虹天の空   作:那菜 御調

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サナの告白

「お久しぶりです、セイラさん。お変わりないようですね」

 開けた空間だからこそ、こちらを慮る優しい声が静かな洞窟内に響いていた。絶えず安心させるように薄い笑みを浮かべているその表情。それは酷く人間らしい姿でありながら、酷く人間という姿からは乖離していた。

 そう、その姿は誰よりも純粋だった。地底湖を背にし、露出した鉱石の薄光に照らされたその綺麗な立ち姿。

 

 彼から感じた超自然的な雰囲気。その根源。薄っすらと、セイラはその輪郭を捉えて来ていた。

 

「……久しぶりです。あの相談の時は迷惑をかけました」

「まさか、迷惑なんて少しも感じていませんよ。あの時、ちょうどセイラさんの気が変わった。それだけの話ですから」

「……っ! そうですか」

 予想通り、サナの声色には少しのさざ波も起こっていなかった。地底湖という異常な場所であっても。エストの供給が途絶えた危険な都市外であっても。すべての事柄は彼にとって、セイラという白の都市の一住民に対する親身な姿勢を崩す要因ではなかったのだろう。

 

 一歩、後ずさる。

 すると背後にいた何かにぶつかり慌てて振り返ると、そこには小動物のように顔だけを覗かせた見慣れた茶色が見えた。 

 

 やっと暗い裂け目の中から抜け出たと思ったら先客がいた上に、その普通ではない先客とセイラが妙な空気を醸し出していることに困惑している少女。

「ね、ねぇセイラ。あの人がセイラの言っていた白の司教ですか?」

 妙な雰囲気を感じてミラナはひそひそと声をかけた。

「うん。白の司教のサナ。私たちが探してた人だよ」

 後ろに隠れている小動物に、出来るだけ小さくこの洞窟内に響かないよう声をかける。  

 

 セイラの視線を受けて気づいたのか、サナも司教としての立場を全うし始めた。

「──ふむ。そちらにいる方は初めましてですね。白の司教のサナです。このような場所ではありますが、ようこそ白の都市へ。歓迎いたします」

「……あ、はい。はじめまして、ミラナです……?」

 サナに話し掛けられたことで、しずしずと表に出てきたミラナ。

「なんだか不思議な人ですね。というか普通この場面で挨拶をしますかね……?」

 手で口を押えながら隣にいるセイラに、口に出さずにはいられなかった違和感を伝えた。

 

 この場所にいるということは外にあった戦闘跡はサナによって作られたとみて間違いない。彼の言動や雰囲気も相まって、彼が何らかの攻撃手段を持っていても不思議では無いとセイラは感じていた。

 だがこの地下空間で派手な行動を起こすことはないだろう。少なくともそれは間違いなかった。誰であっても地下に生き埋めになりたくないし、地底湖に全身を吞まれたくはない。

 

 そのような前提の上でセイラはサナの性格的に断られることはないと、確信をもって疑問を口にした。

「サナ司教。聞かせてください。貴方はどうしてこの場所にいるんですか、外にある戦闘跡は……何と戦ってたんですか?」

「…………」

 疑問を聞き終えても、サナは沈黙を保っていた。

 

 おもむろに背後に広がる地底湖へと向き直る。そして美しくも神秘的な地底湖を見つめると、口を開いた。

 

「その質問に対する答えは、セイラさん。貴女の目的を果たしてからでも遅くはないでしょう。どうぞこちらへ。手を貸しましょう」

 

 

 

 

 

 

 それはさざ波の一つも起こっていなかった。目の前に立つ三人の姿を鏡のように映し出し、祝福を貫通する常識外の猛毒であることを微塵も感じさせない神秘的な泉としての姿を見せている。

 

「綺麗ですね。とても、命を奪う泉であるとは思えないほどに」

 サナの右に並ぶように、セイラたちも傍でそれを見つめていた。静謐(せいひつ)な洞窟内に満ちる地底湖。天井から顎の如く垂れ下がる鍾乳洞。

 はえー、と感嘆を漏らしながら魅入るミラナ。手を貸す、という言葉の意味が気にかかりながらも地底湖から目が離せないセイラ。

 

