終章 帰還
都会に戻ってから、半年が過ぎた。
かつての職場に似た小さな事務所で、私は再び実体のない数字を整理する生活を送っている。
同僚たちは私を「少し陰のある、物静かで善良な男」だと思っているようだ。
だが、私の視界に映るこの世界は、あまりにも白く、血の気が引いている。
街を行き交う女たちの瞳は、一様に乾いている。
彼女たちは私を恐れないし、私の視線に跪くこともしない。
それが、今の私には耐え難いほど退屈で、卑俗なものに感じられる。
今朝、スマートフォンの画面を指でなぞっていた時、その記事を見つけた。
『山間の温泉街で悲劇 住民20名が死亡、大型の害獣による被害か』
猪尾集落において、住民のほぼ全員が死亡しているのが発見された。
現場の惨状から、複数の大型の熊による執拗な襲撃と見られているが、遺体の損壊が激しく、警察は事件性の有無を含め慎重に調査を……。
私は、無機質な事務所のデスクで一人、声を殺して笑った。
熊などではない。
あのぎらついた老人たちも、くたびれた中年たちも、ついに彼女の「空腹」を支えきれなくなったのだ。
管理者の血を失った彼女にとって、あの男たちはもはや、私を待つ間の退屈を凌ぐための、ただの肉塊に過ぎなかったのだろう。
彼女は、掃除を終えたのだ。
不純な観測者たちを排除し、私と彼女、二人きりのための完璧な「檻」を作り上げたのだ。
私は、机の引き出しから一通の封筒を取り出した。
中には、あの日以来、一度も開けることのなかった屋敷の鍵が入っている。
荷物をまとめる必要はない。
あそこに、私のすべてがある。
事務所を出て、私は雑踏の中を歩き出す。
麻美のことを思い出そうとしてみたが、もう彼女の顔を構成するパーツの一つも浮かんではこなかった。
彼女の「先輩」という呼び声は、都会の騒音の中に溶けて消えた。
これからの季節、あの村は深い雪に閉ざされるだろう。
外部との接触を断ち、白銀の世界で、私は再びあの艶めかしい怪物の主となる。
彼女の巨大な体を私の足元で丸め込ませ、私の血を与え、彼女の歪んだ情愛のすべてを、支配という名の悦楽で受け止める。
それは、世間が呼ぶ「恋」や「愛」とは、似て非なるものだ。
もっと昏く、もっと鋭く、もっと純粋な、捕食者と管理者の共生関係。
駅のホームに立ち、山へ向かう列車の到着を待つ。
硫黄の匂い、霧の冷たさ、そして、湿り気を帯びたあの呼び声が、風に乗って聞こえてきた気がした。
「……あなた」
ああ、帰ろう。
名もなき季節が終わり、私たちの永遠が始まる。
私は静かに、列車のドアへ一歩を踏み出した。