虹天の空   作:那菜 御調

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再び地底湖へ

 セイラは教会の外壁に寄りかかり、淡く光を放つエストの流れを眺めていた。水晶体を巡る光は、時折屈折による虹光を見せながら地面から教会へと昇っていく。

「ミラナ、まだかな」

 

 髪を結い上げ、常用しているサッチェルバッグを背負い、さあ後は出発するだけだと待機してはや数十分。読めもしない手記に目を通すのにも、エストの流れを眺めるのにも、そろそろ飽きを感じていた。

 

「あ、出てきた。おかえり。どうだった?」

 右手にある教会の入り口から帰ってきたミラナにセイラは明るく声をかけた。しかし傍まで近づいてきても少女はうーん、と悩んでおり中でトラブルがあったことは想像に難くなかった。

 

「結果から言うと、今は、ダメでした」

「今は? 時間を置いたら借りられるってこと?」

「そうです。詳しく言うと白の司教が帰ってきたら借りられるかも、っていう話でしたね」

 通常の範囲であればエストは問題なく教会のゴーレムを通して借りられた。ミラナが真透石という常識外に高価な宝石を買っていなければ。

 

 そも凡百の宝石であったとしても、その中に魔力を宿している以上高価にならざるをえない。白の都市であれば比較的安価で購入可能とはいえ、それらを纏めて数百個単位で購入できる真透石の値段は異常なのだ。

 規定通りにしか行動できないゴーレムの裁量をとっくに超えている。司教が戻ってきたらまた伝えますとしかゴーレムが話さなくなった辺りで、ミラナはその場で解決するのは諦めた。

 

「何時頃帰ってくるかは聞いたの?」

 そう尋ねるとミラナの顔は曇り出し、深刻な顔で話し出した。

 

「それが分からないそうです。白の司教は一週間ほど前から教会に戻っていないらしくて」

「……一週間前から戻ってない?」

 その言葉を聞き、セイラは自分がサナに相談をしたのがちょうど一週間前だったことを思い出した。

 

 相談を取りやめたことに気まずさを覚え、鉢合わせるのを避けるため教会の外で待機していたが、ちょうどその時から戻っていないという情報に嫌な予感を覚える。

 

「どこに向かったのか分かる?」

「さぁ。ただ、少なくとも都市外なのは確からしいです」

「そう、なんだ」

 不安から歯切れの悪い返事をする。ミラナもその様子見て違和感を覚えたらしく、心配そうな表情をしている。

 

「どうしたんですか。さっきの話で気になる事でもありました?」

 こちらを覗き込んでくる彼女に、セイラは少しの恥と言いづらさを感じながら話した。

 

「その、いやあの、もしかしたら関係ないかもしれないんだけど、白の司教が居なくなった一週間前にね、ちょうど司教に相談に行ってるんだよね、私」

 ミラナはその発言を聞き目を見開いた。

「え!? もしかして虹天のこと話したんですか!?」

「いやいやいや!! 虹天については話してないよ! 直前で相談を取りやめたから、私がどんな相談を持ち掛けるつもりだったか知らないはず!」

 

 慌てて否定する。良心に苛まれて相談を取りやめたため、セイラの様相からただならぬ雰囲気を感じ取ってはいただろうが、それだけだ。サナが都市外に一週間も外出するような情報は出していなかった。

 

「うーん、だとしたらセイラさんの思い過ごしだと思いますけどね。偶然白の司教の予定が重なったとかじゃないですか?」

「それならそれで、いいんだけど」

 ミラナの言う通り思い過ごしであると考えるのが当然だった。ただセイラの胸中では幾つかの懸念が消えなかった。

 

 サナのこちらを薄く覗く琥珀色の瞳には、こちらを慮る感情のみが映っていた、とセイラは記憶している。しかし記憶の風化か、あるいは他者に対する猜疑心か。自分が管理する都市住民であるとはいえ見ず知らずの他人にあのように過剰な感情を見せるだろうか。

 

