「ほら見ろ、やっぱりなんもない」
時計の針が周りきり、日付が変わった時間帯。
不気味なほど真っ暗な廊下に響くのは、ひとつの足音のみ。
そう、たったひとつの音だけだ。
確かにこの真っ暗な校舎というのは、雰囲気だけでいえばかなり怖いほうだろう。普段は子供たちの明るい声が響く場なだけあって、そのギャップも相まってかなり不気味だ。が、先も言った通り、聞こえてくるのは自分の足音だけ。それは孤独を意味すると同時に、この場に自分以外誰も存在しないことの証明となる。
この廊下を1人というのは確かに怖いが、ここで足音が複数聞こえてくるほうが、逆に侵入者の証明になってしまうため、そちらの方が命の危機という意味で怖い。警備員として護身術や体術などはそこそこ学んではいるものの、実戦経験があるかと言われたら、今の平和な日本で経験する場なんてほとんどなく、この学校も今まで侵入者を許していないため、ここでの実戦経験もゼロ。簡単に負ける気はないが、100%勝てる勝負というのも存在しない以上、現実的な恐怖が必ずあるには否めない。
「そんなものと比べたら、ありもしない幽霊なんざに怯えてもな……」
ぼそっと漏れた独り言も、反響こそしても返答はない。
やはり噂は所詮噂。それも若い学生のするものだ。そういう噂や悪ふざけが楽しくて仕方がない時期。自分にもそういう時期があったので、特になにか思うことはない。強いていえば、自分の子供もいつかこういうので盛り上がるのだろうなと思うと微笑ましくすらある。
「さぁてと、さっさと終わらせて、異常なしって報告で終わらせる━━」
『♪〜〜〜』
「━━か……あぁ?」
なんてことを思いながら、今日も何事もなく業務を終了させ、怯える後輩の元に帰ろうと体を反転させたその時。微かながら、確かに自分の鼓膜を叩く小さな音が聞こえた。
それはたまたま風が吹いてなっただとか、外の虫や鳥の鳴き声だとか、そんな自然現象で起きたものではない。
明確に、何者かが意志を持って音を奏でている。
「…………いやいや、そんなまさか。……最近睡眠時間少し減ってたからな。きっと疲れてるんだ。そうに決まっている。だって今この校舎には俺以外誰もいないんだ」
さっきまであれだけ否定し続けていた現象が、急に目の前に迫ってきていた。その現実を上手く受け止められない俺は、口では否定の言葉を連ねている。
「そうだ、あの後輩がやってるんだ。自分が怖いからってふざけたことを━━」
「せ、先輩!ようやく見つけましたよ。すいません。やっぱり任された仕事を放っておいて押し付けるなんてできなくて……やっぱり幽霊なんていませんよね!!僕もついて行きます!!」
「……は?」
「え?先輩?」
幽霊でないのなら今ここにいる後輩が、幽霊の存在を信じさせるためにしかけたイタズラである。その結論に行き着いた俺は、こんなバカみたいなことをしている後輩を叱り飛ばさなければならない。そう思い、震えかけていた体に喝を入れて歩きだそうと一歩踏み出した瞬間、後ろから聞こえてきたのはその後輩の声。
懐中電灯を片手に、体を震わせながらも勇気を振り絞ってそこに立つ姿は紛れもなく後輩のそれで、一瞬後輩の姿を真似た幽霊なのかというとてつもなく頓珍漢なことを思い浮かべてしまったものの、さすがにそれはないと頭を振って思考を飛ばし、先程聞こえてきた音も忘れる勢いで返事をする。
なにより、後輩が頑張って勇気を振り絞ってきてくれたのに、ここで変な音が聞こえたなんて言って彼のやる気を削ぐ訳にはいかない。
それに、疑心暗鬼になっている今の自分にとっては、この後輩の存在も十分に頼りになる。
「なんでもない。ようやく自覚を持っってくれたのなら、さっさと終わらせるぞ」
「はい!!今まで遅れた分をちゃんと取り返し━━」
『♪〜〜〜』
「━━…………え?」
「…………」
が、そんな俺の安心感と、後輩の勇気を嘲笑うかのように聞こえてくる謎の音。
聞き間違いだと思いたかった。だが、先程よりも確かにはっきり聞こえたその音は、いやがおうにも俺たちに現実を見せてくる。
「せ、先輩……今の音……」
「……音楽室の方みたいだな……侵入者かもしれん。確認に行くしかない、か」
「……っ」
警備員として、もはや逃げることはできない。職務を全うするためにもこの音の正体は確認する必要があり、聞こえてくる場所に赴く必要がある。そのことを独り言のように紡げば、後輩の息を飲む音が横から聞こえてくる。
