「うう〜、雨の日嫌い〜……早く梅雨明けろ〜……」
「はいはい、そんなに暴れないの。髪がセットできないでしょ」
「ごめんなさい〜……」
「……なんか、このやり取り前もしたわね……」
「そう〜?気のせいだよ〜……」
「……まぁ、どちでもいいけど」
窓と地面を叩く水音をBGMに、この時期恒例となっているカオちゃんによる髪のセット時間。カオちゃんの言う通り、私もこのやり取りは前もした気がするけど、そもそもカオちゃんとこういうことをしすぎて、逆にしてない方が違和感なくらいのやり取りなので、気にするだけ無駄です。
「にしても、今年の梅雨は仕事するわね」
「本当だよ〜……去年はそんなに仕事せずに過ぎてくれたのに……」
「涼しくなってくれるのはありがたいけどね」
「私は湿度の方が嫌い!!おかげで髪もボサボサ!!昨日だってせっかくの日曜日を燐と買い物に出かけようと思ったのに準備すごく時間かかったんだもん〜……」
連草君をカオちゃんの実家のカフェに案内したのが先週の話で、あれから休日を超えて再び月曜日に回ってきた今日も、カオちゃんと繰り広げられる会話はいつも通り。生産性なんてなくて、けど話しているだけで落ち着いて、とても心地いい時間。
例え月曜日というあまりテンションの上がらない日だったとしても、こうして親友と共にいられる時間がとても嬉しく、梅雨による雨続きで襲ってくる湿度地獄による嫌な気分だって吹き飛ばしてくれます。
それはそれとして髪の毛がボサボサになるのはやっぱり許せませんが。
「はい、終わったわよ」
「ありがと〜カオちゃん。結婚して〜」
「機会があればぜひ〜」
「ぶーぶー」
カオちゃんの手によって、指が引っかかることなく通るようになった自分の髪を触りながらじゃれあいの言葉を投げかけたら、いつもと変わらないノリで返ってくる穏やかな時間。
窓の外に見える雨さえなければ最高の心地いい時間を感じながら、今日も今日ていつも通りの学校生活を送るのだろう。そんなことをぼんやりと考えていました。
しかし、今日はとても小さな、しかし確かにいつもと違う出来事が起きました。
「……ふぅ……初めて少しゆとりを持って登校したなぁ……」
それは朝の喧騒の中でほぼかき消されており、かなり小さくしか響かなかったけど、確かに私の鼓膜を揺らします。
「あ、今の声……」
そしてその声は、私だけ出なくカオちゃんも聞いていたみたいで、二人一緒に声の聞こえてきた方に顔を向けてみます。
「……わぁ、全然印象変わるね!」
「……そうね。少なくとも今の見た目の方が好ましいのは間違いないわ」
そこに居たのは、髪を切ってさっぱりし、結果とてもしっかりと表情を確認できるようになった連草君の姿。
この土日の間に身だしなみの整理と、体のメンテナンスをしっかりとしたのか、先週見た時よりも隈は減っており、肌のツヤや血行も心做しか改善。不安になるほど痩せているように見える体まではさすがに改善とまではいってないけど、少なくとも不健康というイメージはだいぶ払拭できた見た目に変わっていた。
いつもの彼を知っていればそれは劇的な変化で、しかし今まで1人で駆け続けていた彼の周りには、その変化に気づけるような友人は誰もいない。けど当の本人はそれが当然と思っているのか、特になにか気にすることなく自分の席についてゆっくりとカバンをおろし、中身を取り出していく。
その姿がどうにも私には寂しく映ってしまい、私と同じことを考えていたらしいカオちゃんは、私の顔を見てひとつ頷くと、私と一緒に連草君の席へと歩いていってくれます。
「おはよ!!連草君!!」
「おはよう。だいぶ印象変わったわね?」
「っ!?あ、お、おはよう。鈴音さん。金森さん」
ある程度近づいたところで、私とカオちゃんは一緒に声をかけ、連草君と朝の会話をはじめます。すると、連草君はまさかここで声をかけられると思っていなかったみたいで、ちょっと驚いた反応を見せました。その様が面白くて、ついつい笑いそうになるのを何とかこらえた私は、そのまま会話を続けます。
「結構バッサリいったんだね?……うんうん、やっぱり顔が見える方が断然いいよ!!」
「目元も大分すっきりしてるわね。この土日はしっかり眠れたのかしら?」
