提督の異常な愛情 または私は(以下略)   作:パワーワード大好きおじさん

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高雄が一番エロいよね。(断言)


02. 電と雷

翌朝、鎮守府は乳白色の深い霧に包まれていた。

 

波音さえも吸い込まれるような静寂の中、執務室の窓からは、ぼんやりと霞んだ朝陽が差し込んでいる。

 

 

重厚な扉を叩く、控えめだが力強い音がする。

 

「失礼いたします。司令官、お呼びにより暁型の四名を連れて参りました」

 

高雄が、昨日の動揺を感じさせない落ち着いた足取りで入室してくる。

しかし、その鋭い視線は、机の上に置かれた新たな「何か」を真っ先に捉えていた。

彼女の指先は、いつでも不測の事態に対応できるよう、制服の裾で微かに強張っている。

 

その後ろから、第六駆逐隊の面々が姿を現した。

 

「……おはよう、司令官。昨日はあんなことがあったけれど、今日は何かしら?」

 

暁は、精一杯の「レディの余裕」を見せようと胸を張るが、その瞳には隠しきれない警戒の色が混じっている。

 

「おはよう。……昨日の響の姿、まだ夢だったんじゃないかって思うわよ」

 

雷は少し寝不足気味なのか、目をこすりながらも、興味津々といった様子で男の顔を覗き込む。

 

電は、昨日のような急激な変化を恐れてか、響の背後に隠れるようにして「なのです……。今日は平和な実験だといいのです……」と小さく呟いた。

 

そして響は。

昨日の「経験」をその身に刻んだ彼女だけは、どこか悟ったような、静かな微笑を浮かべて立っている。彼女の銀髪は朝の光を浴びて、淡く輝いていた。

 

男の机の上には、昨日使ったウイスキーのボトルは影も形もない。

代わりに、そこには古びた一冊の図鑑と、奇妙なカメラらしきものが鎮座していた。

 

「さあ司令官。今日はいったい、彼女たちに何を……どんな『可能性』を見せるおつもりですか?」

 

高雄の声が、静まり返った室内を震わせる。

 

霧に包まれた鎮守府の朝。異世界からの来訪者が提示する、二度目の「変革」を前にして、少女たちは固唾を呑んで男の言葉を待っていた。

 

 

男の指先が、寄り添うように立っていた二人の少女を指し示した。

 

「本日の対象は……電くんと雷くんの二人だ」

 

その言葉に、雷は「私たちが?」と意外そうに眉を上げ、電はビクッと肩を揺らして「なのです!?」と声を裏返した。昨日、響が遂げた劇的な変貌を目の当たりにしているだけに、彼女たちに走った緊張は、暁や響のそれよりも切実なものだった。

 

男は椅子から立ち上がると、窓の外、霧が晴れ始めた演習場の方角を見やる。

 

「少し外へ出よう。広い場所がいいな」

 

有無を言わせぬその足取りに、高雄は不信感を露わにしながらも、見張りとしての義務を果たすべく、無言で後に続いた。

 

 

潮風が吹き抜ける広大な演習場。

 

遮るもののない土の上で、男は足を止め、振り返る。

そして、あまりにも脈絡のない、奇妙な指示を出した。

 

「電、雷を肩車するんだ」

 

「……えっ?」

 

雷が目を丸くし、電は困惑しきった顔で男と雷を交互に見つめた。

 

「か、肩車、なのです? 遊び……ではないのですよね、司令官さん」

 

電は戸惑いながらも、断りきれずにおずおずと膝をつき、雷に背中を向ける。

雷は雷で、「もう、何考えてるのかしら」と毒づきながらも、どこか楽しげに、慣れた手つきで電の細い肩に跨った。

 

「よいしょっと。……これでいいの? 司令官。なんだか、子供の遊びみたいだけど」

 

雷を乗せた電がふらふらと立ち上がる。

その様子を数歩後ろで見ていた高雄は、腰に手を当て、深い溜息とともに呆れた声を漏らした。

 

「……司令官。昨日の今日で、今度は何を。駆逐艦二人に肩車をさせて、一体どのような『可能性』が見出せるというのですか? これはあまりに……いえ、あなたのことだ、単なる戯れではないのでしょうが」

 

高雄の瞳には、鋭い疑念と、それ以上に「また何かとんでもないことが起きるのではないか」という予感に対する、強い警戒心が宿っている。

 

