「帰属校から助っ人依頼ですか」
「はい、帰属校同士だと選手を貸し借りできるそうです」
雷門中理事長、円堂夏未は眉を顰めながらその話を聞いた。
西ノ宮中学、帰属校からの助っ人依頼。端的に言えば、雷門の選手を大会で貸してほしいという申し出。
本来なら、少子化で部員が足りない学校のため、人員を補強することを目的とした制度ではあるのだが、雷門の選手を借りることができるとなれば、そういう運用も起こってしまう。
「実に厚かましいので、お断りの連絡をいれようかと」
帰属校とはいえ、部員を貸し出すメリットもなければ、義理もない。本来なら断るところではあった。
「待って」
「はい?」
「受けましょう、雷門の選手を貸出します」
その依頼を受けたのは完全に私事であった。具体的には、最近妙に様子がおかしいハルをリフレッシュさせるため。
環境を変えてサッカーをしてみれば、今のマンネリ化したサッカーから抜け出せるかもしれない。そんな思惑。
「九州……か」
同時に思い出すのはもう一人の息子の事だ。
半ば、喧嘩のように東京を出た次男坊。長崎の親戚(円堂父方)に預かってもらい、逐一様子は教えてもらっている。
それでも、まだ中学生の少年が親元を離れるという不安。親としての不甲斐なさも相まって頭を抱えてしまう。
何度電話をしても、基本的には出てくれない。メッセージで必要な連絡だと伝えれば、ようやく出てくれるといった程度。
「不甲斐ない親でごめんなさい……冬希。それでも……」
向き合っていたつもりだった。しかし、我慢強く、向上心のある冬希に甘えていたのだろう。冬希自身自覚しないまま、毒はたまっていて、それが彼のあり方を捻じ曲げた。
冬希との仲も、喧嘩というほどのものではない。ちょっとしたすれ違いだ。しかしそれを正すには冬希の思い込みを根本から変える『何か』が必要だ。
ほんの少し、その時の言い合いを思い出す。
冬希の『とある行動』に対して、きつめに叱った。それは間違ってないはずだ、あれは絶対に許してはいけない。
しかし、どんなに相手を思ってのことでも伝わるかは別問題。加えて、当時まだ小学6年生の彼にとっては自身の考えを曲げるのは難しかったのだろう。
そこから言い合いになり、歯車がズレたように仲が拗れた。
言い合いがヒートアップして、いつしか主題からずれていた。
売り言葉に買い言葉のように、つい言ってしまったことなのだと分かっている。しかし、冬希の捨て台詞は今でも憶えている。
『みんな気を遣って言ってないけど、母様の料理滅茶苦茶マズいから!』
「……料理、練習しようかしら」
――――――
「冬希にはディフェンス陣の指導をしてほしいんだ」
「俺が?」
「ああ、冬希の高度なサッカー観があれば初心者にも上手く教えられると思う」
「いいぜ、確かに必要な事だしな」
冬希は雲明から、初心者への指導という役割を仰せつかった。確かに、西ノ宮戦に向けて必要なことではあるので承諾した。
「という訳で、今から俺がディフェンス陣への指導をすることになった」
「よろしくね、冬希君」
「よろしく頼む」
そう返事をしたのは古道飼と四川堂だった。
集められた他の面々、伊勢谷要、弁天九郎丸、妖士乃銀郎、雨道未理科も口々に返事をした。
ディフェンス陣という話だったが、せっかくなので初心者を集めてちょっとした講習を行うことになった。忍原も初心者ではあるが、今は必殺技の習得に専念してもらっている。
「ディフェンス陣以外もいるが、とりあえずディフェンスってものについて説明させてもらう」
そう言うと、冬希はホワイトボードを取り出した。
マグネットを置き、11対11を盤面に作る。
「さて、まずディフェンスする上で一番重要な事は何だと思う?古道飼」
「え?ボールを奪う事かな?」
「まずはその意識を捨てて欲しい」
「え?」
マグネットを動かし、異色が入り混じった陣形を作る。
「ボールを奪うことは確かに必要だ。だが、ボールを奪うという意識だと、些か前のめりなディフェンスになってしまう」
「じゃあ、何を意識するんだ?」
「点を獲られないことですね」
四川堂の問いに明快に答える。