「あはは、お陰様で……久しぶりにまったりした休日を過ごせたよ」
話しかけてきたのが私たちとわかった瞬間に、安心したかのように穏やかな笑顔を浮かべた連草君は、そのままゆっくりと言葉を返してくれます。その声色からは無理をしている感じが一切なく、この休日は本当にまったり過ごすことができたんだろうなということがよく伝わってきました。これなら、玉緒さんの所にバイトに行けるようになる日もそう遠くなさそうです。
「改めて、2人ともありがとうね」
体調がかなり良くなっているように見える連草君に、ほっと安心感を感じて息を漏らす私とカオちゃんに対して、今度は連草君が改まった口調で私たちにお礼をしながら頭を下げてきます。
「2人のおかげで、取り返しがつかなくなる前に帰ってこれたような気がするんだ。……今ならわかるよ。多分、あのまま誰にも頼らず突っ走ってたら、絶対にどこかで壊れてた」
少し俯きながら言葉を落とす連草君。その姿は、もしもの世界線の自分を想起しているように見え、若干の後悔と恐怖の感情が読み取れます。
確かに、初めて連草君と出会ったあの日の状態が続けば、その未来はそう遠くないうちに訪れていたと思います。けど、今は私たちが頑張った甲斐もあって回避できていて……
(私とカオちゃんにもう1人の……あ、あれ?)
と、ここにきてまた頭に引っかかるモヤモヤの感覚。
受験の時に1回。入学式の時に1回。そして今回の1回。
これで計3回も来ている、私の心を引っ掻き回す小さくない違和感。
(また……この感覚……なにか、大切なものが欠けているような……)
絶対に何かある違和感を抱えながらも、しかしいくらそれについて考えても永遠とその正体にたどり着くことはなく、ずっと何かが欠けている虚しさを抱え続けてしまっています。
「だから、その前に手を差し伸べてくれて、本当に助かってます」
「大袈裟よ。私たちはできることをしてるだけだもの。ねぇ、蘭?」
「え!?あ、そうだね!!困った時はお互い様だよ!!」
その虚しさについて悩んでいる所にかけられたカオちゃんからの言葉にハッとした私は、モヤモヤを吹き飛ばす勢いで返事をします。
結果、私の口から出る言葉は少しだけ声量が上がっており、いつもと違うその声量に少し首を傾げるカオちゃんは、訝しげな表情でこちらを見てきます。
それに対して『なんでもないよ』という気持ちを込めながら笑顔で首を振る私は、もうなくなってしまったモヤモヤのことを忘れるように連草君の方に視線を向けます。
するとそこには、少しモジモジしながら、何かを言おうとしている連草君の姿。
「?連草君、何かあったの?」
「あ、えと……」
まさか私から質問されると思っていなかったらしい連草君は、ビクッと体を跳ねさせた後に、意を決したように私の方に目を向けます。
「あの、ここまで色々手を貸してもらった上で、さらにこんなお願いするの、ちょっと申し訳ないって思うんだけど……2人に頼みたいことがあるんだ」
連草君から向けられたおねがいの言葉に、思わず顔を見合わせる私とカオちゃんは、その視線をすぐに連草君に戻して続きを促すと、彼はゆっくり頭を下げながら本題を告げます。
「どうか、2人に勉強を見てもらっていいですか?」
「「……え?」」
意を決して彼の口から告げられたその言葉は、私からしたら予想外の言葉で……
「……ねぇ、蘭。気のせいかしら?今、連草君から勉強を教えてって聞いた気がするんだけど……」
「……私も、そう聞こえてびっくりしたんだけど」
その予想外っぷりに、私もカオちゃんもかなりの驚きを見せます。
なぜ予想外なのか。それは彼が勉強できないということを知らなかった……からではありません。
当然ですよね?だってそもそも、彼に勉強を教えてあげるよといったのは私からであって、私の中ではすでにこれは決定事項です。
当時その場にいなかったカオちゃんに対しても、あの後ちゃんと説明をしており、本人からも了承を経ているので、この連草君からのお願いというのは、行ってしまえば何の意味もない無駄な言葉です。
「……ねぇ、急にどうしたの?勉強のことならもう話して終わってると思ったんだけど……」