暁は「なによ、二人で合体でもするつもり?」と冗談めかして笑い、響は無言のまま、男の懐に隠された何かが放つ微かな脈動を、静かに見つめていた。

 

二段重ねになった電と雷。

そのいびつなシルエットが、朝陽に照らされて地面に長い影を落とす。

 

男は、まるで彫刻の角度を調整するかのような手つきで、重ね合わさった二人へと指示を飛ばした。

 

「電くんは足をしっかりと抱えてあげて。雷くんは両手を水平に広げて……そう、そうだ」

 

言われるがまま、電は小さな手で雷の膝を必死に支え、その上に乗る雷は、首を傾げながらも両腕を真横にピンと伸ばした。その姿は、朝の光の中で、どこか歪な十字架のようにさえ見えた。

 

その時、男が懐から取り出したのは、真鍮の歯車が外側に露出した、異様な意匠のインスタントカメラだった。

 

「――撮るぞ」

 

カシャリ、という乾いた音と共に、レンズから青白いフラッシュが放たれる。

現像口から吐き出された写真は、空中で奇怪な熱を帯び、じりじりと焼けるような音を立て始めた。

 

 

「……ところで、皆は『雷電』という航空機を知ってるね?」

 

 

男のその一言が落ちた瞬間、演習場の空気が一変した。

 

「……雷電?」

 

高雄の顔から血の気が引く。

彼女はこの世界の歴史に刻まれた、あまりにも有名な局地戦闘機の名を瞬時に思い出した。

 

「まさか……司令官、あなた……! 艦娘としての彼女たちの本質を、無理矢理に『空』の定義へ上書きするつもりですか!?っていうかダジャレ!?」

 

「ちょっと、嫌な予感がするわ……! 司令官、それ、危ないんじゃないの!?」

 

暁が叫び、響もまた、昨日自分を包んだあの圧倒的な概念の奔流が、今度は二人を飲み込もうとしているのを察知して、思わず一歩前へ出た。

 

電と雷の周囲で、物理法則が悲鳴を上げ始めた。

 

「な、なんだか……体が、すごく熱いのです……!」

 

「司令官!? これ、腕が……腕が勝手に震えて――」

 

二人の輪郭が、激しい陽炎のように揺らぎ始める。

雷の広げた腕の先から、鋼鉄の翼を彷彿とさせる硬質な膜が急激に伸長し、電の背後では、巨大な火力を生み出すための大馬力エンジンにも似た、重低音の駆動音が鳴り響き始めた。

 

それは「合体」などという生易しいものではない。

 

「雷」と「電」。

 

二つの名を冠する魂が、ひとつの刃へと無理矢理に鋳直される、極めて高密度な再構築。

 

男の手元の写真は、すでに像を結んでいなかった。そこには、ただ一点の猛烈な「速度」と、深海棲艦の爆撃機すら一撃で粉砕する「破壊衝動」が、黒い渦となって渦巻いている。

 

演習場に鳴り響いていた重低音の駆動音が、臨界点を超えた。

 

 

シュポーン!!

 

 

鼓膜を震わせる小気味よい音と共に、重なり合っていた二人の影が地面を蹴った。

いや、それは跳んだのではない。重力の枷を粉砕したのだ。

 

二人の少女は、目にも留まらぬ速度で垂直に近い角度で大空へと射出された。

 

「……なっ!?」

 

高雄は、自らの帽子が風圧で飛ばされるのも構わず、蒼天を仰ぎ見た。

そこには、雷の広げた腕が強靭な主翼へと変貌し、電の脚部から放たれる青白い光が、まるでアフターバーナーのように尾を引く光景があった。二人は一つの「矢」となり、高度数千メートルへと一瞬で駆け上がっていく。

 

「空を飛ぶのを当たり前だと思うんだ! ……鳥になってこい! 幸運を祈る!」

 

地上で男は、首が折れんばかりに天を見上げ、喉を震わせて叫んだ。

その顔には、実験の成功を確信した狂気じみた愉悦が張り付いている。

 

「ハハハ、楽しそうに飛んでるじゃないか!」

 

「楽しそうどころじゃないわよ! 司令官、あんた正気なの!?」

 

暁が、空の彼方で豆粒のようになった二人を指差して絶叫する。

 

「電と雷が……あんな、あんなに高く! 降りてこられなくなったらどうするのよ!」

 

響は静かに、しかし驚きを隠せない瞳で、空に描かれた飛行機雲をなぞっていた。

 