いつもの自分なら、この明らかに怯えている反応を前にまた溜息をついていたことだろう。が、この状況に立ってみれば、彼の気持ちは痛いくらいわかってしまう。
「……警備室で待機してくれてもいいんだぞ?」
「え?」
その同情心から、俺の口から零れた言葉は逃げてもいいと言う発言。
自分の口から無意識に出たその言葉は、普段の自分からは決して発せられるものではなく、それ故に後輩も驚きの声と表情を浮かべていた。
自分でも、まさかこんなことを言うと思わなかった。だが、目の前の現実から目を背ける訳には行かない。
この学校には、きっと何かがいる。
「認めたくないが、どうやらこの学校には本当に何かあるらしい。もしかしたら命の危険があるかもしれない。……それでも来るか?」
「……」
今まで「そんなわけない」だの、「いいから来い」だの、嫌がる後輩の尻を叩くような発言ばかりしていたのに、ここに来て急に気遣うような発言をした俺に対して、言葉を詰まらせている。
そりゃそうだ。今までと態度が180℃違うせいで本当に俺の口から出た言葉なのかと自分でも疑ってしまう。だが、こうやって実際に向き合ってみれば、これは確かに怖いし、命の危険すら感じる。今まで自分が偉そうな言葉を言っていたのが、単純にこの事象に出会わなかったから言えただけなんだと言うのがよく分かってしまった。
だから、俺は今までこんな感情を我慢してきた後輩を思って言葉をかける。
たとえここで怯えて逃げても、俺はこいつを責めることはないだろう。何故なら俺だってすぐに逃げたいから。
だけどその行動は俺の職業が許さない。しっかり報告するためにも、確認は絶対に行わなければならない。
そしてその役目を負うのなら、年長者である俺がするべきだ。
「どちらを選んでも俺はお前を責めない。……悪かったな」
そう残し、俺は足を1歩、音の鳴る方へと動かしていく。
きっと後輩は着いてこない。あれだけ怯えていた出来事がまた目の前で再発したんだ。それは仕方ないこと。むしろ今までこのことを話していたのに信じて貰えず、無理やりここに付き合わされていたのだ。なら、ここに残る理由は……
「待ってください、先輩。……僕も行きます」
が、そんな予想と反して、帰ってきた言葉は仕事の続行だった。
別に後輩が恐怖を乗り越えた訳じゃない。現に今も、声と体両方が震えており、とてもじゃないが大丈夫には見えない。だが、それでも目だけはしっかりとこっちを見ており、先の発言が嘘では無いことを物語っていた。
「本当にいいんだな?」
「……はい」
後輩から聞こえる、確かな声。
なら、こちらから聞くことはもうない。
ここまで覚悟を決めてくれたのなら、ここから更に聞き返すのは彼の覚悟を無駄にしている行動だ。男なら黙って彼の意思を尊重し、このまま音の鳴る方へと進むべきだろう。
「……行くぞ」
「……はい」
ぎゅっと、懐中電灯を握る手に力を込めながら、未だに聞こえてくる音に向けて2人でゆっくりと足を進めていく。
『〜〜〜♪♪♪』
「「……」」
真っ暗な廊下に響く音は、歩くにつれて段々とその音量を大きくしていき、はっきりと耳に届くようになってくると同時に、その音の正体についてもわかるようになってきた。
(ピアノにアコースティックギター、木琴や鉄琴……色んな楽器が混じっているな…まるで何かの演奏会をしているようだ)
「……この曲、知ってる曲だ」
決して音楽に精通している訳では無いから、全ての音を聞き分けられる訳じゃないが、それでも多少はなんの楽器か分かるくらいには、学校に常備されているものたちによって奏でられているその音楽は、どうやら後輩が知っている曲らしく、その中でもお気に入りのものなのか、ほんのりと彼の緊張が解れたのを感じる。
(確かに、子気味のいい良い曲だが……)
ついつい体がリズムに乗りそうになるのをぐっと堪え、ゆっくりと足を音楽室に向けていく。
確かにとても上手な演奏ではあるが、この時間帯にここで出していい音ではない。幸い土地が広いため近くの住人に騒音として届くだなんてことは起きえないが、普通に不法侵入と、学校の備品の無断使用として罪にとえる内容だ。不審者なら捕まえる必要があるし、学生のイタズラにしても範疇を超えており、補導ないし指導の対象である。
もっとも、我々が捕まえることの出来る存在が相手であれば、だが。
「「……」」
徐々に大きくなる音と、聞こえ始めてくる音楽以外の音。
