「…………」
「……凪茶さん?どうかしましたか?」
「……はっ!?」
輝くような幽花さんの笑顔に見とれていたボクは、幽花さん本人に声をかけてもらったことによってようやく今が彼女との会話中であることを思い出し、はっとして意識を取り戻す。
本当に『花のような笑顔』という言葉がここまで似合う人もいないだろう。名は体をあらわすだなんて言葉があるけど、その言葉をここまで実感することは珍しいと思う。
(こんなに綺麗なら噂のひとつくらいはたってもよさそうなのになぁ……そういった話はひとつも聞いたことがないかも……)
と同時に、ここまで強烈なインパクトを持つ彼女なら、噂のひとつやふたつくらい聞こえてきそうなものなのにその辺を一切聞いたことがなかったことを思い出す。
ボク自身、別に噂に詳しい訳じゃないし、テニスに専念していたからむしろ疎い側の人間故に、単純に聴き逃しているだけの可能性もあるけど、それにしたって全く無さそうというのはちょっと違和感を感じる。
(よく良く考えれば制服の色も違うし、同じ2年生の中で姿を見かけたこともない……かと言って先輩とか後輩って空気も感じないというか……そもそも高校生って雰囲気すらも感じない……じゃあこの人って一体……)
持ってしまったちょっとの違和感からどんどんと広がっていく波紋。それは、彼女に対する不信感という形でどんどんと脳の中を広がっていき……
(……ううん、これ以上邪推するのはやめとこ)
その広がりに無理やり待ったをかけた。
たしかに幽花さんには気になる点や不審な点が沢山ある。それは信用度を失うには十分な要素と言っても過言では無いだろう。
けど、それ以上にボクにとっては、悩みを解決してくれた恩人だ。
ボクが彼女を信じる理由は、それだけで十分だった。
「あの〜……?」
はっと息を意識を取り戻し、視線を向けられたと思ったら再び黙り込んでしまったボクを心配してか、少し不安そうな表情を浮かべながら確認してきた彼女に対して、ボクは首を振って、安心させるような表情を作りながら言葉を返す。
「ううん、なんでもない。大丈夫……あ、いや。やっぱり1つだけ気になることが!!」
けど、そうやって口を動かしていると、ふと頭の中に浮かび上がった疑問が膨らんできたため、この際ここについても聞いてしまおうと思い立ったボクは、自身の言葉を無理やり切って話題変更。首を傾げていた彼女も、元の位置に戻してボクの悩みに対して真っ直ぐ対応するために、表情を引き締めた上でこちらに耳を傾けてくれる。
(こういうところの切り替えの速さと、相手に対する思いやるがしっかり見えるところも、思わず心を許してしまうところだよね)
その一連の流れがあまりにも自然で思わず感心している所を、しかし表情に出すとまた話が脱線してしまいそうなので何とか耐えて、疑問について話していく。
「幽花さんのおかげで視界は広がって、早く反応する……と言うか、相手の動きから予測して動くってことが出来るようになった。おかげで身長の差っていうディスアドバンテージをだいぶ覆せるようにはなったんだけど……2ゲーム目の3ポイント目で、相手の動きから先読みして動いたはずなのに、ボクの動きを読んだのか、はたまた見てたのか、走り出したボクとは逆に打って来られて、抜かれたって場面があったんだけど……あれってどうしようもないものなのかな?」
さっきの自分の試合を見てもらっており、かつ彼女に深い知識がある前提で、若干早口気味に口から出たそれは、本来であれば香木以外に話すことはなく、他の人にこの調子で話そうものならすぐにはっとして謝ってしまうような状況だけど、悩みを解決してくれたことから、彼女に対する信頼度が上がりまくっているボクは、さも当然のごとく知っているという前提でするりと喋り出す。
この流れがあまりにも自然で、本当に彼女に絆されていることに、自分でも『チョロイなぁ』と呆れながらも、彼女を信頼して解決策を求めていく。