「……凄まじい上昇限度。あれは、いかなる艦上機でも追いつくことすら出来ないね」

 

上空では、雷と電の驚喜の入り混じった叫びが、風に乗って微かに届いていた。

 

「司令官さーん! 風が……風がすごいです! なのですー!」

 

「すごい、雷、飛んでる! どこまでも行けちゃいそうよ!」

 

二人は恐怖を塗り替えるほどの全能感に支配されていた。

本来、海を往くはずの艦娘が、雲を突き抜け、太陽に最も近い場所へと到達したのだ。

 

 

高雄は、男の背中に向かって、激しい怒りと困惑をぶつけた。

 

「……司令官! 彼女たちは『船』です! 空を飛ばせて、一体何をさせようというのです! 墜落でもしたら、その責任をどう……!」

 

しかし、男の視線の先では、二人の「雷電」が空中で華麗な旋回を描き、まるで重力という概念を忘れてしまったかのように、自由奔放に青いキャンバスを駆け巡っていた。

 

「あんなの、私たちが知る『雷電』じゃありません! 物理法則も、兵装の定義も、何もかもが別の何かです!」

 

高雄はもはや冷静な秘書官の仮面をかなぐり捨て、男の肩を掴んで激しく揺さぶった。

彼女の端正な顔は驚愕と憤怒で歪み、その髪が乱れるのも構わずに叫び続ける。

 

「艦娘をなんだと思っているのですか!? 船ですよ! 海を護る船なんです! ウィー・アー・カンムスメ! ウィー・アー・シップ! けっして、あんな雲を切り裂く怪鳥ではないのです!」

 

ガクガクと前後に揺さぶられながらも、男の視線は空から離れない。

天高くでは、雷と電の融合体が急降下からの急上昇――いわゆるシャンデルを披露し、青空に巨大な円を描いている。その機動は、既存の航空工学では説明のつかない、魂と概念が直結した異世界の機動力そのものだった。

 

「ひ、響……なんとか言ってよ! あの二人、もう米粒みたいに小さくなっちゃったわよ!」

 

暁が響の袖を涙目で引っ張るが、響はただ、空に描かれた真っ白な飛行機雲を、どこか遠い目をして見つめていた。

 

「……あれは、自由だね。海という境界線すら超えてしまった。司令官の狂気は、ついに彼女たちに翼を与えてしまったんだ」

 

「感心してる場合じゃないのですー! 降り方がわからないのですー!」

 

上空から、電の悲鳴に近い念話が(念話?)、衝撃波と共に地上へ叩きつけられる。

二人の「雷電」は、あまりの出力に制御が追いつかず、高度を上げすぎて成層圏の入り口まで到達しようとしていた。

 

高雄は男を揺さぶる手を止め、その胸倉を掴み上げるようにして至近距離で睨みつけた。

 

「司令官! 遊びは終わりです! 彼女たちを、今すぐ地に……海に戻しなさい! 艦娘が空に溶けて消えてしまう前に!」

 

男は、高雄の剣幕に押されるようにして「やれやれ、これだから現場の意見というのは……」と、心底名残惜しそうに呟いた。

 

彼は、まだ熱を帯びたままの異世界の写真を手に取ると、それを指先で丁寧に、しかし確実な意志を持って小さく折り畳んでいく。

 

その瞬間、空を支配していた狂気的な駆動音が、嘘のように消え去った。

 

「――あ、あれ?」

 

上空数千メートルから、雷の間の抜けた声が降ってくる。

猛烈な上昇を続けていた二人の周囲で、空間を歪めていた青白い光の翼が、粒子となって霧散していく。折り畳まれた「概念」に呼応するように、彼女たちの存在を空へと繋ぎ止めていた異世界の重力が、本来の海の理へと書き換えられていった。

 

二人のシルエットはゆっくりと、ふわりとした浮遊感を伴って降下を始める。

 

「わわわ、降りていくのです! 落ちるんじゃなくて、降りてるのです!」

 

電の声には、先ほどまでのパニックとは違う、どこか不思議な高揚感が混じっていた。

 

地上では、高雄がようやく男の肩を離し、乱れた髪を直すのも忘れて、空から舞い戻る二人を食い入るように見つめている。彼女の瞳には、安堵と、そして「あってはならないもの」を目の当たりにした科学的な敗北感が入り混じっていた。

 

暁は、砂埃を上げて着地しようとする二人に向かって、駆け寄らんばかりに手を振る。

 

