これはびっくり、ダイユウサク   作:匿名希望ウマ娘1号

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02 自信は涙に流される

 まだ「一度目」だった。

 

 初出走という理由で、規定上の処分は免れた。

 紙の上では、私はまだ走る資格を失っていないことになっている。猶予は与えられた。もう一度だけ、機会は残されている。

 

 けれど、周囲の視線は違った。

 あの着差は、単なる不調では説明できない。調子が悪かった、展開が向かなかった、そんな言い訳が通じる範囲を、はるかに超えている。

 

 ――競走能力そのものが足りていない。

 

 誰も口にはしない。

 でも、そう判断されていることは、痛いほど分かった。

 

 二戦目は芝だった。

 条件が変われば、何かが変わるかもしれない。そう考える人もいたのかもしれない。でも、私自身はほとんど期待していなかった。

 

 ただ、走れと言われたから走る。

 それだけだった。

 

 結果は、一戦目よりもさらに重かった。

 

 スタートして、前に出ようとする。

 でも、体がついてこない。脚は動いているのに、距離が縮まらない。直線に入る頃には、すでに勝負は終わっていた。

 

 ゴールしたとき、私はほとんど最後尾だった。

 勝ちウマ娘から七秒以上。ブービーの子からすら、四秒以上遅れていると後で聞いた。

 

 今度こそ、言い逃れはできなかった。

 タイムオーバーによる出走停止処分。公式に、「走る場」を奪われた。

 

 学園の掲示板に貼り出された結果を見て、誰も驚かなかった。

 

「ああ、やっぱり」

 

 誰かのその一言で、すべてが片付けられる。

 説明も、議論も、必要なかった。最初から、そうなると分かっていた――そんな空気だった。

 

 私は、自分がどこで間違えたのかを考えることすらできなかった。

 努力が足りなかったのか。

 体が弱いからなのか。

 それとも、最初から、ここに来るべき存在ではなかったのか。

 

 考えれば考えるほど、答えは同じ場所に行き着く。

 

 ――才能がない。

 

 それだけだった。

 

 芝では通用しない。

 ダートに回しても才能はない。障害に挑戦できるほど身体が強くない。

 

実績がなさすぎて、地方への転入すら許されなかった。

 

 可能性を探る、という言葉が、ひどく空虚に聞こえた。

 選択肢があるのは、選べるだけの力がある者だけだ。私には、残されている道そのものがなかった。

 

 トレーナーは、次々と替わっていった。

 誰も私を責めない。誰も怒らない。

 

 でも、それは信頼ではなかった。

 関心を失っているだけだった。

 

「様子を見よう」

「別の可能性を考えよう」

 

 そう言われるたび、距離だけが広がっていく。

 その言葉の裏に、「今は使えない」という判断があることを、私はもう理解していた。

 

 やがて、学園の中で、私の名前は口に出されなくなった。

 話題にもならない。期待もされない。

 

 まるで、最初からいなかったかのように。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 私が才能を諦めてしまったのには、理由があった。

 それは成績でも、体の弱さでもない。もっと根の深いところにあるもの――父の存在だった。

 

 父は、かつて伝説の三冠ウマ娘・シンザンのトレーナーだった。

 もっとも、父自身はその肩書きを誇ったことはない。誇る必要がなかったのだと思う。

 

 シンザンは、特別なトレーニングを必要としなかった。工夫も、苦心も、試行錯誤もない。ただ走らせれば勝つ。そういう存在だった。

 

 つまり、父のことなど初めから必要としていなかったのだ。

 

 五冠。

 誰もが語り、誰もが畏れる数字。

 

 父は、そのすべてをすぐそばで見ていた。

 奇跡の瞬間も、歓声も、伝説になる過程も、全部だ。

 

 だからこそ、父は知ってしまったのだと思う。

 努力では覆せない差があることを。

 才能の前では、どれほどの情熱も、工夫も、根性も、等しく無力であることを。

 

 その考えは、いつの間にか、私に向けられるようになった。

 