「確かに、あの時の相手の後衛さんは凪茶さんの動きを確認した上で打つ方向を変えているように見えましたね……本来であれば、球の飛ぶ方向は構えをとった時の、両足のつま先を結んだ延長線になりやすいのに、全然違うほうに飛んでましたし……その話だけを聞くと、読み合いになりそうですよね。完全なフィフティフィフティです」
そしてさも当たり前に、ボクの言葉を理解して的確に言葉を返してくれる。その事が嬉しくて、また頬が緩んでしまいそうなのをまた気合いを入れ直して留め、真剣に続きの言葉に対して耳を傾ける。
「ですが、部分的には5分でも、長い目で見ればそうではない可能性もあります。例えば、凪茶さんが抜かれてしまった3ポイント目の2個前……つまり2ゲーム目の最初のポイントですね。そこの決め手は覚えていますか?」
「うん。香木と相手の後衛がラリーしているところに、ボクが先読みして割り込んでボレーした点」
「はい、その通りです。そしてそれよりも前の1ゲーム目でも、凪茶さんはボレーで点を取っていますよね?具体的には、1ゲーム目の1、4、5ですね」
さも当然かのごとく次々と先の試合の内容を口に出され、もはや怖さすら感じる記憶力を前に、本当に嬉しさを感じてしまい、三度口角が上がりそうになるものの、あまりにも嬉しすぎて今度は我慢できる気がしなかったので、口元を手で隠し、少し俯くことで、まるで何かを考えているかのように見せることで誤魔化す。
とはいえ、このままでいる訳にはいかないので、素早く深呼吸して何とか表情を戻しながら、何とかその間に頭の中でまとめた意見を口に出す。
「割り込みによるボレーでの失点が、相手視点だと強烈に記憶に残ってる……?」
「そういうことですね」
何とかまとめた考えがあっているようでほっと一息。
安心しているボクを微笑ましそうに見た幽花さんは、そのまま言葉を続けていく。
「相手からすればそれまでに取られた6失点のうち半分があなたに取られているということになります。……私はそこまで詳しくないので強くは言えませんけど、こんなにボレーが決まる試合って多いんでしょうか?」
「試合によっては少なくないと思う……けど、それにしたって割り込みの回数が多い気がする、かな?ボレーが決まり手にる時だって、どちらかと言うと後衛同士の打ち合いに負けて、打ち損じたものを狩るってことの方がメジャーだと思うし……」
「成程、サーブアンドボレーの典型例ですね」
テニスでサーブ側が有利と言われる所以が正しくこれで、サーブはテニスで唯一相手に影響されずに自由打てるショットだ。ここで強烈なものを打てばレシーブ側は当然辛く、何とか返せても甘い球になってしまいがちだ。そしてその球は前衛にとっても絶好の餌。だからサーブアンドボレーの連携は黄金パターンとして存在している。
「その点のとり方がセオリーなら、凪茶さんも理解しているはずですよね?最初の1点以外は違うと」
「……言われてみたら確かに」
しかし、今回ボクが獲得した点のとり方は、最初の一点以外は全部ラリー中のインターセプトだ。相手の後衛がミスして上がった球を叩いたのではなく、香木とラリーをしているところに無理やり割り込んで点を取った形になっている。これは、相手の動きを読めるようになったボクが、構えを見て次も香木の方に打つというのが分かったから、相手が打ち出すよりも早く動き出して無理やり間に合わせたと言ったもの。
よく言えば勝負の一手。
悪く言えばリスキーな邪道。
「割り込みはたしかに強烈な一手ですが、リスクを負っているだけあって対策も簡単です」
「元々ボクが居た位置に打てばいい……」
「はい。しかも凪茶さんは身長の兼ね合いで、打ち出しよりも早く動くことが確定しているので余計に簡単です」
「そっか……」
ここまで言われてようやく彼女が何を言いたいのか理解した。
ボクが相手の動きを見てボールを予測出来るように、力量があれば相手だって同じことができる。特に、ボクは他の人よりも動き出しを速くしなきゃいけないから余計にわかりやすい。
ここまで来ても、ボクの身長が足を引っ張てくる。
