつも締め切りに追われている仲間である伊藤や雑誌ライターの徳田からも励ましの声が飛ぶ。
「ほらほら米岡さん、藍くんが応援してるんだから頑張りなさいよ」
「そうですよ。読者さんが応援してるんですから、これに答えないと作家の名折れです」
「うう……! くそっ、やってやる!」
藍の応援と締め切り仲間の二人にも励まされ、うおお、と米岡は開き直ったようにノートPCのキーボードを猛烈に叩き始める。この調子なら締め切りにも何とかして間に合うだろう。そんな彼の姿を見て、藍が首を傾げながらポツリと呟いた。
「米岡さんのこの姿を見るたびにいつも思うのですが、こんなに書けるならどうして最初からやらないのでしょうか?」
「やめなさい藍くん。それは私達物書きに決して言ってはいけない言葉よ」
「僕達はね、あと一歩ギリギリの所まで追い詰められないと自分の実力を発揮できない罪深い人種なんだ」
「最初から自分の実力を発揮して仕事をした方が効率的では?」
「「ぐふっ」」
と、ぐうの音も出ない藍の正論が伊藤と徳田の胸を貫き二人は今にも死にそうな呻き声を上げた。今の言葉が銃弾でできていたら、伊藤と徳田はすでに死んでいるであろう。ちなみに、米岡の方はフロー状態に入っているため、幸運にも今の藍の言葉は耳に入っていなかったようだ。
「もう締め切りがやばくなったら藍くんに尻を叩いてもらうよう彼に頼んでみたら?」
「やめておけ。何かの間違いで彼の行動が米岡さんの編集の耳に入ったら、米岡さんの逃げ場が無くなるぞ」
カウンターで頬杖をつきながらぼやくミズキに、ため息をつきながらミカが答えた。
と、今回は締め切りに追われる米岡を藍が応援していたが、それ以外の時でも藍は米岡と話をする事がたびたびあった。最近読んでいる推理小説の話や、最近賞を取った作家の事。小説が好きな藍と作家の米岡では話が弾む事が多く、時には藍の食べているセットのお金を米岡が気前よく奢る事もあった。
また米岡以外の人間に対しても、藍の人間性によるものか話しかけられたり助力を乞われる事が多い。時には伊藤から漫画のアイデアの助けを乞われ、刑事の阿部からは最近こんな事件があったのだという話を、捜査機密に触れない範囲で聞いたり……。意外にも常に一人ではなく、この店に来る常連客達から親しみを持たれている事が分かった。
そんな風に天竺藍という少年の情報を頭に入れながら、たきなは藍の事について考える。
知れば知るほど、不思議な少年だと思う。千束のように明るく溌溂とした性格ではないが、自然と人を引き付ける魅力を持っている。それが容姿によるものか彼独特の雰囲気によるものかはまだ分からないが、ただ分かった事はそれが技術によるものでは無く彼自身が備えているものだという事だ。
そして、こうも思う。今はこれで良いかもしれないが、もしも彼が悪に染まったら恐ろしい存在になると。
何せ、老若男女を自然と引き付けている人間性の持ち主だ。しかもそれが何らかの技術によるものではないという事がさらに恐ろしい。悪人になった彼がもしもその能力をフルで使う事ができるようになれば、極端な話彼のためならば命をも捨てる人間が出てきてもおかしくはない。監視の結果たきなが考える技術は彼には無かったものの、もしかしたらそれ以上に恐ろしい能力を見つけてしまったかもしれない。今後も監視任務を続ける必要は十分にあるだろう。
そう考えながらたきながじっと藍の後ろ姿を見つめていた、その瞬間。
ふっと、何故か藍が振り返ってたきなの方を見た。
「っ!?」
まさか、監視している事に気づかれた? 自分としては注意しながら見ていたつもりだが、もしかしたら自分が考えていた以上に彼を見過ぎていたかもしれない。たきなが自然に視線を外しながら動揺を抑えていると、何故か顔を引きつらせながらも笑顔を保とうとしている千束がたきなに声をかけた。
「ね、ねぇたきな?」
「はい、どうしました?」
「あ、あのさ。もしかして、もしかしてなんだけどさ~……」
「何ですか。早く言ってください」
いまいち千束が何を言いたいか分からず、眉をひそめながら尋ねる。彼女はちらりと藍の方を見ながら、
「えっと……そのぉ……この前からずっと藍くんの事見てるけど……。もしかして、藍くんに興味あったり……する?」
どうやら千束もたきなが藍を監視している事に気づいていたようだ。さすがはファーストリコリスと言うべきか、それとも彼女にも気づかれるぐらいに自分が彼を注視してしまっていたのか。
だが、今はそれよりも彼女の問いに答えた方が良いだろう。たきなは再び本の世界に戻った藍の方を見ると、千束に視線を戻して告げた。
「そうですね、非常に興味があります」
「―――」
たきなの言葉に何故か千束はピシリ、と石のように固まった。いつも見ているこっちが呆れるぐらい表情も体も動いている彼女が、見事にその動きを止めていた。そんな千束をよそに、たきなは首を動かさず眼球だけで藍をちらりと見る。
DAトップクラスのファーストリコリスである千束がそういう感情―――つまり恋心を抱き、ミカやミズキから一目置かれ、常連客達とも良好な人間関係を築いている少年。本当に非常に興味深い監視対象だと、まるで未知の分野を探求する研究者のようにたきなは思った。そして今度こそ本当に彼から視線を外すと、自分の仕事へと戻る。
一方、たきなの衝撃的な告白とも取れる言葉を聞いて固まっている千束はまだ動けずにいた。するとついさっきの千束とたきなのやり取りをこっそり聞いていたミズキが近寄り彼女の耳元に唇を寄せながら、非常に楽しそうな笑みを浮かべて、
「恋する千束ちゃんに、ライバル出現かなー?」
「っ!? ミズキぃぃぃぃっ!!」
あっはっはっはと笑いながら逃げるミズキを顔を真っ赤にした千束が追いかけまわし、それを見たたきなが訝し気な視線を二人に向け、藍を含めた常連客達が驚く。
そして二人の追いかけっこは、その後ため息をついたミカが二人を叱る事でようやく止まるのだった。
私の印象になりますが、千束は初対面の人間や仲の良い人間に対してはぐいぐい距離を縮めていきますが、恋愛という意味で好きな人間に対しては意外と奥手なイメージ。そしてミズキさんにからかわれる。
それに対してたきなは好きな相手ができたら自分の感情について中々自覚しませんが、一度自覚したら某RPGの作戦のようにガンガン攻めるイメージ。あまりの勢いに、周りが思わず止めようとする。
こうして見ると、千束が『いのちだいじに』でたきなが『ガンガンいこうぜ』と、普段の二人のスタイルとも噛み合っているのが分かりますね。異論は認めます。