「よしよし……大丈夫ですよ~」
抱きしめ、声をかけ、優しく撫で続け、少しずつ、心を溶かすようになだめていく私は、ゆっくりと高度を下げて、3階の地面に足をつけます。
あれだけ激しく動き回っていた本たちもその動きをピタリと止め、私が声をかける度にひとつ、またひとつと本がゆっくり地面に降りていきます。
この時、ほとんどの本がゆっくりと地面に寝かされる中、高いところにあった一部の本が少し勢いが着いたまま落ちてしまうものの、それらの本は、もう必要がないと判断した私が力を注ぐのを辞めた緩衝材の檻から抜け出し、むしろ緩衝材を本来の用途として使おうと掴んで走り出していた衣さんによってしっかりとキャッチされ、他の本たちと同じようにゆっくりと地面に寝かされていました。
この騒動によって傷ついた本は、このおかげで0に抑えることができたことでしょう。腕の中に包まれている本の力も、どんどん収まっていくのを感じることができます。
(うん……ここまで来ればもう大丈夫、ですかね)
怪異の終わり。それと同時に訪れるのは、この図書館を襲っていた停電の終了。
どこからともなく聞こえてきた『カチッ』という音を合図に、日が沈んでほとんど真っ暗な状態となり始めていた図書館の電気が一斉についていきます。
「うぅ……まぶしぃ……」
急に明るくなったことによって、暗がりになれてしまった目を少しすぼめながら、それでも異変の終わりをしっかりと見届けるために頑張って目を開け続ける衣さんは、程なくして明るさに慣れ、改めて私の方に視線を向けてきます。
「せ、先輩……あの……」
本を大事そうに抱えながら、不安そうに呟く衣さん。
電気も着いたし、本が浮かび上がるという現象ももう既に収まっていますが、ここまで起きていたことが非常識すぎて、未だに安心できる状態なのかどうかの判断がついていない様子で、その答えを私に求めてきているようでした。
ですので私は、そんな彼女を落ち着かせるように、できる限り優しい声色で返答します。
「もう大丈夫ですよ。怪異も、この子も、ちゃんと落ち着いてくれました。今のところは、ですけどね」
「そう……ですか……よかったぁ……」
腕の中に収まっている一冊の本への抱擁を少し緩めて、タイトルが衣さんにも見えるようにしながら話すことによって、本当にもう終わったんだということを理解できた衣さんは、へなへなとその場に座り込みながら安堵の息を吐いていきます。その姿が可愛らしく、本来身長では負けている私は、衣さんが座ることでちょうどいい高さになっていることもあって、無意識のうちに右手を伸ばしてそっと彼女の頭の上に添えて左右に動かしていきます。いわゆるなでなでというやつですね。
(とは言っても、私幽霊ですので触れないんですけどね……)
乗せられているように見える私の右手はよく見れば手のひらが透けており、衣さんの頭が貫通していますし、撫でられているはずの衣さんも感覚を受けていないのか、ほっと息をついて俯いたまま反応を示しません。もしかしたら反応する余裕すらないだけかもしれませんが、急に頭を撫でられているのなら少しくらいは動きがあるはずなので、それがないということは、本当に触れられてないのでしょう。
(学校の物品には触れられるのに……なんででしょうね)
なんて、もう何回目になるのか分からない、未だに答えが見つからない疑問を浮かばせては振り払った私は、伸ばしていた右手をそっと戻します。このままのばしているところを見つかってしまえば、なんて反応されるのか分からないですからね。
「あ、そうだ。先輩!!」
「はい、なんでしょうか?」
伸びていた右手を自分の場所へと戻しきった私は、それと同時に顔を上げて声をかけてきた衣さんに返事を返します。
見つからなくてよかったという安心と、急にどうしたんだろうという疑問の2つを混ぜて放たれた私の言葉を受けた衣さんは、私の目に合わせていた視線を下げながら本題を話していきます。
「その本、これからどうなっちゃうのか聞いてもいいですか?」
「この子のことですか?」
「はい。どうしても気になっちゃって……」
