「……なにもやる気が起きない。……やっぱり早まったかも、素直に相談しておけばよかった」
頬杖をつき、窓から呆然と晴れ渡った空を眺める。流れる雲を追っていくと、霧がかった頭が少しだけ晴れていく気がした。
ここ数日、セイラは朝日が昇ると同時に公共図書に行き、適当な本を開いて数ページ読み進めては外を眺めることを繰り返している。
その行動に何か目的があったわけではなく、強いて言えば目的を見出すことを目的としていた。そしてそのような状態では、本を読み込む時間より外を眺める時間の方が長くなるのも必然だった。
先程から気にかけていた教会の給仕用ゴーレムに似た雲が散り散りになるのを見て、ふと街並みへと視線を移すと見慣れない少女が通りを歩いていた。
友好さを感じさせる温かな茶髪。黄色の歯車の髪飾り。纏っている服はセイラが以前流し見た制服と呼ばれるものに似ていた。おしゃれ、というものをセイラはしたことがないため詳しくは分からないが、自身が身に着けている無味の服との明確な方向性の違いを感じた。
この辺りでは見ない服装のため、少なくともこの都市の人間ではない。そして周囲を頻りに見回していることから、どうやら何かを探しているようだった。
数瞬上を見つめたのち、手元に開いていた本を閉じ、立ち上がる。
何を探しているのかは知らないが、この都市で育ってきた以上役に立たないということはないはずだ。窓を開け少女を呼び止めながらセイラは階段を駆け下りた。
◆
茶髪の少女の名はミラナというらしい。正面から見ると、瞳の周りを金環が覆っている珍しい眼をしていることに気付いた。
当初は近付いてくるセイラを物珍しげな表情で見ていたが、何か探しているなら手伝うと伝えるとにこやかな表情を浮かべていた。
セイラはその笑みを見て、無意識にサナ司教と比較していた。どうにも作り物めいた印象が拭えなかった司教に比べて、ミラナという少女の笑みは非常に人間らしい。
恐らくそのように感じるのは、笑顔というものが単に表情という視覚的な部分だけでなく、声の高低や僅かな身振り手振りに至るまでの微細な要素が影響しているからだと、セイラは何となく理解していた。
ミラナが目的とする場所へと向かう。時折、代り映えはしないが、わずかな差違を立ち並ぶ住居に見つけるたび、ミラナが近付いていくためその歩調は緩やかだった。
「正直、セイラが声をかけてくれてかなり助かりました。ここの人って、わたしが声をかけてもすぐにどっかいっちゃうんですよね〜」
思い出すように反応を語るミラナ。
「ははは。それがここの特色? は、違うか。まあでも、そういう反応も悪いことばかりじゃないんだよ。それが好きって住民も少なくないし」
後ろ手を組んで歩くミラナに合わせるように歩調を緩めながら、どこか納得がいっていない様子の彼女に説明する。
しかしセイラの説明を聞いても、ミラナの表情は釈然としないままだった。彼女は少し躊躇うような間を置いてから、思い切ったように口を開く。
「いっちゃアレですけど、かなり変な都市じゃないですか? ここ」
「わたしも色々都市をまわってきたのでわかりますけど、明らかに異質なんですよね。
例えば、青の都市なら法や学問に、赤の都市なら建造といったようにそれぞれの目的があるんです。暫く都市を見ればそういう目的は大体分かるんですけど、白の都市は未だによく分からないんですよねぇ……」
ミラナの言う通り、おおよそ全ての都市には建造に足る目的が存在する。そしてその建造の是非は青の司教によって判断されている。
司教の選定、都市の建造、政策の可否。
数百年もの間、青の司教だけは始めからそれら全ての権力を保有していた。
その手の情報に触れてこなかったため新鮮な気持ちで話を聞いていたセイラ。しかし、最後の情報だけは耳を疑った。
「色々気になるけど、これだけは聞かせて。青の司教って、人間……? ていうか、数百年……?」
信じられないと言うセイラに、ミラナは苦笑いしながら答えた。
「わたしも人伝なので詳しくは知らないですけど、ちゃんと人間ではあったらしいですよ」
「人の形をした精巧なゴーレムの線は?」
「その場合かなりの年代物ですね〜」
「じゃあ司教の特権とか」
「残念ながらありません。あるならわたしもなってみたいです」
「じゃあ魔法!」
