こちらに笑いかける司教としてのサナ。彼に、自分はなんと声をかけるべきか。
セイラの中には幾つもの答えが浮かぶも、どれもしっくりと来なかった。
サナから感じる超然とした雰囲気、それが純化に由来する純粋さから来るものだということは分かった。執着、いやこの表現はサナに悪い気がした。自分に手を貸そうとしてくれている理由も。
彼の答え合わせは全てが真摯だった。充分以上に信頼できる、そういう話だった。
恩返しの内容も、そう難しいものではなく、彼が一途にセイラの目的が成就されるのを願っていることをひしひしと感じさせるものだ。
だが、その願いは間違っていた。彼にはもっと簡単により良い願いとする方法がある。だったら、自分がすべきことはそれを言うこと。
「あのさ、サナ。なんだか、頭が固まっちゃってない? 自分でも、もっと簡単な方法があると思わない? ミラナもそう思うよね」
ミラナは半ば蚊帳の外に置かれていたので、突然話を振られびっくりした。
「っえ!? ここでわたしですか……まあ、確かに、外から聴いてたわたしでも思いましたよ。──司教をやめればいいだけですよね」
「青の司教によって司教は任命されています。僕に辞める権限があるとは思えません」
「それ、青の司教に聞いたんですか?」
「……いいえ、僕は生まれながらに司教だった。会ったこともなければ、話したこともない。ただ、貴方が白の司教だと、僕はゴーレムに告げられた」
「えっまじですか。司教の任命ってそんなケースもあるんですね」
思っていたよりも司教の任命というのは個人の意思を考慮していないのかもしれない。本人の同意なしに司教の座につけられる程、青の司教は絶対の権力を保有しているのだろうか。
思ったよりもサナの生き方は縛られていた。しかしサナから先程聞いた話も考慮すれば、これはもしかするとサナの性格が嚙み合い過ぎて起こった悲劇なのではないかとセイラは思った。
「じゃあ辞めれるかどうかは分からないってことだね」
「まあ、聞いてる感じだとそうっぽいですよね」
よかったよかったサナは司教をやめられそうだと、二人は既に成功ムードを漂わせていた。
「待ってください。どうして僕が司教をやめるという話になっているのですか」
「え? だって旅の続きを見たいんでしょ。だったら、私に付いて来た方が早いよね」
「そうそう。それに、別に辞めれなくても都市を暫く空けるだけですからね。頑張ったサナ司教にも自由な期間があったっていいじゃないですか」
というよりも白の司教としての仕事は、他の都市に比べてあんまり存在してないんじゃないかとセイラは思っていた。そしてサナは真面目に司教としての役割に準じようとしているだけであり、実際にはサナが都市に縛られている理由も大してないのではないかと。
「サナも薄々そう思ってたんじゃない? だって、さっき言ってたけどサナは特に司教としての指示を受けたわけではないんだよね」
「ええ、指示は受けていません。司教とは都市の先導者であり、エストの管理者であり、法とルールを制定できる存在です。他の司教によってその行動が左右されることは基本的にはありません」
「なんだ、それならサナが都市を開けるのを責める人はいないね」
「……ですが」
セイラとミラナの二人から説得を受けても、サナは以前として首を振らなかった。頑なに、白の都市に相応しい司教としての在り方に固執する姿。まるでそれ以外の在り方を拒絶するかのような姿勢。
もしかしてと、セイラは一つ提案してみることにした。
「サナ、その白の司教としての仮面、外してくれない?」
「こちらの僕の方が話しやすいと思いますが」
「いいから」
セイラに強く言われ、サナは少しの沈黙の後、言われた通り見る者に親しさと優しさと感じさせる笑みを捨て、限りなく感情が垣間見えない本来の自分の姿へと変わった。
純化によって維持されていた超自然的な雰囲気が解除され、サナは再び無機質な声でセイラにその意図を問いかけた。
「……これでいいでしょうか」
「やっぱり、凄い変わりようですね。表情と声だけでこんなに印象って変わるものなんですね」
