「あ、そうです。まずは凪茶さんに言いたいことがあるんです」
神秘的で衝撃的。そんな自己紹介を終えて、目の前に現れた少女、幽花さんの姿に目を奪われていたボクは、彼女の言葉にはっと現実に戻され、さっきまで見とれてしまっていたことを誤魔化すように、しかし明確に疑問を持って首を傾げながら返事をする。
「言いたいこと……?って言われても、特に心当たりなんて無さそうだけど……あ、でもそっか……」
おおよそ初対面の相手に対して使うことの無いはずの言葉を前に、思わずはてなを浮かばせていたけど、言葉を口にしている途中で、そういえば幽花さんがボクに対してこう言っていたのを思い出した。
『あなたがそういう方ではないことはよく知っていますよ』
これはすなわち、ボクのことを一方的に知っていた可能性の示唆だ。
自惚れている訳では無いけど、ボクと香木の2人は色んな意味で注目されることが少なくない。それは見た目が理由であったり、テニスのあれこれが理由だったり、ボクたちの身長差が理由だったりと、ひとつに統一されることはないけど、それ故に見てくる人の統一性というものもなく、だからこそ話題にされる回数が多く、注目回数が増えてしまっている。
正直、香木はむちゃくちゃイケメンだからまだわかるけど、ボクなんかを見て何が楽しいのかは理解できない。が、こうして一方的に知られている機会があるということは、客観視したら面白いところがあるのかもしれない。
きっと幽花さんもそんな人達の中のひとりなのだろう。そう思って1人納得していると、幽花さんから飛んできた言葉は、想像の斜め上からのものだった。
「その〜……数日前に宙に浮かんで勝手に動き出したテニスラケットとボールを覚えていますか……?」
「え……?」
その言葉の内容は、ボクが数日前体験した非科学的な不思議体験。
いきなりひとりでに動き出したラケットとボールが、まさかのボクに球出しをするという、おおよそ他人に話しても信用されないだろうあの経験は、今もボクの頭の中にしっかりと刻まれている。
というか、最後の最後でとんでもない豪速球がボクの頬を掠めていくというなかなかトラウマな出来事があったせいで、そこからしばらくはコートに残るのが最後のひとりにならないように気をつけて帰っていたくらいだし、そんなボクの挙動が怪しく映ったのか、香木に無茶苦茶心配されたレベルだ。
そんなボクにとってあまり思い出したくない部分且つ、誰にも言ったことの内容について、なぜ初対面である彼女が知っているのか。
「実はその〜……勝手に動くラケットたちの原因……私、なんですよね……」
「……は?……え?」
その答えは、ボクの予想の斜め上から飛んできた。
「幽花さんが原因って、どういう……」
「そのままの意味です……その、私は趣味でマジックを嗜んでいるんですけど……ちょうど新しいマジックを思いついたところで、落ち込んでいたあなたを見かけてですね……」
「それで、あんな状況ができたってこと……?」
「は、はい……」
「そっ……かぁ……」
数日の時を経てようやく解明された真実。
「よかったぁ……」
それを前にボクがとった反応は、安堵の息を吐きながらしゃがみこむというものだった。
もしかしたら幽霊とか怨霊とか妖怪とか、そういったヤバいやつと関わってしまったのでは?なんてことも考えてしまっていたのに、蓋を開けてみたら同じ学校に通う人のマジックショーだと言うのだから、もう安心感しか広がることはなかった。
「あ、あの……」
一方で、全身を使って安心の表現を行っているボクに対し、声をかけてくる幽花さんは不安そうな、それでいて疑問も含んだ表情を浮かべながら言葉を繋げる。
「怒らないんですか?その……最後のボール出しはさすがに無視できないものだったと思うんですけど……」
「あ〜……」
彼女の言葉で思い出されるのは、最後の最後でボクの頬を掠めた豪速球。
たしかに、あの球を出されるまでは和やかな雰囲気だったし、あのボールのせいでここしばらくボクは恐怖心に囚われたと言ってもいい、いわば元凶的な存在だ。ここに対して謎が解けた今、恐怖を怒りに変えて、幽花さんにぶつけるのはごく普通の反応だし、当然の権利ではある。
