「だから先輩も、これから沢山お喋りしましょうね!!」
衣さんが笑顔で放ったその言葉はとても輝いていて、希望に満ち溢れた綺麗な言葉でした。
それはそれは眩しくて、まるで記憶から置いていかれる幽霊の私が消されてしまうかと思ってしまうほどに。
「……」
なにか言葉を返さなくてはいけない。だけど、私は何もつぶやくことができない。何を口にすればいいのかわからない。そうやって数秒固まってしまった私に対して、衣さんは私が恥ずかしがっていると勘違いしたのか、返事を待つことなく次の言葉を続けます。
「世界を広げてくれたのも、きっかけを作ってくれたのも、わたしを助けてくれたのも、先輩なんです。正直、先輩が何者かはよくわかっていませんし、怖いなって思うところもないわけではありません……でも、この人なら、もっとわたしの知らないものを見せてくれるって、世界を広げてくれるって、そんな気がするんです!!だから……これからも仲良くしていただけませんか……?」
希望に真っ直ぐだけど不安に揺れていて、慎ましいけど強情で、警戒してるけど信頼していて。
真反対で矛盾しているはずなのにしっかりと同居している沢山の想いを込めた瞳を持った彼女は、視線を向けられた私の心を掴んで離してくれません。全てをひっくるめて私に懐いている彼女を見てしまうと、私の方が離れたくなくなってしまいます。けど……
(私に課せられたルールは……絶対……)
日を跨いでしまえば、私に関する記憶は失われる。
彼女とのこの約束は、何があっても守られることはない。
私がどれだけ望んでも……
「私は……」
けど、ここでそのことを伝えることは、私の心が許さない。
だってこれを伝えれば、衣さんが傷つくから。衣さんが得たものが、無くなるかもしれないから。
だから、私はまた嘘で塗り固める。
「……はい!私ももっと話したいです!!だから、これからもよろしくお願いしますね、衣さん」
「……はい!!」
眩しいほどに輝く衣さんの笑顔。それは本来。他人をも明るくするきれいなもののはず。
なのに、その笑顔を向けられた私は、必死に苦しさを押し殺して、笑顔を張り付けるのでした。
☆
「んん~……はぁ……今日は疲れちゃったなぁ……」
日は沈み、学校から帰ってきたわたし、薫草衣は、現在自室にあるベッドに腰を掛けて大きく伸びをして。今日起きたことを振り返っていました。
「……今までで一番濃密な一日。だったなぁ」
図書館の本の整理をしていたら不思議な先輩と出会って、実はその先輩が昨日気絶したわたしを運んでくれた人で、お礼をしたら本の話で盛り上がって……
「本当に、濃密だった……」
放課後、早速仲良くなった先輩と仕事をしていたら突如停電にあい、そこから始まった、まるで物語の中のような出来事。
本が空に浮かび上がって、四方八方へ飛び回って襲ってくる恐怖の時間。
人によってはトラウマになってもおかしくない時間。
だけど、わたしの胸の中に溜まる感情はずっと明るいものでした。
大好きな本とまさか言葉を交わせるとは思わなかったし、仲良くなった先輩が人間じゃないとも思わなかったし、この件がきっかけで図書委員のみんなと仲良くなれるとも思わなかった。
事件に巻き込まれたという点だけを見れば、確かに運が悪いと言ってしまっても仕方ないけど、副作用によって得たものがあまりにも多すぎて、嫌な記憶よりも楽しかったという気持ちが大きくなって塗りつぶしてしまっていました。
もしかしたら、この思考は危険なもので、早く修正した方がいい可能性があります。けど、それでも私は今日という日をしっかりと覚えていたくて。
「あれだけのことがあったらそう簡単には忘れるわけないけど……でも、しっかりと覚えていたなぁ……」
腰掛けている状態から、体を沈めるようにベッドに仰向けに倒れ込んだわたしは、そのまま視線だけを勉強机の方に向けて、その上に乗せられた一冊の本を見つめます。
「……本当に、覚えていたい。どんな小さなことでも忘れたくない」
今回の大冒険の原因となったひとつの本。
