吉田のひと言で勉強会が始まった。
しかし、サンズ以外の4人はこれから驚愕することとなる。まず度肝を抜かれたのは、サンズが作成した問題用紙であった。事前に作られていたのも驚きではあったが、さらに驚かされたのはその『質』にあった。
まずは数学から始まった。
「…う〜ん…」
西川が唸る。問題用紙の中盤辺りの問題に行き詰まっていたからだ。内容としては高校生で習う計算問題のレベルを一段階上げた、という感じの内容だった。
かれこれ5分間同じ問題について考えているが、全く分からない。西川はまだ考え続けている…が、ここで諦めて違う問題を解き始めた…この問題も迷っている。
吉田はどうだろうか。
「………」
いつもの騒いでいる様子とは違い、無言で問題用紙と向き合っている…まだ序盤の内容である。
一度ペンを置き、指でこめかみを押さえた。まだ時間が掛かりそうだ。
白石はどうか。中盤まではスラスラとペンを進めていた。が、用紙終盤の問題でペンが止まり、熟考し始める。ペンを走らせ、止める。走らせ、止める。これを繰り返している。
「…ふむ…」
西川と同じような声を上げ、黙り込む。またまだ先は長そうだ。
では、森下はどうだろう。
「……」
無言だった。ペンの動きが止まっている。躓いている箇所は、白石と同じく終盤辺りのようだ。式を書いてみたは良いものの、そこからの答えが導き出せていない。という様子だった。
数分後、解けなくなったからかペン回しをして遊び始めている…
(ダメだこりゃ)とサンズは内心で思った。
さて、サンズは何をやっているのだろうか。自分の椅子に座って、時計を見ながら何やら時間を数えているようだ。
(…あと三十秒…)
…その後、『ピピピッ!』と、タイマーの鳴る音が聞こえた。サンズは立ち上がり、口を開く。
「ほい、終了だ。ペン置けよ〜」
タイマーが鳴った瞬間、4人はぐったりとした体勢となった。
「…おい…サンズ…」
「ん?何だ。」
「…難易度おかしくねえか!?」
「わ、私もそう思うんだけど!?」
騒いでいる2人を尻目に、サンズは白石と森下を見る。
「じゃ、アンタラはどうだった?」
「無視するんじゃねぇ!」
ギャーギャー喚いている吉田を完全にスルーして、白石はサンズに顔を向けて口を開く。
「そうですね…途中までは何とか解くことができたのですが、終盤辺りの問題は難しかったですね。少なくとも、私には何が何だか分かりませんでした。」
「白石飛鳥に賛成します。途中までは難なく解くことができましたが、最終的にはペン回しの練習を始めることとなりました。成果を見せてあげましょうか?」
「いらねえよ」
一息つき、サンズは再び話す。
「んじゃ、今から答えを配る。そんで、10分間くらい見直ししてくれ。いいか?」
全員が首を縦に振る動作を見て、サンズは一人一つずつプリントを配っていく。
(…なんか、ガスターになった気分だな…)
あの日々のことを思い出す。他の研究員…仲間たちと時に笑い、時に悲しみ、時にガスターのレポートが間違ってゴミと処理され全力で修復し、時にカップラーメンの汁をこぼし、白衣を洗濯し…
(…思い出したら腹が立ってきた…)
サンズは 考えるのをやめた!