 誰ともなしに話し始めるまで、誰もが意識を逸らせない。

 しかし最初は感嘆の表情を見せていたミラナの表情は、次第に変化を見せていく。

 視覚的に入る情報、言語化できない感覚。祝福による補助を受けることで、三人はただ眺めるだけでは得られないものを感じ取っていた。

 

 地底湖に目線を落としながら、サナは語り始めた。

「セイラさん、ミラナさん。皆さんにも感じ取れるでしょう。この場所に溶けた――かつての残滓が」

 

 悲哀、歓喜、憤怒、それだけにはとどまらなかった。意識を集中すればするほど、到底一人では説明できない、人が生み出しうるあらゆる感情が地底湖を通して心の中に流れてくる。

 それどころか吞み込んだ感情が呼応するように、透明な筈の地底湖の中へと、溶けた絵の具の如く感情の色が見え始めていた。

 

 幻や見間違いでは説明できないほど、水中に色が見え始めたことに動揺するミラナ。

 

「地底湖に、色……?。……まさか、この地底湖には既にこれだけの感情が……人が溶けているってことですか?」

 いっそ夥しいとすら表現できる感情の大波。どれだけの人が溶ければ、目に涙を浮かべるほどに感情を喚起できるようになるのか。ミラナはその恐ろしい事実に恐れ慄いた。

 

「きっと、そうでしょうね。ですが、幸運だったこともあります」

「……幸運だったこと?」

 薄く涙を流すミラナが聞き返す。

 サナは滔々(とうとう)と、地底湖から伝わってくる感情の奔流に流されることなく、それが如何に類稀な幸運だったかを説明した。

 

 

「ええ。人生に一度あるかないか。それ程の幸運です。この地底湖が既に飽和していなければ、──セイラさん、貴女は死んでいました」

 

 

「──え」

 語られた衝撃的な言葉に、今まで黙りこくっていたセイラは目を見開く。

 自分は死んでいたかもしれない。この情報は先程まで考えていたことなど容易く吹き飛ばし、セイラの頭を真っ白に染め上げ身体を硬直させた。

 

「僕の主観に基づいていますが、恐らくそう間違えてはないでしょう。もう許容できる場所などないにも関わらず、祝福の上から痛みだけとはいえ通して見せたのですから」

 到底この世に存在することを許してはならない驚異的な物質であると、サナは地底湖に対する私見を口にした。

 

「ま、待って! 飽和してなければ死んでたってどういうこと?」

 動揺し、慌てて問いかけるセイラ。

 それに対し、簡単なことだとサナは告げた。

()()()()()()()。軽く、指先を通す程度ですが」

 とサナは自身の指を見つめながら言った。

 

「それと、セイラさん。地底湖の水を持ち運んでいませんか? ああ、誤解しないでください。これは単なる確認です」

 その問いかけから、どうして地底湖に触れたことを知っていたのかはわかった。

「……持ってるよ」

「痛かったでしょう」

「少しだよ。別に気にしてない」

「そうですか。無粋な質問でしたね」

 

 ぎこちなさを滲ませるセイラ、司教としての対応を維持するサナ。

 それを呆れて見ているミラナ。 

 水面を揺らす、壁面から剥がれ落ちた岩石。会話が途切れ、洞窟内にいやに響き渡る着水音。

 

 流石にこれは、とミラナはおずおずと口を挟んだ。

「あのーー、もっと気楽に行きましょうよ。ね?」

 

 硬い表情を浮かべるセイラの頬を揉みこみ、柔らかさを取り戻させる。

「ちょっ、やめ」

「サナ司教も、緊張してるならやってあげますよー!」

 ミラナはひらりとセイラの猛攻を避けながらも、にこやかに提案する。

 

