藍くんとリコリコの愉快な日常   作:白い鴉

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今回の話は題名通り嵐の前の静けさと言いますか、これからの展開に繋がる前触れや予兆みたいな感じですね。


Episode.8 the calm before the storm

 

 

 

 

 

「じゃあ、座ってちょっと待っててください。できるだけ早く作りますので」

「…………」

 

 天竺藍と名乗る少年に、彼が住むマンションに案内された男―――真島は言われた通りにテーブルに備えられた椅子に座る。藍の方はリビングにあるソファに背負っていたリュックを下ろすと、中からコンビニの袋を取り出す。その袋を持ってキッチンに向かうと、中から千切りキャベツなどのカット野菜が詰められた袋を次々と取り出し置いていった。

 

「……何だそりゃ」

「コンビニで購入したカット野菜です。今朝朝ごはんを作ろうとしたら野菜が切れかかっていたので、買いに行ったんです。コンビニというのは便利ですね、手軽にこういう野菜を購入する事ができるんですから」

「わざわざ制服を着てか?」

 

 真島の視線が藍の服装に向けられる。まだ街も人も本格的に起きる前の早朝だというのに、彼はどこかの学校の制服を着ていた。普通こういう時はジャージなどの手軽な服を着るものではないかと思うが、藍は冷蔵庫から豚肉のパックや辛うじて残っていたらしい玉ねぎを一個取り出しながら、

 

「平日の時は制服を着るようにしていますので」

 

 などという事を言っていた。よく分からないが、それが彼なりのポリシーなのかもしれない。真島がふぅんと相槌を打つと、藍の方はいよいよ朝ごはんの準備を始めるらしく包丁を取り出して、パックから出した豚肉を切っていた。その姿を見ると真島の事はあまり気にしていないように見えるが、真島本人の方はそうでもない。椅子に座りながらも、彼の視線は注意深く藍を観察している。彼がここまで注意深く藍を観察しているのは見知らぬ他人という理由だけではなく、真島自身が脛に傷を持つ人間―――世界を股にかけるテロリストだからだ。そしてそのテロリストが今朝あんな裏路地にいたのにも当然理由がある。

 

 彼はつい先日、仲間と共に地下鉄を走る電車への襲撃テロを行ったのだが、どういう事かその電車には乗客が一人も乗っていなかった。それどころかその乗客には銃器を持った少女達―――真島達のテロ情報を嗅ぎつけたDAのエージェントであるリコリスがすでに待ち構えていて、真島以外の仲間達は次々と彼女達に殺された。間一髪真島は地下鉄に予め用意していた爆弾を一斉に起爆して難を逃れたが、生き残ったのは自分一人だけだった。ちなみに朝見た地下鉄の事故というニュースは、DAが真島達のテロを隠すために流した偽の情報である。しかしそれで世間は誤魔化せても、犯人を処理しなければまた同じ事が起こる可能性は高い。今頃DAは血眼で生き残り―――真島を捜している事だろう。

 

 そのため、このマンションに来るまでも少々苦労した。監視カメラがあるルートを自然と避けながらここまで来なければならなかったからだ。監視カメラにチラリとでも写れば、情報を嗅ぎつけたDAが再びリコリスを差し向けるだろうからだ。なのでここに来るまでに、藍に何度か道順に関する口出しをした。そこまですれば彼に不信感を抱かれてもおかしくなかったのだが、本人は特にそれを疑問に思う事なく真島の言葉に従ってここまで来た。ここまで来るとただの天然なのか考え無しなのか分からなくなってくる。

 

 そして彼の部屋に入り、こうして彼が警察に連絡しないか注意しているのだが……彼にそのような素振りは無く現に今も自分と真島の朝食を準備している。万が一毒や薬物を入れられないか文字通り耳をすましているが、どうやらその心配もなさそうだ。ここまで何もないとなると、一時も油断できない裏の世界で生きてきた自分としては逆に拍子抜けしてしまう。

 

 そんなわけでしばらく椅子に座っていたが、連れてこられた身なので何もする事が無い。なので暇つぶしに彼が料理するのを横目で見ながらリビングを何気なく観察するが、目に入ってくる光景は今時の高校生にしては殺風景なものだった。

 

 自分が今腰かけている椅子にテーブル、リビングの中央に設えられたソファや壁のエアコン以外にはこれといった家具がない。洗濯物はきちんと整理されているのかリビングには見えず、驚くべき事にテレビすらない。今時の若者はスマートフォンやパソコンで動画や番組を見る事ができるため、テレビ離れが進んでいるとは聞いた事があるが、彼もそういうクチだろうか。食事ができるまでの暇つぶしのつもりで、真島は軽い口調で尋ねた。

 

「お前もスマホがあればテレビはいらねぇってやつか?」

「いえ、単純にテレビ番組をあまり見ないだけです。ですから、持っているのもスマホじゃなくてガラケーです」

 

 へぇ、と思わず真島は声を上げた。スマホ全盛のこのご時世、おまけに彼ぐらいの年齢にしてはまた珍しい。しかしそれよりも、真島には引っかかる事が一つあった。

 

「テレビとブルーレイプレイヤーぐらい買えよ。映画も見れねぇだろ」

「僕、映画もあまり見た事ないんです。映画館行った事無いですし」

「……マジかよ。人生損してるぞそれ」

「……なんで短期間の内に、映画を見てない事で『人生損してる』と二回も言われてるんでしょうね、僕は」

「あ? なんの話だ」

「気にしないでください。こちらの話です」

 