けど、ボクはそれをする気にはれなかった。理由は単純明快で。
「まぁ、たしかにあれは中々怖かったし、もしかしたらこの先にも影響を与えるようなものだったかもだけど……ほら、結果ボクは無事だし」
結果論にはなるけど、こうしてボクは五体満足で存在しており、怪我もメンタル面の不調も起きていない。むしろ、原因がわかってスッキリしたくらいなのだ。安心することはあれ、彼女を糾弾する理由はボクにはない。それに、何よりも怒る気になれない大きな理由がひとつ。
「でも、もしかしたら怪我をしていた可能性はあったのに……」
「そもそも、あの球出しだってマジックの練習って言うのもあるけど、ボクのためでもあるんでしょ?」
「!?」
それは、あの一連のくだりがおそらく、ボクのための行動だったというもの。
なぜそんな予想ができたのか。それは彼女の発言の中にあった。
『ちょうど新しいマジックを思いついたところで、落ち込んでいたあなたを見かけてですね……』
そう、彼女は落ち込んでいるボクを見てマジックを見せようとしてくれていた。それはつまり、ボクを元気づけるために行動しようとしてくれたということだ。……いや、もしかしたらそんなボクに追い打ちをかけるのが大好きなサディスティックな人なのかもしれないけど、この雰囲気と喋り方でそうなら、正直人間不信になりかねない。
と、そんなレアケースなんてさっさと放っておいて、本題に戻っていく。
「ボクに嫌がらせをするならまだしも、ボクを想っての行動だったんでしょ?なら感謝こそすれ、怒るのは違うでしょ?」
結局はこれに尽きてしまう。
人の善意からの行動を簡単に無下にできるような性格をボクはしていない。つまりはそういうことだ。
「……ふふ、本当に、おかしな人ですね〜」
「え、お、おかしいかな……」
と、自分の意思にしたがって言いたいことを伝えきったところで、彼女から帰ってきたのは、小さな笑い声とボクに対する評価。
人によっては悪口とも取れかねないその言葉は、しかし彼女の雰囲気から放たれていることと、普段から香木にも言われている部分でもあるため、そんなに悪感情を受けることはない。……納得できないところはあるけど。
「ええ、すごくおかしいです。だって、本当にあなたの心は優しさで埋め尽くされていますからね」
「う、なんかよく分からないけど、その評価をまっすぐされるのはすごくむず痒い……」
ストレートに飛んできた評価に恥ずかしさを感じながらちょっと視線を逸らすボクをみて、幽花さんはさらに嬉しそうに笑い、その声を聞いてボクはますます恥ずかしがってしまう。そんなほんわかしたやり取りをしている中、幽花さんの纏う空気が少しだけ真面目なものへ変わり、同時に彼女の言葉がゆっくり告げられる。
「だからこそ、そんな貴方の役に立ちたいんです」
「……え?」
それはまるで、今のボクが何に悩んでいるのかがわかっているような口ぶりで。
「あなたの悩みを解決する方法を、私なりに考えてみたんです。素人意見でしかありませんし、もしかしたらもう実践して終わっているものかもしれませんが……」
ゆっくりこちらに歩いてきて、目の前まで来たところで、下から覗き込むように見つめてきた幽花さんは、ただひたすらにまっすぐ、ボクに言葉をぶつけてくる。
「それでも、少しだけ、私に時間を使っていただけませんか?」
ボクの、心から求めていた言葉を。
☆
「5ゲームマッチ、プレイ!!」
「「「「はいっ!!」」」」
お昼の休憩時間も過ぎ、いよいよ練習試合も後半戦に突入した午後。
早速試合を組まれたボクたちは、昼食を超えて少しだけ満足感と眠気を感じ始めた体に鞭を打って覚醒させ、目の前の出来事に集中する。
特に、このコートにいる4人中でボクはさらに気を引き締めて前を見ていることだろう。なぜなら、これからボクは、今までしたことがないことに挑戦するのだから。
「ふぅ……っ!!」
ボクの右後ろから感じる小さな息遣い。それは、香木がサーブを今から打つという合図であり、同時にこのサーブを受ける相手の後衛が動き出すタイミングでもある。
(幽花さんの言葉を信じて……よく観察……!!)