 サナ司教はわずかに目を見開き、それを見つめた。明るく振る舞う金環の瞳の少女。目論見通りかは定かではないが、貼り付けたような笑みはサナから剥がれ落ちていた。

 

「いえ僕は遠慮しておきます。──セイラさん」

「はい!?」

 伸びてくるミラナの両手を押し返しながら、 セイラは神妙な表情を浮かべるサナに返事をした。

 

「地底湖の水を戻してください。貴女の目的を果たしましょう」

「それって! ……最初の手を貸すって部分? でも私は何を探してるかは話してないよ」

 絡んでくるミラナを振り払い、サナへ問いかける。

「ええ、僕は貴女が追っているものを知り得ません。ですが、それを僕が知る必要もないでしょう。必要なのは、貴女自身の求める意思だけです」

 

 

 サナはセイラへと左手を差し出し、触れるよう促した。

「今から、貴女の目的に進む意思、それを純化(じゅんか)させます」

「純化?」

 純化という聞き慣れない単語に疑問符を浮かべるセイラの耳には、常よりも決意が込められたサナの声が届いていた。

 

「……迷いを断ち切ることは簡単ではありません。人が人である限り、その頭の中には常に何らかの迷いが生まれます。自分が本当にやりたかったのはこれなのだろうか。昔脳裏に描いたものは、果たしてこんな形をしていただろうか」

 

「心だけではありません。自分の物である筈の身体すら、その道を阻害する。まだ見たいと叫ぶ貴女の瞼をゆっくりと微睡(まどろみ)に、まだ動くと訴える身体を鈍重に。祝福は確かに僕たちを助けてくれますが、完全ではない」

 

「──だから、極短時間だけ、貴女をそれらから解放します。意識を強く保ち、決して思いをブレさせないように。ただ一途に、目的だけを抱き続けてください」

 

 

 

 

 

 

 こちらに伸ばされた左手へ目線を落とし、セイラは先程の言葉を考えていた。

 純化。多くの要素が重なり形成された、虹天をこのまま追い続けてもいいのかという迷い。それを断ち切り、純粋に虹天を追い求める意思だけをセイラの中に残すという。

 

 正直な感想を言えば、そんなことが可能なのかと思っていた。全く想像もつかない。だが、サナの言い方からは一切の嘘や欺瞞は感じなかった。ならば彼の中では、純化という眉唾な行為は当然出来ることの範疇(はんちゅう)なのだろう。

 

「もし、辞めたければ仰ってください。強制するつもりはありません」

「……一応聞いておきたいんだけど、痛くはないんだよね」

「ええ」

 

「純化を越えたら、私は何を得られるの」

「わかりません。ですが、貴女が目的に進み続けるつもりなら、決して無駄にはならないと約束します」

 

「ふふっ、なにそれ。曖昧にも程がない?」

 ミラナによって強制的に緊張を解かれたセイラが軽い調子で言うと、サナは申し訳なさそうな顔をした。

 

「それは……すみません。何分、自分以外の方に純化を施すのは初めてですから」

「まじか。私が初めてなんだ。…………どうして私には純化を使おうと思ったの?」

 沈黙の後、セイラがそう問いかける。

 

 しかし──サナはこの場所に来てから初めて口を噤んだ。

 

 自分が差し出した左手を見つめ、一切の動きを見せることなく、困惑するセイラとミラナを置き去りして沈黙する。

 

 動かないサナの姿に、心配になったセイラは再び彼に呼びかけた。

「サナ?」

 

 自分の名を呼ぶセイラの声に反応したのかは定かではない。しかし呼びかけから少し間を置いてから、依然として目線を落としたまま、彼は口を開いた。

 

 

「──貴女の力になりたいと。そう、思ったからでした」

 込められた感情は、今までとは明確に違っていた。相手を慮る感情は感じられず、奥底から微かに湧いた彼本来の感情に従うかのように無機質な言葉。

 

 

 薄々そうではないかと思っていたにも関わらず、セイラはその変わりように呆気に取られた。

「詳しく説明すれば、長い話になります。構いませんか?」

 