「年齢を考えるとちょっと現実的じゃないですね。魔法はどうしても色から離れられないので、成長による変化には耐えられません。運よく延命に繋がる色を見出して研ぎ澄ましたとしても次第に使えなくなると思いますよ」
「なので、結局そういう秘密を知りたかったら直接そこに行くしかないってことですね。
それにもしかしたら、こういった物が関係していたりするかもしれませんよ?」
気付けば目的の場所へ到着していた。
そこは例に漏れず白を基調とした大きな造りの宝石店だった。幾つものショーウィンドウによって内部は照らされているが、中の照明は薄く全体的に少しばかり仄暗い。
扉を開け入店する。思っていたよりも内部は狭く、透明な棚の中には様々な宝石が浮遊していた。しかし宝石の輝きにつられ近付いてみると、それらは全て精巧なホログラムだった。
「ここに実物はないみたいだね」
振り返りながらミラナに話し掛けると、彼女は棚に表示された画面をスライドさせ表示される宝石を入れ替えていた。
「多分注文すると持ってくる仕組みだと思います。祝福があるので大丈夫ですけど、危ない物もありますからね」
「へー」
話を聞きながら、セイラも同じように画面をスライドさせてみた。
多くの宝石が瞬時に移り変わりながら現れる様子を興味深げに眺めていく。隣に書かれたエスト*1も宝石の希少性や効果によって激しく上下していた。
そのように眺めていると、一つだけ際立って高価な宝石が表示された。
「真透石?」
他の宝石の数百倍のエストを要求する桁違いの宝石。名前の通り透き通ったそれに表示されていた効果は“魔法的永続性に優れる”。それだけだった。
こちらの声を聞いたのか、ミラナが顔を覗かせてきた。
「あ、見つけました? それです、それが欲しかったんです! 残っててよかったぁ」
そのまま画面に手を翳すとミラナの体が淡い青緑色の光を纏い始め、次第に画面へと光が吸い込まれていった。
「凄い量のエストだったけど、よく足りたね」
「え? 全然足りてないですよ?」
「? いやでも、さっき支払ってたよね?」
「はい、支払いましたよ。ある分だけ。残りはこれから借ります!」
「えぇ……無鉄砲すぎる。……ちなみにどれぐらい払ったの?」
「大体三割ぐらいです」
「噓でしょ。全然支払えてない」
驚愕にセイラは固まった。祝福によって食事や睡眠を摂*2な食料も手に入るとはいえ、嗜好品や娯楽品を購入するためのエストも含めて全て支払うのは少しばかりセイラの常識から外れていた。
呆れを如実に含んだ顔で眺めていると、完全に支払いきれていないがその決済自体は終了したらしい。
表示された画面が消え棚の中のホログラムが実物へと変わると、新たに周りに現れたケースに包まれ購入者の前に浮かんでくる。
ミラナはそれを受け取ると、改めて真透石を間近で観察した。手に取り、その手触りや光に照らした時の輝きの変化を少しも見逃さないようじっくりと。
おぉーっと声を上げるミラナへと遠慮がちに声をかける。
「えっと、どう? 手に入った感想とか」
その質問にうーん、とミラナは暫く悩んでいたが思っていたよりもあっさりと口にした。
「今のところは物凄く綺麗な石だなーって感じです。まあ可もなく不可もなく?」
「結構軽いんだね」
ありえないほど高価な買い物をした人の様子には見えなかった。
真透石をケースに戻しながら、ミラナは自分がそのような様子を見せる理由を説明した。
「真透石の真価は見た目じゃなく、その効果にあるんです」
「 “魔法的永続性に優れる”って効果?」
「そうです。でも凄いのは魔法の効果だけじゃなくて、その時の感情や記憶なんかを半永久的に保存できるってことです! それに別に魔法を籠めなくてもいいって所が更に便利ですよねぇ~」
「ん? 魔法的ってあるし感情とか記憶はあくまでついでじゃないの?」
「そこのところは真透石を調べた人の価値観の違いだと思います。普通はそっちの使い方がメインなので」
何時でも人生において最も大切な瞬間を追体験できる宝石。確かに魅力的だが、莫大なエストを支払ってまで購入する価値は今のセイラには見いだせなかった。しかし恐らくミラナにはあのエスト以上の思い出があったのだろう。そして次そのような思いが沸き上がった時、それを永遠に保存する為に。
羨ましい、そう思わずにはいられなかった。目的こそ違えど、何かを求めた末の狂おしいほどに燃え上がる感情に身を任せ、陶酔する姿。ミラナを見ているとそんな未来を夢想してしまっていた。
