これはびっくり、ダイユウサク   作:匿名希望ウマ娘1号

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01 果断が笑顔につながり

 春のトレセン学園は、浮き足立っている。

 芝の色が日ごとに濃くなり、風がやわらかくなるころ、ついに同期たちはクラシックレースに向かっていく。

 

 掲示板に貼り出された校内新聞を、私は遠くから眺めていた。

 誰が勝った、誰が掲示板に入った、次はどこのレースに出る。そんな話題が、当たり前のように行き交っている。

 

 その輪の中に、私の名前はない。

 

 私は今日も、トレーニングコースの端で立ち止まっている。

 ほんの軽い調整のつもりだった。それでも、数本走っただけで息が続かなくなる。胸の奥が詰まり、心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。脚は前に出なくなり、視界の端が白く滲んだ。

 

 ――また、走れない。

 

 分かっていたことなのに、毎回それを思い知らされる。

 同期たちはもう、ジュニア級でしのぎを削っている。勝ったり、負けたりしながら、次の課題を見つけて、また前へ進んでいる。

 

 それに比べて、私はどうだろう。

 レースどころか、満足なトレーニングすらこなせていない。

 

 コースの向こうでは、ウマ娘たちが走っている。

 一定のリズムで刻まれる足音。トレーナーの指示に応える声。全身を使って前へ進む姿は、遠くから見ても力に満ちていた。

 

 私はそこに混じれない。

 混じろうとすれば、体が先に悲鳴を上げる。肺が焼け、脚が止まり、結局はここに戻ってくる。

 

 今のトレーナーは、何も言わない。

 無理をさせることもなく、叱ることもなく、ただ短いメニューを淡々と指示するだけだ。

 

 でも、私は気づいている。

 その視線が、私を「戦力として見ていない」ことに。

 

 早くしろとも言われない。

 もっとできるはずだとも言われない。

 それは優しさなのかもしれないし、現実的な判断なのかもしれない。

 

 けれど同時に、それは「今は期待していない」という無言の意思表示でもあった。

 

 学園の中心では、同世代の名前が当然のように語られている。

 

 ヤエノムテキ。

 サクラチヨノオー。

 スーパークリーク。

 バンブーメモリー。

 メジロアルダン。

 

 その名前を聞くたび、胸の奥がざらつく。

 次はどのレースに出るのか。どこで勝つのか。彼女たちは、いつも未来の話をされる存在だ。

 

 私は、その輪の中にいたことがない。

 話しかけたことも、目を合わせたこともほとんどない。ただ、同じ学園に通い、同じ時代に生まれただけで、一方的にその活躍を知っているだけだ。

 

 「同期」という言葉を聞くたび、胸の奥がひりつく。

 同期とは、本来、並び立つ存在を指す言葉のはずなのに。

 

 私はまだ、スタートラインにすら立てていない。

 春の風が吹くたび、その事実だけが、静かに胸に沈んでいった。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 そんな中で、学園の空気が一変した。

 

 地方から編入してきたウマ娘がいるらしい。

 最初は、そんな噂話だった。珍しいことではない。地方出身のウマ娘が話題になることは、これまでもあった。

 

 でも、その名前が出る回数が増えるにつれて、違和感は確信に変わっていった。

 

 オグリキャップ。

 

 彼女が初めてトレセン学園のコースを走った日、私は偶然、その場にいた。

 偶然、というより、走れずに立ち尽くしていただけだったのだけれど。

 

 一目で分かった。

 ああ、これは違う、と。

 

 彼女の走りには、説明が入り込む余地がなかった。

 地方出身がどうとか、トレーニングがどうとか、そんな言葉を持ち出す前に、すでに前にいる。

 誰かが「すごい」と言うより早く、誰かが分析を始めるより先に、ゴールにたどり着いてしまう。

 

 速い、という言葉では足りない。

 理屈を拒絶する、というほうが近かった。

 

 努力も、積み重ねも、戦略も。

 それらが意味を持つ前提そのものを、踏み潰すような走りだった。

 

 オグリキャップが走るたび、学園はざわめいた。

 空気が熱を帯び、視線が集まり、声が重なる。

 

「本物だ」

「規格外だ」

 

 そんな言葉が、簡単に、軽々しく飛び交う。

 誰も疑わない。誰も躊躇しない。あっという間に、彼女は「そういう存在」になっていた。

 

 私は、遠くからその姿を見ることしかできなかった。

 同じウマ娘であるはずなのに、同じ言葉で括られることに、強い違和感を覚える。

 

 私とオグリキャップの間には、距離がある。

 努力や根性で埋められるような差ではない。最初から、立っている場所が違う。進んできた道が違う、というより、そもそも同じ地面を踏んでいない。

 

 才能とは、ここまで一方的なものなのか。

 そう思い知らされる。

 

 その姿は、父の言葉を完璧に肯定しているようだった。

 

 ――才能があれば勝つ。

 ――なければ、どれほど足掻いても意味はない。

 

 私は、その考えを否定できなかった。

 目の前で、それが現実として走っているのだから。

 

 やがて、私はようやくデビュー戦を迎える。

 

 1988年10月30日 京都 ダート1800m。

 

 あと一週間ほどでクラシックの最後の冠、菊花賞がくる。

 あまりにも遅すぎる船出だった。

 

 同期たちは、すでにクラシックで激戦を繰り広げ、次のステージへと進んでいる。勝ち、負け、経験を積み重ねながら、前に進んでいる。

 それに比べて、私が立ったスタートラインは、周回遅れどころではなかった。

 

 一戦目。

 結果は、言葉を失うほどの惨敗だった。

 

 スタートしてすぐに、置いていかれる。

 脚を動かしているはずなのに、景色がまったく変わらない。直線に入る頃には、前を走る背中は遥か彼方に消えていた。

 

 ゴール板を駆け抜けたとき、時計を見る気にもなれなかった。

 後で知った数字は、常識の範囲を超えていた。

 

 一着から十三秒遅れ。

 

 競走として、成立していない。

 それは敗北というより、否定だった。

 

 ――お前は、ここにいていい存在なのか。

 

 その問いに対する答えが、着差という形で突きつけられていた。

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