幽霊メイド、キヴォトスに転生す 作:塚山 泰乃(旧名:なまけもの)
そこらにある住宅と何の変哲もない家の前まで赤髪少女がたどり着き、敷地内へ入る。
玄関脇の壁の表札に"闇矢"と表記されていた。
玄関を赤髪少女はくぐる。
「ただいま」
彼女は玄関から暗い廊下の奥へ感情の籠もらない声で呼びかけるも返事はない。
(お爺さんは別居、と。……というより、この娘以外、誰も住んでないの?)
赤髪少女は自身の部屋に戻ると着ぐるみが入ったダッフルバッグを部屋の隅に置いて勉強机の写真立てを手に取る。
ローナが少女の肩越しに覗き込むと、写真の中にはおそらく小学生に成り立ての頃の小学校指定のチェック柄のスカートを履いた紺の学生服姿の赤髪少女、その隣に若い大人の男性、そして背後に壮年の男性が立っていた。男性陣にヘイローは無い。
母親らしき姿が見当たらない。
(さっきの電話の会話の内容から考えると、写真の中の女の子が目の前の娘で若い男がこの娘の父親。だとすると後ろの男が電話の向こうのお爺さんになるけど)
ローナはそう推測しつつ、母親の姿が無いので疑問に思ってるともうひとつの写真立てがある事に気付く。
そちらには未就学児の姿をした赤髪と両脇に両親が写っており、母親にはヘイローがあった。
(別々、って事はこの娘のお母さんは、もう……)
前世では魔法が一般庶民まで広がりはしていたが回復魔法が使えると判明した者は貴族に囲い込まれてあまり恩恵に預かれなかった。受けられたとしても魔法による治療代がべらぼうに高く、ちょっとした規模の商家でないと支払えないのが実情であった。
対して、ここ学園都市キヴォトスのある世界で神秘を内包するヘイロー持ちは身体は頑丈ではあるものの、空腹や病気などの状態異常には弱い。それでも人間と比べれば耐性は強めではある。
「お父さん……」
赤髪少女が写真の中の父親を指でなぞりながら、口から掠れるような声が漏れる。
赤髪少女は何を考えているのかわからないがおそらくは過去の楽しかった思い出を思い返しているのだろう。
(精神干渉系の魔法が使えたらなあ)
ローナは心の中でボヤきつつ残念に思う。
そういった事はかつて行動を共にした勇者様が得意としていた分野だ。
自身に適性が無いのは仕方のない事ではあるが、こういう時もどかしく感じてしまう。
赤髪少女は写真立てを机の上に戻すと部屋を出た。向かった先は浴室だ。風呂桶の脇の壁に取り付けられてあるタッチパネルを操作してお湯張りを始める。
通常ゲヘナ自治区で暮らす人々はお風呂のお湯の温度が80 °cにも達する。我々地球人では火傷してしまうが、ゲヘナでは適温のようだ。
何か言いたいのかと言うと、そこまで水を温めるのに時間が余計かかる。
電子音声で「お風呂が沸きました」という声が流れるまでに30分以上の時間がかかる事が想定されるためか、赤髪少女は自室に戻ると机の引き出しから"にっきちょう"と書かれたノートを取り出した。
幼い子どもが好んで使うようなアニメ調なキャラクターが描かれたお絵かき帳みたいな表紙にローナはおやという顔をする。
(え、可愛い)
年頃の少女には見合わない。
(よくは分からないけど、後で調べておこうっと)
ローナは心の中でメモをした。
表紙の名前欄に"やみや あんな"と書かれてある。
どうやら玄関にあった表札の漢字の読み方のようだ。
(アンナちゃんって言うんだ)
赤髪少女ことアンナが日記帳に今日の出来事を書き込み始めた。
長い文章になるのかと思いきや、たった1行で終わってしまった。
内容は"今日も順調。目標にはまだ届かない"とだけしか書かれなかった。
困惑したローナが開かれたノート全体を見てみると、日付は毎日ではないが飛び飛びで同じ文言が繰り返し書かれていた。
ローナは机の上の高さまで目線を下げ、ノートの厚みを確認する。
開かれたノートはかなりの枚数を使用しているようで、未使用のページは1/3を切っていた。
アンナは日記帳を机の端に置くと、学生用鞄から教科書とルーズリーフを取り出し今日受けたであろう授業の内容の復習を始めた。
ローナは開かれた教科書とノートの内容も確認しようと読んでみたが、まだ習ったことのない漢字が多くほとんど読み取る事ができなかった。
そのうち「風呂が湧きました」というアナウンスが聞こえ、アンナが教科書とノート、そして日記帳を机の上に置いたまま浴室へ向かう。
脱衣所で着ていた服を洗濯機の中に投げ込むと扉を開けて浴室に入る。
浴槽から手桶でお湯をすくい一回かけ流しを行うと洗髪用シャンプーで頭を洗い、その後にボディソープで全身をくまなく洗う。
それらが済んだ後、数回かけ流しをした後に浴槽に足から踏み入れた。
首の付け根までお湯に浸かりアンナはため息をひとつ吐く。
しばしぼーっとした表情でいたが、徐々に顔が歪み始めて眦から涙が溢れた。
やがてグスグスと泣き出すとしきりに「お父さん、会いたいよ」と嗚咽を漏らす。
(これは長引きそうかな)
ローナは浴室から抜け出しアンナの自室の机の前まで戻ってくると、日記帳を見て念じる。すると手で触れてもいないのに日記帳がひとりでにパタンと閉じ、表紙が1枚だけ開いた。
最初の1ページ目には今のアンナの字とは思えない、幼い文字で文章が綴られていた。
(これなら私でも読めるね)
ローナは横書きの文章を上から読み始めた。
アンナが戻ってくるまで時間は限られている。基本は斜め読みだ。
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◯月◯日
きょうはおとうさんからにっきちょうをもらった。これからまいにち、おもしろかったこと、たのしかったことをかいていきたいとおもいます。
◯月△日
わたしがまだちっちゃいころにおかあさんいなくなっちゃった。
おとうさんがまいにちごはんをつくってくれてる。
おとうさんだいすき。
△月◯日
きょう、がっこうでクラスメイトにおかあさんがいないってだけでいじめられた。
かなしくておとうさんにはなしたらだきしめられた。
あんなのにまけたくない。
がんばる。
△月◎日
おとうさんからわたしの“しんぴ“でちゅういされた
わたしのはぜったいだれかがいたりみられてるかもしれないばしょでつかってはいけないみたい
どうしてもつかいたいときはてっていてきにかくせって
にっきちょうにも“しんぴ“についてはかくなっていわれた
きをつけよう
△月△日
おじいちゃんがときどきわたしとおとうさんにあいにきてくれる
いじめられてることをはなしたらあたまをなでられた
おとうさんにつづいてふたりめのなかまがくわわった!