しかし、それが分かった上でボクの口から零れた言葉は、嬉しさに満ちたものだった。
「ボクの動きを見て相手が無理やり打ち方を変えてくるのなら……今度は早く反応するボクの動きをブラフにすれば……!!」
「ふふ、気づいたみたいですね」
ボクのポジティブな言葉を前に、自分の言いたいことが伝わったのが嬉しいのか、幽花さんも嬉しそうに微笑んだ。
「そのブラフは単体だけ見れば意味ないかもしれませんが、その前に何回もインターセプトされていたのだとすれば、その動きは相手に想像以上に焼き付きます。具体的にいえば、また防がれるのを嫌って逃げる選択肢を取ろうとするでしょう。となれば……」
「本来は右か左かが5分のはずの選択肢が……片方に偏る……!!」
「その読み合いこそが、おそらくあなたに今1番必要な技術かと。そうなれば、あなたの身長が逆に武器になる可能性だってありますよ」
「ボクの体が……武器に……」
今まで、ボクのこの身長の低さはデメリットだとしか言われることはなかった。けど、ここに来て始めてこれが武器だと言われた。
(そっか……ものは使いようだし、考え方1つでこんなに変わっちゃうんだ……)
あれだけ悩んでいた頭が、嘘みたいに軽くなっていくのを如実に感じてしまう。
まるで重りに縛られていたかの如く苦しかったあの時間が、幽花さんという1人の女性と関わることによってどんどんと消えていってしまう。
(本当に、不思議な人だなぁ……)
今日初めてあった相手なのに、もはや香木に迫る勢いで信用しそうになってしまっている彼女。
恋愛感情になってはいないけど、尊敬という面では香木すらも上回っている可能性のある存在になってしまっていることに自分でも驚いるほどだ。それだけ彼女に魅力があるということなのだろう。
『お〜い凪茶〜!!何処にいるんだ〜?試合呼ばれてるぞ〜!!』
「っと……もうそんな時間……」
幽花さんと楽しく話していたら、もう次の試合の時間がやってきたみたいで、遠くからボクを呼ぶ声が聞こえてきた。
この先のスケジュールを見れば、ここからは1、2回練習試合をした後に、軽いリーグ戦みたいなことを回すらしく、そうなると空き時間が減っていくため、ここまで来る時間を取ることが難しくなるだろう。
下手をすれば、今日はもう幽花さんと話すことはないかもしれない。だからボクは、もう話せない可能性を考慮した言葉選びをしていく。
「ありがとう幽花さん。君のおかげで課題がどんどん見つかっていく……こんなに充実した時間は久しぶりだった」
「いえいえ、私の方こそ、お役に立てて良かったです」
「今日はこれから忙しくなりそうだからもうここに来れないかもだけど……それでも良かったら試合は見てて欲しい。さっき言った、読み合いの話を実践したいんだ。その結果を見届けて欲しい」
「はい。今までと同じく、ちゃんと見てます。だから、頑張ってくださいね」
「……うん!!」
「ふふ……いってらっしゃい」
「行ってきます」
この言葉を最後に、ボクは背を向けてコートへと足を動かしていく。
もう、体は一切重くない。
心に残っていた蟠りはすっかりと消え、今は羽が生えたように軽かった。
「お待たせ香木」
「お、やっと来たか。急ぐぞ、次は第二コートだ」
「分かった」
そんな心持ちで踏み入れたコートはやっぱりとても広くて、心地よくて。
「……なぁ、またさらに表情明るくなったか?」
「そう見える?なら良かった……のかな?」
「まぁ、今までのと比べたらずっとな」
「あはは、それはそう」
ボクの表情にも出てくるほどのそれを見た香木は、嬉しそうに、そして穏やかに微笑んでくる。
本当に、この相棒にはずっと心配をかけてきた。
だから今度は、その分をお返しする程のものを、プレーで返そう。
「見ててね相棒。この試合のボクは、さっきよりもさらに強いから」
「っ!?……ははっ、ああ、期待してるよ、相棒」
こうしてボクたちは、残りの練習試合も楽しく、全力で駆けていく。
今まで親愛かけた分を吹き飛ばすように。
そして、きっと見てくれているであろう、彼女のために。