 人生経験のないセイラではこの疑問に答えを出せなかった。表情と顔の不一致。セイラの納得は形だけだった。

 

 はぁ、とため息を吐くミラナ。

「分かりました。じゃあ当初の予定通り例の地底湖を”一緒に”見に行きましょう」

 顔を上げミラナを見つめるセイラ。

 

「でもエストは真透石を買ったから尽き欠けてるんじゃ」

「そーんなもん、セイラがわたしにエストを譲ってくれたら解決する些末な事じゃないですか!」

「え、私エストはそんなに持ってないよ」

「? でも幾らかは持ってるんですよね?」

 ニコニコと笑うミラナ。白の都市で数えるほどしか人に関わってこなかったセイラのエストは、都市から定期で受け取っている分しか存在していなかった。

 嗜好品は数えるほど。魔道具や、ミラナが購入した宝石などは購入していない。すべては虹天探索のためのエストだった。

 

「どうせわたしが居なくても一人で向かうつもりでしたよね? でも外で白の司教に遭遇した時、きっとセイラさんは心細いだろうなぁ。そういう時、人生経験豊富で頼りになる明るい仲間がいれば、空気も和むと思うんだけどなぁ」

 一人で行くつもりだったことがバレていたことに肩を跳ねさせるセイラ。

 自分でもないとは思うが、もしかしたらサナが地底湖について既に把握していて何かしようとしているのかもしれない、という完全な憶測。ただそこに虹天が関わっているかもしれないなら、セイラに行かない選択肢はなかった。

 

 そしてきっと心細いという推測も、残念ながら認めざるを得ない。教会に入る事さえ躊躇していたのだ。彼女の言い分は尤もであり、これはセイラの人生史上一番高価な買い物となる。しかしお人よしにも付いてきてくれる仲間の安全をエストで買えるなら安いものだった。

 

「……わかった、渡すよ。それとありがとう。わざわざ私に付いてきてくれて」

 ミラナの手を取り、祝福に保有していたエストを感覚で半分ほど譲渡する。

 

 エストを受け取ると、ミラナはにんまりと笑って調子よく話し出した。

「これだけ貰っちゃったら本気で協力しないわけにはいかないですね!」

 

 セイラもやる気満々なその様子を見て笑みを浮かべた。そして、それはそれとして釘を刺しておいた。

「残ってた分は返してね」

「え゛」

 

 

 

 

 

 

 まだエストが大地を巡ることが出来ず、都市からの供給さえ途絶える領域。それが未開拓領域と呼ばれる場所だった。

 

 都市によって自動供給される祝福維持用のエストが届かないため、保有するエストが枯渇した時、あらゆる害悪から守ってくれる祝福は掻き消え、何がいるのかも定かではない森の中で無防備な状態に晒されてしまう。

 

「ひえっ、初めて外に出てみましたけど中々怖いものですね……」

 恐る恐るといった様子で、前を歩くセイラの後をついていくミラナ。

 

「大丈夫だよ。この道は歩き慣れてるし、なにか危ないことに遭遇したこともない……んだけど、今日は少し変な感じ。こんなに暗かったっけ、この森」

 勝手知ったる道であるとばかりに、ずんずんと森の奥へと進んで行くセイラ。

 

 名も知らぬ小動物の鳴き声が微かに響く。所々枯れかけた生気の足りていない木々。陽光に照らされてなお、どこか暗く淀んだ色を見せる葉は、この森に命の輝きとも呼べるものが欠けていることを彼女たちに感じさせた。

 

「いやいや全然少しじゃないですよっ! こういうのをホラーって言うんでしたっけ。前に人形劇で再現されてるのを見たことがあります……」

 祝福の維持によって保有するエストが徐々に消耗していくことに、ミラナは顔の強張りを自覚せざるを得なかった。

 

 森に漂う暗澹(あんたん)とした空気を紛らわすように、時折軽口を挟みながら奥へと進んで行く。

 どこか寒々しい空気。祝福によって快適な状態を保たれてはいるが、その祝福越しの異様な空気は、情報となってセイラたちに伝わり、感覚的な部分でもエストの減少が僅かに加速したことから伝わってきた。