△月□日
いじめられなくなった。
ぴたりとやんだ。
なんで?
□月○日
おとうさんからだいすきなモモフレンズのきぐるみをプレゼントされた
うれしい
ただ、おとうさんがあやまってる
きぐるみはちゅうがくせいくらいのおおきさまでにならないときられないんだって
わたしがきられるおおきさはうられてなかったんだって
わたしみたいなちいさなおんなのこにもにんきなんだよっておこったらおとうさんはそうだねえってわらってた
いつかきぐるみをきることができたらおとうさんにモモフレンズのおどりをみせてあげたいな
□月△日
まいにちがたのしい。
おとうさんにこにこ。
おじいちゃんもにこにこ。
わたしもにこにこ。
しあわせ。
中略
✕月✕日
おとうさんしんじゃった
なんで?
✕月✕+2日
おじいちゃんがどなりちらしてる
おとうさんいいことしたのにかいしゃがおこってみんなしていじめたって
なんで?
✕月✕+4日
きょう、おとうさんのおそうしきをした
ともだちもおとうさんたちのしりあいもきんじょの人もこなかった
だれもこなかった
いつもえがおであいさつしてくれるおとなりさんも
どうして?なんで?
✕月✕+5日
またがっこうでいじめがはじまった
どうして?なんで?
✕月✕+7日
おじいちゃんがたくさんおさけのんでる
からだにわるいからやめてっていってもきいてくれない
✕+1月□日
どうしてこんなひどいことをするのとクラスメイトにきいたけど、なにもこたえてくれない
おねがい、ぶたないで
いたいよ
どうして?なんで?
✕+1月□+8日
おじいちゃんがたおれた
だれかたすけて
✕+1月□+9日
おじいちゃんがにゅういんしてるびょういんにとまる
がっこうなんてどうでもいい
✕+1月□+11日
おじいちゃんびょういんでねたきり
またげんきになってくれるよね
おねがいひとりにしないで
✕+2月△日
まって
なんでちりょうやめちゃうの
おいしゃさんまって
やめて
✕+2月△+1日
ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない
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そこまでの記述を読んでローナは最初に開かれてあったページに戻した。
(いくら私でも精神衛生上良くないよ、これ)
喜びから一転、悲しみ、そして憎しみと怨嗟へ変化していく過程を見ての反応だ。
(それにしても、アンナちゃんのおじいちゃんって何者?)
幼い頃のアンナがいじめられてる事を祖父に告げたらいじめられなくなった。
(もしかして、権力持ちだったりするのかな)
そして、アンナの父親が死んだ後の祖父の行動に疑問を抱く。
(普通、ゲヘナの風紀委員会やヴァルキューレ警察に訴えるのが普通なんだけど、彼女たちは動かなかった? 動けなかった? 権力持ちでさえ?)
話が思っていたよりも複雑であった事にローナは面倒臭く感じてきた。
しかし、始めてしまった以上は最後まで見届けたい。
(だとすると、"G"って誰だろう?)
ローナは最初、Gはグランドファーザーの頭文字だと推測していたのである。しかし、日記帳にはアンナの祖父は入院先で帰らぬ人となった。
(お爺さんの知人がこの娘の復讐のために手助けしてるって事なのかな?)
そうなると、怨嗟の籠もった日記帳の記述よりも先に書かれているはずだ。
(えー、読まなきゃいけないの? えぇ……)
恐らく、あの後は延々と怨嗟だらけの記述が並んでいるはずだ。
いくら前世で職務の都合で諜報関係に携わっていたとは言え、それを確認しなければならないのはキツい。
(勇者様がいてくれたならなあ)
彼は闇属性魔法に優れた適性を持ち、戦場でPTSD(精神的外傷ストレス障碍)に陥った戦友や平民たちの心を和らげたり安定させたりと大活躍であった。
当然、同じ戦場に立ったローナの挫けそうな心も何度か癒してもらっていた。
部屋の外からドライヤーの音が聞こえてきた。
どうやら浴室から出たアンナが脱衣所で髪を乾かしているようだ。
(今日はここまでにしよう)
明日以降も来ようと決め、ローナは日記帳を元の位置に戻すと家から飛び出し自宅へ向かって空を駆けた。
今回はここまで。
それでは。