 はぁと藍は珍しくため息をつき、千束さんと気が合いそうな人ですねぇと胸の中で呟く。そしてフライパンに油を入れて中火にし、中に切った豚肉と玉ねぎを入れて炒める。

 

「何かおすすめの映画ってありますか?」

「……何だ急に」

「いえ、折角ですしテレビとブルーレイプレイヤーを買って何か映画でも見ようと思いまして」

 

 藍の脳裏に、映画好きの少女の笑顔が思い浮かぶ。今まで映画にあまり興味はなかったが、彼女とついさっき知り合ったばかりの真島の言葉に、映画に段々と興味が出始めたのだ。すると、真島は何かを考えるかのように天井に視線を上げながら、

 

「あー、ならまず『ガイ・ハード』だな」

「それって洋画ですか?」

「ああ。ありゃあ映画初心者にも勧められる作品だ。見て損はねぇぜ」

「なるほど。……考えてみれば、お店でいちいちブルーレイを借りるより、最近流行りのサブスク? の方が良いんでしょうか」

 

 真島に聞きながら、大きめの茶碗にホカホカのご飯を盛りつけ、その上に千切りキャベツを乗せていく。

 

「そりゃあ人それぞれの好みだ。だが俺は小せぇスマホで見るよりも、デカいテレビ画面で映画を見るのも悪くねぇと思うけどな」

「それは確かに一理ありますね。―――できましたよ」

 

 気が付くと、キッチンから豚肉の美味そうな匂いが漂ってきていて、真島は思わずおっと声を上げてしまう。そして藍はキッチンからテーブルに歩いて来ると、真島と自分の前にそれぞれ二つずつ丼を置いた。中にはホカホカの白米の上にコンビニで購入した予めカットされた千切りキャベツ、その上には豚肉と玉ねぎが盛られ、頂上に卵の黄身がまるで王冠のように乗っていた。

 

「豚玉丼です。あと、こちら水です」

 

 そう言って藍は真島の前に水が入ったコップをとん、と置いた。それを見た真島はちょっと眉をひそめて、

 

「……文句を言う筋合いはねぇとは思うけどよ、他に何かないのか?」

「ないです。他にあるのはコーヒーだけです。飲みますか?」

「………」

 

 さすがに豚玉丼にコーヒーというチョイスは合わないだろう。真島は仕方なく水を頂戴する事にした。ちなみに丼はここに来るまでの道中で朝ごはんは何が良いかという藍の問いに、真島ができるなら丼物と言ったからだ。朝から丼は普通ならボリュームがあるだろうが、真島は地下鉄を爆破してからここまで逃げてきた身である。何かスタミナがつくものを食べたかった。

 

 藍から箸を渡されると、藍は手を合わせて「いただきます」と言ってから豚玉丼に箸をつける。真島も上の黄身を下の豚肉に溶かし込んでから、早速黄身が溶け込んだ豚肉と白米をかっこむ。

 

 美味い。豚玉丼を口に入れた真島の感想はそれだった。口に入れた白米のホカホカとした熱さと柔らかさ、その上の千切りキャベツのシャキシャキとした食感と豚肉の旨み、肉に溶け込んだ黄身。それら全てが絶妙なバランスとなって真島の舌と胃袋を満足させる。量は朝食にしては多めだが、ハードな運動をこなしてきた真島にはまったく問題なかった。気が付くと、素直に料理への称賛の言葉が口に出ていた。

 

「うめぇな。米と肉の味、キャベツの食感のバランスが良い。料理上手いんだな」

「まぁ、昔から作ってますので」

 

 そう言って藍も真島と同じように豚玉丼を食べるが、彼の表情は真島とは対照的にあまり変わらなかった。自分で作ったものとは言え、これだけ美味いのだから少しは表情が変わってもおかしくないと思うが。しかしさすがに会ったばかりの他人にそのような事を聞くのは無粋極まりないし、何より丼の中の飯が美味いので真島は黙ってかっ込み続ける。どうやら本当に美味い料理を食べると人は自然と無口になるらしい。それはそれとして、一般人とテロリストが向かい合って豚玉丼を黙々と食べているのは、中々シュールな絵と言えなくもない。

 

「おかわりいります?」

「いや、良い」

 

 元より量が多めに作られている。美味いとはいえそれ以上お代わりするつもりもない。それだけ言葉を交わしてから、二人は黙って食事を続ける。やがて手にしていた丼の中身が空になると、真島は箸を丼に置いて満足そうに言った。

 

「ああ、食った食った。正直期待してなかったがやるじゃねぇかお前」

「ありがとうございます」

 

 そう返しながら藍は自分と真島の丼を持ってキッチンの流し台へと持っていく。表情こそあまり変わらないように見えるが、声音は柔らかい。自分の料理を褒められてきっと嬉しいのだろう。普通の人間ならば分かりづらいかもしれないが、真島にとっては何の問題にもならない。―――普通の人間よりも極めて優れた聴覚を持つ真島の耳にかかれば、表情があまり変わらなくても声だけ聞けば藍がどのような事を考えているのか大体分かる。

 