この本が問題を起こした
この本がずっと昔から保管され、記録を続けて、この学校に残ってくれたから……
「……あ、そうだ!!そうすればいいんだ!!」
と、そこまで考えたところで頭の中に名案が降り注いだわたしは、ベッドに寝かせていた体を跳ねさせて飛び起き、教科書やノートを収めている本棚に近づき、目当てのものを探していきます。
「確かこの辺りに……まだ使ってないものが……あ、あった!!」
並べられている背表紙をひとつずつ確認しながらお目当てのものを探していくと、程なくして目的のものを発見。それを本棚から抜き出した私は、本の1ページを開きながら勉強机に着席し、1本のシャーペンを取り出します。
席に着いた私の目の前に広がるのは白紙のページ。
まだ何も書かれていないその本は、今日私が図書館から持って帰った例の本とは真逆の状態でした。
歴史が詰まった本とは真逆の真っ白なページに、まだ手垢も全く付いていないピカピカな表紙をしたこの本を急に取り出して一体何をしたいのか、何を思いついたのかと言うと……
「えっと……『4月〇日、この日は幽花彩姫先輩という方に出会い━━』」
ご覧の通り、日記をつけることです。
今日持ち帰った本が歴史を刻んできたように、わたしも今日の出来事をこうやって文字として残しておけば、たとえわたしが忘れてしまったとしても、見返して思い出すことができると思っての行動でした。
正直、日記を書いたのなんて、小学生の夏休みの宿題で書いた以来なので、正しくかけているのかとか、どう書けばいいのかとか、どれくらいの文章量が適切なのかだなんて一切分かりません。それに、今こうやって日記のようなことを書いているこの本も、日記帳ではなく、未使用のノートに『何となくこんな感じ』という見切り発車もいいところで始めているためにかなり不格好です。
下手したら三日坊主で終わる可能性もあるでしょう。けど、それでも今この瞬間だけはどうしても腕を動かしたくて仕方がありませんでした。
「『この日の出来事を気に始めた日記だけど、毎日かけない時も来るだろう。けど、少しでもこの歴史書に近づけたらいいなぁという希望を持って続けていこう』……こんな感じ、かな?」
9割の興奮と1割の不安を抱えたまま走らせた筆は、白紙の1ページを7割くらい埋めたところで止まります。
何十ページもあるノートの、ほんの一角に書かれたささやかな記録。
今はまだ白色だらけのノートだけど、いつかこのノートが真っ黒に染まって、思い出で詰まることを想像すれば、不思議と書き続けることができるような気がしてきます。
「そのためにも、もっと先輩やみんなと沢山お話しないと、ですね」
ノートを閉じ、学校から持って帰ってきた本と一緒に並べ、その二冊の表紙を優しく撫でたわたしは、謎のやる気と達成感に包まれていました。
「ふふっ、いつかわたしのこの日記も、この本みたいにたくさんの記憶を覚えて、風格あるものに成長するんでしょうか?」
そうなるは何十年、何百年とかかってしまうでしょう。その頃には下手したらわたしという存在がもういない可能性すらあります。けど、そんな未来を想像するだけで何故かワクワクしてしまいます。
「おかしな話ですね……今までそんな先のことに楽しみを抱くことなんてなかったのに……」
日記と歴史書をカバンに入れ、明日の授業に使う教科書を準備したわたしは再びベッドの方に移動し、今度は布団の中に体を滑り込ませて寝る準備をします。
ふと壁にかかっている時計を確認すれば、そこには11時50分を示す針の姿。
あと10分で日付は変更し、数時間もすれば日は登り、わたしは学園に帰ってくることになります。
「早く……明日にならないかなぁ……」
きっと明日はもっと楽しい学園生活になる。そのことを想像するだけで楽しみな感情に包まれたわたしは、疲れと安心感から急にやってきた眠気に身を任せながら、穏やかに眠っていきます。
今日は、とてもいい夢が見れそうです。
☆
「日付……変わっちゃいましたね〜」