ミラナが観察するようにまじまじと見つめても、サナはそれに一切の反応を見せることはなかった。自分を見る視線を微塵も気にしない態度。
先程の独白時のサナに確かに戻っていることを確認し、セイラは改めて話を戻した。
「よし、じゃあ改めて訊くけど、都市を空けて私に付いてこない?」
少し考え込んだ後、サナは簡潔に答えた。
「僕一人では判断ができません。青の司教に話を通して、問題がなければついていきましょう。…………?」
言い切った後、サナは少し目線を彷徨わせたかと思うと、一切の動作を停止した。
「今までの会話はなんだったんだろうってくらい簡単に同意しましたね」
ミラナがまじまじと見つめても、顔の前で手を振っても反応を返さないサナ。
司教としてのサナは都市を離れることを認めていなかった。しかし純化によって作られた司教の仮面が外れた本来のサナは、この行為を問題ないと捉えた。
司教が持つ大権によって形成された都市へ奉仕しなけらばならないという責任感。司教によって都市が運営されるが故の、都市と司教の同一視。白の司教としてのサナの融通が利かなかった原因はそこにあるのかもしれないとセイラは考えた。
そして同意を得られた以上、これは正解だった。
「よかった。これで恩返しはいつでもできるね。旅の仲間が増えて私も嬉しいよ」
うんうん、とセイラは頷いた。
ミラナも雰囲気に合わせるように拍手で盛り上げていると、サナもようやく再起動が済んだらしい。
「……発言を撤回するのは性に合いません。司教としての僕でないとしても、この身が白の司教であることは間違いない。言葉には責任を持ちましょう」
「──わかりました、僕もついていきます」
「おー! 改めて断言とは、かっこいいですね!」
「……そのように囃し立てるのは、やめてくださると幸いです」
あまりこのようなやり取りに慣れていないのか、少しばかり居心地悪そうにするサナ。
純化を使用することなく会話をしているサナ。ミラナは司教としての超然とした雰囲気を纏っていないサナならば絡みやすいのか、セイラと接する時のテンションで話し掛けており、楽しそうな笑顔になっていた。
セイラもこの地底湖に来てから久しぶりのこの空気を楽しんでいた。しかし、まだ全てのやるべき事が終わったわけではない。説明を聞き、理由を聞き、それを施してくれることには納得したが、肝心の純化はこれからだった。
「それでサナ。純化のことなんだけど」
セイラが切り出すと、サナはミラナとの話を切り上げ再び真剣に話し出した。
「少々話し込んでしまいましたね。ええ、純化ですね。セイラさんさえよければ、今すぐ行えますが」
「そう、その純化のことなんだけどさ、さっきまでのサナを見てると軽い思考制限みたいな弊害もあるのかなーーって、思って……みたり?」
白の司教としての自分に囚われていたサナの状態を指摘しながら、セイラは新たに見えてきた純化の側面を尋ねた。
「確かに、見方によってはそのように捉えることもできます。ですが、それが迷わないということです。確立した自分としての在り方。長い旅の中では、それによって得られるものも多いはずです」
「うーん、それはそうなんだけど」
サナの説明を受けても、セイラはやはり自分の思考が制限を受けることに対して軽い拒否感を抱いていた。
「わたしは受けておいたほうがいいと思いますよ。純化、素敵なことじゃないですか?」
「ミラナ」
悩んでいるセイラを見かねたのか、助け舟を出しにきたミラナ。
「セイラが途中で虹天を諦めるかもしれないって思ってるなら、やめておくのも一つの手だと思います。でも、セイラは絶対に虹天を諦めなさそうですよね」
「……まあ、そうだね」
「だったら、受け得ですよ。それに虹天の内容からして、今後他の司教とも接する機会がありそうですし、そういう時超然としたセイラさんからの説明ならとりあえず聞いてくれそうじゃないですか?」
ニコニコと笑いながら今後の展望も交えてセイラを説得するミラナ。
どうやらミラナ自身は純化を断るなんてもったいないという見方らしく、自身を持ってセイラの背を強力に後押ししていく。
