──君は僕の大事な友達なんだぜ?
彼の言った言葉が、頭から離れない。
私は、部屋のベッドの中で一人物思いに耽る。
数年ぶりに会った幼い日の友人は、写真で見た印象よりもずっと背が高く、声もあの日より低くなっていた。
私の手を取ってくれた彼の手は、自分のそれより一回り大きく、ゴツゴツと硬かった。
岩のような印象を受ける彼の掌は、それでも自分の手を傷つけないように優しく包み込んで、そして暖かかった。
あの日、私がお母さんとの別れを済ませてから。デュノア社に入れられてから、私は出来る事をして来たつもりだった。
努力してISのテストパイロットとして成果をあげた。
妾の子だと、泥棒猫の娘だと、後ろ指を刺されようと、頬を打たれようと、それでも必死に足掻いてきた。
デュノア社で自分の有用性を証明することで、自分の立場を確立させようと努力してきた。
いつか胸を張って彼に会いに行く為に。彼と笑い合えるように。そう願って、抗ってきた。
だが、いくら成果を出そうと、彼らにとって自分はあくまでも便利な道具で、邪魔者だった。
ついぞ、私は社内での成果を丸ごと全て奪い取られ、役立たずのレッテルを貼られた後にIS学園へ捨て駒のスパイとして送られる事となってしまった。
私を会社に連れてきた父も、私に何も言うことは無かった。
もう、足掻く事すら億劫になっていた。
このまま流されるままに学園に送り込まれ、いつかスパイ行為が明るみに出て、自分は企業に足切りされる。
『シャルル・デュノア』の仮面を被って、いつか再会を夢見た『私』は『僕』として消えていく。
そう考えていた。
だが、彼は。星一はその仮面を剥いで、消えゆく『私』を捉えてくれた。私の手を取って笑ってくれた。
その現実が、今でも夢なんじゃないかと思うほど、嬉しくて。もう一度、頑張ろうと、立ち向かおうとする力が湧いてくる。
彼は、一人じゃないと、自分がいると言ってくれる。
その言葉に、どうしようもなく安心してしまう。
私は、ずるい人間です。
彼は優しいから、自分の身の上を話せば力になってくれると、心の片隅で思ってしまった。
悲劇のヒロインを気取って、何処か救われるのを待っていたのかもしれません。
それでも、彼にだけは嘘を吐きたく無くて。足掻く力も出なかったのは本当で。
「“大事な友達”……か」
月明かりがカーテンの隙間から差し込む静かな夜。
彼がかけてくれた言葉を小さく口にする。
ねえ、私は君にとって『ただの友達』なのかな?
『大事』や『大切』なんて枕詞がつくけれど、それ以上の関係には、君は感じてくれないのかな?
少なくとも、互いに定期的に手紙に同封していた君の写真を見て、私は君を『男の子』として意識していたんだよ?
不安と絶望に苛まれて俯いた私を、君は暖かく受け入れて冷たい感情を溶かしてくれた。もう一度、立ち上がる勇気をくれた。
そんな私が、君を『ただの友達』だけの感情でいられると思っているのかな?
でも、この想いは彼に伝えてはいけない。
私はずるい人間だから。彼にはもっと、相応しい人がきっと現れる筈だから。
だから、この想いは伝えない。伝えてはいけないんだ。
彼は私の大事な友達。親友。それ以上には決してならない。
「あれ……はは、全く。だめだぞぉ、私」
そう考えて気持ちを決めても、どうしても流れる涙を止められない。
私は、自分が情けなかった。
◆◆◆
朝、目が覚める。
時刻は早朝五時半。小鳥の囀りが部屋に届き、朝日も差し込んでくる。
昨日、あの後少し話し合って。
『シャルル』が『シャルロット』である事は、当たり前だが僕たちだけの秘密になった。
取り敢えず今は、証拠集めの段階だ。彼女は定期的にデュノア社と連絡を取る。
その連絡を録音するなりなんなりして、彼女が理不尽な目に遭っている確たる証拠を入手出来れば、きっと僕が動く事ができる。
彼女を助けられるのならなんだってやってやる。その思いだ。
隣のベッドを見れば、シャルロットがまだ眠っている。
気持ち良さそうに寝ているのを起こさないように、僕はベッドから身体を静かに起こし、運動着に着替えて部屋を出た。
外に出て、大きく朝の冷たい空気を吸い込んで、軽くストレッチ。
それを済ませて、僕は日課のランニングを始めた。
少しばかり走っていると、前に見覚えのある影が見える。
長い髪を後ろに束ね、正しいフォームで正確に走っている。
僕はいつものように彼女に追いつき、声をかけた。
「やあ、おはよう箒さん。今日も精が出るな」
「む、星一か。おはよう」
IS学園に入学してから、いつのまにか彼女とランニングするのが当たり前になっていた。
別に、特に彼女と待ち合わせをしている訳でも無く。ただ走っていると会うことが多いだけだけど。
「最近はどう? 一夏との仲は? 」
「……相変わらずだ。全くこっちの気持ちに気づかない」
簡単な雑談程度だけれど、たまにこうして彼女と一夏の関係の進展を聞いたりする。
だがぶっちゃけ、この学園に入ってから彼と彼女
一夏はモテる。
それはもう、凄まじくモテる。
正義感が強くて、家事が出来て、おまけに顔も良い。
もう、モテなきゃおかしいだろってスペックを持っている。
だがそんな一夏にも、弱点がある。
それは、どうしようも無いくらい、女心がわからないというものだった。