「んじゃ、腹も膨れたし俺はもう行くぜ」

「もう行くんですか? 折角ですし、食後のコーヒーでも飲んでいきませんか?」

「生憎だが、こっちもそれなりに忙しいんでな」

 

 何せ、地下鉄を一緒に襲撃した仲間達はリコリス達によってほとんど殺されてしまった。他の仲間を集めてこれからの事を考えなければならないし、新しい計画も練らなければならない。ほんのわずかな時間も無駄にする事はできないのだ。藍の提案を断りつつ真島はリビングを出ようとするが、何故か突然立ち止まるとコートのポケットに手を突っ込む。

 

「ほら、釣りはいらねぇよ」

 

 そう言って真島がテーブルに置いたのは、二枚の千円札だった。それを見た藍は目を見開いて驚き、

 

「いえ、受け取りませんよ。そんなつもりで作ったわけじゃないですし……」

「駄目だ。いくら何でもバランスがわりぃ」

「……バランス?」

 

 ああ、と真島は頷きながら、

 

「この世界じゃ何事もバランスが必要だ。そして、お前が作った飯は美味かった。タダで済ませるにはバランスが悪いぐらいにな。だから金を払った、それだけだ。金を受け取れないって言うのはお前の勝手だが、どうしても拒否するなら力づくでも言う事を聞かせるぜ?」

 

 そう語る真島の目には狂気を孕んだ危険な光が宿っていた。彼にしてみれば善意で言っているわけではなく、金を払わなければ自分の信条に関わるから言っているだけなのであって、それに従わないのなら暴力を振るうのも辞さないと言っているようなものなのだからそれも当然だろう。必要ならば、銃を突きつけるのも真島は辞さないつもりだった。しかしやはりと言うべきか、藍の方にそれに恐怖するような動きは見られない。彼は真島からテーブルの二枚の千円札に視線を落とすと、あっさりと言った。

 

「なるほど。分かりました。じゃあお言葉に甘えて受け取っておきます。それで良いですか?」

「ああ、良いぜ」

 

 その反応に真島はにやりと口角を上げ、藍の方は千円札を手に取るとポケットにしまう。

 ―――何故あっさりと藍は金を受け取ったのか。それは真島の言葉に怯えたからではなく、それが真島の信条によるものだと理解したからだ。藍の信条は、お腹が減った人間にご飯を食べさせる事。どんな状況であろうとその心情を曲げるような事はしたくない。それと同様に、真島は何事においても正常なバランスを保つ事に強いこだわりを抱いている。そしてそのような人間の意見を曲げさせる事は基本的にできない。それを理解しているからこそ、藍も金を無理に拒否するような事はしなかった。

 

二人は一緒に玄関まで向かうと、真島が玄関のドアを開けながら藍に振り向く。

 

「じゃあな。飯ありがとよ」

「はい。ああ、お腹が減ったらまた来てください。その時できる物であればまたご馳走しますので」

 

 すると真島は何やら不思議なものを見るような目で藍を見たかと思うと、何故か愉快そうな笑い声を上げた。

 

「正気かよ、お前」

「……? はい、自分では正気だと思ってますが」

 

 きょとんとした表情を浮かべて馬鹿正直に返す藍に、真島はクックックと笑いながら、

 

「んじゃ、また腹が減ったらここに来るとするか。その時も美味い飯を作れよ?」

「はい。その時も頑張って作らせてもらいます」

「はっ、そうかよ」

 

 そう言って今度こそ、真島は扉の外へと出て行った。そのまま玄関の扉が閉じるのを見ていた藍は、ある事を思い出してあっと声を出した。

 

「そう言えば、名前聞くの忘れてた………」

 

 

 

 

 

 

 

 山奥に位置するDA本部は、まるで通夜のような空気に包まれていた。その空気の元は、ベージュの制服に身を包んだクラスサードのリコリス達だ。

 

 真島とその仲間達による地下鉄テロは一般人への被害だけ見れば失敗に終わったものの、リコリス達を投入しての戦闘の結果、真島が仕掛けた爆弾による死傷者は約三十五人、さらに駅を封鎖していた職員が爆弾により二人負傷という少なくない痛手を負ってしまった。地下鉄内のリコリスに繋がる痕跡と真島達の銃弾などは千束やDAが利用している民間のもみ消し屋、通称『クリーナー』との合同で回収済み、さらにラジアータによってメディアやネットは情報統制済みのため今回の事件が表沙汰になる事は無い。

 

 しかし、今回の事件で失われてしまった命は確かにある。今回の任務に当たっていたサードリコリス達がその例だ。爆弾でそのほとんどが命を落とし、仲間や友人を一気に失った本部のサードリコリス達が悲しみに包まれている。そんな彼女達の横を通り過ぎながら、セカンドリコリスの一人でありフキの相棒のサクラが舌打ちする。

 

「サードの奴ら、今日は一段と辛気くせー顔しやがって……」

 

 すると彼女と一緒に歩いていた二人のセカンドリコリス―――蛇ノ目(じゃのめ)エリカと(かがり)ヒバナが彼女達を庇うように言う。

 

「それは仕方ないだろ……」

「そ、そうだよ。昨日まで一緒だった仲間がたくさん、死んじゃったんだから……」

 

 しかし彼女達の言葉を聞いても、サクラは知った事かと言うように表情を険しくしながら、

 