 しかしサナはそんなセイラの様子を目にすることもなく、話をつづけた。

「う、うん」

 呆気に取られはした。だが彼が常に被っていたであろう仮面を脱いで話してくれようとしていることを察して、セイラは慌てて頷いた。

 

「ありがとうございます」

 一度、言葉を区切り、差し出した手を下ろす。

 

 そしてようやくサナは、長年隠し続けて来た本心をゆっくりと吐き出した。彼が抱いた思い、その原点から。

 

 

「──白の都市はいずれ人々に訪れる、旅立ちの瞬間までの小休止。僕の目に映る姿はそんな形をしていました。誰にも、自分にも急かされることのない、優しい揺り籠」

「だから、僕もその姿を取りました。決してこちらからは手を伸ばさず、再び歩み始めようとしている人にだけ、相談という形でその背を支えるという姿を」

 

「ですが、そこに僕という個人の意思は存在していませんでした。いつからか与えられた白の司教という役割を通してしか、僕は自分という存在を出力できなかった」

「ゆっくりと、水底に落ちていくような日々。心が何の言葉も発さなくなるのは、そう遠くありませんでした。どうしてでしょう、僕はこの役割を捨てられなかった。司教になど、何の魅力も感じていないというのに」

 

「結局、僕も白の都市の住人の一人だったのかもしれません。機械的に誰かを導く僕もまた、同様に誰かの救いを求めていた。だからでしょうか、白の都市を駆け抜ける貴女に、──僕はどうしようもなく惹かれた」

 

 

「それは……」

 サナから出てきた予想外の言葉に思わず口を開きかけたが、思い留まる。何となく、セイラは彼の話を遮るべきではないと感じていた。

 何かを言いかけたセイラの様子に気付くこともなく、再び話し始めるサナ。

 

「教会から見下ろすと、時折目に入りました。白の都市を駆け抜ける人は少ないので、すぐに貴方だと思いました」

「尤も、その時の僕は貴女の名前すら知らなかった。でも、それでよかった。全力で駆け抜ける貴女を見ているときだけ、僕は司教としての自分を忘れられた。自分を純化せずとも、この世界に存在しているという実感を得られた」

 

「でも、その日々にも転機は訪れた。相談という、司教としての僕を通して力になれる時が」

 

 内容を話すことすらせず辞めた、あの日の相談のことだと察したセイラはサナに尋ねた。

「その、私が途中で断ったやつだよね。……あの時は、どう思ったの?」

 

 サナはセイラをちらりと見ると、簡潔に一言だけ答えた

「──何も」

「いえ、正確には何かを感じていたのかもしれません。でも僕にはそれが分からなかった」

 

「じゃ、じゃあ貴方には私に協力する理由なんてないんじゃないのっ?」

 自分がサナの救いになっていたというのであれば、何らかの感慨を覚えているのが自然だ。サナに対する人物観が揺らぎ、セイラは再び問いかけた。

 

「ええ、理由はなかった。だから自問した。そして一つの理由を見出した。──恩という、貴女が見せてくれた姿に対する返礼を」

「僕は貴女のおかげで再び自分を見つけられた。感情は理由にはならなかった」

 この言葉を語るサナの姿に、セイラは寂寞感(せきばくかん)を覚えた。感情は理由にできないと語るサナの姿。そこには確かに感情があるというのに、彼は自分では分からないというのだ。

 

 サナは声色に少しばかりの明るさを含め、再びその顔に司教の仮面を被った。

「恩というものは、返さなければならないという義務感が紐づいているらしいですね。ならば、ここで僕がセイラさんに言うべき言葉はこうでしょう」

 

 サナはこちらを見つめるセイラへ目線を合わせ、

「どうか、貴女の旅の続きを見せてください。いつか再び、目的に進む姿を見せてくれさえすれば、僕にはそれで充分です」

 と、相対する者に親しさと優しさを感じさせる完成された笑みをセイラに見せた。

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