 

 奥へ進めば進むほど、セイラの記憶との相違は大きくなっていく。抉られた大地。黒ずみ、灰となって崩れた木々。何か超常的な力の行使によって行われたことを如実に示す光景。

 

「あれ、明らかな戦闘跡ですよね。ということはセイラさん以外にこの場所に来る奇特な人物が……?」

 ミラナが灰と化していた枝を摘まむと、ぼろぼろと崩れ落ちていく。

 

 既に枯れ葉によって覆われた箇所も見受けられたため、これらの戦闘が散発的に、時間や場所を問わず行われたことが分かる。しかし奇妙だったのは都市から離れれば離れるほど痕跡は少なくなっていたことだ。

 

「魔法……なのかな。にしても強力すぎる気がする。司教の特権?」

 魔法による大規模な戦闘及び破壊は滅多に都市では起こらない。如何なる魔法であっても、祝福によって護られた人々を傷つけることはできないからだ。それになによりも、常にあらゆる要因から生ずる細かな不快感すら隔絶された状況において、他者を害してやろうという明確な意志を持つに至ることは困難だった。

 

 それ故、魔法という存在はあまり広がっておらず、その発動原理も大きく個人の資質によって左右されるため、限られた人々が個人的な探求に用いるだけに留まっていた。

 勿論、セイラは魔法など数えるほどしか見たことがない。それも比較的小規模なものだけ。断定はできない。

 

「宝石という線もあるんじゃないですか?」

「宝石?」

 膝についていた土を払い落としながら、ミラナは見解を話した。

 

赤石(ルビー)青石(サファイア)緑石(エメラルド)。他にもありますが、宝石店で説明したように中に込められた魔力を開放すれば、種類に応じた現象を起こすことができます」

 

「じゃあ、このクレーターも宝石の魔力開放によって……?」

 小さな広場ほどの範囲で木々が根こそぎ薙ぎ払われ、中心部はセイラたちの半身程の深さまで抉れた大地。四散した木々や岩石の欠片。クレーターの縁に立つと、その全貌が鮮明に捉えられた。

 

「あくまで予想の一つです。ここまでの規模となると、殆ど不純物が含まれてない高純度の宝石でしか成しえないので、そう何個も存在してない。……はずなんですけどね」

 道中セイラたちは様々な戦闘跡を見かけたが、今回と同様の規模のものを幾つか見つけていた。全てが同様の方法によって行われたとは先程の説明もあり考えづらく、謎は深まるばかりだった。

 

 多様な痕跡を残す、エスト届かぬ未開拓領域をしばしば立ち止まりながらも進んで行く。

 身体の疲労、喉の渇き、必ず訪れる消耗というデバフが極限まで簡易化されているため、白の都市から随分と離れたが二人の足は未だ衰えを知らない。

 当初は異様な雰囲気を怖がっていたミラナも似たような景色が連続したので、多少の余裕を見せ始めていた。

 

 

「よっ、とと。ありがとうございます」

 大地に走る裂創をひとっ飛びで超えようとし、足が(もつ)れよろけるミラナを寸でのところで支える。

「いいよ。気にしないで。それより、そろそろ入り口が見えてくるよ。あれを見て」

 二人の前には命の輝きを取り戻したかのように、青々と輝く森が広がっていた。

 

「わぉ……! ここだけ森が生き返ったみたいに色を取り戻してるじゃないですか!」

 鮮やかな緑に染まり、みずみずしさすら感じさせる木々。微かに残った森の命が一点に集まり、最後の煌めきを見せているかの如き光景。ある地点から植物は本来の色を取り戻していた。

 

「うん。でもきっと、これがこの森の本来の姿なんだと思う」

「本来の姿……地底湖の毒に侵される前ということですか」

 自分たちに残された最後の生存圏に寄り集まるよう、密集した自然。誰の手も入っていないにも関わらず、そこには明確に境界線が敷かれていた。中心から外れ、外側に位置しているものは中心に向かってその背を限界まで伸ばしている。