と、ここでサンズの携帯が鳴った。
(…何だ…?綾小路か。)
『もしもし』
「よう。どうしたんだ?」
『どうしたんだ、じゃないだろ。お前が放課後教室で待っておいてくれって言ってたんじゃないか。』
「…あ。」
完全に忘れていた。
『…忘れてだろ…』
「いや、違うぞ。ただ別の用事があって頭から抜け落ちてただけだぜ。」
『それを忘れてるって言うんだよ…』
「へへへ、悪い悪い。今から向かうから待っててくれよ。」
『…堀北キレかけてるぞ。』
「ん?堀北…?誰だっけな…」
『…堀北を弄るのはやめとけ。』
(…あぶね。あの学センパイの妹か。ぎりぎり思い出せたぜ。意外とマジで忘れてた…)
「ま、とりあえず今からそっち向かうから、待っててくれよ〜」
『できるだけ早く頼む。マジで。』
「分かった分かった。んじゃな」
サンズは言い切って電話を切った。携帯の電源を落とし、ポケットにスマホを突っ込む。そのまま席から立ち上がり、玄関に向かう。そして振り返りざまに4人に向けて口を開いた。
「おい、ガキンチョ達。真面目に勉強してろよ〜」
そう言って玄関の扉を開けようとした、次の瞬間。
「お、おい、サンズ。どこ行くんだよ?」
サンズを吉田が引き留めに来た。振り返って、ニヤニヤした顔のまま話す。
「ちょっと用事だ。30分くらいで戻ってくるから待っててくれ。その間勉強しててくれ。」
「そ、それはするけどさ…」
サンズは少し小声になり、吉田にしか聞こえないような声で口を開いた。
「…これを期に白石と仲良くするってのは、どうだ?」
「…!?」
「へへへ、ま、頑張れよ。」
「…ちょ、まて!」
吉田の制止を完全に無視して家から出る。そのまま学校に向かっていく。
(…あ〜…めんどくせ〜…)
前日に自分であらかじめ言っておいたこととはいえ、わざわざ家に帰って学校まで歩かなければならないという普通であれば絶対にやらない、サンズにとって苦痛でしかないことをやっている。
精神的に疲れたので、ベンチに一旦座って意味もなく空を見る。少し夕焼けに染まった空が、サンズを見つめていた。
(…綺麗だな…)
地下世界から抜け出して見ることができたこの世界は、全てが美しい。サンズにとっては、全てが新鮮であり、それでいて面倒くさかった…
「…骨が折れるぜ」
そう呟いてから、サンズは学校に向けて再び歩き出した。
――――――
―――――
おらぁ! とっとと金出せや、落ちこぼれのDクラスさんよぉ!」
「ガハハ! つっても、Dクラスの貧乏人が金なんか持ってるわけねぇか!」
「やめとけって! あんまいじめると、Dクラス様が泣いちまうぜぇ?」
「…ひっぐ…ひっぐ…やめて…」
(…こういう状況のとき、オイラはどうしたらいいんだ…?)
…状況を整理しよう。サンズは学校に到着し、さあ綾小路の元へと行こう、と考えていた。
が、その通り道。どこの学年か知らないが、三人の不良が1人の小さい女子生徒を囲んで、カツアゲをしようとしていたのだ。
巧妙にも監視カメラのない場所、角度でやっていたため、バレることはないだろう…
(…あのニンゲン達を見ていると…)
あのニンゲンは、クソニンゲンを彷彿とさせる…気持ちがいいものではない。
「…払えねえならよ…身体で払ってもらおうか…?」
「ひっ…」
(…はぁ…しょうがねえなぁ…)
サンズは助けるケツイをした。
「…おい、アンタら。そこまでだ。」
「…あ?」
「…誰だテメェ。」
一番背の高い男が、不機嫌そうにサンズを睨みつける。
サンズは両手をポケットに突っ込んだまま、小さく肩をすくめた。
「ただの通りすがりだ。ま、気にすんな。」
「だったら失せろ。今忙しいんだよ。」
「おー、怖ぇ怖ぇ。」
軽い口調。
だが、サンズの視線は奥で怯えている女子生徒へ向いていた。
「……なぁ。」
サンズはため息混じりに続ける。
「三人がかりで一人の女の子を泣かせるってのは、そんなに楽しいもんなのか?」
「……あ?」
空気が僅かに変わる。
