テニスボールポルターガイスト事件が起きて数日後。
残念ながらあれから特に収穫はなく、凪茶さん自身もあの日の出来事をきっかけに少し怯えを感じてしまったのか、最後まで残るという行動をしなくなったため、こちらからアプローチをかけることもなく、練習試合の日である土曜日を迎えることとなりました。
凪茶さんと関わる時間が取れなかったことを悲しむべきか、あの日のことがトラウマになってテニスを辞めるなんてことがなくて喜ぶべきか、なんとも言い難い数日間を過ごすことにはなったものの、特に大きな問題になることもなく経過したことにはほっと一息着くべきでしょう。
調子を崩している姿も見ていないので、とりあえずは安心です。
「さて、では本番と行きましょうか〜」
☆
「「「「よろしくお願いします!!」」」」
4人揃って口に出す対戦前の挨拶の言葉。
夏手前の若干の暑さを感じる今日の天気は雲ひとつない快晴で、風もかなり少ない絶好のテニス日和だ。
その分運動による熱によって熱くなった体を冷ます手段が少ないものの、そこは水分補給をしっかりすることでカバーしていこう。
と、少し話が脱線してしまったけど、そんなテニス日和にボクたちと対面するのは、わざわざ他校からこっちに来てくれた、私立桃源坂高等学校の選手たち。
基本的に設備がとても整っているうちは、こういった時に来てもらう立場が凄く多い。来てもらうのが悪いという思いから、顧問の先生もこちらから伺うという旨の発言をしているらしいが、他国他校からすればうちの設備がとても魅力的に見えるらしく、むしろ行かせてくれと願われるらしい。こういう所はうちの便利なところだ。
そんな遥々他校から来てくれた相手に、手を抜くだなんて失礼なことは許されないし、ボク自身、もうすぐ来る大会のためにしっかりと調整しておきたい。
(それに、いい加減悩みの解決策を見つけないと……)
「凪茶、いつも通り落ち着いていくぞ」
「っ!?……うん、そうだね」
自分でも知らないうちに緊張していたのか、香木に声をかけられて向けた視線の先には、グリップをいつも以上の力で握る右手。
(落ち着け……少しは焦った方がいい案件だけど、焦りすぎは良くない……)
1度気づいてしまえば、元に戻るのはそんなに難しいことはない。左手を胸に当てながら深呼吸をひとつすれば、全身から程よく力が抜けていくのを感じる。
たっぷり数秒使って行われた深呼吸はしっかりと効果を発揮し、無事いつも通りのテンションを取り戻したボクは、声をかけてくれた相棒にお礼を一言。
「ありがと」
「気にすんな。今日も頼むぜ相棒」
ボクの言葉に対して微笑みで返した香木は、ボクの肩を軽く叩きながら自陣のエンドラインへ。
その頼もしい後ろ姿を見送ったボクも、改めてグリップを握りしめ、視線を前に向けて準備をする。
「5ゲームマッチ、プレイ」
「「「「はいっ!!」」」」
同時に響く審判の合図と、ボクたち4人の掛け声。その数秒後、ボクの後ろでトスを上げているであろう香木の気配を感じ……
「っ!!」
ズパンッという空気の破裂したかのような音ともに、ゲームが始まった。
☆
「ん……ん……ぷはぁ」
「お疲れ、いい飲みっぷりだな」
「香木こそ、お疲れ様。……って言っても、まだまだ試合は残ってるみたいだけどさ」
「大きな試合前だからな。一試合でも多く経験を積んで備えさせたいんだろうさ」
「それはわかるけどね。ボクも、今は経験値を沢山積んでおきたいし……」
ボクと香木、二人並んで給水がてらの休憩をしながら、コートを眺めて他の人の試合を観戦。その間にも会話を続け、今日の調子や労いの言葉を掛け合う。
練習試合が始まってからというもの、累計5戦くらいしたボクたちの結果は、スコアだけ見れば3-2が1回に3-1が3回、そしてストレートが1回と、未だ負け無しの十分なそれだ。
この白星の中には、相手の3年生と戦ったものも入っているので、自信をつけるという目的なら達成できていると言っても差支えはない。が、それでも自分の視線は空中を色々さまよってしまっている。