「雷! 電! 無事なの!? どこも変なところ、生えてきてないわよね!?」

 

やがて、二人の足が静かに演習場の土を踏んだ。

 

肩車はいつの間にか解け、二人は地面に降り立つなり、ふらふらとよろけながらお互いの体を支え合う。その頬は紅潮し、瞳にはまだ、雲の上で見た太陽の残像が焼き付いているようだった。

 

「……すごかった。司令官、私、海があんなに丸いなんて知らなかったわ」

 

雷は、自分の手のひらを見つめ、握りしめる。

そこには翼の名残のような微かな熱が宿っていた。

 

「なのです。怖かったけれど……空は、とっても広かったのです……」

 

電はへなへなと座り込み、深く息を吐いて笑った。

 

響は、戻ってきた二人の元へ歩み寄り、その肩にそっと手を置く。

 

「おかえり。……鳥のような気分だったのかい?」

 

高雄は、そんな感動的な再会の輪から一歩引いたところで、男の方を振り返った。

その視線は冷ややかだが、折り畳まれた写真が男のポケットに収まるのを確認すると、わずかに肩の力を抜いた。

 

「……司令官。これで満足ですか。彼女たちは『船』です。二度と、あんな危うい場所へ連れて行かないでください」

 

そう言いながらも、高雄は再び空を仰いだ。そこには二人が描いた飛行機雲が、まだ白く、誇らしげに残っていた。

 

 

男は、座り込む雷と電の頭を交互に撫でながら、事も無げに言った。

 

「まあまあ、二人とも楽しめただろう? それに空を飛ぶ船なんて、異世界にはいくらでも……」

 

その言葉が、更なる禁忌の扉を開く鍵であることを、高雄の直感は瞬時に察知した。

彼女の背筋に氷のような戦慄が走り、思考が止まるよりも早く、その体が動いていた。

 

「それ以上は、一言も発することを禁じます!!」

 

高雄は、男が次の一句を紡ぐ前に、その口を掌で力任せに塞いだ。

彼女は優秀な艦娘である。その身体能力は、異世界の来訪者たる男の反応速度を遥かに凌駕していた。

 

男の「空を飛ぶ船」という言葉に、暁は「船が空を飛ぶ……? それって、浮いてるの? 走ってるの?」と首を傾げ、響は「……空飛ぶ、戦艦。それはそれで、ロマンがあるかもしれないね」と、どこか遠い未来の可能性を幻視するように呟く。

 

だが、高雄だけは、この男が口にする「言葉」が、そのまま現実を侵食する「概念」へと変貌する恐ろしさを、骨の髄まで理解していた。もし今、この男が具体的にその『船』の名を口にすれば、目の前の演習場に、あるいは鎮守府の海域に、物理法則を蹂躙する巨大な質量が顕現しかねない。

 

「司令官、いいですか。ここはあなたの研究室ではありません。我々が守るべき、かけがえのない『今』がある場所なのです」

 

高雄は男を組み伏せるような姿勢のまま、その耳元で、低く、切実な声音で囁いた。

彼女の掌から伝わるのは、男を制止しようとする強い意志と、その奥に潜む、未知なるものへの根源的な畏怖。

 

男の顔が、高雄の白い手によって押し潰され、情けない声を漏らす。

 

「んぐ……ん、んんーっ!」

 

「静かになさい。……いいですね?」

 

高雄はゆっくりと、警戒を解かずに手を離した。彼女の制服は乱れ、息はわずかに荒い。

だが、その瞳には「これ以上の逸脱は許さない」という、鋼の決意が宿っている。

 

彼女の背後では雷と電がようやく立ち上がり、互いの顔を見合わせて「もう、司令官はいつも無茶苦茶なのです……」と苦笑いを浮かべていた。

 

 

朝の霧は完全に晴れ、演習場には穏やかな陽光が降り注いでいる。

 

男は、高雄の厳しい監視の視線にさらされながらも、どこかやり切ったような晴れやかな顔で肩をすくめた。

 

「とりあえず、今のところ暁型の検証は以上かな。暁くんだけ新たな可能性を提示できなかったのはすまないが……」

 

その言葉が投げかけられた瞬間、隣で成り行きを見守っていた暁の肩が、目に見えてビクッと跳ねた。彼女の瞳は一瞬泳ぎ、それから誤魔化すように咳払いを一つ。

 

「……そ、そう。残念だわ、司令官。レディとして、もっと特別な力が目覚めるかもしれないって思ってたのに。本当に残念だわ!」

 

口ではそう強がり、眉をひそめて不満げな表情を作ってみせる暁。

しかし、彼女の背中を伝う冷や汗までは隠しきれていなかった。

 

(……助かった……! 本当に、本当の本当に助かったわ……!)