不良の一人が苛立ったように前へ出た。
「調子乗んなよクソが。」
そのままサンズの胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。
──だが。
「……は?」
空を切った。
サンズはいつの間にか半歩横へズレている。
避けた動きが見えなかった。
「おっと。」
サンズは眠そうに片目を細める。
「危ねぇ危ねぇ。」
「テメェ…!」
再び腕を伸ばす。
また避けられる。
三度目。次は腕の裾を狙った。
やはり掴めない。
サンズはほとんど動いていない。
なのに、絶対に触れられない。
不良達の表情から、徐々に苛立ちが消えていく。
代わりに浮かび始めたのは、理解できないものへの不気味さだった。
(…なんだコイツ…)
サンズは笑っている。
いつもの、締まりのない笑顔。
だが。
目だけが妙に冷たい。
「なぁ。」
サンズは静かに口を開く。
「オイラ、こーゆー面倒くさい事は嫌いなんだよ。」
「だったら邪魔すんな!!」
一人が拳を振るう。だがその拳もサンズがバックステップしたことにより、空を切る。
勢い余って前につんのめった男を見て、サンズは小さく笑った。
「おいおい。そんな焦んなって。」
「……っ!」
男の額に汗が滲む。
避けられている。手加減されている。手を抜いている。その事実が、何よりも男たちを苛立たせていた。
「クソがァ!!」
今度は二人同時に飛び出す。
しかし。ぶつかった。互い同士で。そこに、サンズはいなかった。
「っ痛ぇ!?」
「何してんだテメェ!」
「お前が勝手に──」
サンズは少し離れた場所で、机の上に座って欠伸をしながらそれを眺めていた。
「仲良いなぁ、アンタら。」
「……ッ!!」
ぞわり、と。
三人の背筋に悪寒が走る。
おかしい。目の前の男は何もしていない。
殴ってもいない。脅してもいない。こちらを攻撃する素振りを少しも見せていない。動く素振りすら見せていない。
そう、『何もしていない』のだ。
それなのに全ての攻撃を避け、サンズ自身はこの場から全く動いていない。この場において、サンズは異常でしかなかった。
「さて。」
サンズはパーカーにポケットに手を入れたまま、一歩前へ出る。
それだけで、三人が反射的一歩に後ずさった。
サンズがまた一歩前へ出る。
下がる。
前へ出る。
下がる…
三人は完全にサンズの空気に飲まれていた。
「まだやるか?」
笑顔のまま。穏やかな声のまま。いつも通りのニヤニヤとした顔。
なのに、サンズが言葉を発した瞬間の空気が、異様に重い。肺を圧迫されているかのような、そんな感覚に三人は襲われていた。
まるで、『これ以上やると、ただでは済まない』と本能が警告しているようだった。
「……っ、くそ…!」
最初に絡んできた男が舌打ちする。だが、もう先程までの威勢はない。
「……行くぞ。」
「はぁ!? でも──」
「いいから!!」
半ば逃げるように、三人はその場を去っていく。
やがて、その場には誰もいなくなった。サンズはそれを見届けると、小さく息を吐く。
「……骨が折れたぜ。」
そう嘯いて、怯えていた女子生徒へ顔を向けた。
「アンタ、怪我ないか?」
「……あ……は、はい……」
少女は震える声で答える。
膝がまだ小刻みに震えていた。
サンズはそんな様子を見ると、ゆっくり少女の前まで歩いていく。
少女の肩がびくりと揺れた。
だがサンズは何もせず、ただポケットから小さな飴玉を取り出した。
「ほれ。」
「……え?」
「甘いもん食うと、ちょっと落ち着くだろ。」
そう言って、少女の手のひらに飴を乗せる。
あまりにも自然な動作だった。
まるで特別なことをしたつもりもないみたいに。
「……あ……」
少女は呆然とその飴を見る。
サンズは軽く頭を掻いた。
「ったく、アンタみたいなガキンチョが一人でいると危ないぜ?」
「……ご、ごめんなさい……」
「ハハ、別に怒ってないぜ。」
サンズは小さく笑う。
その笑顔は、さっき不良達に向けていたものとは全然違った。