冷静になって考えて見れば、確かに純化の悪い点だけを見過ぎていた。
今後虹天を探す中で、予想も困難な障害に遭遇することも全然あり得る上、あまり他の人と接してこなかった自分のコミュニケーション能力を大きく改善してくれそうだ。
「……よくよく考えてみれば、二人の云うように良い面の方が多そうだった。ごめん、純化の内容が普通じゃなかったから動揺してたのかも」
「では」
「うん。受けるよ。長々と説明させちゃったけど、お願いします」
サナがしてくれたように、セイラが左手を差し出すと、サナもそこに左手を重ねてくる。
「貴女の納得が得られるのであれば、説明は苦ではありませんでした。心の準備はいいですか?」
改めて心構えを聞かれ、どきどきする心臓をセイラは深呼吸することで落ち着かせた。
「うん。出来てる。虹天を見たい、その思い続ければいいんでしょ?」
「ええ、その通りです。……虹天、いい名前ですね」
「そうでしょ? 空が一面虹色に染まる現象なんだけどさ、想像はできるよね。でも私は絶対それを越えてきてくれるって思うんだ。だって、私たちは虹っていうあの架け橋しか見てないのに、それにすら目を奪われるんだよ。なら虹天は、きっと時間も忘れるくらい私を染めてくれると思わない?」
心底から楽し気に、虹天への期待を語るセイラ。
サナも、その様子を見て純化に問題はなさそうだと改めて認識した。そしてセイラがそこまで情熱を注ぐ虹天にも、自覚はなくとも微かに心は揺れていた。
司教の仮面はしていない。だが、本当に少し、その口角を上げながらサナは純化の開始を厳かに告げた。
「ええ、きっと全てを忘れさせてくれるでしょう。──では、純化を始めます。どうかその意思をブレさせず、一途に思い続けてください」
◆
始まりは静かだった。まるで、何も起こっていないかのように、目を閉じた二人の周りには何の変化も生じていなかった。本当に純化という普通ではありえない力を行使しているのか、ただ目を瞑っているだけなんじゃないか。そんな風にも思っていた。
だが、異変は直ぐに形となって現れた。
「ん? あれ、なんだか、鞄が妙に一方向だけ重いような。いや、そんなことないのは分かってるんですけど」
まさかねー、とミラナはそのように思いながら鞄を下ろし、重さの原因となっているものを取り出した。そう、それは今朝購入したばかりの大変貴重な品。
全財産を叩いて購入したばかりの
宝石に意思なんてものは存在していない。そんなことは誰に説明されることでもなく自明の理だったが、この現象はミラナが当然だと思っていた常識を否定するように、確かに地底湖へと引っ張られていた。それこそ握る手を緩めれば、すぐにでもかっ飛んでいきそうなほどに。
まだ見つかっていなかった真透石の効果かとミラナは暫く困惑しながらそれを見ていた。しかし突然その引っ張る力は急激に増した。まるで、何かが強制的にその力を強めたように、三段どころか三〇段ぐらい無理矢理引き上げられたような異常な強化。
いきなりぐんと、前に引っ張られた身体を後ろに倒し、持って行かれそうな真透石を必死に手元に手繰り寄せる。
「え。いやいや、なんで真透石が地底湖に引っ張られてるんですか? って、ちょ、ちょっと、引っ張る力つよっ!? しかもなんか急に強くなったっ!? いや絶対なってるよこれっ!? ま、まずい、持ってかれるーーっ!! わたしの全財産がーーっ!!」
必死に全力で自分の手元に引っ張る。しかし、ミラナの軽い体重などものともしないように真透石はじりじりとミラナの足跡を地面に残しながら、着実に地底湖へと歩みを進めていく。
顔に汗を滲ませながら、ミラナはそれはもう必死になって止めた。ここで持って行かれてしまえば、残るのは莫大な借金のみ。そんなことはあってはならない。
純化を途中で止めてしまうことになるが、なりふり構っていられないとミラナは純化を進めている二人へと必死に声を張り上げた。
「せ、セイラーーっ!! サナ司教ーーっ!! いったんストップ、ストぉぉぉーーーっプ!! あ、だめだ届いてませんねこれ!?」