その時にボクの頭の中をよぎったのは、休憩中に出会った謎の女性、幽花彩姫さんからの言葉だ。
『凪茶さん。あなたの悩みを解決する方法は実はとても単純です。それは相手をしっかりと観察すること。……凪茶さん、あなたの得意な、それでいて誰にも負けないという自信があるものってなんですか?』
『自信があるもの……そうだね……反射神経、かな?この分野においては先輩にも香木……えっと、ボクのペアの人にも負けない自信があるよ』
『そうですよね。傍から見てもそれはよく伝わってきます。ですが、今回はそれこそが1番の弱点です』
『……え?』
その言葉を聞いた時、正直全く意味がわからなくて、思わず話を聞くのをやめようかと考えてしまったけど、幽花さんの表情がとても真剣で、とてもふざけたことを言っているようにも見えなかったので、一先ずは自分の気持ちを抑えて意見を受け入れることにした。どうせ悩みに行き詰まっている現状、少しでも打開の可能性があるのなら試す価値はあるから。
という事で、彼女の意見を参考にした結果、まず言われたのは、『最初の1ゲームはボレーに行かずに相手の後衛をしっかり見る』というもの。
勿論これは、全くボレーをするなという意味ではなく、わざわざ自分から走り出して取りに行くと言った、攻めた行動をしないというもの。
勝つためなら多少のリスクを犯しても、取れるのなら行くべきだ。しかし今は練習試合ということで、ボクの悩み解決のためのヒントを得るために、まずはそこからはじめて欲しいというのが彼女の意見だった。
本当は1から全部話して欲しいところだけど、そこはボク側の立場に立って考えてくれた結果だろう。
いきなり現れた素人同然の人の言葉を、果たしてそう簡単に信じられるのか。
だからこそ、信じてもらうためにまずは小さなことから見てもらう。
そのための小手調べ。それが相手の行動を観察するというもの。当然そんなことをすればボクのボレー率は下がり、後衛である香木への負担が大きくなってしまうけど、そこは事前に話を通しておくことによって了承を貰っており、むしろ香木からは『ようやくいい顔になったな。任せろ、どんなボールだろうとフォローしてやる』だなんて言われる始末。
(本当に、ボクってすごく恵まれていたんだなぁ……)
試合中だと言うのに、ふと嬉しさから頬が緩みそうになる。
(ああ、そっか)
同時にクリアになる頭と、広がる視野。
(コートってこんなに広かったんだ)
心が軽くなり、周りの動きがゆっくりになったような錯覚を受ける。とすれば、当然相手の動きの一つ一つが鮮明に見分けられるようになる。
打たれたサーブに対して正確にリターンを返すべく、右利きの相手が前に踏み出した左足。体重のバランスのために伸ばした左腕。飛んでくるボールと前衛と後衛の位置を見て、これからどこに打つかを口以上に伝えてくる相手の目。
相手の選手の動き一挙手一投足が、情報の雨として目に降り注ぐ。
同時に、無意識のうちにボクの頭の中に答えが浮かび上がる。
(あ、これ
思い浮かんでしまえば、もうあとは勝手に体が動いていた。
今までは、相手がボールを打ったと同時に、飛んで行った方に反応していた体が、
パコン。
「……あれ?」
そんな軽い音とともに、サーブ&ボレーという黄金連携をサッと完遂して、あっけなく一点を獲得している状況が出来上がっていた。