「あたしら全員いつ死ぬかわかんねんだよ。覚悟くらい済ませとけっつーの。―――そっすよね、先輩?」

 

 サクラの視線と言葉は、自分の前を歩くフキに向けられていた。彼女はどこか遠くを見つめているような眼差しをしながら、

 

「覚悟……か。そうあるべきだろうな、リコリスとして」

 

 サクラの言葉は正論だ。悪人を人知れず排除するリコリスは彼女の言う通りいつ死んでもおかしくない。だから常に自分が死ぬ覚悟も、仲間や友達が死ぬ覚悟もしておかなければならないというのは理解できる。

 

 が、だからと言ってそれにサード達が納得できるかと言われるとそれは難しいだろうとフキは思う。いくら仲間や友達が死ぬ事を覚悟していたとしても、それを実際に目の当たりにして平静を保てる人間は少ない。誰だって、この世界で誰かが死んだとしても仲間や友達は大丈夫だと心のどこかで思ってしまうからだ。だから覚悟をしていたとしても、実際にそれを目の前にしてしまえば平静ではいられなくなってしまう。今のサードリコリス達のように。

 

 そして、こうも思う。―――もしも自分の後ろをついてきている相棒や、あの能天気な笑顔を浮かべているかつての相棒が死んでしまったら、自分も彼女達のように泣いて悲しむのだろうかと。まぁ、あの千束(バカ)は殺されても死なないのかもしれないが……とわりと失礼な事を考えながら、フキは後ろのサクラにチラリと視線をやる。

 

「どうしたんすか? 先輩」

 

 するとフキの視線に気づいたサクラが不思議そうな表情を浮かべ、それにフキはなんでもねぇよとだけ返す。そしてフキを含めた四人はその場から歩き去って行った。

 

 ―――彼女達が歩き去って行った後、サードリコリス達の中から、ポツリと誰かが呟いた。

 

『……何、あれ』

 

 その声には、苛立ちや憎しみといった黒い感情が滲み出ていた。するとその呟きに呼応するように、次々と同様の感情がこもった呟きが生み出されていく。

 

『いくらセカンドだからって、調子に乗り過ぎじゃない?』

『友達が死ぬのを悲しんで何が悪いのよ』

『何が覚悟ぐらい済ませとけだよ。好き勝手な事言って……』

 

 いくら悪人を抹殺する許可を与えられているとはいえ、中身は十代の女子だ。昨日まで同じ屋根の下で一緒に過ごし、笑い合っていた仲間や友達を失えば悲しむし、それについて冷たい事を言う仲間がいれば怒りや憎しみの感情を向けるのも普通の女子と変わらない。その現象は以前たきなが本部に帰ってきた際に一部のリコリス達が尾鰭がついた噂話を呟きながら彼女を嘲笑していた時と似ているが、今回は嘲りよりも憎しみの感情の方が強かった。

 

 

『ねぇ、そう言えばリエは? 姿見てないけど……』

『昨日爆破された地下鉄に行ってる。遺体が見つからなかった子もいるから、せめて手ぐらいは合わせておきたいって……』

『リエ、サードのほとんどの子達と仲良かったもんね……』

 

 

 

 地下鉄爆破の際にリコリスに繋がる物証及び亡くなったリコリスの遺体などは回収されたものの、地下鉄が崩落するほどの爆発に巻き込まれ生き埋めになった者やそもそも原型を留めていない者など、回収が難しい者に関してはそのままの状態となっている。さすがにそのような状態で生きている可能性はほぼゼロだし、仮にその後遺体などが発見されたとしてもDAお得意の情報操作で全て隠蔽してしまうからだ。

 

『でも、ほんとムカつく……。言いたい放題言って……。フキさんも何か言ってくれたら良いのに』

『やめときなよ。あの人はファーストなんだから、私達とはそもそも考え方が違うんだよ』

 

 ファーストリコリスはリコリスの中でも最上位の実力の持ち主だ。しかし同じリコリスの中でも『化け物』と称されるほどの実力を持つ彼女達は、一番下のサードリコリス達から時に畏怖の目で見られる事があり、それはフキが相手でも同じだった。ちなみに同じ本部にいるフキでさえそれなのだから、ファーストの中でも一際化け物じみた実力を持つ千束はもはや彼女達にとっては『天上人』である。

 

 しかし、だからと言ってその不満と憎しみの先をDAや自分達より上のリコリス達に向けるような事を彼女達はしない。それを行うほど馬鹿ではない、というよりも実際に行動に起こしたとしてもどうせすぐに叩き潰されて終わるという諦めが彼女達の心に根付いているからだ。それぐらいの実力差も分からなければ、リコリスとして生き残るは事は出来ない。一方で、仲間を失った悲しみと上位のリコリス達への不満がそれで消えるわけではない。結果として、彼女達は自分達の中に生まれた黒い感情をそのまま飲み下すしかなかった。

 

 だが、それらの感情は消えたわけではない。彼女達の中に生まれた黒い感情はまるでタチの悪いウイルスのようにゆっくりと広がり、仲間や友人を失った他のサードリコリス達へと次々感染していく。

 

 静かに、しかし確かに広がっていく感情に気づく者は、当のサードリコリス達を除いて誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 真島によって爆破された地下鉄は電気系統が機能しておらず、周囲は暗闇に包まれていた。その暗闇の中を一人の少女が静かに歩いていく。背中まで伸びる赤毛をまとめ、ベージュの制服に身を包んだ少女は闇の中でも瓦礫に足を止める事はない。

