これはびっくり、ダイユウサク 作:匿名希望ウマ娘1号
ジャパンカップの結果を、私はテレビで見ていた。
十一着。
その数字が確定した瞬間、スタジオの空気がわずかに緩むのが分かった。驚きも、怒りもない。ただ、「そうだろうな」という納得だけが、あらかじめ用意されていた結論のように流れていく。
オグリキャップは、もう勝負の中心にはいなかった。
画面に映る彼女の姿は、確かに走っている。だが、かつて私が見上げていた怪物のそれではない。脚の運びは重く、反応は遅れ、直線に入っても一瞬の加速すら見せない。ただ、与えられた距離を消化するように、黙々とゴールへ向かっていた。
実況は慎重に言葉を選び、解説は原因を探し、ファンはため息をつく。
過酷なローテーション。
地方から中央へ、休む間もなく走り続けた代償。
誰もが、それを理解しているふりをしていた。
「もう限界だ」
「さすがに使いすぎた」
「全盛期は過ぎた」
そんな言葉が、責めるでもなく、惜しむでもなく、ただ事実として並べられていく。
それは敗北の分析ではなく、引導だった。
かつて、才能の象徴として語られていた存在が、いつの間にか「過去」の枠に押し込められている。その移行はあまりにも静かで、だからこそ残酷だった。誰かが明確に終わりを宣告したわけではない。ただ、もう期待されなくなっただけだ。
私は、その光景から目を逸らせなかった。
オグリキャップは、私とは違う。
そう思い続けてきた。
才能の質も、量も、そもそも立っている場所も、すべてが違う。私は下から見上げる側で、彼女は最初から頂点に立つ側だった。
それなのに――
勝てなくなった途端、世界は彼女を手放す。
才能が削れ、身体が限界を迎えた瞬間に、
「もう終わりだ」と判断される。
その姿が、なぜか他人事に思えなかった。
もし私が、ほんの少しでも勝てるようになったとして。
もし私が、奇跡のようにG1の舞台に立てたとして。
その先で同じように走れなくなったら、世界は同じ言葉を私に向けるのだろうか。
――やっぱり、無理だったな。
――才能がなかったんだ。
胸の奥が、冷たく締めつけられる。
それは同情ではなかった。
未来を見せられたような感覚だった。
才能を失えば、走る意味はなくなるのか。
勝てなくなった瞬間、存在する価値も失われるのか。
ジャパンカップ十一着という数字は、
オグリキャップの結果であると同時に、
私自身に向けられた予告のように思えてならなかった。
私は、まだ走っている。
けれど、その先に待っているものが、
この光景だとしたら――。
テレビの向こうで、英雄だったはずの背中が、
静かに、時代の外へと押し流されていくのを、
私は息をすることも忘れて見つめ続けていた。
◆◆◆◆◆
有馬記念の話題が出始めたとき、誰もそれを「勝負」とは呼ばなかった。
それはもう、結論の出ている物語だった。
オグリキャップ、引退。
最後のレース。
功労馬への花道。
そういう言葉が、最初から用意されていた。
勝つかどうかではない。
どう終わるか、どんな拍手で送り出されるか。
有馬記念は、いつの間にか「別れの舞台」として語られていた。
誰もが知っている。
今のオグリキャップでは、勝てるはずがない。
過酷なローテーションで削り尽くされた身体。
衰えた反応。
全盛期の影すら残っていない走り。
有馬記念だ。
一年の締めくくりであり、最も過酷で、最も注目される舞台。
本来なら、避ける理由はいくらでもあった。
もっと楽なレースはあったはずだ。
勝負にならなくても、無事に走り切れて、きれいに終われる舞台もあった。
誰も文句は言わなかっただろう。
「よく頑張った」
「お疲れさま」
そう言って、拍手だけで送り出してもらえた。
それなのに――
オグリキャップは、有馬記念を選んだ。
私は、その事実が、どうしても引っかかっていた。
勝てないと分かっている舞台に立つ意味が、分からなかった。
引退レースなら、もっと穏やかな終わり方がある。
無理をする必要はない。
それは、才能を失った者にとっても、周囲にとっても、最も優しい選択のはずだった。
なのに、彼女は最も厳しい場所を選んだ。
勝者だけが記憶される舞台。
敗者が容赦なく切り捨てられる場所。
才能の残酷さが、これ以上なく可視化されるレース。
そこに立つ理由が、私には理解できなかった。
私はこれまで、ずっと思ってきた。
才能がないのだから、仕方がない。
勝てないのだから、身の程を知るべきだ。
走らない理由は、いくらでもあった。
――才能がないから。
――G1には足りないから。
――勝てる見込みがないから。
それらは、私にとって、正しくて、安全な理由だった。
走らないことを正当化するための、十分すぎる言葉だった。
けれど、今、目の前にいるのは。
かつて誰よりも才能があり、
そして今、誰よりもそれを失っている存在だった。
才能を失った者が、
それでもなお、最も過酷な舞台を選ぶ。
その事実が、私の中で静かに軋み始める。
走らない理由を、山ほど抱えているのに、走る者。
走らない理由しか持たないと思ってきた自分。
そのズレが、言葉にならない違和感として、胸の奥に沈殿していく。
なぜ、走るのか。
勝てないと分かっていて。
終わりだと理解されていて。
それでもなお、走る理由は、どこにあるのか。
有馬記念は、まだ始まっていない。
けれどその時点で、私はもう、
「引退セレモニー」という言葉を、素直に受け取れなくなっていた。
あの怪物は、本当に、
ただ拍手を浴びるためだけに、
あの地獄の舞台を選んだのだろうか。
その疑問が、
静かに、しかし確実に、
私の中で根を張り始めていた。
1990年12月23日 5回中山8日目 4歳以上オープン (混)(馬齢)
芝右2500m 天候:晴 芝:良 発走:15:25
第9R