呆れるくらいの朴念仁の唐変木。自分に向かう数多の女性の好意を、彼はこれまで認識した試しが無い。
IS学園に入学して出会った彼だけれど、最初にその現場に居合わせたときは驚いたものだった。
誰が見ても明らかなくらい不器用な恋心を遠回しにぶつける箒さんやセシリアさんに対して、一夏は全く気が付かないのだから。
鈴さんの「毎日酢豚」という実質プロポーズ宣言も、彼にとってはあくまで友人との約束事にすぎない。
いや、本当にあれは可哀想だった。あの時ほど奴を殴り飛ばしてやりたいと思った事は無い。
まあ、流石の一夏も鈴さんの宣言を正しく理解しかけた様だったけれども、恥ずかしがった彼女がそれを否定した事で有耶無耶になってしまっていた。南無三。
「うーん。あそこまで朴念仁が突き抜けるとなると、ストレートに“好き”って伝えるしか無いと思うが……」
「それが出来れば私達は苦労していないし、今頃鈴が一夏の隣に立っている」
「それはそうだよなあ。わかるよ、気持ちを素直に伝えるってのは、存外凄まじく勇気がいるものだよね」
「ふむ、まるで自分もそうだという言いようだが、お前も誰かを好いているのか? 」
……拙い、口が滑った。
別にシャルロットに今すぐ想いを伝えられるのなら伝えたいところではあるのだが、今伝えてしまっては彼女の弱みにつけ込む事になってしまう。
だから今、僕が誰かを想っているという事実は誰にも知られたくない。どこで彼女に伝わるかわからないからだ。
「あー……まあね。僕だって男子だ。そういった経験はあるさ」
「今は違うのか? 」
「過去の話だよ。もう未練無くさっぱりとけじめがついているさ」
「一夏にも、お前の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ」
箒さんが苦笑しながらそう言ってくる。
……危ない危ない。僕の嘘は、どうやら通じたらしい。
「あまり言いふらさないでくれよ? 僕が告ってフラれたことがある、なんて。事実だとしても周りに知られるのは嫌だからさ」
「無論だ。こうして一夏の話を聞いてくれる友人を、貶める事なんてしない」
「そりゃ良かった」
そうして走っていると、丁度寮の入り口まで辿り着く。
「じゃ、また後で教室で」
「ああ」
箒さんと別れて、シャワーを浴びに自分の部屋に戻ると、丁度シャルロットが起きて来ていた。
「おはよう、シャルロット」
「おはよう星一。走って来たんだ」
「ああ、毎日の日課でな。取り敢えず、シャワーを使わせて貰うよ」
「うん、その間にコーヒー淹れとくね」
「お、ありがとう」
シャワーを浴びて、制服に着替え。シャルロットの入れてくれたコーヒーを飲んだ後に二人で食堂へ朝食を摂りに行く。
朝の混んでいる食堂で席を探していると、毎日聞いた声が聞こえてくる。
「おーい! 星一! シャルル! こっち席空いてるぜ!! 」
「お、あれは一夏と……箒さんと鈴さんとセシリアさんか」
「あそこしか今は空いて無さそうだしね。ご一緒させて貰おうか」
「そうだな」
僕たちは呼ばれた方角へ進んでいき、一夏達の近くのテーブル席に座った。
「おはよう。昨日は一人部屋でどうだったよ? 一夏」
「別にお前との二人部屋が悪かったって訳じゃ無いけど……ま、一人ってのも偶には悪く無いよな」
「なるほどな」
会話は続く。
「そうだ。今日もアリーナを借りて箒達とトレーニングするんだけど、お前も来るよな? 勿論、シャルルも」
「お、おう。僕は別に構わんが……」
僕はチラリと箒さん達を見る。
そうすると彼女達は苦笑して、気まずい感情を出す僕に気がついた。
「別に、今に始まった事では無い。それにお前達なら構わないさ」
「そうね。ま、前も言ったけど、自分を邪魔だと思ってるならそれは間違いだから安心しときなさい」
「そうですわ。星一さんは私達の友人ですし、シャルルさんとの仲も深めたいですしね」
彼女達は僕が一夏との時間を邪魔していると考えるほど溺れてはいない。
それでも、どうしても僕が気まずくなってしまうのは、良い加減僕が慣れないといけない事柄だった。
「そうだったな。悪い悪い。じゃあ今回も参加させて貰うよ」
「僕も、お願いしようかな」
僕とシャルルくんがそう答えると、一夏は喜んで笑顔になった。
「うっし! じゃ、今日の放課後に第四アリーナに集合な! よろしくな! 」
そうして朝食を摂り終えた僕らは教室へ向かう。
その道中、シャルルくんが小声で僕に話しかけてきた。
「ねえ星一。朝のあの反応ってもしかして……」
「ああそうだ。あの三人全員が
「うひゃー、なるほど。で、彼は? 」
「気づいていない。奴は朴念仁モンスターだ」
「ははは……でも流石に……」
「いや、シャルルくんは来たばかりで分からんだろうが、きっとこれから付き合うに連れて分かると思うぞ。奴のクソボケっぷりが」
「き、君にそこまで言わせるんだ……」
彼もどうやら一夏達の関係に気づいたらしい。
僕の迫真の言葉に、彼女も戸惑いが隠せないらしい。
なあに、友人として付き合う分には気持ちの良い奴だから問題は無い。
彼女達からしてみれば、たまったものじゃ無いだろうけれど。
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