振り返ってみれば、やはり失点の比率はボクの方に大きく、そしてその原因はやっぱり変わらない。
今はまだ、この弱点を突いてくる相手とそんなに相対していないからいいけど、試合を繰り返す度にこの弱点を突かれる回数が増えていっているのが実感できる。現に、最後に戦った相手高校の3年生には、勝ったとはいえゲームカウントは3-2だし、最終ゲームのタイブレークでも、デュース合戦の長い戦いになっていた。
味方が香木ではなく、他の人なら確実に負けている。
まだまだ先のある現状でこうなのだ。この先、大会で上に行ったり、日にちが経って周りのレベルが上がった時、間違いなくボクは追いつかれ、そして追い抜かれる。
(それまでに、はやく解決策を見つけないと……じゃないと、またあの視線が増える……)
最近肌に感じる周りからの視線。
別にボクをいじめようだとか、けなそうだとか、マイナスの感情を含んでいるそれではない。むしろ、ボクを気遣うような視線だ。だけど……
「…い、…い……さ。……、へんじ……ろ!凪茶!!」
「っ!?こ、香木……?」
なんて頭の中でずっと悩んでいたら、香木に肩を叩かれることで意識が外へと急上昇。集中して聞こえてこなかった周りの声が急に耳に入ってきたことによる音の落差で、一瞬頭がクラっと来そうになったのを何とか抑えたボクは、視線を香木の方へと向ける。
「ずっとぼーっとしてたけど、大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫だよ。ちょっと考え込んでただけだよ」
視線があったところで香木から掛けられたのは、ボクの身を案ずる言葉。それに対してつい反射的に大丈夫と返したボクを見て、香木は首を左右に振りながら次の言葉を繋いでいく。
「はぁ……凪茶、1回顔を洗ってこい」
「え?」
「気づいていないかもだけど、今のお前は結構酷い顔してるぞ。1度スッキリさせた方がいい」
香木に言われて慌てて右手で自分の顔を触ってみる。
香木に指摘されているのは顔色なので、顔を触ったとしても本来はそこを自覚することはできないけど、プラシーボ効果が発動しているのか、たしかに手が触れた部分は少し水分が少なくなって、肌触りがあまり良くない気もする。触れただけでそんなことを思うってことは、傍から見たらきっと想像以上に酷いのだろう。
「わかった。ちょっと休憩してくるね」
「おう。先生には俺から言っておくから安心してろ」
「ん、ありがと」
さすがにそんな表情で居続けるのは周りに申し訳ないので、ここは素直に香木の言うことに従って、後の事を託しながら洗い場へと移動していく。
ボクが向かった水道の場所は、あえてテニスコートから少し離れた場所なため、移動中に誰かに見られることもないし、洗っている間も誰かに会うことはないだろう。推定酷い顔をしているらしい現状では、むしろその方がありがたく、数分かけてそこに到達したボクは、二、三度顔に冷たい水をかけて、顔をすっきりさせながらゆっくりと心を落ち着けていく。
「はぁ……ダメだなぁ……みんなに心配かけまくっちゃってる……」
ある程度時間が経って口から漏れたのは、今までの自分を振り返ってきた感想。
スランプまでとは行かないけど、明確な壁にぶち当たって、みるみる下がっていくボクの心持ち。
今はまだプレーには出てきていないものの、そのうち支障をきたすのは明らかだ。けど、その対策はいつまで経っても思いつくことはなくて、そのことに気づいている周りの人達からは、だんだん同情や哀れみの視線、声を向けられることが増えていった。
その視線や声が、余計にボクを責め立てて、追い詰めていく。
優しい真綿が、じわじわと首を絞めていくように……
「っ!!」
全くもって余計なお世話。そんな優しさなんていらない。そんな思考を追い出すように、少し強めに水を顔に叩きつけて意識を戻していく。
(そんなこと考えちゃダメだ。みんなは悪意じゃなくて善意でボクを……)
「あの、大丈夫ですか?」
「ひゃい!?」
そうやって自分の中の良くない感情と戦っていると、突如後ろから掛けられたひとつの声。
