「それじゃあ──契約の話を始めましょうか」
社長がにこやかに笑う。
一先ずの山場は越えた。僕はそう実感する。
冷や汗がつらりと額を流れ、僕はハンカチでそれを拭った。
「まずだけど、貴方たちが我が社に求めている要求。
それは、デュノア社専属ISテストパイロット『シャルロット・デュノア』への不当な労働や犯罪の強要をデュノア社に辞めさせ、彼女の身柄の安全を確保する事。
これで良いのよね? 」
「はい、その通りです」
僕たちが社長に提出するようにまとめた資料を、社長は片手に取って眺める。
表情は変えずに、ただ『なるほど』と片手を顎に添えながら資料を読む姿を見せつけられ。僕の胃袋が締め付けられる。
「で、貴方たちの資料を読んで見たけど──
まあ、出来ない事は無いわね」
「──っ! 本当ですか! 社長!! 」
驚きと喜び。
その二つが僕をソファから立ち上がらせる。
「こら、落ち着きなさい」
「うぐっ……すみません……」
そして、それを母さんに嗜められてしまった。
シャルロットの前で、普通に恥ずかしい。
社長は、そのまま言葉を続ける。
「まあ、シャルロットさんの安全を確保する。ただ一点だけに限ることだけに関しては、シャルロットさん、貴方を助けることは可能です」
「と、言いますと……」
社長は腕を組み、シャルロットを見据えて言う。
それはまた、先ほどのように僕らを試す──いや、今回はシャルロット個人を試すような言い方で。
社長は淡々と言った。
「シャルロットさん。貴方、うちの専属にならない? 」
「それは──」
願ったり叶ったりでは無いか?
だってそうだろう? シャルロットはデュノア社と縁を切ることが出来て、後ろ盾がそのまま平賀重工になるだけだ。
でも、何故社長はシャルロットを試すような反応を……
僕は、考えてしまう。普通だったら取るしか無い安全な選択。
しかし、僕の母は意味も無く人に圧を出す人間では無い。
一瞬の思索をする。
この内容から、シャルロットに関わるデメリットとは一体なんだ?
緊張でうまく回らない脳を、なんとか回して考える。
そして、僕の頭の中に浮かび上がった仮説が。
──まさか。
「私に──」
僕が頭の中で一つ思いついた時。
シャルロットもまた同じことを考えたのか、社長に対して口を開いた。
「私に、代表候補生を辞めろ。と、いうことですね」
──そうだ。それしか考えられない。
考えてみれば当たり前だ。
彼女はフランスの代表候補生で、平賀重工は日本の民間企業。
ヘッドハンティングするにしても、他国の代表を候補生とはいえ引き込むのには無理がある。
フランスどころか、世論がなんて言うかわからない。
しかし社長は、彼女の言葉に更に付け加える。
「それもそうだし、もし貴方が平賀重工に入るってなるのなら。この契約を今、世間に公表することは無いわ」
「それって──」
それじゃあ彼女はこの話を受ければ──
「だから、もし貴方がこの話を受けたら、『実は女子だった元代表候補生』という
そんな……。
それじゃあ、彼女の学園での生活はどうなる?