 

 

「まるで、誘引されているみたいですね。…………ん? あれ?」

 ミラナは自分の手のひらを見つめた。

「……ねぇセイラさん。気のせいじゃなければ、エストの減りが遅くなってませんか?」

 そんなまさか、という気持ちで祝福を通しエストを感じてみる。すると確かに遅くなっていた。それも微量などではなく、以前の使用量の半分ほどに。

 

「ホントだ……っ!? 全然気づかなかった……」

 驚愕に目を見開く。この眼前に広がる自然たちは本能でそれを理解していたのだろう。あるいは、この場所にいた者だけが生きながらえている姿を捉えたのか。どちらにしろ、この光景が作り出された謎は一つ解かれた。そして新たな謎も浮上した。

 

「でも、おかしな話ですよ。セイラさんの話の通りなら、地下には毒がそのまま残ってるはず。ここは毒の源泉に最も近いので、本来なら枯れてなきゃ不自然ですよね」

「それは私も思った。都市周辺にしか流れないエストに干渉しているのも不思議だし。あの毒とは別で、命を与えている何かがここにある……?」

 新たに生まれた疑問を抱きながら、もう一度命に満ちた自然を見つめてみると、言いようのない気味の悪さを感じずにはいられなかった。

 

「ひとまず、地底湖に向かってみますか」

「……そうだね」 

 向かったのは一際目を引く大樹。そのすぐ傍に広がる大きな裂け目。幅は二メートルほど。底は暗闇に沈んでいて見えないが、岩肌が階段状に突き出しており降りることは可能だった。

 

「よく降りられましたねこれ……普通に怖いじゃないですか」

 覗き込むミラナの横で、セイラは慣れた様子で裂け目の縁に立ち、足場を確認する。

 そして、後ろを振り返り勇気付けるように声をかけた。

 

「行こう。離れないように私の後ろをついてきて」

 鞄の紐を握りしめ、セイラは岩肌を頼りに裂け目へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 下降は思ったより時間がかかった。

 頭上の空が遠ざかり、陽光が届かなくなると、壁面の鉱石が仄かな光を放ち始める。湿った空気。岩壁に反響する足音。ミラナの不安げな吐息。

 

 そして――淡い光が、下方に見えた。

 

「着いたよ」

 セイラの声に、ミラナがほっと息を吐く。

 

 目の前に広がる地底湖。鏡のように澄んだ湖面。厳かな光を発する露出した鉱石。記憶通りの光景。

 

 この神秘的な景色は何度見ても、心を揺さぶる何かを放っていた。

 白の都市で、何の目的もなくただ死んだように生きる住人。都市中に伝搬する無気力な空気。求めたいものを見つけられなかった過去からくる諦観。そこから生まれる言葉に徐々に染まっていくのを、セイラは自覚せざるを得なかった。

 

 そんな自分を変えたかった。明確な目的を、意思を持ちたかった。だから、隠すように公共図書の奥へと置かれていた手記に、目を奪われた。

 

 虹天。雨上がりの空に架かる虹の一つすら、気を惹くには充分だったというのに。それは空が虹に染まるさまを見せてくれると云うのだ。

 

 その日から、セイラの心は確かな熱を放ち始めた。一心不乱に関係するかもしれない書物を読み漁り、自分なりに言葉の意味を考え、足が竦むような都市外にも踏み出した。

 

 もし、運命的な出会いというものがあるとするなら、間違いなく自分の運命はここにあった。

 

 そして、白の都市で抱いた予感。その答えも。

 

 

「――答えはここにあったんですね。セイラさん」

 ゆっくりと、座り込んでいた岩石から腰を離し、こちらに振り返る灰白色の髪の少年。

 琥珀色の瞳を持ち、超自然的な雰囲気を纏う白の人。都市の全権を保有する者。白の司教であるサナが、こちらを見つめていた。




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