 

 そしてある場所で立ち止まると、その場にしゃがみ込み両手を合わせて目を閉じる。これで亡くなったのが普通の一般人ならば花や飲み物を置いて立ち去っても良いかもしれないが、生憎それができる場ではないし、何より亡くなったのはリコリスだ。そんな事をすれば彼女達がこの場にいた事が世間にバレるかもしれないので、持ち込む事は許されなかった。なので少女―――河上(かわかみ)リエにできる事は、こうして死んでいった仲間達に対して両手を合わせる事だけだった。

 

「…………」

 

 リエは閉じていた目を開けて立ち上がると、元来た道を歩いて地上へと戻っていく。本来ならばここは立ち入り禁止なのだが、楠木には調査という名目で入る許可をもらっている。すでにDAによる調査はされているはずなので、ダメもとで頼んだのだが……どういうわけかすんなり許可をもらう事が出来た。『長時間の滞在は避けろ』と釘は刺されたものの、こうして許可をもらえた事自体がちょっと意外だったので、珍しい事もあるものだとリエはいつも仏頂面をしている司令官の顔を思い浮かべながら心の中で呟く。

 

 だが、楠木の言っている事は正しい。いくら調査のためとは言えリコリスに関する全ての物証が回収された場所にいるべきではないし、そうでなくともこのような場所に制服を着た女子高生の姿は明らかに浮いている。リコリスの立場から考えても、ここにいるのは得策ではない。

 

 しかしリエはここにいる。それはこの場所で亡くなったリコリス達を弔うためもあるが、それだけではない。

 

 どうしてもこの場所に来たかったのだ。テレビで流れたあのニュースを、見てから。

 

『―――昨夜起こった東京都内北押上駅の地下鉄衝突脱線事故は、未だ復旧の目途が立っておらず利用者に不安が広がっております』

 

 頭の中に、事故の概要を伝えるアナウンサーの声が響く。そして、何も知らず事故について謝罪する代表取締役社長の言葉も。

 

『本当に奇跡的に……。自動運転の回送電車だったために、死傷者が一人も出ませんでしたが(、、、、、、、、、、、、、、)、原因の究明と再発防止に早急に対応して参りますので……』

 

「……ふざけるな……」

 

 ポツリ、と。リエの口から憤りの呟きが漏れた。

 

 自分達リコリスが表沙汰になってはいけない事は分かっている。例え任務で死亡しようとも、世間の人達がそれを知る事は無く、ただ普通の日常が当たり前に送られるのは頭では分かっている。

 

 けれど。それでも、その言葉だけは聞き流す事が出来なかった。

 

 リエは本部のサードリコリス達の中では学級委員長みたいなポジションの少女だった。真面目でしっかり者、規則を守る事に関しては口うるさい所はあれど仲間のサードリコリス達の事を常に気にかけ、誰かが傷つけばお見舞いに行き、誰かが亡くなれば手を合わせるなど、人が死ぬ事に対して心が麻痺しがちなこの組織の中では真っ当で心優しい性格の持ち主だった。おまけに実力もサードの中ではトップクラスであり、近々セカンドへの昇格も決まっている。そんな彼女の事をサードリコリスの誰もが尊敬し、信頼していた。そしてリエも驕る事無く、彼女達とは時に友人のように接し、時に姉のように接し、彼女達の心の支えとなっていた。誰に言われたからでもない、それが自分にできる事だと分かっていたから。

 

 そんな彼女の友達が、仲間達が、昨日この地下鉄で亡くなった。課せられた任務が終了し、本部に帰ってきた彼女を迎えたのはサードリコリス達の泣き顔と、事故という名目で覆い隠された友達と仲間達の死だった。さらに彼女に追い打ちをかけたのは、死傷者が一人も出なかったと、死んだ彼女達は初めから存在していなかったと言うような報道だった。

 

 それは違う、とリエは唇を強く噛みしめて否定する。彼女達は確かにこの世界にいた。誰かと笑って、誰かと泣いて。時に悪人を抹殺する殺し屋や処刑人と揶揄されても、確かにこの世界に存在していたのだ。それなのに、それを無いもののように扱われた。それが許せなかった。リコリスが戸籍の無い少女達で、亡くなってもそれが世間に知らされる事はないという事は分かっていても……許容する事が、できなかった。

 

 リエ自身、自分をここまで育ててくれたDAに対する感謝の心はあった。しかし昨夜友達や仲間の存在を無かった事にされ、初めて彼女の中でDAに対する疑心が生まれた。彼らがやっている事は本当に正しいのだろうか? 彼らに従って、自分達は本当に幸せなのだろうか? ―――このままだと、自分は……リコリス達は、ずっと使い捨ての道具のまま、この世からいなくなるのではないだろうか?