自分を見つめる視線に気づいたミラナ。そしてそこに込められた意味を察すると、彼女に明るく声をかけた。
「さてと。これで私の探し物は終わりました。けど、どうやらセイラさんにはなにか悩みがありそうです。なので、わたしを仲間にしてみませんか? 出会ったばかりですが、そこは自分の運を信じてみるってことで一つ!」
予想もしていなかった言葉にセイラは目を白黒させる。
「えっと、提案は嬉しいけど、どうして?」
ミラナは顎に指を添えると答えた。
「なんで悩みがあると思ったのかって話なら、さっきの視線もそうですがセイラは色々と表に出し過ぎですね。そこから多分そんなに腹を割って話せる人もいなかったから隠すのに慣れてないのかなーって」
「な、なるほど」
「そして、わたしを仲間にしませんかって話は簡単です。──二人で探したほうがきっと楽しい。そう思ったからです。色々と話せないこともあるかもしれませんが、良かったらどうですか?」
ウィンクと共にこちらに笑いかけてくるミラナ。
その笑みも、提案も、セイラが15年生きた筈の白の都市ではどちらも初めてだった。能動的に何かを起こすこともなく、ただ穏やかに日々を過ごしている他の住人から生まれるはずもないそれは、まるで宝石のようにセイラを惹き付けた。
しかしサナ司教に本来持ちかける筈だったその相談を、まだ出会ったばかりのミラナに話してもいいのか。以前のように誰かを巻き込むことへの葛藤が芽生える。
だが、どうしてか、目の前の彼女なら話してみてもいいのではないか。不思議とセイラはそんな気持ちになっていた。
どの道一人では行き詰まっていた事実。彼女に抱いた僅かな憧れ。それもセイラの判断を左右した。けれども、何よりそれを後押ししたのは、彼女が自分にはないものを備えていたからだろう。
「なら──」
◆
宝石店からそれ程離れていない場所にある、パラソルの下のテラス席で二人の少女が話していた。
ずずずっと、ジュースを飲むミラナはセイラから聞いた話を要約した。
「つまり、セイラは”
白の都市にも幾つかある建造に際して建てられた飲食店の一つ。利用者は滅多におらず、教会でも見た楕円形ゴーレムがぽつんとレジに佇んでいる。
特に凝った料理が出てくるという訳ではなく、ゴーレムによるマニュアル料理がその店の全てだ。
セイラは注文したサンドイッチをもぐもぐと食みながら首肯した。
「そうだね。信憑性が低いのは分かってる。でも、私はずっとそれを探してる」
真面目な声色で話すセイラ。一旦飲んでいたジュースを脇に置き、ミラナも虹天の現実的な信憑性を考え始める。
「うーん、空が一面虹色に染まる現象ですか……。結構凄いものが出てきましたね。正直規模が大きすぎてあんまり分からないですけど……。虹天について書かれていたのはその手記で全てですか?」
「うん。これで全部だよ。読めるのは……これだけだけど」
机の上に置かれた古びた一冊の手記。セイラはそれを手にとって、中を軽く捲った。
ページには何らかの図や文字が書かれているが、使用言語が異なっていて全く分からない。しかし、最後のページだけはセイラたちが使用している言語で書かれていた。後から付け足されたように。
そこには虹天がどのような現象なのか。その手がかりについて書かれていた。
ミラナは隣へと席を移し、手がかりを読み上げる。
「『虹天は、新たな瞳を与える。赤も、青も、等しく変わり、人々は空の全てに虹が架かるさまを見るだろう。
求めるならば、大地を覆い尽くす全てを濯ぎ、世界に痛みを
悩ましい顔をするミラナに対して、セイラは若干の自信を滲ませて説明した。
「でも、読み取れないわけじゃないよ。例えばこの“大地を覆い尽くす全てを濯ぎ、世界に痛みを齎せ”って部分。下に書かれてる図を見てみて」
先の言葉の下に書かれた、何かが歪に積まれている図を指さす。
「この図。何かに似てない?」
「ふむ、何かに……? うーむ……んーー? あ、なるほど。この方向で見るのか……となるとこれが地面で、これが…………あ!? そういうことですか!?」
その図は上部には凹凸が描かれており、下部には縦に広い空間が広がっている。色もなく、注釈もなく、描かれた空間から何らかの断面図であることだけは理解できた。
しかしそれが何処なのかが分からず改めて全体を見渡していると、ミラナは凹凸の中でも一際突出した部分に既視感を覚えた。