「うん……そうなんだけどさ?」
急に無駄な言葉を投げられた私は、疑問を解消するためにその意図を連草君に聞いてみると、連草君は少し恥ずかしそうにしながら答えを返してくれます。
「ここ数日間でいろんなことが解決しそうで凄く嬉しいんだけどさ?ここまで全部、鈴音さんが言ってくれたことに何となくついていっただけな気がしたんだ」
ふと連草君の言葉を聞いて振り返るのは、私と連草君が出会ったあの日からの出来事。……とはいっても、連草君とのやり取りなんて、保健室に運んだことと、その日に連草君を家に送ったこと、そしてカオちゃんもつれてカフェに一緒に行ったことの3回のみで、思い出というにはあまりにも最近の出来事ですが……。
「だからこれは僕なりのけじめ。多分、その様子だと金森さんにも鈴音さんが話をしてくれたみたいだけどさ……僕はあくまで、二人とは対等でいたいんだ。だから、僕から改めて二人に……どうか、よろしくお願いします」
まっすぐ、そして真剣な顔でそう言ってきた連草君は、だけどとても晴れやかで、暖かな色をはらんだ表情でこちらを見つめてきます。
それを見て、ようやく私は理解します。
(ああ……これが本来の彼の姿なんだ……)
朗らかで、人懐っこくて、安心する。
イケメンというわけでなく,かといって童顔系のかわいい顔というわけでもありません。
少し言葉は悪いかもしれませんが、見た目は髪型を整えたということもあって悪くはありませんが、良すぎるとも言えない、いわゆる中の中から中の上くらいの、まさしく平凡といっていいものです。
ですが、その表情から感じる暖かさはまさしく、『お兄ちゃん』と呼ぶにふさわしいくらいには親しみが持てて。
それこそ、こんな人が店員として勤めるカフェなら、安心して注文ができそうで。
(あ、だから玉緒さんは連草君をあっさりと認めて勧誘したんだ……)
私よりもかかわった時間は圧倒的に短いはずなのに、一瞬で彼のことを読み取った玉緒さんの観察眼に、ただただひたすらに感心します。
(私も、長く生きたらそんな観察眼が身につくのかな)
なんてことを考えながら、私は気づけば、自然と右手を伸ばしていました。
勝手に動いた右手に驚きながらも、けど、私の口は驚くほどに自然に動きました。
「じゃあ……私も改めて。……よろしく連草君。学年主席として、ビシバシ鍛えるからよろしくね?」
「じゃああたしも。次席としてはもちろん、いずれ先輩としてもいろいろ教えてあげるから覚悟してね?」
「……はい!よろしくお願いします、先生!!」
そこから繋がれる三人の手。それは、まるで連草君の未来を優しく導くかのように、暖かいつながりでした。
☆
「……うん、いいですね」
雨降る空の下、傘もささずに屋上に立つものありけり。
しかしそのもの、雨に濡れることなく、新しい関係築きし、微笑ましきものたちを観察す。
……なーんて、雰囲気古文的なことを言いながら、心地いい雨音をBGMに今日もみんなを見下ろすのは私、幽花彩姫です。
教室内で行われる、蘭さんと香さん、そして理人さんのやり取りを眺めている私は、頭のあほ毛さんがまだ反応しているのを確認しながらも、今の3人の関係を見れば、この悩みも時期に無くなるであろうことを察し、安心して見守ります。
「蘭さん。やっぱりあなたに任せて正解でしたね」
彼女たちの間で一体どんなことがあったのかは分かりません。ですが、今彼女達が作っている雰囲気が、事が上手くいっている何よりの証拠でしょう。
「本当なら私が全部解決出来ればいいのですが……仕方ないものは仕方ないですね……」
そして同時に恨めしく思う自分の、『日を跨ぐと忘れられる』と言う制限。
もっとも、この学校から離れられない以上、今回の件に関しては、たとえ記憶が残っていたとしても意味がなかったかもしれません。むしろ、いつまで経っても学校から帰る気配のないことに疑問を持たれるかもしれません。そうなれば、私の正体まで話す必要があるかもしれませんね。
「そういう意味では、私はやっぱり忘れられるべき存在、ということなのでしょうか……」
降り注ぐ雨の中、濡れないはずの私の体は、重く湿っているような気がしました。