「勿論、ゴール前にへばりついて守れって意味じゃないぞ。いいか、ディフェンスが守るのはスペースだ!」
「スペース?」
「たとえば、こんな場合」
ボード上にボールマークのマグネットを追加する。ボールホルダーは敵のウィング。サイド際で、センターラインと自陣ゴールの中間の位置。
「サイドでボールを持った敵がドリブルで持ち上がってきたとき、こっちのサイドバックがまず対応に当たるわけだが、この時センターバックは何をする?」
「なるほど、スペースを潰す、という訳だな」
「はい、具体的にはスペースが潰せるかつ、フォローに入れる斜め後方」
ディフェンス陣のマグネットを持ってスライドさせる。
「サイドバックが対応に当たれば、元いた位置にスペースができる。そこに敵がボールを持ち込めば中央突破される。だから、センターバックが寄る。勿論、そいつが元いた位置も空くわけだから、そこも逆のセンターバックが寄る、さらに空いたところに逆のサイドバック……という具合に順に詰めていくんだ」
「でも、逆サイドが空いちゃったよ」
「いいんだ」
パンと、逆サイドにマグネットを置く。
「こいつにサイドチェンジされたなら、同じことを逆サイドでやるだけだ。そんなことより、中央にスペース出来る方がよほど怖い」
さらに色んなパターンを例示する。
「ビルドアップしたときもそうだ。前線が上がったのに、DFが後ろにいたらその間のスペースを使われる。だから、詰める。もし、センターバックが一枚前へ出る状況になったら両サイドバックが中央に詰める。とにかく、味方同士の距離感を適切に保つこと!これがディフェンスの基本だ」
ここまでは全員が理解できているようだった。
「じゃあどうやってボールを奪うんだ?」
四川堂が疑問の声を挙げる。
「そうですね、まず相手がボールを持ち込んできたらディレイ。ボールを奪いに行く動きではなく、進路を塞いで時間を稼ぐ」
ボールを持ったマグネットとディフェンスが中央でぶつかる。
「主導権は基本相手にある。相手が突破を仕掛けてきたら、それについてくんだ。たいてい横を抜かれるわけだが……」
ここで、マグネットじゃ伝わりにくいと思ったのか。選手を実際に立たせた。
敵役に伊勢谷。冬希がそれに対応し、後ろには古道飼という配置。
「敵選手である伊勢谷が俺を抜いたとすると、ここで次の動きは抜かれた相手について行くことになる。コースを切りながらな」
くいッと、指で合図し、古道飼を誘導する。
「そしてサイドに逃げるようにコースを切りながら、出てきたところをもう一人のディフェンスが潰す」
「追い込み漁のようだな」
伊勢谷が眼鏡を直しながら、呟いた。
「そ、ディフェンスは複数で当たるのが基本。だからこそ、常に数的有利を作れるように距離感の調整が重要になる」
「ふむ」
冬希はそこで一旦、言葉を切った。
「と、ここまで説明したわけだがこの原則を崩す要素が1つある」
「要素?」
「……必殺技か!」
「はい、四川堂先輩の言う通り必殺技はこの戦術を崩す力がある。そしてこればっかりは個人の技能で対応するほかない」
もう一度ホワイトボードでの説明へと移った。
「例えば、この追い込むディフェンスですが、コースを切ってるプレイヤーが突破されるといきなり中央突破される」
「確かに、シュート技ばかりに気を取られていたがオフェンス技も厄介だな」
「じゃあ、どうやって対策するの?」
古道飼が、こてんと首をかしげる。当然の疑問に冬希は頷いて答える。
「ひとつは、技で消耗した後を狙って取りに行くことだな。だが、技使った後って勢いに乗ってるからちょっと経験がいるかもな。消耗している瞬間と勢いが衰えた瞬間を狙い撃ちして、プレスをかける」
当然、その時は陣形が崩れているわけだからその場での対応力が求めらる。経験を積めばそれも可能だろうが、即応性のある対策ではない。
「んで、もうひとつがこっちも必殺技を使う」
個人の能力で勝つ。身もふたもないが、それが単純な対策法だった。
「ディフェンス技の良いところは後の先が取れるってところにある。こっちは間合いと人員を使って相手を追い詰められるんだからな。むしろ相手に必殺技を使わせるのが今のディフェンスのトレンドだ」