先も言った通り、基本的にこの場所に人はあまり来ない。一応他の部活の人も学校には来ているものの、この学校は敷地が広いことを活かしているため、水飲み場の数も凄く多い。わざわざここまで来る他の部活の人なんていない。
じゃあほかのテニス部員かと聞かれるとそれもなく、理由としては、ここよりも近い場所がちゃんとあるから。
つまり、今現在わざわざここまで来る人なんていないはず。なのに声がした。そりゃこんな変な声もでるというわけだ。本当に、自分で言うのもなんだけど、こんな辺鄙なところの水道をなんで使っているのか問いただしてみたい。……え?ボクがここを使っている以上、他の人も同じ行動をする可能性がある?……知らないね。だって少なくとも、ボクがここを使っている時に誰かが来たことなんて今まで1回もなかったのだから。
「す、すいません!!驚かせるつもりはなかったのですけど……」
そんなボクの反応を見て、自分が迷惑をかけたと勘違いした相手が反射的に謝罪の言葉を投げかけてきたので、『単純にボクが周りを見ていなかっただけ』という理由とともに相手をなだめるため、いい加減水道の方に向きっぱなしになっている体を相手の方に向けて、ボクに声をかけてきた人の姿を視界に収める。
(わぁ……綺麗な人だなぁ……)
振り返って目に入った瞬間に頭に浮かんだ言葉はこれだった。
157と言う、男性の中ではかなり背の低い自分よりもさらに10センチくらい背が低いその女子生徒は、淡い紫色の髪色と桜色の瞳が特徴的で、人によっては……いや、大体の人が幼さや可愛らしさを感じる見た目をしていたけど、ボクが受け取った感想は、一言で言うなら『神秘的』。
着ている制服が白色というのも、改造制服ながらも彼女の日現実感を助長しているように感じた。
故の『神秘的』という感想だし、だからこそ、知らずのうちに口から感想がこぼれてしまっていた。
「本当に……すごく綺麗な人だ……」
「え……?」
「え……?」
無意識に漏れた言葉は、残念ながらしっかりと相手の耳に届いてしまっていたらしく、ボクの言葉の意味を徐々に理解し始めた相手は、白くきれいな肌を僅かに朱色に染めながら、言葉を返してきます。
「あ、ありがとうございます……えと、想像と違って意外とお上手なんですね……?」
「え、あ!!いや、違っ!!……いきなり何言ってんのボク!?」
普段なら絶対に言わない事を、さもいつも言っていることかのように勘違いされたボクは、なにか抗議をしようとはするものの、焦りから出てくる言葉にまとまりはなく、しどろもどろな返答になってしまう。
「え、えと……ごめんなさい。普段はこんなことにはならないんですけど……つい……」
「ふふ、なんて。あなたがそういう方ではないことはよく知っていますよ」
「え?」
それでもせめてなにか伝えようと思ったボクは、とにかく頭を下げて謝罪を行っていく。
出会い頭綺麗だなんて気安すぎるコミュニケーションは、相手によっては不快感を感じる可能性もある。だからしっかりと謝って、少しでもそういった感情が抑えられたらと思い、真摯に頭を下げたボク。
しかし、返ってきた反応は予想とは全然違う方向で、聞こえてきた声はまさかの微笑みを交えたもの。そのことに驚いて顔を上げてみれば、ボクをおちょくったりしているのではなく、本当に心の底からそう思っているのだろうと感じ取ることができるほど優しく、自然な笑顔を浮かべたまま、彼女はボクを見つめていた。
「っと、まずは自己紹介ですね。初めまして。私の名前は幽花彩姫と言います。よろしくお願いしますね」
「花山凪茶、です。よろしくお願いします」
そこから流れるように行われる自己紹介パート。
「はい、ありがとうございます!」
お互いの名前を交換できたことに満足した彼女は、弾けるような、それでいて包み込まれるような、ともすれば相反するはずの2つの暖かさを綯い交ぜにした笑顔を持って声をあげる。
(……うん、やっぱり本当に綺麗な人だよ)
その姿を見たボクは、先程の反省を生かした上で、やっぱり思い浮かんだ言葉を心の中で口にした。