気怠げで。優しくて。どこか安心する笑み。
少女の心臓が小さく高鳴る。
「……あの……」
「ん?」
「どうして……助けてくれたんですか……?」
サンズは一瞬だけ目を丸くした。
まるで、そんなことを聞かれると思っていなかったような反応だった。
「どうして、ねぇ……」
少しだけ空を見上げる。夕焼けが、サンズの顔を赤く染めていた。そのサンズの顔は、優しげで、それでいて儚いような、そんな美しい笑顔を浮かべていた。
「……助けられるなら、助けた方がいいだろ。」
それだけだった。
格好つけるわけでも、恩着せがましくするわけでもない。本当にそうする事が当たり前かのように、そう言った。
少女は思わず息を呑む。
心臓が、また強く跳ねた。
「……名前。」
「ん?」
「お、お名前……教えてください……!」
サンズは少しだけキョトンとした顔をした後、ふっと笑う。
「オイラはサンズ。見ての通り、ただの甘いもの好きさ。」
「……サンズ、さん……」
少女はその名前を、大事そうに呟いた。
サンズは気にした様子もなく、ひらひらと手を振る。
「んじゃ、オイラ急いでるから。」
「あ……!」
少女が止める間もなく、サンズは歩き出す。
夕焼けの中、ポケットに手を入れたまま去っていく後ろ姿。
少女はしばらく、その背中から目を離せなかった。
胸の奥が、妙に熱い。
手の中の飴をぎゅっと握り締めながら、少女は、いいや、助けられた少女、王美雨は小さく呟く。
「……かっこよかった……」
その顔は、ほんのり赤く染まっていた。
―――
そのまま綾小路と堀北と待ち合わせした場所に向かう。
「へへへ、待ったか?」
「ああ、めちゃくちゃ待った。」
「…………」
「そんな不機嫌アピールすんなよ。アンタの兄ちゃんからのプレゼントだぜ?」
「早くしなさい。」
サンズは「へいへい」と気怠そうに返事をしながら、ポケットの中を漁る。
そして、ガサゴソと数秒ほど探ったあと――小さな箱を取り出した。
「ほい。」
堀北に向かって放り投げる。
「っ……!」
堀北は慌てて受け取った。
「……これは?」
「開けてみりゃ分かる。」
怪訝そうな表情を浮かべながら、堀北は箱を開く。
その中に入っていたのは――
五つの問題用紙と、その答えであった。
「…これは…何だ?」
「それはな、次の中間試験の答えだ。」
「…え?」
「だから、次の試験の答えだぜ?」
「…っ!?」
「…な…何だと…あの堀北が…」
「お、驚いてる驚いてる」
あの堀北が珍しく動揺している姿に綾小路は驚いていた。
「それ、学センパイ…アンタのお兄ちゃんからのプレゼントだぜ?」
「…!?」
「んじゃな〜」
「ま、待ちなさい!」
堀北がサンズを追いかけるが、とんでもない足の速さで完全に堀北の視界からサンズが消えた。とりあえず堀北に追いつき、声をかける。
「おい、どうするんだ?」
「…明日、学校で話を聞くわ。それと、綾小路君。」
「…何だ?」
「明日、サンズ君を呼び出しておいて頂戴。」
「分かった、分かったからそんな怖い顔をしないでくれ。」
そんな事を話しながら、2人は寮に戻っていった…
――――――
しばらくして、寮に戻ってきたサンズ。部屋の扉を開ける。
「よう、ガキンチョ共。ちゃんと勉強して…ないな。」
「…ゲッ…お帰り…」
「サンズ君、おかえりなさい。」
「おかえり〜サンズ君。」
「あなたもトランプをやりますか?ボコボコにしてあげますよ。」
何と4人全員、椅子に座ってトランプをやっていた…椅子は何処から持ってきたのだろうか。そういえば折りたたみ椅子を全員が持ってきていたような気がしないでもないが。
「…はー…しょーがねぇ。オイラも参加するぜ。」
「おー!ノリいいじゃねぇか。どうしたんだ?」
「たまには息抜きも必要だろう?」
こうして、勉強会は終わりを告げ、ただ遊ぶだけの時間となったのであった…
なお翌日、吉田が後悔しまくることを、本人達はまだ知らない…
見ていただけたのならば幸いです。