自分はこの凹凸──いや、恐らくは建物を見たことがあった。それも少し前に。
「これ、教会ですよね! 後ろにある!」
ばっ、と後ろに振り向いたミラナの目には都市の中心に聳え立つ尖塔が映った。聳え立つそれは、荘厳であり、神聖であり、他の建物からは隔絶された雰囲気を放っていた。
都市中から集められたエストの輝き。地面から教会の外壁へと伸びた特殊な水晶体は光を受け、エスト本来の白と時折見せる屈折光のような虹光を見せていた。
「はー、なるほど。白の都市周辺の断面図だったんですか……。ふむふむ、それで先程の言葉にはどのように繋がってくるんでしょうか」
隣で同様に眺めていたセイラに尋ねると、彼女は下に広がる空間を指し、白の都市の周辺をぐるっと囲みながら説明した。
「地下水だよ。この図を信じるなら、少なくとも白の都市の下までこれに侵されてる……はず」
「そこは言い切らないんですね」
「流石に確認できてなくって」
頬をぽりぽりとかくセイラを横目に、ミラナは先程の内容に欠けている部分を尋ねた。
「それで、侵されてるとわざわざ表現したのはその地下水が毒性を持ってたからですか?」
「うん。しかも祝福を貫通するぐらいだから、多分世界一の毒だね」
ありえない言葉にミラナは耳を疑った。
「すいません、いま祝福の貫通って聞こえた気がするんですけど」
「うん、確かにそう言ったね」
困惑と驚愕に瞠目する。
誰もが身に纏う祝福の強度とその万能性に今まで守られて来たからこそ、ミラナにはこちらの方が衝撃的だった。
「いやいやいや、えぇ……? 体にあるエストが枯渇してない限り貫通なんて有り得ないですよ。一応聞いておきますけど、エストが枯渇してたわけではないんですよね?」
その言葉にセイラは当時の状況を思い返すが、別段違いは感じなかった。地下深くの洞窟内でも自分の周囲はいつも通り快適で、少なくとも湿気や温度による不快を感じたことはなかった。
ただじっくりと思い返してみれば、都市からエストの供給が途絶えた後、体内に残留していたエストの減りがやや早かったように感じた。それに、帰路に着いていた時も妙に汗ばんでいたような気も。
「エストは枯渇してた訳じゃないんだけど、思い返してみるとエストの減りが気持ち早かったような気がする」
「それもそれで色々と驚きなんですが……。はぁ、うぅーん」
頭を抱えるミラナ。
その様子を見ていると申し訳なさを感じてきたが、初めての仲間ということもあり気持ちの昂ぶりは抑えきれなかった。誰にも話せなかったが、最も好いていたものが話題となっているのも、セイラに躊躇させなかった要因の一つだろう。
「というかあれですよセイラさん。世界一の毒とかあの謎の手記とかで、わたしの虹天に対する信憑性はぐんぐん上がってます。けど、それはそれとしてエスト枯渇に対して無防備すぎです! 祝福に慣れてるのであんまり想像しにくいかもしれませんが、あれってかなり辛いですからね!?」
必死な表情で説明するミラナ。
身振り手振りを交えて説明している彼女を見ていると、セイラも段々とエスト枯渇は自分の想像よりもやばかったのではないかという気持ちになってきた。
「……そんなに?」
恐る恐る聞いてみると、ミラナは大仰な仕草で表現してくれた。
「そーんなにやばいことです!! 私たちがどれだけ快適に過ごせているのかが身を以て味わえますよ!」
「そこまで言われると一度体験しておいた方が良い気もしてきたんだけど」
「いや、オススメしません。あれは知らないままでいた方が良い類のやつです」
心の底からそう思ってそうな声色だった。そこまで言うのであればそうなのだろう。セイラはやるなと言われたことをやる人種ではなかった。
「とりあえず、言いたいことは分かりました。濯ぐの部分についてはわたしもそれで合ってると思います。ただこれ以上は現地に行ってみないと何とも言えないですね」
「なら、行ってみる? 私はいつでも行けるよ」
やる気を見せるセイラ。しかしミラナは待てと引き留めると、それより先にやるべき事があると言った。
「──エスト、借りてきます」
あ、という顔を浮かべる。残されたジュースをゆっくりと飲んでいる少女は、金環に覆われた大きな瞳を明後日の方向に向け、申し訳なさを滲ませていた。
「……エスト枯渇って怖いね」
ジュース代については忘れることにした。*3
会話文が入れ替わってしまっている箇所があったため、修正しました。