心配そうに覗き込む彼女の目は心の底から心配している様子が伺え、その気持ちが本にも伝わったのか、私の腕の中で少しモゾモゾと動いたような感覚を受けます。正確に何を感じているのかまでは分かりませんが、少なくともマイナスなことは考えていないであろうことは伝わってきます。もしそうなら、また襲ってきそうですしね。
「現状は大人しいので、私がなにかするということはありませんね。こうやって落ち着けるように、優しくなでてあげることくらいです。ただ……」
本を撫でながら衣さんの質問に返していく私。ですが、ここで言葉を途切らせ、ついつい本に視線を落とします。
「これからもずっと大人しいとは言えませんね……この子の学校に対する想いは本物ですし、この子が廃棄対象であることに変わりは無いですからね……」
「……」
たしかに今回は無事丸く収めることができましたが、これはあくまで一時的な対処にすぎません。この子の想いの大きさから鑑みれば、またいつ爆発してもおかしくないでしょう。そういう意味でもまだ、今回の問題は解決していないと言っても過言ではないでしょう。早急にこの子が納得する何かを準備する必要があります。
(とは言っても、そう簡単に思いつきはしないんですよねぇ……)
その解決手段を色々考えてみはするのですが、結果はあまり芳しくありません。
学校側の意見として、もう保存が難しい上に先の記録がほぼできず、場所もとってしまうものをずっと残し続ける理由もなく、この際にデータを電子化して保存するというのは納得出来る提案ではあります。効率という面を考えればおかしいところはありませんし、反論を準備をするのも難しいでしょう。『この本に感情があって、捨てられることを拒んでいます』だなんてオカルト満載なことを言う訳にも行きませんし、言ったところで信じてもらえるわけありませんからね。
「この子をどうにか保存するか……もしくは納得する何かを提示出来ればいいんですが……」
「あの!!」
どうやってこの子の祈りを届けながら問題を解決するかに頭を悩ませていると、衣さんから少し大きな声が飛んできました。
距離的にそんなに大きな声じゃなくていいのに、それでもどこか決意を載せたようなその声量は、そのまま私の悩みを吹き飛ばしてくれるような勢いを感じ、そこに興味が引かれたので、次の言葉を引き出すために視線を衣さんに向けてみます。
無言の行動ではありますが、真っ直ぐ向けられた私の目を見て、続きを促されていることを悟った彼女は、一旦息を整え、首を縦に軽く振って緊張を払ってから喋りだします。
「もしよろしければ……その本、私に譲っていただけませんか?」
「この本を……ですか……?」
「はい!!」
満を持して衣さんから伝えられた話の内容。それはこの本を引き取るというもの。
破棄されることに対しての恐怖から暴れだし、今は落ち着いているけどいつかまた引き起こるかもしれない暴動。ならこの本が破棄される状況を回避すればよく、自分が引き取って捨てられないようにしよう。……おそらく、衣さんはそんな思考の元こういう提案をしてくれたのでしょう。
彼女らしく、そして一見私の悩みを解決してくれそうな素敵な考え。しかし、私はその回答に対して素直に喜ぶことはできません。
「そうですね〜……」
「……えと……だめ、でしたか?」
「だめという訳では無いのですが……」
私からの反応が想像と違って芳しくなかったことに不安を覚えた衣さんが、語尾を小さくしながら返答してきました。彼女の中では良い考えだと思っていただけに、こう返されるのは予想外だったのでしょう。
「衣さんに預かってもらうにしてもいくつか問題があるんですよ」
「問題……どんなのがあるんですか?」
「1つ、衣さんにこの本を落ち着かせる何かがないという点ですね」
「それは……」
今回はちゃんと落ち着いてくれましたけど、もし衣さんが家に持ち帰って、そこで暴れてしまうものなら大変なことになってしまいます。私自身がこの学校から外に出ることができない以上、手を貸すことはできません。私のような存在が衣さんの家にもいれば良いのですが、望みは薄いでしょう。
「2つ、そもそもその本を捨てると言っているのは学校側です。貰うにしても誰かしらの許可がないと通らなさそうですよね」