 病弱で、走れず、結果も出せない娘。

 父は、私に対して最初から何も期待していなかった。

 

 叱られることもなかった。

 励まされることもなかった。

 ただ、淡々と、感情のない声で言われる。

 

「無理だ」

 

 それは忠告でも、拒絶でもなかった。

 父の顔は、事実を述べているだけだという表情をしていた。

 

 レースに出たいと告げたときも、同じだった。

 父は少しも考え込まずに言った。

 

「才能があるなら、もう結果が出ている」

「今さら何をしても、変わらない」

 

 その言葉を、私は否定できなかった。

 デビュー戦の惨敗も、二戦目の出走停止も、そのすべてが父の言葉を裏付けているように思えたからだ。

 

 そして、オグリキャップの存在が、父の思想をさらに裏打ちしていた。

 地方から現れた怪物。

 努力や環境を軽々と飛び越えて、ただ勝ち続ける存在。

 

 彼女は、まるでシンザンのようだった。

 才能がすべてだという考えを、これ以上なく分かりやすく証明する存在。

 

 学園でオグリキャップが走るたび、私は父の顔を思い出す。

 ――ほら、見ろ。

 ――才能のある者は、最初から違う。

 

 そんな声が、どこからともなく聞こえてくる気がした。

 

 私は、何も言い返せなかった。

 否定できる材料が、どこにもなかったからだ。

 

 だから私は、走る前から負けていたのだと思う。

 才能がないと理解し、受け入れ、それでもここにいる理由を見失ったまま。

 

 それでも、なぜか、学園を去る決断だけはできずにいた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 そうして私は、最後の居場所に辿り着いた。

 

 新人で、実績もなく、学園の中でもほとんど名前を知られていないトレーナー。

 廊下ですれ違っても、誰かが声をかけることはない。会話の中心にいるのを、私は一度も見たことがなかった。

 

 それは「選ばれた」という言葉から、いちばん遠い出会いだった。

 余った者同士が、行き場のなさの果てに組み合わされた。そう言われた方が、ずっとしっくりくる。

 

 周囲からの期待は、ほとんどなかった。

 

「どうせ長くは続かない」

 

 そんな声が、かつては聞こえていた気もする。けれどその頃には、私はもう学園の片隅に追いやられていて、誰かの評価が耳に届く距離にすらいなかった。

 

 トレーナーは、私の過去を知っていた。

 二戦続けての惨敗。

 出走停止。

 競走能力への疑問。

 

 資料をめくる指は止まらず、表情も変わらない。

 同情も、失望も、そこにはなかった。

 

 それでも彼は、私を「走れない娘」とは呼ばなかった。

 結果を責めることもなければ、才能という言葉を持ち出すこともない。

 ただ、私の脚や呼吸、体調の記録を見て、静かに言った。

 

「まだ、終わってはいない」

 

 その言葉に、私は頷くことができなかった。

 

 終わっている。

 誰よりも、私自身がそう思っていたからだ。

 

 勝利というものを、私はほとんど諦めていた。

 G1なんて、最初から考えたこともない。

 レースで誰かを抜く未来すら、うまく想像できなかった。

 

 それでも、なぜか、学園を去ろうとは思えなかった。

 

 テレビでは、オグリキャップが勝ち続けている。

 理屈を置き去りにするような走りで、当然のように一着を重ねていく。

 

 学園の中心では、同期たちが輝き続けている。

 サクラチヨノオーの名前が語られ、

 ヤエノムテキが称えられ、

 スーパークリークやメジロアルダンが、期待される。

 

 私は、そのすべての外側に立っている。

 

 走る理由は、見つからない。

 勝つ理由も、ない。

 才能がないことだけは、はっきりしている。

 

 それでも、胸の奥に、言葉にならない何かが残っていた。

 

 せめて一度くらい、振り向かせたい。

 それが勝利なのか、完走なのか、ただの意地なのか。

 自分でも、よく分からない。

 

 ただ、走ることだけは、やめていなかった。

 

 それが、才能をかけらも持たないダイユウサクというウマ娘の――

 私の物語の、始まりだった。

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