確実に学園内での印象が悪くなる。
周囲の風当たりが、強くなる。
それに、今までのシャルロットの努力はどうなってしまう? 代表候補生になるのだって、並大抵の努力じゃ済まないはずだ。
彼女をそんな状態にさせる訳には──
社長は、腕を軽く組んだままシャルロットを見据える。
じっと試すような視線。社長は、シャルロットを見極めようとしている。
「まあ、急いで欲しいけれど。今すぐ結論を出せとは──」
「お願いします」
咄嗟に、シャルロットの方へ目を向けた。
彼女は、真っ直ぐに社長を見て。その瞳に、確かな意思を宿して。
もう一度、社長へ頭を下げる。
「お願いします。私を平賀重工に、入れて下さい」
社長──母さんが、目を丸くした。
戸惑うように、彼女がシャルロットに問う。
「そ、そんな即決だけど……いいの? 確実に、学校での印象が──」
「彼が、星一が──」
ふと、シャルロットが隣に座る僕を見る。
彼女は、僕を見て微笑んだ。
その笑顔はとても優しくて、綺麗で。
その笑顔を見た僕の心臓が跳ねたように動き、頬に熱が入るのを感じる。
「星一が、私を助けるって言ってくれましたから。だから大丈夫です」
彼女は僕を見た後に、前を向いてそう言った。
──僕が、君を助ける。
過去に、シャルロットへと誓ったその言葉。
僕自身が望んだ、彼女への誓い。
その言葉が放つ、シャルロットからの信頼の重量。
それが、あまりにも重く僕にのしかかる。
「……っぷ! あっははははははは!! 」
堰を切ったようように、社長が笑い始める。
三十秒ほど笑い続けて、漸く治った。
「──はぁー……そう、この子が『助ける』って。そう言ったのね」
「はい。私も、何度だって信じるって言ってますから」
母さんが、シャルロットを見て優しく笑う。
その視線はいつも僕が見ていた母さんのそれで、社長としての彼女は鳴りをひそめていた。
「なるほど……わかったわ、シャルロットさん。貴方を我が平賀重工へ迎え入れます。
デュノア社に関しては任せて。我が社が貴方を守ります」
──母さんが、シャルロットを認めてくれた。
その事実が分かった瞬間に、僕の体から力が抜ける。
ソファの背もたれに思わず体を預け切ると、だらしないと注意を受けた。
「それじゃあ、細かい契約の擦り合わせを行いましょう?
貴方の専用機も、しっかり貴方のままにしなきゃね! 」
社長がそう言って、細かい擦り合わせが始まる。
最初の緊張感はもう薄く。僕たちはしっかりと話し合いが出来たと思う。
話し合いを続けて一時間。
シャルロットと平賀重工の契約は形となり、後のデュノア社との交渉は、社内の法務部に任せることになった。
もちろん、シャルロットとの契約は彼女自身の意思で破棄出来るようにして。
こうして、シャルロットは自由への切符を手に入れたのだ。
「本日はありがとうございました」
「社長、ありがとうございました」
「良いのよ。若くて良い人材が手に入るのだし、会社としては問題ないわ。……ところで」
社長が話を切る。
「平賀操縦士は少し残って頂戴。あまり長くはならないから」
「……? はい、わかりました。
シャルロット、ロビーで待っててくれ」
「うん、わかった」
シャルロットが一礼して扉を開く。
彼女はそのまま社長室を後にし、足音が遠ざかっていく。
彼女の足音が聞こえなくなって、漸く社長が口を開いた。
「……星一。貴方、ちゃんと理解してるわね? 」
──母さんが、僕を見て問う。
ああ、そういうことか。
……分かっているさ。僕は、シャルロットの人生を大きく変えてしまった。
彼女の人生に、僕は責任を取らなければならない。
僕は、彼女が無理矢理着せられた『嘘』を暴き。そしてまた、新しい『嘘』を彼女に身につけさせた。
彼女のこれまでの努力を、失くしてしまった。
それがたとえ彼女自身の意思だとしても、選ぶ選択肢に入れたのは僕だ。
僕は、シャルロットの信頼に、全力で応えねばならない。
──だが。
「そんなことは、百も承知だよ。母さん」
覚悟の上だ。
後戻りなんてしない。彼女が前に進むんだ、僕が縮こまってどうする。
平気なわけじゃない。苦しくないわけがない。
それでも僕は、彼女を助ける。