 

「……そんなの、ダメよ……」

 

 階段を上りながらリエの声が震える。そんな事は絶対に駄目だ。しかし自分に何ができる? 自分だって、DAの飼い犬の一匹に過ぎない。半端な行動を起こしても、すぐに上位のセカンドやファースト達に止められ、最悪DAに消されかねない。そんな自分一人に、一体何ができるというのだ。ギリ……と悔しさで奥歯を強く噛みしめながら、リエが階段を上りきり地上へと出て、立ち入り禁止のテープを目立たないようにしゃがみ込んでかわし、静かにその場から離れようとした時だった。

 

「こんにちは」

 

 横から彼女に突然、声がかけられた。リエは反射的に背中の鞄に手を伸ばして銃を取り出そうとするが、その前に声をかけてきた人物が制止する。

 

「やめておいた方が良いと思います。あなたがリコリスとはいえ、この場で銃を取り出せば騒ぎになる可能性の方が高いですよ?」

 

 そう言われてリエが周囲を見回すと、自分の周囲には決して少なくない数の人が歩いていた。おまけに事故の影響で、野次馬の姿もまだちらほら見える。自分の姿が見られないよう警戒しながら出てきたリエだったが、この状況で銃など取り出せば間違いなく人目を引いてしまう事になる。リエは歯噛みすると、鞄に手を伸ばしていた手を下ろしてから、自分に声をかけてきた人物を観察する。

 

 レインコートを着た人物だった。顔はフードですっぽり覆われているせいでよく見えない。両手をだらんと伸ばし、じっと自分を見ているようだった。雨でもないのにレインコートを着ている事に周囲を歩く人物達がちらちらこちらを見てくるが、声をかけてくるまでには至らない。リエが思わず視線を別の方向に向けようとするが、その前にレインコートの人物が口を開く。

 

「監視カメラは期待しないでください。ここはちょうどカメラの死角なので、私達の姿は映っていません。DAもさすがにカメラに映っていない不審者を追跡するのは難しいでしょう」

「……DAの事も知ってるんだ」

 

 リコリスの事だけではなく、その背後にいる組織(DA)まで知っている。間違いなくこちら(、、、)側の人間だ。強い警戒心を向けるリエとは対照的に、レインコートの人物は肩をすくめるような動作をしてから、

 

「勘違いしないでいただきたいのですが、私は今日あなたと戦いに来たのではありません。ある提案をしに来たのです」

「……提案? 私に一体、何の提案をしようって言うの?」

「DAを潰し、あなた達リコリスの境遇を変える。興味はありませんか?」

 

 その言葉に、リエの目が見開かれる。だが次の瞬間には、彼女は鋭い視線で目の前の人物を睨みつけていた。

 

「ふざけているの? 私がそんな提案に乗るとでも思っている?」

「可能性はあると思っています。痕跡が完全に回収されたはずの地下に長い時間こもっていたという事は、何らかの証拠を探していたか故人への黙祷が目的。どちらにせよ、そのような行動を取るという事はあなたはリコリスの中では彼女達に対して強い思い入れのある人間ではないかと思っています。そうでなければ、こんな話を持ち掛けたりしません」

 

 まるで地下の自分の行動を見ていたような言葉に、リエは思わず言葉を詰まらせる。

 

「……だからと言って、私がDAを潰すのに手を貸すわけないでしょ?」

「ではあなたは、今回の件によるリコリス達に対する処遇をそのまま受け入れるというわけですね?」

 

 ピシリ、とリエの動きが凍り付く。それを気にせず、レインコートの人物は淡々と告げる。

 

「日本の秩序と平和を保っていると言えば聞こえは良いですが、DAのやっている事は単に臭いものに蓋をしているだけです。本来あったはずのものを無理やり消し、偽り、騙し、仮初めの平和を保っている。本人達はそれで良いのかもしれませんが、それで割を食うのは巻き込まれた人々と組織に使われた挙句まるで存在しなかったように扱われるリコリス達だけです」

 

 そう言ったレインコートの人物の言葉の後半には、先ほどには無かった負の感情が滲み出ているようにリエには思えた。だが次に彼女が口を開いた時には、その感情は消え失せていた。

 

「そしてそんな事をしていたらいずれ大きな代償を支払わなければならない時がやってくる。それを支払わせるのが私達の目的です。……どうです? 私達に協力しませんか?」

 

 言いながら自分と向き合う人物に、リエは表情を険しくする。今この人物は私達(、、)と言ったが、ここで嘘をついても仕方が無いので当然だ。DAを潰すにはこの人物一人だけの力では到底出来っこない。背後に協力者、もしくは何らかの組織がいると見て間違いない。

 

「……さっきも言ったはずよ。そんな事に、私が手を貸すと思っているの? 私はリコリスよ?」

「任務で死んだら、世間には最初から存在しなかったものとして扱われる体の良い道具、ですか?」

「………っ!」

「どれだけあなたが言おうと、今のDAの体制を変えない限りあなた達は世間的には存在しないままです。そうなったら彼女達の事をあなたがどれだけ覚えていようと、世間では彼女達は最初から存在しなかった人間です。彼女達がいなくなっても、あなた以外は誰も悲しまず、そもそも死んだ事にすら気づかない。そしてあなたすらいなくなったらいずれ彼女達は、本当に最初から存在しないものとして扱われる事になるでしょう」

「……形はどうあれ、私達はDAに育てられその保護の下にある。DAが無くなったら私達だってどうなるか分からない」

「それは否定できませんが、DAを潰せばリコリスの境遇を変える事はできるかもしれない。そうすればあなた達は少なくとも存在しないものでは無くなりますし、うまくいけば別の生き方を見つける事もできるかもしれません」

 