真っ暗で、昼の喧騒が嘘みたいに静かで……いえ、静かというのは嘘でしたね。人の声こそしませんが、紙がめくれる音が響く図書館にて、私は天井を見つめながらぽつりと声をこぼします。
その声は紙の音にのまれていき、誰の耳に届くこともなく溶けて消えていきます。
それが、今頃私のことを忘れているであろう衣さんの記憶を想起させてしまい、どうしてもセンチな気持ちになってしまいます。
そんな私の元に飛んでくるのは、今日の夕方に起きた出来事のせいで霊力が有り余ってしまい、それを発散するために空を飛び回っていた本のうちの1冊。
私を気遣うかのように周りをゆっくりと周回する姿を見て、私は思わず微笑みを浮かべながら言葉を返します。
「ふふ、慰めてくれるんですか?ありがとうございます」
背表紙をそっと撫でながらお礼をすれば、返ってくるのはまるで犬が頭を擦り付けるように体を揺らしながら甘えてくる本の姿。その姿に少し癒された私は、優しい一冊の本に言葉を返しながら視線を再び天井へと向けます。
「大丈夫ですよ。覚悟はしてました。たしかに寂しいですけど……ちゃんと私は覚えてますから」
人間の熱意に当てられて、深く関わりたいと願ったのは他でもない私自身。そしてその選択に後悔はなく、だからこそ忘れると分かっている今も、寂しさよりも楽しかったという気持ちのが勝っています。
「何時かまた、機会があれば……蘭さんみたいに再会できるかもしれませんね?」
けど、やっぱりまた仲良くおしゃべりはしたい。だから、1%よりも低い可能性ですが、そんなことを希望しても、バチは当たりませんよね?
「その時は、沢山お話しましょう!!」
電気の落ちた静かな図書館で、月の光を受けてキラキラ輝く本たちのダンスを見届けながら告げられた、私の本のささやかな夢は、図書館の天井へとぶつかって、溶けていきました。
☆
4月〇日。この日は■■■■■■という■■出会い、とても濃密な体験をした。
その■は図書館にいつの間にか■■いて、ひとつの■■■に取って■■かな■■を浮かべていた。
これがわたしと■■■■との■■■……と思っていたのだが、どうやら昨日■■ていたわたしを■■してくれた■だったみたいで、わたしにとって■■とも言えるべき■■で━━
「このノート……いえ、日記……?は一体……それになんか黒塗りのせいで4割ほど読めないんですけど……」
朝起きて、確認のために鞄の中の教科書類を改めて確認したところ、その中にひとつだけ見覚えのないノートがありました。
それを手に取って広げてみれば、どうやらわたしが書いたと思われる日記のような一文がありました。
しかし、わたしにこの日記を書いた覚えはなく、しかも書いてあることの一部が黒塗りになっており、なんて書いているのか解読するのがかなり難しくなっています。
「何……これ……」
正直に言うと、気持ちが悪い。
明らかにわたしの筆跡なのに、肝心のわたしにその記憶が一切なく、けど今確かに私の目の前に存在している。その矛盾がとてつもなくわたしの心に大きな恐怖心を植え付けてきました。
本当なら、今すぐこのノートを捨てるべきなのでしょう。そうでなくても、書かれているものを消したりなんあり、行動をとるべきなのでしょう。
なのに……
「なんで……わたし……ないて……」
わたしの頬を流れる温かい涙が、その動きを許さない。
「なんで……どうして……」
何か、大切なものを忘れている気がする。
暖かくて、とても大好きで、かけがえのない何かを。
絶対に忘れてはいけない、忘れたくない、大切な思い出を。
「なのに……なんで思い出せないの……?」
嘆いても、涙を流しても、わたしの頭にかかった靄は消えない。
胸に空いた穴は、わたしにただただ、深い悲しみを残していく。
「…………」
「……うん……せめて、あなただけでも……」
その空いたを穴を埋めるかのように、いつの間にか私の腕の中には、昨日図書館から持って帰ってきた歴史書があった。
今はその本から感じる暖かさに、ただただ甘えることしかできませんでした。