これはびっくり、ダイユウサク 作:匿名希望ウマ娘1号
私は、自分の意思でその道を選んだ。
誰も勧めなかった。父なら、絶対に止めたであろう道。
身体を極限まで追い込み、日々のトレーニングはほとんど拷問に近かった。
脚は鉛のように重く、地面を蹴るたびに骨や筋肉が悲鳴を上げる。
呼吸は熱を帯びた痛みに変わり、肺は裂けるように焼けつく。
心臓は弾けそうに脈打ち、脳内の血液が沸騰しているのではないかと錯覚するほどだった。
それでも、私は前に進む。走る。
止まることは許されない。後退も休息も、考えられなかった。
そして、気づけばトレーナーも、私と共に落ちていった。
これまでの彼は冷静で理知的で、計算しながら私を導く存在だった。
だが今は違う。目が狂気に染まり、汗で光る顔は、私の鏡のようだ。
常識も理屈も、未来の安全も、すべて捨てた目をしている。
二人だけの世界――そこでは失敗も恐怖も痛みも、すべてが燃料となり、前に進む力へ変わる。
遠くでマックイーンが走る。
天才の光を放つその背中は、まるで別世界の生き物のようだ。
長距離を自在に駆け抜け、観衆の歓声を自然と引き寄せるステイヤーの天才。
私はその光をただ眺めるしかない。
その光と、私たちの泥まみれの暗闇の差が胸に重く、鈍く響く。
天才の世界に踏み込めない者の焦燥。
だが、それでも走らずにはいられない者の狂気。
私の全身を、呼吸を、心を、血を、痛みを、すべて消費しながら走るしかなかった。
二人の心は、限界の先で絡まり合っていた。
止まることを許されない、狂気の共犯関係。
この道が正しいか、成功するか、もう重要ではない。
ただ、走る。走るしかないのだ。
◆◆◆◆◆
そして、すべてを懸けた新装記念の日が来た。
泥にまみれ、限界を超えた身体を引きずりながら、私はゲートへ向かう。
観衆の歓声は遠く、まるで別世界の音のようだ。
耳に届くのは、心臓の鼓動と膝や筋肉の軋む音だけ。
この狂気の空間には、私とトレーナーしかいない――そう感じた。
ゲートが開く。
全身の痛みが、怒涛のように押し寄せる。
呼吸は途切れ途切れで、肺が焼けるように痛む。
視界は揺れ、脳内の血液が沸騰しているようだ。
それでも、前に進む。
止まることは死を意味していた。
脚は鉛のように重く、心臓は破裂寸前だ。
吐きそうな胃を押さえ、歯を食いしばり、震える身体を無理やり前に出す。
背中を押すのは、恐怖でも期待でもない。
ただ、止まらないという意思だけだった。
直線に差し掛かり、泥が跳ね、靴底が滑る。
それでも私は全力で足を前に出す。
脚の感覚はほとんどなく、筋肉は悲鳴をあげる。
けれど、心の中に一つだけ確かなものがあった――
勝利は、私とトレーナーだけの手で掴むものだということ。
ゴール板を駆け抜けた瞬間、私は勝っていた。
だが、その勝利は美しくない。華やかでもない。
泥にまみれ、震える脚、吐きそうな身体、呼吸は滝のように流れる。
それでも確かに手にした一着だった。
誰も気づかないかもしれない。
だが、私とトレーナーには分かっていた。
G1への推薦枠は、狂気と執念だけで切り開いた――
光でも才能でもない、ただ私たちの暴走と努力が作り出した道だということを。
その瞬間、私は理解した。
勝利は才能だけで決まるものではない。
光と闇、狂気と理性、運と努力――
すべてが絡み合った先にしか、道は開かれない。
◆◆◆◆◆
新装記念の勝利は、血の味がした。
歓声も拍手も、ほとんど届かない。
ただ、私とトレーナーの胸の奥だけが熱を帯び、震えていた。
マックイーンの存在は、依然として遠く輝く。
長距離での天才的な走り、完璧なフォーム、無尽蔵に見えるスタミナ。
その華やかさは誰の目にも眩しく、私の勝利は泥臭く、醜く、狂気じみていた。
それでも、確かに何かが変わった。
才能の有無ではない、光の強さでは測れない、自分だけの足跡。
誰も見ていなくても、道を切り開いた実感。
狂気と執念が織りなす勝利の味は、これまで感じたことのない重みを持っていた。
トレーナーは静かに笑った。
「一生でもし、もう一度やれと言われても――無理と言えるぐらい究極に仕上がっている」
言葉は少ない。だが、その目は燃えていた。
私と同じ熱に侵され、同じ狂気に堕ちていた。
二人で、世界の常識を蹴散らし、運と執念に賭けた結果を手にしている――
その感覚は、言葉では言い表せない。
そして、私は次に立つ舞台を知っていた。
有馬記念――すべての頂点であり、最も過酷な戦場。
才能と栄光が渦巻き、歴史と伝説が染みついた場所。
だが、狂気に身を任せた今、私はその舞台に挑むことをためらわなかった。
才能がなくても、華やかでなくても、泥の中で這い上がった者には、もう引く理由はない。
胸の奥で、呪いのように、しかし確かな声が響く。
「走るしかない……走るしかないんだ……」
私は知っていた――次のレースで、自分のすべてを賭けることになる。
そして、その舞台で、才能にすがる世界と、狂気と執念で立ち向かう自分との戦いが、はじまるのだ。
1991年12月22日 5回中山8日目 4歳以上オープン (混)(馬齢)
芝右2500m 天候:晴 芝:良 発走:15:20
第9R