決して放してなるものかと全体重を後ろに傾けているが、地底湖という文字通りのデッドゾーンが徐々にミラナの眼前に近付いてくる。
認識したくないが、せざるを得ないその明確な終わりにミラナは顔に涙を浮かべた。
「だ、だめだ~~。もう腕が限界だ~~。お願いだから止まってください~~」
祝福に支えられているとはいえ段々限界が近づいてきたのか、ついには泣き言を漏らし始めるミラナ。
だが、そんなミラナの泣き言を無視するかのように事態はまた急変し始めた。
なにも水面を揺らす原因などないにも関わらず、地底湖の水が揺れ始め、幾つもの波を作り出している。
やがて、それは大きな波を生み出し、荒れた水面は陸地へと押し寄せていた。
波打ち際から飛んでくる細かな水しぶき、水しぶきとはいえそれは祝福をも貫通する猛毒。ミラナはそれを見た瞬間目を瞑り、訪れる痛みに備えた。だが、いつまで経っても訪れるはずの痛みが訪れないので、おずおずと目を開け、信じがたい光景を目にした。
──
ミラナに飛んでくるはずだった水しぶきは、落ちることを忘れたように、微細な粒子に至るまでの全てが空中に留まっていた。新たに飛んでくる水しぶきすら、空中に形成された粒のカーテンに加わり穴を埋めていく。
目の前に作られた幻想的な光景に目を奪われる。
無数の躍動感溢れる水の粒によって作られた地底湖のカーテンは、猛毒であることを一瞬忘れさせてくれるほどに非現実的だった。
だが、それが良くなかったのだろう。
ミラナの手からすっぽ抜けるように真透石が飛び出し、地底湖へと飛んで行ってしまった。
「あっ」
最早叫ぶ気力すら残っていないのか、零すように反応するミラナを置いていくように、荒れる地底湖の中心へと飛んで行き、浮かび上がる真透石。
そして、それがキーとなっていたのかは定かではないが、周囲の水のカーテンだけではなく、膨大な地底湖の水すらも、滞空する真透石へと渦を巻くように収束していく。
地底湖の水が少しずつ少しずつ、それだけの水量がどこに消えているのかと言いたいほどに、浮かぶ真透石へと消えていく。
その、もう自分にはどうしようもない景色を見つめるミラナ。
「これ、多分私の真透石はもう死んだんだろうなーーーー。はははは」
地底湖に含まれていた無数の意思、その数多の色が中空へと集っていく様子を見て、無色透明な真透石はもう残ってないだろうなとミラナは諦めのため息を漏らした。
◆
終わってみればそれはあっさりとしていた。だが、体験したその感覚は一生忘れられそうにもなかった。
祝福によって軽減されているとはいえ、常に感じていた環境から生じる暑さ寒さなどの不快感。疲れからくる眠気。最近は飲み物しか摂っていなかったことからくる空腹。それどころか靴の中に入り込んだ小さな石から生じた足裏への違和感すらも、全てがより純粋になった虹天への思いに押し流されていった。
そして、捨てることは出来なかった虹天への小さな迷いすら、サナから齎される純化によって溶けて消えていく。
だが、それは全く気にならなくなったわけではない。そういったこともあるかもしれない、あくまで今は可能性に過ぎないと前向きに捉えられるよう、セイラの心が虹天を純粋に求められるよう、純化はそうセイラの精神性を最適化した。
自分の心の中を純粋に虹天を求める思いだけが占めるのは、セイラに今まで感じたことがないような自由を感じさせた。
爽快感すらあった。自分が悩んでいたのはなんだったんだろう。そんなことよりも、あの日脳裏に描いた虹天を見たい。見たい!見たい!!
「──ああ、見てみたいな、虹天……。きっとすごく綺麗なんだろうなぁ……」
そして、いつもより全てが輝いているようにも見えた、そのぼやけた視界が鮮明になった時。
セイラの目にはあった筈の地底湖の水が全て消失し、代わりに空中に浮かぶ淡く虹色に染まった宝石と力尽きたように地面に転がり泣いているミラナの姿が映った。
「ミ、ミラナ!?」
純化による余韻が一瞬にして吹き飛び、セイラは慌ててミラナに駆け寄った。