それは何かものが擦れるような音だったり、曲と共に踊っているのかドタドタという音だったり、楽譜を捲っているのかパラパラという紙の音だったりと、その種類に枚挙のいとまが無く、同時にひとりの人間が絶対に出すことの出来ない音の数となっており、この演奏が複数の人間で行われているというのが改めて理解できた。
いや、複数の楽器が鳴っている時点で、犯人が複数人であることは分かっているのだが、演奏の音以外にもこんなにも雑音が紛れているということは、もしかしたら想像以上に沢山の存在がいるのかもしれない。
そんな団体様全員が、この学校の警備網を潜り切れるだなんて到底考えられない。となれば、やはりその存在の正体というのは限られており……
「「……」」
お互いにその存在の正体になんとなく察しながらも、歩みは止めずに1歩、また1歩と足を進めていく。そしていよいよ大きくなる音が、自分たちが今いる場所が音楽室と同じ階層であることを自覚させてくれた。
「「……っ」」
と同時に体をに襲いかかるのは悪寒。
背筋を駆け巡る、まるでつららを突っ込まれたかのようなその震えは、『今すぐこの場所から離れろ』と言う本能からの警告なのだろう。だが、ここまで来たのなら、確認しない訳には行かない。
怯える後輩と目を合わせ、ひとつ頷き、今まで以上にゆっくりと音楽室へと音楽室へと歩いていく。
どんどん下がっていく体感温度を、無意識のうちに体を震わせるシバリングで温めながら歩いていけば、程なくして問題に部屋の横までたどり着いた。
ここまで来れば、耳に入ってくる音の大きさもかなりのものになっており、音楽室特有の防音性が効いている上で貫通して聞こえてくる。
(……ここから顔を上げて、窓から覗き込めば、全てがわかる)
音楽室の窓下にしゃがんで待機している俺たちは、いよいよこの演奏の正体を確認するべく、ゆっくりと顔を上げていき、窓からそっと音楽室の中を覗く。
「「っ!?!?」」
その先にあったのは、まさに百鬼夜行。
楽器が勝手に動いて音を奏で、空中はまるで何かを食べているかのように閉じたり開いたりしながら浮かぶ本たちと、目を光らせた音楽家の肖像画が踊るように宙を漂い、視線を下げれば、骨の人体模型がコツコツという音をたてながらタップダンスを踊っており、その右手には指揮棒が握られていて、無茶苦茶に振り回していた。そしてそんな無茶苦茶な指揮に従って踊っているのは、下半身のない所謂テケテケと言われる幽霊と、中庭にあるはずの初代校長の銅像に、白いシャツにサスペンダー付きのスカートを履いている、おそらくトイレの花子さんと思われる存在等など、例え初見だったとしても一目見るだけで名前が浮かんでくるくらいには有名なお化けたちだった。
(な、なんだ……これは……っ!!)
魑魅魍魎が渦巻く音楽室。
こんなヤツらに見つかってしまえば、自分はどうなってしまうのか。想像するだけで恐ろしい。
横にいる後輩なんて、もう顔も真っ青で、今にも叫びそうなところをすんでのところで堪えているとはいえ、限界ギリギリの状態だった。
さすがに、これはやばいし手に負えない。命の危機すら感じる。
「おい、直ぐに逃げるぞ」
「(コクコクコクコク)っ!!」
急いでここから逃げるべく、後輩の肩に手を置き、小声で指示を出せば、首が取れるのではないかという勢いで縦に振り、肯定してくれた。
(音の原因はもうわかった。あとはこれをちゃんと報告すれば、俺たちの仕事は完了だ)
俺たちはもう十分働いた。ここから先は霊能者なりお坊さんなりを呼んで、専門家に任せればいい。
さっさと帰って、後輩とお疲れ様会をしよう。そう心に決め、来た道を引き返すべく、足を動かそうとする。
「…………」
「……?おい、どうした」
が、目の前の後輩はシバリングすら止まり、口を開き、こちらを向いて固まってしまう。
「止まってないで早く逃げ……」
その姿を見て、早く逃げるように声をかけるが、その途中で気づいてしまった。
後輩の目線が自分ではなく、
(まさか……)
振り向くな。逃げろ。そう囁く本能に反して、体はゆっくりと反転し、後輩の視線の先を確認してしまう。
そして、そこに居たのは……
『ギギギギギ……?』
剥き出しの眼球をもって、至近距離でこちらを見つめながら奇声をあげている、筋肉繊維の人体模型だった。
「「〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!」」
その日、俺は初めて、文字通り喉が張り裂けるほどの声を上げながら走った。
「……?なにか聞こえたような……?ま、いっか!今は楽しみましょ〜!!」