「うう、そうでした……今ここで先輩に言ってもも意味ないですよね……」
「最も、こちらの問題に関しては単純に本の管理体制が分からないだけなので、実はあっさり解決するかもしれませんけどね」
ここに関しては問題にあげておきながら実はそんなに心配がしてなかったりします。少なくとも、図書委員の顧問の先生に相談をすれば悪くない返答が返ってくるのではという期待があります。言葉を交わした回数こそ少ないですけど、それでも良い人だということはよく分かりましたからね。1つ目の問題に比べれば些細なものでしょう。
問題は最後の壁。
「3つ、この本が暴れた理由が、『破棄されるから』ではなく、『この学校から離れるから』という点です」
「っ!?」
今回の1番の障害はここです。
この本は、この学校に対して大きな愛を持っているが故に暴走をしました。それはさっきも言った通り、『この学校から離れたくない』という気持ちが大きいからです。根幹の想いが『捨てられたくない』よりもさらに奥にある以上、そう簡単に解決できません。
逆に言えば、この3つ目の問題さえ解決すれば、そもそも1つ目の問題が起きる可能性が消え去ってくれるかもしれないので、そういう意味では考えることは少なくなるのかもしれませんが……
「全ては、この子次第ですね」
ここまで色々考察しましたが、結局は今私が抱えているこの本が、衣さんの案に納得してくれるかどうかです。
背表紙をなでながらそっと見守る私は、この子がどんな判断をしてくれるのかをそっと待ちますが、果たしてどう転ぶのでしょうか。
「きっと、この子の破棄を止めることはできませんよね……」
「学校にも保管できる量に限りがありますし、原因がオカルトである以上簡単に説明しても信じられるとは思いませんからね……」
「そうですよね……でも、それでもわたしはあなたの声を聴いてあげたい」
現状解決のための壁は高いです。しかし、衣さんの瞳に諦めという感情は存在せず、私の腕の中にいる本に向けて、まっすぐ瞳を注ぎながら声をかけます。
「わたしなんかじゃ代わりにならないことなんてわかっています。本のことは大好きだけど、保管に関してだってプロじゃありません。もしかしたら、受け取ったことによって余計にあなたの寿命を縮める可能性だってあるかもしれません……」
「……」
衣さんの言葉を前に、私の腕の中で何かが揺れるような気配を感じます。
在校生である衣さんのそばにいれば、定期的に学校に戻ることだってできるし、少なくとも今すぐ破棄されるだなんてことは起きないでしょう。彼女が本を愛していることは、これまでの彼女の行動を通してこの本も理解してくれているはずです。
勿論そう簡単に全てがうまく行くことはないでしょう。毎日本を持って動くとなれば、その分本へのダメージは大きくなりますし、そもそも本を持って来れない日だって生まれるでしょう。それこそ、彼女が卒業してしまえばその機会はさらに減ってしまうはずです。
「けど……それでも……!!少しでも学校を感じられる場所においてあげたいんです!!あなたの学校への気持ちを尊重してあげたいんです!!わたしに沢山の世界と知識を教えてくれた本に、恩返しがしたいんです!!……だめ、ですか?」
それでも、このままでいるよりも絶対にいい未来にしてあげたい。そんな気持ちを本気で伝えてくる衣さんは、私が持つ本にそっと触れながら瞳を湿らせていきます。
本気で、全力で、真っ直ぐで……美しさすら感じる彼女の主張を前に、私は思わず見とれてしまい、動くことも、言葉を発することも忘れてしまいました。だから反応が遅れてしまったのでしょう。
「……え?」
私の腕の中にいた本が、ゆっくりと衣さんの腕の中に収まったことに。
この子が、衣さんを信じたことに。
「わたしを……信じてくれるの?」
急な出来事にまだ受け止めきれていない衣さんは、思わず質問を返します。
そんな彼女に対して、本は、全身をしっかりと衣さんへと委ねました。
それが、彼女への信頼の証。
「……ありがとう!!絶対、大切にするからね……!!」
その本を抱きしめ、改めて衣さんは誓いを口にします。
そんな彼女たちを照らす図書館の証明は、彼女たちを祝福するかのように、降り注いでいきました。