それでも僕は、シャルロットを守る。
あの夕焼けの中、僕がそう彼女に誓ったのだから。
「……なら良いわ。しっかりするのよ」
母さんに背を押され、僕は社長室を後にする。
胸の重さは、もうなんともない。
◆◆◆
療養期間が明けて、初の登校日。
僕は一度シャルロットと寮で別れ、教室で一夏、そして箒と話していた。
「一夏、それに箒。本当にありがとう。助かったよ」
「気にすんな。友達だろ? 言ってくれればいくらでも協力するさ」
「でも箒──本当に良かったのか? 君は……」
「問題無い。友人が困っているのなら、名前くらいいつでも貸してやる」
「そうか……君は本当に凄いな」
箒は、自分が篠ノ之束博士の妹であることを言われるのを嫌がっている。
それでも彼女はシャルロットのために、自分を篠ノ之束の妹として名前を貸してくれた。
僕は、そんな彼女を尊敬している。
「おはようございます、一夏さん。箒さん、星一さん」
「おお、おはようセシリア。体はもう大丈夫なのか? 」
「そうか、セシリアさんも療養明けか。大丈夫? 」
「ええ、無事完治。ですわ! 」
セシリアさんも無事登校し、教室の中も徐々に騒がしくなっていく。
一夏たちと雑談をしていると──
「えー……皆さーん、おはようございまーす……」
山田先生が、覇気のない表情で教室に入ってきた。
──来たか。
「あら? ホームルームにはまだ時間がありますけど……何かありましたのかしら? 」
事情を知らないセシリアさんや、周囲のクラスメイトが疑問に思う。
僕と一夏、箒は、特に素知らぬ顔でやり過ごす。
周囲の疑問に答えるために、山田先生が頭を抱えて話し出した。
「えーと……なんて言えば良いのかな……? 転校生……ではあるけれど、そのー……みなさん知っていて……
──あーもう良いやっ!! 入って来て下さーい!! 」
山田先生が半ばヤケクソに叫ぶ。
その様子に、セシリアさんをはじめとした周囲が更に疑問を深める。
山田先生の呼びかけで、教室のドアが開く。
入ってきたのは、彼女だ。
長い金髪を一つにまとめ、中世的な顔立ちで、紫水晶色の瞳。
普段、見ていた顔だけれど。一つ違うのならば体つきと服装。
男性的な四角い肩は、女性的な丸みを帯び。そもそも服装自体が、男子のものから女子のスカートに変わっている。
僕と一夏や箒以外全員が、目を見開く。
「シャルル・デュノア改め──『シャルロット・デュノア』です。
みなさん、よろしくお願いします」
クラスの誰かが、口を開いた。
「お、女──? 」
「はい、実は女子でした。
騙すようなことをしてごめんなさい。改めて、よろしくお願いします! 」
静まりかえる教室。走る緊張。
だが数瞬後、爆発したように叫び声が放たれる。
「「「「ええええええええええええええっ!? 」」」」
「嘘っ!? 嘘でしょ!? 」
「シャルル『くん』が!? シャルロット『ちゃん』!? 」
「の、脳が……脳が灼熱に晒されたように熱い……」
「しっかりして!? 重症よ!? 」
「重症じゃダメじゃん!! 」
阿鼻叫喚。
教室内は地獄と化し、驚きの叫びは止まることを知らず、ただ広まり続けるのみ。
──だが、僕はその中を一人。立って進んでいく。
クラスメイトの誰かが僕に気がつき、それを見た周囲の人間が僕のことを見て少しづつ静かになっていく。
また静かになった教室の中。
僕は彼女に、あの時
「久しぶり、シャルロット。元気にしてた? 」
シャルロットは僕のその言葉に、少し涙を浮かべて。
「──うん! 久しぶりだね、星一! 会いたかった!! 」
そう、笑顔で言ってくれた。
「……は」
「「「「はあああああああああああああっ!? 」」」」
瞬間、またもクラスが喧騒に包まれる。
だが、そんなの関係ない。
いくら周りがなんと言おうと知ったことか。
なんでもない平日の朝。
僕らはやっと、再会出来た。
……はい。彼らは再会することが出来ました。
次回からは少し日常回を挟みつつ、彼らの物語は臨海学校編へと向かって行きます。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
また次回も、どうかお付き合いください!