これはびっくり、ダイユウサク   作:匿名希望ウマ娘1号

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07 シナリオは常に書き換えられ

ゴール前で、何が起きているのか、最初は理解できなかった。

 

歓声が、悲鳴みたいな音に変わる。

期待でも、興奮でもない。

あれは――理解不能なものを前にした、人間の声だ。

 

前を行っていたはずの背中が、ひとつ、またひとつ、ずれていく。

抜かれたのではない。

置いていかれたのだ。

 

オグリキャップは、速くなっていない。

相変わらず、重い。

相変わらず、痛々しい。

 

それでも、前にいる。

 

必死で、

無様で、

脚の運びは乱れ、首の振りも揃わない。

 

美しさなんて、どこにもない。

 

あれは勝者の姿じゃない。

英雄の走りでもない。

ましてや、天才の輝きなんて、影も形もない。

 

――なのに。

 

「オグリ一着! オグリ一着! オグリ一着!

右手を上げた、オグリキャップ!

オグリ1着! オグリ1着! 見事に引退レース、引退の花道を飾りました。

 

 

スーパーホースです。オグリキャップです!!

 

」

 

一着だった。

 

掲示板に表示された数字が、現実を突きつける。

偶然じゃない。

奇跡でもない。

 

これは、

才能を失った者が、それでも勝ちに行った結果だ。

 

世界が一拍、沈黙した。

 

実況が言葉を失い、

解説が追いつかず、

観客席が、何を称えればいいのか分からなくなる。

 

才能じゃない。

強さでもない。

未来でもない。

 

今、この瞬間、走ることを選び続けた者が、そこに立っている。

 

――やめてくれ。

 

私は、心の中で叫んでいた。

 

それ以上、見せないでくれ。

それ以上、証明しないでくれ。

 

才能がないから無理だ。

勝てないから意味がない。

努力では届かない。

 

私は、そうやって生き延びてきた。

そうやって、自分を守ってきた。

 

なのに。

 

あの背中は、

その全部を、泥だらけのまま、踏み潰していく。

 

才能がなかったら、走れない?

違う。

 

才能を失ったら、終わり?

違う。

 

才能があるから走るんじゃない。

勝てるから走るんじゃない。

 

――走ると決めたから、走っている。

 

その事実が、

私の中で、音を立てて崩れ落ちる。

 

父の声が、割れる。

「無理だ」という言葉が、形を失う。

才能という概念が、ぐちゃぐちゃに潰される。

 

代わりに残ったのは、

説明のつかない、吐き気みたいな感情だった。

 

羨望。

嫉妬。

恐怖。

尊敬。

憧れ。

否定。

 

全部が絡み合って、

胸の奥で、ひとつの塊になる。

 

――私は、何を言い訳に、走っていなかったんだ。

 

勝ったオグリキャップは、

誇らしげでも、晴れやかでもない。

 

ただ、

やり切った者の顔をしていた。

 

その表情を見た瞬間、

私は完全に、壊れた。

 

才能がないから、じゃない。

勝てないから、でもない。

 

私は、

走る覚悟を持っていなかっただけだ。

 

「オ・グ・リ! オ・グ・リ! オ・グ・リ!」

 

熱狂の絶叫が、中山に響き渡る。

 

「オ・グ・リ! オ・グ・リ! オ・グ・リ!」

 

泥にまみれたその一着は、

世界の価値観をひっくり返したのではない。

 

私の中の、

「才能に依存して逃げる自分」を、

完膚なきまでに、叩き潰したのだ。

 

息ができない。

涙も出ない。

声も出ない。

 

ただ、心の奥で、

何かが、確かに、生まれていた。

 

逃げ場のない、

もう戻れない、

それでも前に進むしかない――

 

走る者としての、意志が。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

私は、座り込んだまま、何もできなかった。

目の前の光景――泥まみれで、ありえない速度で、止まらずにゴールを駆け抜けたオグリキャップ――

その一瞬の意味を、理解することができなかった。

 

胸の奥が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。

心臓が焼けるように痛み、呼吸は浅く、汗が全身を覆い尽くす。

頭の中で、父の言葉が繰り返される。

「無理だ」「才能がない」「今さら、何をやっても変わらない」

 

その言葉は、もう効かない。

破裂した膜のように、効力を失っていた。

才能がないから、走れない。

勝てないから、やめていい。

それが、あの背中の前では、ただの嘘に思えた。

 

私は息を荒げ、両手で頭を抱える。

体が震え、涙も笑いも、恐怖も歓喜も、すべてが混ざり合い、制御できない。

脳の中で、何かが爆発する。

「安全地帯」が消えた。

逃げる場所は、もはやどこにもない。

 

そして、口が勝手に動く。

言葉が、魂の奥底から、毒のように湧き上がる。

 

「……私も、G1を、勝ちたい……」

 

呪文のように、繰り返す。

意味も理屈もない。

希望でも願いでもない。

ただ、逃げられないから、言わずにはいられない。

足が勝手に動き、心が勝手に燃え上がる。

狂気じみた、病的な衝動――

オグリキャップの背中が私に植え付けた、新しい呪いだ。

 

私には、選択肢がない。

才能がなくても、勝てなくても、

前に進むしかない――

その事実だけが、明確に迫る。

 

全身に熱が走り、頭の芯が沸騰するようだ。

体は弱い。脚はまだ満足に出せない。

でも、意志が先に動く。

もう、止まれない。

走るしかない。

 

そうして、私は決めた。

世界の中心には立てないかもしれない。

輝くこともできないかもしれない。

だが、ここから逃げない。

 

それは希望ではない。

それは意志でも、勇気でもない。

これは、逃げ場の消失としての覚醒だ。

 

才能を失った者が、勝利を掴むために走る。

私は、まだ才能のないまま、

それでもG1を目指すことになった。

 

――走り続けてきた者の、最後の狂気の物語が、今、幕を開ける。

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