ダンジョン・クロニクル プレイヤー記録   作:Rime casket

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穴の空いた壁

――倒れた壁と、触れられない手

 

ログイン589日目

高難度エリア《灰晶断層》

 

視界が、やけに低い。

 

いや違う。

 

俺が、倒れている。

 

 

◆ ただのミス

 

敵は討伐済みだった。

 

レイド後の残党処理。

気が緩む時間帯。

 

地面に残っていた結晶体。

 

ただのオブジェクトだと思った。

 

踏んだ瞬間、内部に封じられていた魔力が暴発した。

 

回避も防御も間に合わない距離。

 

直撃。

 

視界が白に染まり、HPバーが一気に赤く染まる。

 

《致命的損傷》

 

珍しく、システム警告が重い音で鳴った。

 

呼吸がうまくできない。

 

痛覚軽減設定のはずなのに、胸が焼けるみたいに痛い。

 

「……トーヤ!!」

 

遠くから誰かの声。

 

意識が遠のきかけた、その時。

 

視界に、淡い青が落ちてきた。

 

 

◆ イルムの手

 

「動かないで」

 

低く、はっきりした声。

 

イルムだった。

 

いつも冷静な目が、今はわずかに強張っている。

 

俺の上半身を支え、片手を胸に当てる。

 

淡い光が広がる。

 

回復魔法じゃない。

 

もっと精密な、制御されたエネルギー。

 

「内部出血の判定…現実反映は無し

 けど神経系のショック値が高い」

 

運営側の用語が混ざっている。

 

それでも手は震えていない。

 

俺は息を吐く。

 

「……ドジったな」

 

笑おうとしたけど、咳き込んだ。

 

イルムの眉が寄る。

 

「喋らない」

 

短い命令。

 

でも声が少しだけ速い。

 

 

◆ 触れる距離

 

イルムが俺の防具のバックルを外し、損傷部位にアクセスする。

 

いつもなら絶対見せない距離感。

 

顔が近い。

 

アリスブルーの髪が頬に触れる。

 

微かに冷たい。

 

「どうして確認しなかったの」

 

責めているんじゃない。

 

自分に言っているような声音。

 

「気が抜けてた」

 

正直に言う。

 

「…らしくない」

 

その言葉に、少しだけ苦笑する。

 

「たまには壁も穴空く」

 

イルムは無言で治療を続ける。

 

指先から流れる光が、傷のエフェクトを押し戻していく。

 

HPバーがゆっくり回復していく。

 

でもイルムの表情は緩まない。

 

 

◆ 怖かったのは

 

治療が一段落したとき。

 

イルムの手が、まだ俺の胸元に触れていた。

 

そのまま、動かない。

 

視線は傷じゃなくて、俺の顔を見ている。

 

「……いなくなるかと思った」

 

小さな声。

 

風に紛れそうな音量。

 

でもはっきり聞こえた。

 

俺は目を瞬かせる。

 

イルムはすぐに視線を逸らした。

 

「戦場では、よくあること」

 

いつものトーンに戻そうとしている。

 

でも、戻りきっていない。

 

初恋を失った人の顔だった。

 

俺はゆっくり言う。

 

「まだ死なないよ」

 

「保証はない」

 

即答。

 

それがイルムらしい。

 

でも手は、まだ離れない。

 

 

◆ 言葉の代わり

 

「……ありがとう」

 

俺が言うと、イルムは首を振る。

 

「仕事の一部」

 

運営としての、か。

 

それとも。

 

それ以上聞かない。

 

代わりに、ゆっくり上体を起こす。

 

まだ少し痛むけど、立てる。

 

イルムが支えようとする。

 

俺は笑う。

 

「大丈夫、歩ける」

 

一瞬迷ってから、イルムは手を引いた。

 

でも視線は外さない。

 

「今日は戻る」

 

「了解、先生」

 

「ふざけない」

 

でもその声に、ほんの少しだけ安堵が混じっていた。

 

 

◆ 遠くからの視線

 

転移地点へ向かう途中。

 

他のプレイヤーたちがひそひそ言っている。

 

「見た? イルムがトーヤ抱えてた」

「もうあれ完全に固定じゃん」

「前線公認コンビだろ」

 

やめてくれ。

 

イルムは無反応を装っているが、耳がほんの少し赤い。

 

気のせいじゃない。

 

 

◆ 今日の日記

 

「致命傷をやらかした

イルムに手当てされた」

 

少し間を空けて書く。

 

「あの人は、失うのが怖いんだと思う」

 

最後に。

 

「だから俺は、簡単に倒れない」

 

セーブ。

 

画面が暗転する前、思う。

 

戦場で背中を預ける相手がいるっていうのは、

 

強さとは別の意味で、すごく重いことなんだな。

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