「という訳で、必殺技を覚えてもらわなきゃいけないんだが。それよりもまずは基本の動きを身に着けてもらわなきゃならない」
そう言って、冬希は袋を取り出す。
「これは……ビブス?」
「着るのか?」
「それは『尻尾』です」
「尻尾?」
冬希の言葉に面々が困惑する。そんな様子をほくそ笑みながら、パンと柏手を打った。
「これからみんなには『尻尾取り』をしてもらいます」
――――――
「『尻尾取り』ですか」
「雲明」
講習組の様子を見るため、雲明がやってきた。今やっているのは『尻尾取り』、ボールも使わず一見遊んでいるように見えるが、そうではない。
「ディフェンスの動き方を覚える練習ですね」
「そ、ディフェンスの仕組みが分かっても、動き方が出来てなきゃ意味がない」
ここでいう動き方とは、戦術の話ではなく、もっと単純な体の使い方の問題だ。
「『尻尾』という存在が、意識を腰に向ける。そんで、尻尾を取られないようにするには相手を視て腰を切る動きが必要になる」
サッカーでもおなじ動きが、用いられる。ディフェンスは基本、自分を相手とゴールの間に挟んでそれを維持する。その際、体をボールに向けたまま相手の動きに合わせてステップを踏む。
「本来なら、言葉で教えたいところだが、こういうのは動きを実感した方が速い」
「その方法が『尻尾取り』という訳ですか」
四方をコーンで囲み、互いに尻尾を取りあう。自分の尻尾を守りつつ、相手の尻尾を取りに行く動きが求められるこの競技は体の使い方を学ぶ上で最適だと判断したのだ。
「それに、ぶっ続けで30分くらいやれば特訓にもなる」
瞬発力と、精神力。その両者が求められるこの『尻尾取り』は、見た目以上に神経を削ってくる。
「にしても……」
「?どうかしましたか?」
「いや古道飼の奴、やけに動きがいいな」
「ええ、あの巨体であの瞬発力」
「ディフェンス向き……だな」
ディフェンスに求められる能力。これは案外、足の速さだったりする。
「究極の所、ディフェンスの仕事は抜かれないことだ。ボール持ってる相手の前に立つだけで、相手からしたら邪魔でしょうがない」
「古道飼君の足の速さは、まさしくその抜かれないという点において秀でている」
「巨体も相まってな、こりゃスタミナ付けたら化けるぞ」
『尻尾取り』の様子を見ながら、冬希は古道飼の評価を上げた。
――――――
「よし、それじゃあ実践といこうか!」
「なんか生き生きしてる……」
「こんなキャラだったか?」
『尻尾取り』も一通りした後、冬希がそう呼びかけた。
「実践って、まだ『尻尾取り』しかしてないよ」
「動き方が体に沁みついてるうちにやるんだよ。脳と体、両方使わないとディフェンスは覚えられない」
そこで雲明が、桜咲、木曽路、柳生、忍原を連れて戻ってきた。
「すいません、ちょっと協力してください」
「それは良いが、ミニゲームってこのメンバーでやるのか?」
桜咲が、疑問を呈する。
流れるようにフィールドに連れられた面々だが、その場は桜咲、木曽路、柳生、忍原に向かうように、冬希、古道飼、弁天、雨道が対面していた。
オフェンス組と、冬希を覗いたディフェンス組。それも、ほぼ経験者と未経験者で分かれている。
「ええ、経験者のオフェンスが欲しかったんです」
「でも僕たち、まだちゃんとディフェンス覚えてないよ」
「それを覚えてもらうための練習だよ」
いいから、と古道飼を促しポジションにつかせる。
「四川堂先輩はキーパーをお願いします」
それぞれがポジションにつくと、雲明が合図に笛を吹く。
桜咲がボールをポンと、前に出す。
そのボールホルダーである桜咲に、冬希が一枚ディフェンスから前に出る。その際、くいッと手首をスナップさせ何かをサインする。同時に視線を振り、目配せして、古道飼に立ち位置を誘導した。
(冬希君が前に出た、これはさっき言っていた。両サイドが絞るパターン。それじゃあ僕の役割は)
桜咲がボールを振りながら、冬希の横を突破する。冬希はそのままそれについて行き、木曽路へのパスコースを切るように、桜咲を外に逃がしていく。
その瞬間、冬希の瞳が古道飼の目を捉えた。
(ここ!)