 

彼女の脳裏には、昨日、二十五歳の熟成された女性へと変貌し、自分を子供扱いした「響」の姿や、先ほどまで空の彼方へとシュポーンと射出されていた「雷と電」の、あの人知を超えた光景が焼き付いている。

 

もし、自分にその矛先が向いていたら――。

もし、このマッドサイエンティストが「暁」という名から別の奇怪な概念を引き出していたら――。

 

想像するだけで、暁の膝は微かに震えた。

彼女は、高雄が男の口を塞いでくれたことに、心の底から感謝していた。

自分だけは、まだこの「小さなレディ」としての日常の中に留まっていられる。

その安堵感は、どんな強化改造の誘惑よりも甘美なものだった。

 

「……ふふ。暁、顔が引きつっているよ」

 

響が、全てを見透かしたような涼やかな声で囁く。

 

「な、何よ! そんなことないわよ! 私はただ、司令官の不甲斐なさを嘆いているだけなんだから!」

 

顔を真っ赤にして反論する暁。

その様子を、雷と電は互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべながら見守っていた。

 

高雄は、ようやく男を解放すると、乱れた手袋を整え、重い溜息をついた。

 

「……暁型への『実験』がこれで終わりだというのなら、結構なことです。これ以上の混乱は、鎮守府の秩序を崩壊させかねませんから」

 

彼女は再び、凛とした秘書官の佇まいに戻り、一同へ向かって宣言した。

 

「さあ、実験は終了です。皆、工廠へ戻って艤装の点検。そのあと、遅めの朝食にしましょう」

 

 

男は、高雄の背中に向かって、ひらひらと手を振りながら軽妙な調子で声をかけた。

 

「高雄くん、実験って言っちゃってるよキミ。建前は大事だよ、建前は。これはあくまで、彼女たちの『潜在能力の再定義に関する超常的アプローチ』……とか何とか言っておかないと」

 

人を食ったような、あるいは自らの狂気を巧妙な言葉遊びで包装しようとするその物言いに、高雄は足を止めることさえしなかった。彼女は乱れた制服の襟元を正し、事務的な足取りを崩さないまま、冷淡に言葉を投げ返す。

 

「はいはい。そうですね、司令官。そのような不毛な言い換えを、一般的には『屁理屈』と呼びます。……さあ、口を動かす前に足を動かしてください。食堂のご飯が冷めてしまいますよ」

 

彼女の受け流し方は、もはや熟練の域に達していた。

この男の突飛な発想に一喜一憂し、激しい動揺を見せていた高雄だったが、共に過ごす時間の中で、まともに相手をすることがいかに精神的資源の無駄であるかを学んだのだ。

 

「まったく、司令官は少し懲りたほうがいいのです」

 

雷がプンプンと頬を膨らませ、男を追い越していく。

 

「お腹が空いたのです……。今日は美味しいスープがあるといいのです」

 

電は既に意識を朝食へと切り替え、期待に胸を膨らませている。

 

暁は「全く、これじゃ誰がレディなんだか分かったもんじゃないわね」と、男を呆れたような目で見やりながら、誇らしげに響の隣を歩いた。その響だけは、去り際、男の方を一度だけ振り返った。

 

「……ミーム、だったかな。面白い考えだね。でも、次はもう少し、心臓に優しいやつを頼むよ」

 

雲ひとつない青空の下、少女たちはそれぞれの想いを抱えながら歩き出す。

彼女たちの声が遠ざかるにつれ、演習場には再び静寂が戻ってくる。

 

男は一人、自身のポケットに収まった折り畳まれた写真の感触を確かめた。

その紙切れには、まだ微かな熱が残っている。

 

「……さて」

 

高雄の監視の目は厳しいが、彼女の「ハイハイ」という諦念の裏側に、どこかこの奇妙な非日常を受け入れつつある響きを感じ取ったのは、男の気のせいだっただろうか。

 

海からふいてくる心地よい風が頬をなでていく。

 

男の語る「可能性」が、次にいつ再び目を覚ますのか。

その不安と期待の予兆を、潮風だけが知っていた。




ガーターが悪いよガーターが。
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