 別の生き方、と聞いてリエの心が揺らぐ。今まで大勢の悪人達を殺してきた自分達には虫のいい話かもしれないが、それでも残された友達や仲間達が今のような生活とは別の人生を選ぶ事ができるかもしれないという可能性に、リエは思わず言葉を詰まらせる。そんな彼女に、レインコートの人物がこれが最後だと言うかのように告げた。

 

「それで、どうします? 私達に協力しますか? それとも、このままDAに戻り私の事を報告しますか?」

 

 それを黙って聞くリエの脳裏に、昨日亡くなった友達や仲間達、そして現在本部にいるサードリコリス達一人一人の顔が浮かび上がる。サードリコリス達の中の学級委員長として彼女達から慕われてきたリエには、セカンドリコリスやファーストリコリスよりもサードの彼女達との繋がりの方が強かった。ファーストのフキとは真面目で責任感のある性格が似ているため時々話した事もあるがそれでもサードの少女達と比べると関係が浅いし、同じファーストの錦木千束など論外だ。ロクに話した事もない。ただフキから以前聞いた彼女の人物像と、少し前に本部にいた時に、相棒のセカンドリコリスの隣に座って何故か両腕を真上に上げて叫ぶ彼女の姿をたまたま目撃し、『あまり関わりたくない人だなぁ』とは思ったが。

 

 それゆえ、彼女がセカンドやファーストのリコリス達よりもサードの事を大切に考えてしまうのはある意味当然の事であり、サードの事を大切に考えてしまう彼女がレインコートの人物にこう答えるのも仕方のない事だった。

 

「―――分かった。けど、まずはあなた達の話を聞きたい」

「ええ、それで良いです。しかしその前に、こちらをお受け取りください」

 

 そう言ってレインコートの人物が差し出したのは、一台のスマートフォンだった。それを受け取ったリエに、レインコートの人物が続ける。

 

「盗聴を始めとした、様々な機能を妨害するスマートフォンです。DAに通話を盗聴されたり位置を特定されるのは面倒ですので。今後はこちらで連絡を行います」

「……分かったわ。それで、これから話はどこでするの? 本部に戻る以上、あまり長居はできないわよ? 下手をしたらDAに怪しまれるし」

「ちょうどお腹が空いてきたので、ファミレスで食事を取りながら話しましょう。お金は私が払います」

 

 行きましょうと言って、レインコートの人物はリエに背中を向けてゆっくりと歩き始めた。ファミレスでDAを潰す計画について話すという事に呆れそうになるが、人気の全くない場所で話すよりは盗聴の可能性が低いだけ合理的かもしれない。それからたった今渡されたスマートフォンを見て、ぐっとそれを握る手に力を込める。

 

 正直、実質DAを裏切る行為に手を貸す事は怖い。しかし自分がやらなければ、また今回の事件のようにサードリコリス達が最初から存在しなかったものとして扱われる事になる。―――そんな事は、絶対にさせない。彼女達は使い捨てにされて当然の道具でも、ましてやただ捨てられるだけのゴミではない。確かにこの世界にいて、一緒に笑い合っていた少女達なのだ。それを、無かった事になんて絶対にさせない。彼女達の境遇を――――運命を変えるためならば、どんな事でもやってやる。

 

(……やり遂げてみせる。どれだけの犠牲を払っても、必ず)

 

 そう心に固く誓い、表情を引き締めるとリエはレインコートの人物の後を追って歩き出す。

 ―――彼女が思うリコリスの仲間というのがサードリコリス達の事で、その中にファーストやセカンドが入っていないという矛盾に半ば気づきながら。そしてその先にあるのが、今いる場所よりもさらに深い闇に満ちた場所だという事を知りながら。

 

 

 

 

 

 

 Bar Forbidden。それはミカがある人物と出会う時に決まって使う会員制のバーだった。店に入るには自動ドアの前で暗証番号を入力し、さらに店員による本人確認が必要という念入りな確認が求められるが、その分話の内容が誰かに聞かれるという危険が低く、秘密の会話をするには実にもってこいの場所だった。

 

 いつもの和服ではなく、黒いシャツに白のスーツにネックレスと文字通りダンディにキメたミカがバーに入ると、待ち合わせの人物―――品の良いスーツに髪型も綺麗にセットした男性、吉松シンジが左手を軽く挙げた。彼の横に座りバーテンダーにウィスキーを注文してから、ミカがようやく口を開く。

 

「……何故戻ってきた?」

「ミカに会いたかったからさ」

「からかうんじゃない。千束だろ?」

 

 ミカの言葉に吉松はただ笑みを浮かべただけだったが、それだけで答えを言っているようなものだった。バーテンダーがミカの前に大きな氷とウィスキーの入ったロックグラスを置くと、ミカは吉松を見ながら、

 

「……シンジ。何故言ってやらない。千束はずっとキミを捜してるんだぞ」

「アラン機関は支援した対象に関わる事を禁じている。話したろ?」

 

 自分がアラン機関の人間であると白状したも同然の言葉だったが、ミカは指摘しない。その程度の事、目の前の男性にとっくの昔に教えてもらったからだ。

 

「矛盾してるじゃないか。それなら店にだって来るべきじゃない」

「消えろ、と?」

「いや……。そういうつもりじゃ………」

 