引き込まれるように、古道飼は桜咲の正面に向かって行く。
「ナイスディフェンス!」
ドン、と。突破するためにボールが桜咲の体から離れた瞬間を狙って、体を割り込ませた。
完全に、古道飼が桜咲のボールを取った形だった。
「ストップ!今の整理しよう」
冬希がミニゲームを止め、古道飼に思考を整理する時間を与える。
「獲った……僕が……桜咲先輩のボールを」
「今の感覚だ、古道飼は今、俺が桜咲先輩の進路を誘導したのと連動してボールを取りに来た。この連携こそディフェンスだ」
「でも、僕。まだちゃんと理解してないのに」
「多分、こいつのトンチキ能力だろ」
桜咲がぽんぽん、と冬希の肩を叩く。
「え?」
「こいつは味方の動かし方が超巧い。大方、前の忍原の時みたく言外にプレーを誘導したんだろう」
「だが、それを察して動いたのはあくまで古道飼の力です。これを繰り返せば、ディフェンスの動きを完璧にインプットできる!」
「お前はやべえことを簡単そうに……」
そこで、桜咲が古道飼の様子に気づく。
「古道飼、どうかしたか?」
「凄い……これって凄い!」
「どうした?」
困惑する桜咲とは裏腹に、冬希はほくそ笑んでいた。
「今、僕と冬希君が一つの生き物みたいに連動してた。ボールすら繋いでいないのに、スペースとタイミングの共有だけで」
「そう、そしてそれを11人全体でやるのがサッカーなんだ」
なんて、奥の深いスポーツだろうか。
「力を合わせる、息を合わせる。簡単に言うが、難しい。結局はポジションごとに与えられたタスクをこなす単独作業になってしまうからな。だが、これが力を合わせるということなんだ。もし、これが11人全員で出来たなら」
古道飼のサッカーの原動力は忍原に対する憧れだった。
それを否定する者は誰もいないが、直接向上心には繋がりにくい。しかし、今サッカーの神髄の一端に触れた。
サッカーという競技そのものに対して、熱が生まれた。
そこが、スタートラインだ。サッカーに熱狂し、周囲を熱くする。サッカー選手たるものそうでなくては。
「今、古道飼はまさしくサッカーの入り口に立った」
「ここから……」
「サッカーはこれだけじゃない。オフェンスの組み立て。必殺技の使いどころ。タクティクス。小技の数々。まだまだ、ある。ただ勢い任せにボールを蹴るだけじゃない。この思考こそが、サッカーなんだ」
今の冬希の姿勢は父とはかけ離れて見える。しかし、その根本にある想いは実は同じなのかもしれない。
冬希は無意識に言葉を紡いでいた。
「さあ、サッカーやろうぜ」
古道飼がサッカーへの熱い想いに目覚めた!