 思わず自分の言葉が弱くなるのを自覚しながら、ミカはグラスを手に取る。カラン、と氷が涼やかな音を立てて揺れ、中に入った琥珀色の液体を静かに口に運ぶ。

 

「私を覚えていなかったな……」

「あの時一度見ただけだ。無理もない」

 

 ミカの言葉で、吉松の脳裏に幼少期の千束の笑顔が浮かぶ。しかしそこで何を思い出したのか、突然俯いて肩を震わせ始めた。

 

「ふっ……。クク、しかし……」

「……?」

 

 突然肩を震わせ始めた吉松にミカは怪訝な表情を浮かべるが、どうやら彼はただ笑っているだけらしい。肩を震わせながら笑っていた吉松は顔を上げると、

 

「すっかりレディだと思っていたが、まさかトランクスとは」

「なっ……! い、言っておくが私が穿かせているわけじゃないぞ!」

「嘘つけ。あれはキミのチョイスだろ?」

「あれはたき……。え~い、ややこしい!」

 

 ミカの言う通り、最初から説明しようとするとかなりややこしい事になるので説明するわけにもいかない。まさかのトラップに、ミカはうろたえるしかなかった。

 

「そうだ。私の秘書にあの年頃の娘に合うものを選んでもらうか? 心配するな、彼女は優秀だ」

「勘弁してくれ、もう酔ってるのか?」

「安心してくれ、酔ってなんてないさ。………君にどうしても、尋ねたい事があるしね」

 

 直後、その表情が真剣なものに切り替わる。それでミカも話が本題に入った事を感じ取ったらしく、その表情を引き締める。二人が互いの顔を見合わせた直後、吉松は真剣そのものの口調でミカに尋ねた。

 

「この前店を訪ねた時にいた、あの少年とは一体どんな関係なんだ?」

「っ!?」

 

 某ステルス系ゲームで敵に発見された時のような警告音がミカの脳内に響き渡ったかと思うと、吉松はミカの予想以上にマジな表情でさらに言葉を続ける。

 

「ミカ。確かにあの少年の容姿はとても魅力的だ。しかしだからと言って私がいない間に若いツバメを見つけていたとは少し酷いんじゃないか?」

「シンジ、違う! 彼とはそういう関係じゃない!」

「じゃあどういう関係だと言うんだ? 互いの下着を交換までしているというのに、まさかそういう関係じゃないと言い張るのか? ミカ、年月は経ったが、君は昔の誠実な君のままでいると私は心から信じている。そんな君が彼と一夜を共にしてあとはさよならなんてひどい事をするわけがないと、私は思って」

「違うと言っているだろう!!」

 

 ミカを父親のように慕う千束も聞いた事がない、ダンディさをかなぐり捨てた全力クソデカボイスだった。あまりの全力っぷりにバーテンダーが驚き、ミカは肩で息をしながらバーテンダーに頭を下げる羽目になった。予想もしていなかったとんでもない羞恥プレイである。なんで自分はこんな話をしているんだ……? とミカは心の底から思いながら右手の掌で顔を覆う。

 

「……彼は店の常連さんだよ。同じ年齢という事もあって千束と仲が良いんだ。万が一にでも彼に手なんて出したら、千束に半殺しにされてしまう」

「ほう。君がそこまで言うほどか。となると、千束と彼はすでにそういう関係なのかい?」

「いや、千束の片思いだよ。今の所は、だがね」

「……そうか。千束も恋を知る歳か。それが良い事なのか悪い事なのか………」

 

 静かに微笑みながら、吉松は酒を少し口に含む。彼の言葉の意味は、ミカにも理解できた。二人の間に沈黙が一瞬流れ、今度こそ吉松が本題について切り込む。

 

「………私達の『約束』は守られているのか? ミカ」

「………」

 

 『約束』。それを聞いて、ミカは思わず目を細める。それは十年前、彼が吉松との間で交わした、千束に関するある約束の事だった。

 

「天才は神からのギフトだ。必ず世界に届けなければならん。……稀有なる、殺しの天才をな」

「……ああ、もちろんだ」

 

 吉松の言葉に、しかしミカはどこか苦々しい表情で頷いた。それを掻き消すようにミカはウィスキーを再び口に運んだ。

 

「ああ、そうだ。一つ聞いておいても良いかな。千束が夢中になっているその彼、名前はなんと言うんだ?」

「……随分彼の事が気になるようだな」

「それはそうさ。私達の娘が恋している相手の名前を聞きたいと思うのは、真っ当な親心だろう?」

 

 そう言いながら悪戯っぽく微笑む吉松だが、その瞳の奥に何か得体の知れない感情が渦巻いているのをミカは見て取った。しかしだからと言って断るのもおかしな話なので、若干の警戒心を抱きながら彼の名前を口にする。

 

「……藍くんだ。天竺藍」

「……ふぅん。天竺、藍ね……」

 

 口元に手を当てながら吉松は静かに呟く。その目はここではないどこか遠くを見つめているようにミカには思えたが、どうして彼がそのような表情をしているのか、ミカには最後まで分からなかった。

 

 

 




-藍リコ裏話-

今話に出てきましたオリキャラでありサードリコリスの河上リエの名前の元ネタは、ローリエとも呼ばれる月桂樹から。

今後もこのような裏話と言いますか、作中のキャラに関わるプチ話などを時々出していこうと思います。
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